7-1.繋がれた願いを
「――以上が、僕がこの目で視た真実です」
大勢のさまざまな色彩の視線を一身に浴びながら、それでも気丈に白銀と黄金の瞳を輝かせながらアデルは告げる。
ルークの跳躍魔法でその場にいたアルベルト、アデル、『ケリュケイオン』の一堂は迷宮区『サンクチュアリ』第10階層を脱出、『タキオン』総本部作戦会議室に詰めている。
秘密組織『ノアズアーク』に一度は占拠されたものの、大多数を最深部へ裂いた少数部隊に後れを取る『タキオン』ではない。たとえ相手が米国きっての精鋭部隊だとしても、勝手知らぬ土地ではただ蹂躙されるだけだ。
何より。――仰ぎ見た指揮官が何の前触れもなく、理由もわからず死亡したとなれば尚のこと。
折角奪還したその荘厳な一室は、しかし今は呼吸すら億劫になるほどの重苦しい空気に満ち溢れていた。
脳震盪から意識の戻らないヴァイスは医務室に運ばれており、現在は彼を除いた7人が各々顔を顰めている。
「でも、だったら俺が見たあれは一体、」
「話にはまだ続きがあるんだろ」
突然告白された、情報の多さに頭を抱える蓮の言葉に答えたのは隼人だ。蓮を同じようにかつて肉親を失い、その衝撃の事実を突きつけられてもなお、彼が動揺に身を震わせることは無かった。
かつて『軍神』と呼ばれた少年は静謐に沈む深紅の双眸をつい、と滑らせて。
「そうでしょう、総団長」
「話が早くて助かる」
聖グリエルモ学院理事長ではなく、『タキオン』総団長としての隙の一切ない所動で頷き、アルベルトは隼人の視線を受け止める。表面上は淡々とした表情で。
「カズキがとった決死の決断で被害が広がる前に食い止められることが出来た。だが、解決とまでは行かなかった」
「どういう意味ですか……?」
「フジノの弟であるお前は、『天羽々斬』の能力を知っているな」
話を振られた蓮は怪訝そうに眉をひそめる。なぜその話が今議題に上がるのか、琥珀色の瞳は雄弁に物語っている。
代々家に受け継がれる『天羽々斬』のその能力を、さらと蓮はそらんじる。
「『水』を司る神刀。其れはあらゆる魔を清浄に清め、洗い流す。またあらゆるものを隔絶し拒絶する、静寂な異空間を作り出すことが出来る」
「つまりはそういう事だ。あの時フジノは願ってしまった。腹部に宿った生命の、その魂の存続を。それを『天羽々斬』は聞き届けてしまい、カズキの『天之尾羽張』の聖火でも殺しきることが出来なかったんだ」
実際に『天羽々斬』の結界が砕かれたところを、隼人は見たことがなかった。ヒビが入ることはあっても、その結界が完全に破壊されるところを1度もだ。
それを打ち砕けるとすれば、同じ神の力を宿す神刀だけだろうが、しかし魔法五大元素の関係図からみても、火と水の相性は最悪だ。
それはその場の全ての人間の覚悟を嘲笑うかのような、神様のイタズラのような些細な隙。
その隙を、運命の道筋を、草薙一樹は最後に掴むことが出来なかったのだ。
「だから、封印するしか無かった」
アルベルトの言葉の先を隼人が繋ぎ、その隼人の言葉を補完するように、アデルが小さく頷く。
「そうです。フジノさんの願いを聞き届けてしまった『天羽々斬』は、生命活動の根幹であり迷宮生物の核と化した心臓の内側に異空間を展開。その魂を守るために、結果として心臓自体に結界の影響が出てしまい、破壊することが出来なかった」
「ちょっと待って頭痛くなってきた。というかアデルってあんなに頭良かった?」
「君はちょっと黙ろうな」
ぐるぐると目を回すレグルスとそれに突っ込むオリバーは無視して、会議は踊る。
「最深部攻略直前に少人数での遠征が行われました。それは主に道中の確認や迷宮生物の種類、分布などの確認のためでしたが、本来の目的は別にあった」
「『聖櫃』の回収ですね」
「そうだ。カズキは最後の手段として、あらゆる災厄を封印することが出来る『聖櫃』の確保を切り札としてあの日入手した。……フジノがその母胎となる未来は、見えていなかったようだが」
秀麗な美貌をしかめ、アルベルトの容貌に影が指す。彼としても不本意な結果となったことを思い出して、ただただ悔やんでいるのだろう。
無力な自分に。
なにも変えることができなかった自分に。
――かつての自分を見ているようだと、隼人は握りしめられた拳を見ないふりをしながら思う。
「カズキの元へ行き、帰ってきたヴァイスが『天之尾羽張』と『聖櫃』をその手に抱いていた時、私は全てを悟った。そして事前に打ち合わせていたとおり、カズキの残した言葉通り、その惨状を知りうる全ての人間、記録の書き換えを実行した」
その光景を、隼人は夢想する。そうならなければいいと願うアルベルトの元に届いた最悪の知らせ。それは途方もない絶望の虚無感だっただろうが、その気持ちを断定することは、誰にも出来ないだろう。
アルベルト本人以外は。
想像を絶する程の痛みを伴いながら、それでもアルベルトは責任者として、全ての罪を背負ったのだ。
例え何人もの人に恨まれようとも。
例え世界全てから後ろ指を刺されようとも。
――『人間が迷宮生物に置き換えられる』。その全世界を恐怖と混沌に陥れるであろう真実を、『預言者』の示唆したとおりに隠し通すために。
その壮大な覚悟に、その場の全員が声も発せずに沈黙する。
たった2年とはいえ。――その身に世界の命運を背負う重圧は、途方も無いものだっただろうから。
「……その、書き換えを行ったというのはどうやってですか」
おずおずと切り出すルークの、細いフレームの奥の黒瞳はその答えを知っているかのように揺れていた。
その瞳を真正面から受け取り、彼の懸念を認めるようにひとつアルベルトは頷く。
「当時の私の補佐にして『タキオン』副団長だったオスカー・アンダーソンは『精神系』魔法の使い手だった。全ての魔力をつぎ込んでもギリギリだった大魔法を、彼はやって見せてくれた」
アンダーソン家は異邦人の隼人でさえも1度は耳にしたことのあるスコットランド発祥の大貴族だ。かの貴族は代々銀の髪を持ち、その煌めきが高ければ高いほど強い魔力を持つとされている。
『精神操作系魔法』。――ただでさえ希少種の『空』属性の魔法の中でも、さらに異端と恐れられる魔法を継承する家系だ。
しかし世界を書き換えるに等しい大魔法を使うことは、その大貴族の力を持ってしても容易ではなかったはずだ。
だった、と。見せてくれたとアルベルトは口にした。――分かりやすく、オスカー・アンダーソンは死んだのだと告げるように。
同じ『空』属性魔法を使うルークは、オスカーが成した偉業の大きさを正しく理解していることだろう。
「『聖櫃』のことを、世界の書き換えを行うことを知っていたのは私とカズキ、オスカーとシェリルだけだった。このことが漏れれば計画が破綻する。……全てを知るのは今はもう、私とアデルしか残っていないが」
自嘲げに伏せられた翡翠の双眸を、白銀と金のそれは救いあげるように見上げる。レグルスの写身のような少年は弱々しく苦笑するが、その瞳にはただ純粋にアルベルトを慕い、敬う光が宿っていた。
「全てはカズキさんの『予言』通りに、完璧だったはずでした。彼が命を賭して作り出してくれたこの時間稼ぎの間に、封印した『心臓』を破壊する手段を考え尽くしました。……でも、」
「それを、何も知らない俺達が奪った……」
逡巡し濁した言葉の続きを、蓮は口にする。その声は迷子の子供のようにか弱く、震えていた。
「シェリルには米国に弟と恋人がいることは知っていた。その身分や役職の何もかもも調べは付いていた。だからこそ私はふたりの監視を最大限にし、米国への監視も強化した。彼らを含め、遺族たちががあやふやな説明で納得できるとは思っていなかったからね」
「それでも、その憎悪や悲しみは想像を超えて、国境さえも超えることになった」
「それが『ノアズアーク』。元々の発足は米国だったらしいけど、後ろ盾は世界のありとあらゆる政府機関だって聞いたことがある」
アルベルトが蓮の言葉の裏付けを。アデルがその言葉を補足し、蓮が最後に訥々と語る。
結果として約600人もの人命が失われた最深部攻略。その詳細が一切開示されず、何度追求しても曖昧な回答しかしない『タキオン』に、世界各国の政府機関が危惧したのはただ一つだろう。
『タキオン』は迷宮区の技術、迷宮生物の研究記録の一切を秘匿し、その裏でなにかよからぬことを企んでいる。だから600人の人間の死についても、詳細な情報を寄越さないのだと。
迷宮区の底のような深淵で、かつての大戦で使われた爆弾よりもなお恐ろしい兵器を、戦争を始める準備をしているのではないかと。
落ち着いて考えれば、いくらなんでも話が飛躍していることは分かるだろう。しかし人間というものは、真実を隠されると容易に疑心暗鬼に陥るものだ。そんな人間が集まったのが議会であり、国であり、世界なのだ。
その悲しみを、疑心を、恐怖を。藤野の手を取った時点で未来は変わってしまっていて、だからこそ一樹でさえもその未来を視ることが出来なかったのだ。
「ケインとアイザックはきっと知っていただろう。自分たちがマークされていることを。だからこそあえて目立つように行動をして、注意を引き付けその下で部隊を動かしていたんだろう」
「……俺は、なんてことを」
その裏工作に身に覚えがあるのか、蓮は絶望に暗んだ琥珀色の瞳ごと手のひらで覆って頽れる。己の犯してしまった罪の大きさに、打ちひしがれてしまって。
自分が『聖櫃』を掠めとったばかりに、多くの人間が危機に晒される。
今まで隠し通してきたアルベルトの行為を無駄にした。
――既に『ノアズアーク』の、友人たちの命が失われてしまった。
ガタガタと震える蓮に歩み寄り、隼人はその隣にしゃがみこむ。包み込むように優しく肩に手を添えると、ゆっくりと上げられる涙で濡れた琥珀色の双眸。
「お前のせいじゃない」
それは、かつて自分が言ってもらいたかった言葉。
7年前のあの日。全ての始まりにして終わりの日。調査員50人の命を、自らの読み間違いのせいで握りつぶされたあの日の自分に。
そして、つい最近。――あのいけ好かない美少年に言って貰えた言葉だった。
あの言葉で、どれだけ自分が救われたのか。今でも正直まだ信じられないが、穢れのない真っ直ぐな瑠璃の瞳だけは信じられる。
救おうだなんて思わない。けど、同じ気持ちを経験した自分だからこそ、素直に出た言葉。
「お前は知らなかった。お前はただ真実を知りたかっただけ。そこに善悪はないし、かと言って総団長が悪い訳でもない。――これはただ皆が皆最善を尽くした結果の、小さなすれ違いなんだよ」
過去を悔いることは、自分をただ苦しめるだけだ。その行いすらも『間違っていた』だなんて、そんな悲しいことを思って欲しくない。
そんなことを悔やむ時間があるのなら――。
「今やるべきことは泣くことじゃない。繋いでくれたこの時間を、次に繋げる為に立ち上がるんだ」
見開かれた琥珀色の瞳を置き去りに、隼人はその場で立ち上がる。その双眸の前に、右手を無造作に差し出して。
「……騙してたこと、怒ってないの」
「騙すならもっと徹底的にやるんだな」
「銃も向けたし」
「安心しろ、後で俺もその頭ペイント弾で真っ赤にしてやるよ。あれ近距離だとめっちゃ痛いんだぞ」
間髪入れずに繰り出される隼人の嫌味は、まるで7年前の少年たちの掛け合いと全く同じ。蓮の小学生の低レベルな文句や言葉に、大人気なく(隼人も同じ小学生だったが)秒で論破してよくバカ兄に怒られたっけ。
それを蓮も思い出したのか、濡れたままの瞳はそのままで。けれども先程とは違って強い光を宿して。
「……俺の方が銃の腕は上手いけどね」
差し伸べた右手を、力強く握りしめられた。
「そんなに頼もしい言葉をくれるなら、もちろん協力してくれるんだよね、『軍神』」
皮肉に引き上げた蓮ごと振り向くと、そこには小憎たらしく口の端を釣り上げる金髪の麗人の姿。
……やっぱりこうなるのか、と。零れそうな小言は今は心の内にだけ漏らし、ため息とともに肩を落とす。
これもきっと、あのムカつくバカ兄のシナリオ通りなのだろうな。
「……バカの手のひらで踊らされているみたいで癪ですけど」
それでも繋がれたバトンを、願いを。後に繋げる責任が俺にはあるだろうから。
『未来を繋ぐためだ』――7年前に彼が最期に遺した言葉を聞いた自分と、その言葉を数ヶ月前に告げた、自分には。
「俺なんかの力が役に立つのなら、やってやりますよ」
自然とつり上がった口元に、隼人本人だけが気づけなかった。
その表情を見て満足気に頷くアルベルトだけが、ただ深紅の双眸には強烈に焼き付けられた。
「失礼致します」
まるで会話が一段落するのを見計らっていたように、陰が滲み出すように揺らいだかと思うと、黒を象った影は現れる。
その真っ黒な中で唯一煌めく夕暮色を覗かせながら。
「死神殿の意識が回復致しましたのです」
「やっとか」
さて、と。空気を一新するようにアルベルトは両の手をうち鳴らすと、様々な色彩の視線を集めて見回す。
「寝坊助小僧にさっさと状況を説明して。――最深部攻略会議を始めようじゃないか」