7-3.再臨の落ちこぼれ
「……あの、本当に俺も行かなきゃだめなんですか」
苦虫を数十匹は一度に噛み潰したような苦々しい声に、金髪の麗人は目の前の隙間からこぼれる光から目を離し、振り返る。
オフゴールドの絹のような髪がその微光に照らされ、反対に薄暗い室内で舞う。
アルベルトは翡翠の瞳を真っ直ぐに。――正確にはつま先から頭のてっぺんまでを一瞥してから。
「当たり前だろう。お前は言わば今回の作戦の立案者。それを皆は知る権利があるし、君にはそれを知らしめる責任があるとは思わないかな?」
試すような物言いに、隼人は苦々しく更に顔をしかめる。ちょうど逆光になる位置に立っているのでアルベルトの表情は見てとるとが出来ないが、その深紅の双眸にはハッキリとイメージできる。
――絶対面白がってやがる。
隼人は自分が今身につけている服の端をつまみ上げると、絶対に前言を撤回しないだろうアルベルトを察して深く、深ーくため息を零したのだった。
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「――まずはやるべきことを整理しましょう」
1時間の休憩を終え、攻略会議は再開された。
『タキオン』内部の大会議室には、現在先程まで議会に参加していた6名に加え、新たにルーク・イグレシアスを加えた全7名での開会だ。
『タキオン』総本部内での事後処理班に加わって、あっちこっちを忙しなく駆け回っていた所に来た突然の召喚に、当のルーク本人が1番困惑しているように周囲に何度も首を巡らせている。多分なぜ呼ばれたのか理解出来ていないだろう。
そんなルークを無視して隼人は開会を宣言する。ルークの疑問は、今回の議会で明らかになるのだから、説明は時間の無駄だ。
宣言と共に立てられた指に、自然と全員の視線は釘付けになる。
「まずはなんと言っても『リリン』の市街地への進行を阻止することです。まだこの周囲一帯であればなんとか防衛しきれますが、その他の国まで侵略を始めたら終わりです」
迷宮生物とは違う、もちろん人間とも違う新たな生命体『リリン』。『リリス』の子供たちである生命体は、『リリス』の生存のために明確な殺意を持って人間を殺し、遺伝子情報を書き換えることで仲間を増やす。
そんな殺戮兵器が外へ出ればどうなるか。――これまで以上の惨劇に仕上がることはまず間違いはない。
『リリス』の生命力を削ぐ、という点からしても、『リリン』の殲滅は重要なファクターとなるだろう。
「『リリス』に課せられた呪い、というのかな。それを突破するためにも『リリン』の対処も必要になるね」
隼人の真意にも当然のように頷きながら、柔らかな口調でアーサーは頷く。
その補足に首肯し、続けて2本目の指を立てる。
「次に『リリス』の攻略の前に、まず迷宮区660階層はやつの領域だと思った方がいいでしょう。腹の中、と言うのが嫌な話一番近い」
「お腹の中、ですか……?」
自身の腹部をまさぐりながら、怪訝そうに眇られる緑青の双眸。隼人は深紅のそれでミアを見返しながら。
「660階層に行った時、地面やら壁やら全部が全部脈を打つかのように波を打っていたんです。色もなんというか……」
「生き物の内臓の色だった」
思い出して思わずしりごんでしまった隼人の言葉を続けるように、ヴァイスが付け足す。普段通りの静謐な瑠璃の瞳は、もう見慣れてしまったせいか僅かにも動かない。
「あとは腕とか目玉とか、なんの前触れも予備動作もなく生えてきたりしました。そしてそれらは『リリス』とリンクしていた。だから660階層に入った時点で、やつのフィールドです」
「それは、分が悪すぎるのでは……」
「だから攻略部隊とは別に、それらを排除する護衛部隊が必要になるな」
反射的に口から溢れてしまったルークの弱音に被せるようにして、アルベルトは凛と通る声で進言する。無意識に強い口調になってしまったそれに、ルークはむ、と口を引き結ぶ。
「それと、『リリス』の周囲にももちろん『リリン』はいるでしょうから、それらの排除も含めると二部隊は護衛に欲しいところです」
「調査団連盟に要請は出してありますが、それでも足りるかどうか……」
「本家経由で貴族たちにも通達はしているよ。一応世界を救うために約束された地位だからね、あの老害達もさすがに腰をあげるでしょう」
柔らかな物腰で辛辣な言葉をつらつらと笑顔で話すアーサーの表情は、そこはかとなく晴れやかだ。オリバーに聞いた話によれば、彼は『貴族』という身分に執着する上の世代(つまり彼らにとっての父、祖母にあたる世代)が心底嫌いらしい。
長子であるにもかかわらず、2年前に弟が没するまで継承権がなかったのもそのためだ。
あくまで規律を重んじる弟が当主となり、影で密かに協力して腐敗した貴族社会を更生させる。それがアンダーソン兄弟の反逆だったと。
ともあれ、彼らのそんな裏の事情は今は二の次だ。
「人数が足りない、か」
それは立案者の隼人もいち早く気づいた点だ。
『リリン』の地上での足止め。
各階層での掃討。
660階層で攻略部隊の護衛を務めつつ、『リリン』やその他の脅威を排除。
それに本隊を加えるとなると、圧倒的に人数が足りない、ということは。
――だから、敢えて間隙をつく。皆が無意識のうちに排除してしまっている彼らの存在を。
「居るじゃないですか、他にもまだ人は」
一同が一様に眉をひそめて隼人を見る。全員の視線が集まったと同時、隼人は服の端をつまみ上げる。――自分が今着ている、黒の詰襟の裾を。
あ、と。誰かの間の抜けた声を遮って。
「――聖グリエルモ学院の生徒は、こういう時のために生きる術を学んでいるんじゃないですか?」
無意識に口角が吊り上がる。その正体が皮肉なのか、恐怖を前にしたただの強がりなのか。隼人には分からない。
ただ。――使える物はなんでも使う。それが俺の生存戦略。
果たして、その学院の理事を務める青年は。
「……全く、とんでもない事を言ってくれるね、お前は」
「地上でチームを組んで対処に当らせれば、あとはいつもの課外授業と変わりませんよ。こんな俺でも、一応は生き残ってる訳ですし」
つまり。――『落ちこぼれ』と呼ばれる自分が生き残っているのであれば、『高尚な』生徒たちならば生き残れないはずはない。
そう、言外に今度こそ皮肉って、隼人は片眉あげる。
しかし、その責任は理事長であるアルベルトに一任される。だから、それを決断するべきなのは彼自身。
果たして。
「良いだろう。私の名前で正式に依頼を全生徒へ向けて通達する。ただしこれは強制ではなく個人の意志を尊重させてもらう」
「ありがとうございます」
先程はああ言ったが、今回ばかりは命の保証はどこにもない。これは正真正銘の、命をかけた最深部攻略となる。
だから、その作戦に参加するかどうかは個々人の判断に託すべきだと、隼人も思う。
……正直、自分も逃げれるもんなら逃げたいが。
だがそうはいかない。――これはバカ兄が残した、俺に繋いだバトンなのだから。
自分が受け取らずに、誰が受け取れるのか。
アルベルトの決断に頭を下げながら、隼人は1人決意を新たに3つ目の指を立てる。
「最後に肝心の『リリス』の討伐。これにはやつの心臓を破壊することが最善手だと俺は考える」
「でも、『リリス』の心臓は『天羽々斬』のせいで攻撃は……」
言いにくそうに顔に影を差しながら言うアデル。彼の意見はもっともで、だからこそ攻略会議は行き詰ってしまっているのだ。
けどそれだけでは。――隼人が意見を翻す理由にはならない。
発言の後の空白に耐え切れず上がった白銀の双眸を見返して、隼人はうなずく。その口元には依然として不適とも見える笑みが張り付いていることに、自分自身は気づかずに。
「正面から攻略できないなら。――内側からと考えるのが普通だろ?」
隼人の突拍子の無い発言に誰もが呆然と立ち尽くす中、ただ一人半年にも満たない付き合いで、もうそんな突拍子の無い発言に慣れ切ったヴァイスだけが淡々と思考して、口を開く。
「……ルークの『次元跳躍魔法』、とか」
「……はっ?」
突然の名指しに自分自身を指さしながら顎が外れそうなほどに口を開いて聞き返す。反射で返されたその疑問とヴァイスの答えを裏付けるように、隼人は短く肯定しながら。
「心臓の内側に異空間が広がっているのなら、その異空間を内側から破壊することができれば心臓も破壊することができるはずだ」
「なるほど、確かに理論上ではそういう事になるのか」
「ちょちょちょ何言ってるんですかクサナギくん⁈」
勝手に進行する話題に待ったをかけたのはルークだ。彼は隼人とその発言を肯定したアルベルトの間に割って入ると、腕をブンブン振り回しながら隼人を眼鏡のフレーム越しに見下ろして。
「いきなり呼び出されて何かと思えば、何の説明もなしに貴方はいったい何の話をしているんです⁈」
「『次元跳躍魔法』で『リリス』の心臓の内側に広がる異空間に侵入することができるかどうか」
「ちょっと、説明を端折らないで頂けますか。誰もがみんな頭がいいわけじゃないんですけど」
「ルーク、お前の『次元跳躍魔法』はほかの異空間に飛ぶことはできるのか?」
珍しく青筋を浮かべながら相変わらず説明不足の隼人に詰め寄るルークは、背後のアルベルトからの問いかけに胡乱な黒瞳を向ける。
「そんな事試したことあるわけがないじゃないですか。そもそも現実世界以外の次元なんて、知覚できない以上試しようがないのでは?」
「ではお前の魔法に制約とかはないのか。限界距離や人数など」
なぜ今になってそんなことを。と書いてある顔をしかめながら、ルークは考え込む。2年前までは田舎の教会でひっそりと暮らしていた神父だ。そんな事考えたことも実際にやってみたこともないのだろう。
「僕個人の力だけでは、ひと2.3人を飛ばすのが限界ではないでしょうか。ご存じの通り僕が魔法を使うときに使う『アンカー』を認識できる限界数です。ただ各地に設置してある『石板』を使用すれば、100人単位でも可能かと。実際に使っている『タキオン』所属員は知っているでしょうが、あれには僕の魔力を直接込めてありますから、ある程度ブーストすることができますから」
「距離も同様か?」
「『アンカー』を認識することができれば。ただ距離が離れるだけ飛ばせる人数は少なくなりますよ。それが異空間、異次元となると未知数です」
「何、一人送り込めれば問題ない。――そうだな、『死神』」
アルベルトの言葉に、その場の全員の視線が雪白の少年に集まる。
言外に。――『リリス』の討伐の最後の一手を、人類の命運を。この少年に託すのだと明言して。
隣に立つ空気は依然として微動だにしないが、先ほどの屋上でのヴァイスの葛藤を知る隼人は、別の色を宿す瞳で覗き込む。
果たして。
「問題ない。相手の弱点がさらされれば、僕は絶対にそれを外さない」
普段通りの抑揚のない簡潔な言葉。それでもそれこそが今この場においては何よりも力強く、作戦室に満ちていた緊張の糸がわずかに弛緩する。
しかしそれだけに、隼人は逆に彼の姿が努めて作られているもののように見えて、口を開きかける。が、それを遮る形で声を先に発したのはルークだった。
「いやだから勝手に話を進めないでくださいって。異空間に人なんて飛ばしたことがないって言っているでしょ」
「「やるんだよ」」
「ヤダこのスパルタ……」
さし合したようにハモってしまった隼人とアルベルトに、頭を抱えてルークはうめく。自分が逆の立場なら同じモーションを起こしたと思うが、生憎と自分の理論に絶対の確信を持った時、天才は自分のことを盛大に棚に上げ、周囲の音など右から左へ聞き流す。
「そもそも『アンカー』はどうするんですか。座標の無い場所に飛ばしなんてできませんよ。ヴァイスくんの命の保証ができませんしそんな事怖すぎて無理」
「それなら問題はない」
は?と顔をしかめながら面を上げたルークの目の前に、隼人は腕を突き出す。右腰に佩いていた、赤い柄の日本刀。
「内部の異空間には『天羽々斬』があると思われます、同じ神力を持つ『天之尾羽張剣』の気配を『アンカー』にすることはできると思います」
「さっきから聞いてますけど…」
とうとう業を煮やしたのか、ルークはわなわなと震えるこぶしを握り締めながらヴァイスに向き直る。
「『思う』だの『はず』だの、ヴァイスくんはこんな憶測だらけの作戦に異論はないんですか?下手したら死ぬのは貴方なんですよっ?」
問われたヴァイスはゆっくりと大きく瞬く。まるでそんなことは考えていなかったと言わんばかりの表情をして。
「ハヤトが考えた作戦だから」
主人が立案した、考えた推測ならそれは正しいのだと。たったそれだけで、ヴァイスは何の疑問も持たずにただ隼人のいう事を遂行する。
その。――掛け値なしの、手放しの信頼に。隼人は気恥ずかしさと、それを上回る喜びと責任に、胸を震わせる。
『作戦立案者』にとって、これ以上うれしいことはない。
ルークはヴァイスの短い言葉にあんぐりと口を開いて立ち尽くし、そしてあきらめたように盛大にため息をこぼしながら肩を落とす。
「……神よ、これはあまりにもご無体すぎる試練では……?」
「人生にはいろんな試練があるものだよ、ルーク」
「貴方と関わりを持った時点で僕の人生は詰んだも同然なんですよ」
以前課外授業の一環で迷宮区で会ったときの彼からは少々想像の着かないほどに、アルベルトに対するルークの態度がひねくれているものだと隼人は深紅の瞳を眇めるが、二人の間に何があったのか知らない彼には与り知らないことだ。
心底恨めしそうに翡翠の双眸を見上げて、青灰色の髪を乱暴にかき混ぜる。
「あーあーわかりましたよやればいいんでしょう!どうなっても僕は知りませんよ」
「安心しろ、どうかなったらお前のせいにしておくから」
「悪魔だ…この人悪魔だ…祓わなきゃ…」
何処までもにやけ顔で追い詰めるアルベルトの表情は、確かに人間を貶めようとする悪魔の描写でよく見るような顔になっていた。横目でそれを見てしまった隼人は勢いよく目をそらす。これ以上は関わりたくない。
「行きは問題ないとして、帰りはどうするのです。内側から心臓を破壊するのならば、その瞬間にその異空間は崩落します。彼がもつ『アンカー』だけでは彼を引き戻すのは難しいです」
やると腹をくくったからこそ、ルークは強い口調で切り返す。彼自身試したことの無い未知の作戦だからこその問だった。
確信の、保証のある答えを。
だから、隼人はしっかりとうなずき、次は右の手のひらを開いて突き出す。その親指にはまった紅と白銀の色彩の制御装置。
「この制御装置はヴァイスと繋がっている、これ以上に強い『アンカー』はないでしょう」
そこまで言って、隼人は意識して息を吸い込む。自分自身に刻み付けるように、言葉を探して。
「こいつは絶対俺が連れ戻す。――俺の相棒だから」
その言葉に、目の前のルークだけでなくその場の全員が黙り込む。先ほどのヴァイスと同じように大きくひとつ瞬くと、なぜかそらされる黒瞳に、隼人は深紅の双眸を眇めて様子をうかがう。
「いや…今時の学生は何というか、そのそういう発言を恥ずかしげもなく言えるんですね…?」
「……」
ハッとして、隼人は世界の至宝と言っても過言ではない頭脳を高速回転させる。さっき自分は何て言ったっけ?
耳朶に残っていた自分の声を思い出す。
――こいつは絶対俺が連れ戻す。
――俺の相棒だから。
瞬間、自分でも実感できるほどに顔面がゆでだこのように真っ赤に茹で上がる。次いで勢いよく隣を振り返ると。
「……」
今まで見たことないような、何とも言えない表情でヴァイスは向けられた深紅の双眸から逃げるように瑠璃のそれを地面に向ける。
それはさながら、好きな異性を前にした少女のような。
「ちょ、違うぞ⁈深い意味はなくて!」
「そう恥じらうことはないよ。最近は同性愛も周知されるようになってきたからね」
「だから違うっつの!!」
敬語も忘れて朗らかにフォローを入れるアーサーに向ってつかみかかる。今すぐにこの誤解を解かなければ、墓に入るまでネタにされる。
「まぁその話はおいおい掘り下げるとして」
「掘り下げないでいいです忘れてください」
「恋愛対象は人それぞれだから」
「だから俺は普通だって言ってるでしょうが」
握ったこぶしを容赦なく振りかぶるが、最小限の動作だけで避けられる。
さらにサドっ気が心なしか強くなった笑みを浮かべるアルベルトは、しばらくにやにやした後に、弛緩した空気を引き締めるようにその表情を引っ込めながら。
「作戦の概要は決まった。排出される『リリン』を外に出さないように包囲・殲滅を行いながら同時に親玉である『リリス』の討伐を目的とする今作戦は、その規模や脅威度を加味して電撃戦とする」
電作戦。――機動力を生かした作戦は、起動打撃群を称する『タキオン』の十八番でもある。
「この後1時間で集められるだけの人員を招集し部隊を編成、各大隊長のブリーフィング後迷宮区『サンクチュアリ』最深部第660階層へと迅速に突入する」
アルベルトの言葉に副団長と参謀長、作戦のかなめである魔法士の三人が力強くうなずき返すのを確認し、アルベルトは改めて作戦室に集まる全員を見回して。
「作戦開始は3時間後。――夜明けとともに開始する」
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という三時間前のやり取りを頭の中で回想し、隼人は今一度深すぎるため息をこぼす。俺はいったいどこで間違えたんだ。
間違いと言えばあの恋愛対象どうこうも盛大にしくじっているのだが、今置かれている状況はもう最初から仕組まれていたとしか思えない。そう思いながら隼人は自分が今身を包んでいる漆黒と緋の服を見下ろす。
「そんなに邪険にするな。似合っているじゃないか」
背後に立つ隼人を一瞥し、アルベルトは答える。彼が今身にまとっている制服は、7年前初めて迷宮区へ訪れた際に支給された、初めての団服だ。
――今はもう隼人と蓮しか憶えていない、『大和桜花調査団』の団服だった。
自分の瞳の色とも、兄のものとも違う赤色の袖をつまみながら。
「なんで総団長がこんなものもっているんですか…」
「それはカズキのものでね。部屋を片付けていた際に見つけたんだよ」
「兄貴が?」
こんなものもわざわざ残すのなら、もっと建設的なものを残せばいいものを、と。隼人はあきれながら肩を落とす。
――それでも捨てきれない思い出が、思いが。この団服にはきっと合ったのだろう、とも。
「サイズもぴったりじゃないか」
「15歳の兄貴と同じ身長なのも嫌だな…」
「似合ってる」
隣からかけられた声に、隼人は面を上げる。見上げた先にはいつもと変わらない、黄金の散った瑠璃の無垢な瞳。
「ハヤトには、その色がよく似合う」
そういうヴァイスは普段通りの『タキオン』の紺碧と純白の団服に身を包んでいる。
くしくも真逆の色彩で、しかも隼人以外の人間すべて紺碧と純白の中で、隼人のそれは嫌に目立ってしまっている。
しかし、どこまでも純粋な少年の一言はだからこそ普段以上に気恥ずかしく、心強いと感じてしまって。
「……お二人は付き合っているんですか?」
「「なんでそうなる」」
「ぴぇ…っ」
無言で見つめ合っていた二人をみて何を思ったのか、正真正銘何の邪推もないアデルの一言に、全く同時に否定された彼は奇声を上げてアルベルトの影に隠れる。
「私の義息子を怯えさせないでくれないか」
「そいつが変なことを言うからです」
「子供の言葉を真に受けるんじゃないよ」
薄桃色の髪をそっとかき混ぜながら、アルベルトは翡翠の瞳を細める。その瞳には確かに慈愛の色が宿っていて、血縁などは関係ないほどに彼らの姿は父親と子供の姿に見えた。
「せっかく兄に出会えたのに、落ち着く間もなくてすまないね」
「いいえ、この後できっと、時間がありますから。…その前にレグルスのほうから来そうですけど」
その言葉を聞いて、一時になるかもしれないとはいえ同じ調査団に所属する隼人とヴァイスはうんうんと頷く。目の前の少年と同じ色彩を持つ、けれども何倍も気の強そうな少年は真っ先に飛んでくるに違いない。
ともあれ、と。アルベルトは影に隠れるアデルからそっと身を離し。
「さぁ、そろそろ時間だ。まぁお前たちはただ立っていればいいだけだ。気負う必要はどこにもない」
そういって臆面もなく黎明の淡い光に踏み込むアルベルトの後を、三人は続く。踏み出した先はすぐにバルコニーとなっており、その境目に待機していたアーサーとミアが続く。
バルコニーから見下ろした眼下には、崩落し半分が崩壊してしまった旧サン・ピエトロ広場を埋め尽くす、大勢の人の影が所せましと屹立している。
年の頃も人種も、年齢もばらばらだ。大型の撮影機材を回している人たちもおり、一見してメディア関係者だというのがわかる。『ノアズアーク』の声明があった以上、隠ぺいすることは逆に世間の不安をあおるだけだと判断し、アルベルトが招き入れたのだ。
綺麗に整列のされてない彼らはしかし、ある一定の人数でまとまり話をしていたが、アルベルトが姿を現すと波が引くようにすぐに静まり返った。
深海のように静かなその静寂に、アルベルトの声だけが響き渡る。
「短時間でよくこれだけの人数が集まったことに、私は感謝を申し上げる。私の言葉にまだ不信感を持つものが多くいると思うが、それでも招集に応じてくれたことを、重ねて感謝の意を述べたい。――ありがとう」
朝のさわやかな風に揺られ、オフゴールドの絹糸は揺れる。『タキオン』総団長が頭を下げる姿など見たことの無いだろう広間からは多少のどよめきが走るが、しかしすぐに面を上げたアルベルトの姿で押し黙った。
「だが、目の前の脅威が排除されたわけではない。むしろ戦いはここからだ」
凛、と通る声はそこに集まるすべての人間の耳朶を震わせ、意識を集中させる。それをアルベルトの背後から見下ろしながら、隼人は自分に向けられたわけではない視線を感じて自然姿勢を正す。
これが。――団長の、団員の命を預かる長のプレッシャー。
それを一身に受けながら、しかしその重圧を感じさせない流麗な動作で、アルベルトは腕を伸ばす。
「二年前。かつて遭遇し、そして今まで保留されてしまっていた脅威に対面するときがとうとう来てしまった。これを世界に解き放ってしまえば、二年前以上の悲しみに、惨劇に世界はなすすべもなく蹂躙されることだろう。それほどまでに今回の敵は強大で、いまだかつてない聖戦となるだろう」
かつて神々による終末期のように、跡形も残ることなく世界は炎に包まれることだろう。アルベルトがあえて今回の攻略作戦を『聖戦』といった理由はそこにある。
次の瞬間には、隣人が死んでいる。
人間だと思っていた知人が、家族が。人間じゃないものに変わって襲い掛かってくる。
――そして自分も、そうして人間じゃないものに変わっていく、終末期。
ひょっとすれば数十年前に起きた崩落はほんの序章で、本当の人類滅亡説は、このことを指しているのかもしれない。
それでも。
「だけど私は悲観しない」
アルベルトは広間に向けて伸ばしていた腕を、おもむろに振る。楽団の中央に立つ指揮者のように、その腕が指し示すのは背後に立った隼人、ヴァイス、アデルの三人だ。
指し示したようにアーサーとミアが一歩下がり、自然三人が浮かび上がるような立ち位置になる。
「今回の作戦の要である『死神』。全体の戦況を監視する『戦神』。そして。――かつてとある小さな調査団を最前線へと押し上げた『軍神』」
隼人を指示した瞬間に、聖グリエルモ学院の制服に身を包んでいた不特定多数の少年たちがざわめく。『落ちこぼれ』と蔑んでいた少年が、学院理事長の背後に立っているのだから仕方がないと言えば仕方がないよな、と完全に他人事のように隼人は思いながら、演説は続く。
「我らには三柱の神がついている。何も臆することはない、勝利は我らの手中にある!」
言い切って右腰に手を回し、きらびやかな柄を無造作につかむとためらうことなく一気に引き抜く。
ちょうどその瞬間に差し込んだ旭の直線的な光に反射した宝剣は、その存在感を照らす陽光で一層際立させながら。
「我らの前に敗北はなく、ただあるのは勝利のみ。世界の為ではなく自分が生き残るため、隣人を守るために剣をとれ。それが結果として世界を救うことになるのだっ」
アルベルトに倣うように、アーサーとミアがそれぞれ得物を掲げ、伝染するように一人、また一人と武器を掲げる。隼人も右腰に佩いていた神刀を引き抜き、ヴァイスも白銀の自動拳銃を引き抜く。
「なんてことはない、我々はただ今まで通りに武器を取るだけだ。だから私もあえて普段通りの言葉を君たちに贈ろう」
昇り始めた朝日は120mの高さの建物の影をたやすく塗りつぶし、辺りは目に痛いほどの光に包まれる。
それを一身に浴びながら、まるでその朝日に立ち向かうかのように宝剣を振り下ろし。
「誰も死ぬことは許さん。――さぁ、冒険を始めようじゃないか、同志たちよっ!」
直後。誰が引き金を引いたかわからない雄叫びは、地面を割らんばかりに広間に広がる。ある者は武器を突き上げ、ある者は隣人と手を握り合う。
――その光景はカメラを通して全世界へと発信された。