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アノニマス||カタグラフィ  作者: 和泉宗谷
Page.3(下):救世の祈り
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6-2.追想:『女王』

「――これより突入作戦の最終確認を行う」


迷宮区『サンクチュアリ』中層域第351階層。数少ない非戦闘区域に設営されたキャンプ地の本部用に建てられたプレハブ小屋で、アルベルトは厳かに告げる。

「とはいっても、事前に確認したものをそのまま使う。現階層から大隊各隊は予定通り、先遣部隊、本隊、本隊護衛部隊、陽動部隊に後方護衛部隊に別れる。それぞれカズキ、俺、ユージン、チェイス、モリーが大隊長として指揮を執る。大隊長が死亡した場合には、速やかに指揮権は副隊長並びに階級順に高いものへ移行するものとする」

この数日の休暇で、『タキオン』所属の調査員たちは十分に休息をとることが出来ている。その間の緩んだ空気も、この円卓に立つことでしっかりと切り替えられている。

ぴり、と肌で感じる緊張感。――ここから下は、上級資格を持つ戦士であれど、次の瞬間には死が待つ。正真正銘の地獄なのだから。

ただ、と。前置きをしてアルベルトは議会を進める。

「ここまでの道中と、透視の能力から分析して、迷宮生物の動きに違和感が生じた。シェリル」

「はい」

名前を呼ばれた女性は涼やかなソプラノとともに1歩前へ出る。

音の反射から閉鎖空間の構造を立体的に把握することが出来る『透視』能力のひとつ。その異能を宿す空色の瞳を、今はそこに浮かぶ黄金を仄かに光らせながらシェリルと呼ばれた女性は淡々と。

「現在把握出来る限り、ここより下層の迷宮生物の数が増加傾向にあります」

「先日の調査の際にできる限りスポットは潰したはずですが?」

シェリルの進言に異を唱えるのは大隊本隊所属副隊長、実質的に『タキオン』副隊長であるオスカーだ。彼はその聡明そうなシトリンの瞳を眇めて右手を口に当てている。

副隊長であるオスカーがこのことを知らないはずはない。これは予めアルベルトと差し合わせたシナリオであり、この場で発言しにくい意見をあえてオスカーが言うことで、場の進行を滞りなくするための措置だ。

そのことを裏づけるようにシェリルはひとつ頷くと。

「はい。オスカーの言葉通り、先日迷宮生物にとっての大きな拠点をいくつか破壊済みです。ですがここに来るまでの遭遇の少なさを含めて考察してみると」

「……普段は上層にいるはずの迷宮生物も、下層に集まっているということかな?」

藤野の呟きを肯定するように、シェリルは首肯する。先遣隊副隊長である藤野には通常上位会議に出席する権利はないのだが、『タキオン』を最強たらしめる【三天】のひとりとして、会議の出席を認められている。

円卓の場で、数少ない上位調査員としての藤野の発言に、少なくない緊張と動揺が伝播した。

迷宮生物は基本的に他の種類同士の接触はほとんどない。道の端と端で別の迷宮生物が確認され同時に襲われる、というケースもあるにはあるが、暗黙のルールが彼らの中にあるのか、迷宮生物同士での争いの形跡や目撃が一切報告されていないのだ。

その彼らが自らの縄張りの外に出て集結しつつあるという。そこに何も意味は無い、と断ずるにはタイミングが良すぎるのだ。

「さらに、迷宮生物の様子も気がかりです。浮き足立っているというか、興奮しているようで……」

「なんにせよ、これより下層域には今まで以上に凶暴化した迷宮生物の群れが集まりつつあるということだ。よって急遽各隊の編成の見直しと再編成を、」

「あ、こら今は会議中だ――!」

続く言葉を遮るようにテントの幕の向こうからの狼狽声が聞こえたかと思うと、その声を置き去りに1つ分の雪白の影が円卓に飛び込んできた。

引き留めようと腕を掴んだのだろうが、その見張りの自分の何倍はあろうかという腕ごと引きずって入室したヴァイスの双眸は、普段は凪いだ海のように静謐な瑠璃と真逆に血走って。

場の空気は一転。闖入者によって今度は胡乱げな様々な色彩の注目が入口に集中する。

「何の用だ『死神』。今は会議中だ」

「どうして僕が部隊移動なんだ…っ!」

聞くだけで震え上がるほどの殺気を孕んだアルベルトの声に、ヴァイスは対抗するように殺意を返す。

ずかずかと荒々しく歩を進め、アルベルトに掴みかからんばかりに腕を伸ばすが、二人の間に滑り込んだオスカーによって遮られる。

「その理由を今話している最中だが」

「どんな理由があるとしても関係ないっ。僕の主人マスターはカズキだけだ。カズキと一緒じゃないと、」

「そんな子供の我儘を言いに、俺の前に立ったのか」

膨れ上がったアルベルトの殺気に、その場にいる誰もが息を呑む。まるで長年の宿敵と相対した亡霊のように、禍々しさすら感じられるほどの殺気。

その殺意に誰もが動けずに立ちつくす。ただ1人を除いて。

「――ヴァイス」

静謐な声に、ヴァイスが弾かれたように顔を向ける。その視線の先には彼が主人マスターと仰ぐ紅の青年の姿。

一樹の姿を見た事で、ヴァイスの纏っていた殺気は和らいで。迷子の子供が親と再会した時のようにぱっと明るくなる。

「……カズキっ、」

「お前の本隊異動を言ったのは俺だ」

「……え」

伸ばした手を無慈悲に払われたように。一樹の口から告げられた言葉に、ヴァイスの顔は曇る。

一樹は一歩歩み出て、瑠璃の双眸を見開いて固まるヴァイスに刻むように左手を伸ばす。

手のひらに乗せられた、深紅の指輪。今ヴァイスの右耳につけられたイヤーカフと同じ色彩は、テイムした迷宮生物を制御するように作られた、下僕と主人を表すものだ。

一樹はそれを、アルベルトに手渡して。

「これで俺はもう、お前の主人マスターじゃない。これからはアルベルトの指示に従ってくれ」

死刑を告げる裁判官のように、一樹はそう言って。

告げられた言葉を理解できない被告人のように、ヴァイスはただただ一樹を見つめるだけだ。

信じていたのに、裏切られた――。

この場で誰よりも若く、純粋な少年の痛ましすぎる姿に誰もが顔を俯かせる。ヴァイスが一樹を誰よりも慕い、そして他の誰も信じられないことを、ここにいる全員が知っているから。

記憶もない。

頼るべき人もいない。

自分が何者かも分からない。

世界をまだ何も知らない少年が、一番最初に手を差し伸べてくれた唯一の人間に縋ってしまうのは、至極当然の話。

一樹は静かに歩みよって、絶望に俯くヴァイスの顔を覗き込むようにしゃがみこむ。幼い主人に傅く家臣のように、その瞳は慈愛に満ちて。

「だから、お前の友達として。対等な立場でお願いがしたいんだ」

「……」

「迷宮生物の活発化で、本隊から先遣部隊へ人員を大きく割く事になる。俺たちの部隊の人数が多くなる代わりに、本隊は手薄になっちまう。だからお前にその穴を埋めて欲しいんだ」

「……だよ、」

か細く軋む声に、一樹は静かに続く言葉を待つ。噛み締めすぎて軋む音すら聞こえそうなほど食いしばり、手が白むほど強く手のひらを握りしめて、ヴァイスは絞り出すように叫ぶ。

「嫌だよ…、だって僕は、カズキの道具だ。カズキの剣で、盾として居たいのに…っ」

「自分のことを道具だなんて。そんな悲しいこと二度と言わないでくれよ」

伸ばした左手は、今にも倒れそうなほどふらつくヴァイスの痩躯を容易に掬って、引き寄せる。

幼子にするように雪白の髪の間に指を絡ませ、優しく撫でながら。

「お前は俺の自慢の友達だ。誰よりも強いし、誰よりも優しい。だから、俺の大事な友達を預けられる。お前の方がアルベルトよりもずっと強いから、だからその力で、俺の大事なものを守って欲しい」

カズキの腕の中で、声を押し殺しながらすすり泣くヴァイスは、その言葉を噛み締めるようにして、微かに頷く。

きっと、心の底から納得は出来ていない。しかし、他ならぬ一樹の『お願い』を無視できることなど、ヴァイスにはできない。

ヴァイスの頷きに、一樹は小さな背中を優しく叩くと、そっと引き離して立ち上がる。

その視線は真っ直ぐに、アルベルトに向けられて。それを受け取った翡翠の瞳が僅かに見開く。

「……お前は今、視えているのか」

「いいや。俺にはもう何も視えない。――視ていない」

その言葉で、藤野以外のこの場にいる全員があることに気づく。

一樹の紅の双眸に浮かぶ黄金。藤野が見ていた5年間ずっと瞬き続けていた輝きが、今は昼の月のように薄くなっていることに。

「この先の未来は、俺にはもう分からない。この段階で俺の計画が破綻することなんて考えてなかったから」

藤野を選ぶ選択をここですることは、彼の中には早々に排除されていた道だった。

だから彼は早々にその未来を切除し、その先の未来は視ていない。視ていなかったのだ。

未来というものは今この瞬間から紡がれ、それは無量大数の選択と行動によって肉付けされる。――一樹がその無限の可能性を視きるには、圧倒的に時間が足りない。

「……すまん」

沈黙に耐えきれずに零れた声は震えていて、さっきのヴァイスと同じように、その双眸は大きく揺れて引き結ばれる口元。

この土壇場での、預言者の告白。それは今ここにいる1000人もの人間の命運が手放され、彼の5年にも及ぶ計画の破綻の証明。

一樹は今こう思っているに違いない。――自分のせいで、1000人の人間が死ぬかもしれない、と。

どこまでもお人好しで、自分を責める彼らしい考えだけれど。

だからこそ、私は。

「――なんの謝罪なんだ、それは」

その考えを否定する。

軍靴を鳴らして一歩あゆみ出た藤野に、ゆっくりと向けられる怪訝そうな紅の双眸。

その視線を真っ直ぐに受け止めて、藤野は琥珀色のそれを細めながら。

「普通の人間はみんな、そうやって生きているだろう?」

両手を広げて、まるで舞台に立つ役者のように芝居がかった仕草で室内をぐるりと見回す。そこに集まった全ての人間一人一人の顔を確認するように。

「むしろ今まで私たちがズルをしてきたんだ。それに、君の予言に頼るだけの私たちではない。そうだろうみんな」

挑発するような藤野の言葉に、一同は同じように挑発するように強気な笑みを浮かべ。

「伊達に1級調査員を名乗ってないよな」

「むしろやりがいがなかったと言うか。まぁ被害が小さいに越したことはないけどね」

思い思いの言葉が室内の至る所から上がる。その様子を呆然と眺める一樹に向かって歩み寄る、オフゴールドの軌跡。

「そういう訳だ。いつまでも自分一人が全てを見透かしているという思い上がりはその辺にするんだな」

その場にいる全員の意見を代弁するように、アルベルトは口元に憎々しい笑みを浮かべながら。


「俺達は生粋の、冒険者なんだから」


まだ見ぬ土地を目指して前進する、かつての王のように。

水平線の果ての新天地を目指してひたすらに進む、航海者のように。

――ここにいる全員、自分の意思で未来を切り開く、開拓者なのだと。

この現代においては、お役御免と排斥された。夢を見るのは子供の特権で、大人は社会の流れに沿ってただ流れるままに生きるしか無かった近代において、一切のしがらみを無視して生きることが出来るこの異空間に集まる人種の相場は決まっている。

ここにしか生き場所が無い、屍か。

――余程のばかだけだ。

そのばか達を見回して、しばらくして一樹は堪えきれない笑みをその口元に浮かべる。自分もその中の一人だったのだと、再確認するように。

「……そうだったな。悪い」

「分かればよろしい」

鼻を鳴らして仰々しくいう藤野の言葉で、緊張していた空気が若干緩む。トップが緊張していたのでは部隊全体の士気に関わる。程よいさじ加減で肩の力を抜くように仕向けられた茶番。

琥珀色の視線をアルベルトに向けて、それを受け取り翡翠の瞳を僅かに細めて、軽く手が打ち鳴らされる音で、再び引き締まる空気。

「話が中断してしまったが、本隊の人員を先遣部隊に回して、シェリルの異能を駆使しながら対応する。出来るだけ戦闘を回避しつつ、我々は最深部を目指す」

名前を呼ばれたシェリルが力強く頷き、それに習うように集まった全ての人が頷く。ぐるりと見回し確認して、アルベルトも頷きを返す。

「出発の時も言ったが、無惨に死ぬことだけは許さん。我々の目標はあくまで帰還すること。だが、」

一旦言葉を切り、アルベルトはあえてその先を口にする。無慈悲と知りながらも、その言葉は隊員全員の胸に響く啓示のような言葉。

「例え死んだとしても、ただ1人でも生き残れば。生きて最深部にたどり着き、それを見届け持ち還る者がいるならば、その犠牲は無駄ではない。その生き様は、意思は、栄誉は、正しく評価され後世へ語り継がれるだろう」

麗しい白金髪の麗人は口の端を吊り上げ獰猛に笑う。その先のまだ見ぬ宝をその手中に収める、そんな未来しか見えていないかのように。

さぁ――。


「恐れることは何も無い。――我々の冒険を、始めようじゃないか」


-----


いくら数が多いと言っても、大部分が本来上層を活動区域としている迷宮生物相手に、上位調査員が手こずることはない。

しかし。

「左翼から増援!数は30は居ます!」

「また抜けてきたか、ひとまず1本道に誘引しろ!魔法支援部隊は詠唱に入れ!」

「了解ですっ、ですがそろそろ聖石が…っ」

迷宮区『サンクチュアリ』最下層第660階層。最奥部手前の最前線は地獄絵図だった。

ここに来るまでにも多大な損害を出し、それを上回るほどの迷宮生物達の群れ。幸い連絡網は断たれていないが、それもいつまで続くか分からない。

数え切れないほどの迷宮生物の死骸を作り。

数多の同胞の死体を越えて。

――それでもなお、死闘は続く。

「藤野っ!」

迷宮生物の雄叫びと仲間たちの怒号の中でも通るその声を、藤野は決して聴き逃しはしない。

「…一樹っ」

「後ろに5人負傷してる奴がいる。治療師に治療をやってもらっているが時間がかかる。お前は結界で周囲を固めて欲しい」

肩で息をしながら、それでも一樹は左手の神刀を手放さずに歩み寄る。中層域の階層主フロアマスターと同レベルの上位個体との戦闘で、流石の彼の表情も疲弊に血の気が失せている。

「君も治療を、」

「これだけ流れてきているということは、陽動部隊はほぼ壊滅してるはずだ。――俺が道を拓くしかない」

確かに届いていた陽動部隊からの信号は、つい先程息をしなくなった。つまりそれは信号を発する仲間が死んだか、その全滅を表していた。

前に進めば迷宮生物が。

後ろに戻っても迷宮生物が。

どちらに進んでも同じなのなら、せめて前に進むしかない。

それは知っている。分かっている。

だけど――。

「……せめて私に、もう少し魔力が残っていれば…っ」

神刀の力を使うために必要な動力炉。魔法を使う上で必要な知覚できない力。

現代において、通常魔法を使う際には『聖石』を介して発動する。しかし聖石はあくまでトリガーであり、聖石に込められた力を発揮するために必要な力、それが『魔力』であり、人間にとってそれは『生命力』そのものだ。

ここに来るまでに、藤野は『天羽々斬』の結界を幾度となく使用している。――これ以上使えば、命の保証はない。

ただ死ぬのはいい。ただ誰かを守っている間、背に庇っている間に死ぬことは、藤野は許せない。

「無いものを願っても仕方がないだろ。今アルが対応しているはずだ。だからそれまでは――」

一樹の言葉を遮るように、その音は二人の真横から瓦礫と共になだれ込む。

鼓膜が破れんばかりの騒音とともに、成人男性の二倍の身長ほどの天井さえも埋め尽くさんばかりの巨体が躍り出る。

現実世界に置いて、像のような容姿の迷宮生物――。

「――ベヒモスっ!?」

ここよりも上層、第650階層の階層主フロアマスターであるその迷宮生物は、樹齢1000年はあろう樹木の幹のように太い前足を無造作に振り上げる。

階層主フロアマスター討伐戦で150人でも苦戦を強いられた相手に、今は一樹と二人。

――無理だ。

一瞬の刹那。それだけが藤野の脳裏を過ぎる。万全であったなら、距離をとることくらいは出来ただろうが、連続する戦闘で2人とも疲弊しきってしまっている。

他の団員も目の前の敵で手一杯で、助けに入ることはおろか視認することも出来ていないだろう。

その刹那の間隙。一樹はそれでも左腕を振り上げる。

耳をつんざく鳴き声とともに、自身の何百倍はあろうかという巨漢から放たれる一撃を、細すぎる刀身を以て迎え打つ――。


『――もう。少し静かにして頂戴な』


その場にそぐわない、柔らかく澄んだ声。その声の主を視認する前に、目の前に迫っていた前足は血潮とともに吹き飛んで散る。

まるで内側から爆発したかのようにベヒモスは弾け飛ぶと、その内にあった内蔵や血液や脳漿や、生物を象る全てのものを零しながら一帯を赤に染め上げる。

「――っ!?」

その場にいる誰もが動きを止める。それは迷宮生物たちも同じで、転瞬、狭苦しい迷宮区の洞窟には幕が降りたかのような沈黙。

ただ1人を除いて。

『これでは穏やかに眠ることすら出来ないわ』

それは、確かに人の形をしているように見えた。

最低限の衣服からのぞく白皙の身体は細くとも、瑞々しく張りがある。長く伸びた純白の髪は地面にまで届いているが、本人はそれすらも気にとめずに伸びをする。

可愛らしい小さな口を欠伸をするように開け、開かれた瞳は光の角度で色彩を変えるオパールのよう。

誰もがその姿に絶句する。――その姿は紛うことなく、人間の少女のものだからだ。

注目を一身に浴びる少女はしかし、その視線すら興味が無いように眠たげにぐるりと視線を回し。

『宴をするのは勝手だけれど、せめて節度を弁えて頂戴。私の愛しい子供たち』

その言葉に、隣の空気が僅かに固まる。恐る恐る確認すると、今まで見た事のないほどの緊張と恐怖に瞠目する紅の双眸。

「……お前は、」

零れた声はか細く、隣にいた藤野でさえも聞き零しそうなほど。しかしそれに反応するように、オパールの瞳は紅のそれを射抜く。

『――!』

怪訝そうな視線は一瞬で、一樹を映した瞬間に歓喜の色をオパールの瞳に宿す。ぱっと消えたかと思うと、次の瞬間には一樹と藤野の目の前に少女は舞い降りて。

『まぁ!まぁまぁまぁ!人の子を見るのはいつぶりかしらっ。少し大きいようだけれど、ふふっ。人の子には変わりないわ』

「――っ、」

ふわりと微笑むと、その細指を一樹の身体の輪郭をなぞる様に這わせる。咄嗟に反応しかけたが、得体の知れない少女の圧に押されるように、一樹は左手の神刀を抑え込む。

その姿が、藤野には見ていられなくて。

「――彼から離れろ」

恐怖よりも、嫌悪感が勝った怨嗟の声とともに『天羽々斬』を少女の眼前に振り下ろす。

ちょうど彼女の可愛らしい鼻の数ミリ前を狙って振り下ろされた刃は、純白の髪を僅かに散らす。

それでようやく藤野の存在に気がついたのか、驚いたように刃を見つめてぱちぱちと瞬きしたあと、少女は前触れもなく唐突に真顔になる。

全ての感情がそげ落ちた、虚無。

その変容に、藤野は気圧されて一歩たじろぐ。

『……貴女、幸せそうね』

靴の履いていない素足をぺたぺたと鳴らしながら、少女は無表情のまま近づいてくる。

1歩、また1歩と。

獲物を見つけた蛇のように粘着質な接近に、藤野は逃げることすら出来ずに立ち尽くすだけ。

その逃げ道すらも断つかのように、藤野の間合いに無造作に少女は踏み込んで。

『愛し合う男女、素敵ね。恋はいいものよね。甘酸っぱくて、時には悲しいこともあるけれど、それすらも愛おしい記憶に置換される』

さっきまで一樹の身体をなぞっていた細指が伸び、藤野の腹部を。――正確には子宮の上で無造作に押し込まれる。

得体の知れない恐怖に、緊張感に、畏れに。今まで感じたことの無い綯い交ぜの感情に、噛み合わない歯がカチカチと音を鳴らす。

でも、と。藤野にしか聞こえない声で少女は前置きをして。


『――少し、不愉快だわ』


直後。私の中で言葉にできない薄ら寒い何かが、跳ねるように脈動した。

この物語の重要なワードや人物が登場致しました!多分まだわからない部分が多くありますが聖書やその他諸々ファンタジー系ネタが好きな人には…わからないか←

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