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アノニマス||カタグラフィ  作者: 和泉宗谷
Page.3(下):救世の祈り
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6-1.追想:とある凡人の献身

最深部攻略から、一週間半が経った。

105階層までを『地』元素魔法で造られた通路で一気に駆け下りた『タキオン』最深部攻略部隊は、それぞれの戦闘能力やパフォーマンスを遺憾無く発揮し、大きな問題もなく快進撃を続ける。

ペースは順調。総員のモチベーションも良好のままだ。

スケジュール通りに各階層を進み、一行は迷宮区内において数少ない非戦闘区域セーフティゾーンである第351階層へ到着した。

ここでは次第に熾烈さを増す中層域下層からの戦闘に備え、数日の休養の為滞在する予定だ。

それぞれがそれぞれの休暇を謳歌する中、藤野はひっそりと抜け出して、ある方向へ進む。

本当の『彼』と出会ったのも、この場所だった。

何度か角を曲がって、次第に細くなっていった通路が突然ぱっと開く。

高々と開いた天井に、そこから滴り落ちる雫が奏でる水の跳ねる静謐な空間。

5年前と変わらない、広大な地底湖がそこに広がっている。

「……変わらない」

天井や水底に見える鍾乳石から、この地底湖も鍾乳洞を構成する一部だ。基本鍾乳洞は数万年単位で形作られるものだから、たしかに数年程度で変化するものでは無いだろう。

だからこそ、変わらず広がる光景に藤野は安堵して、左腰に佩いていた日本刀を抜き払う。

――透けるほどに透明な、淡い蒼色の刀身。

『水』の加護を持つ『天羽々斬』が唯一無二の、特別な刃だ。神刀はそれぞれがそれぞれの刀身を持つが、『天羽々斬』は中でも1番綺麗で荘厳だと言われている。

そんな刀を藤野は沙羅りと抜くと、地底湖の水に浸すように無造作に突き立てる。地底湖の碧色と混ざりあった刀身は淡く光を発すると、直後に耳朶を震わせる軽やかな鈴の音。

藤野の許可がなければ何人の侵入も拒む結界の中で1人、大きな岩の上で物思いに耽ける。

出発直前に見てしまった、一樹の満足気な表情。それが頭の中を離れない。

あれではまるで、するべきことを全て成した英雄のようだ。後のことは後世の人間に託すと、華々しく散っていった彼らのように。

そうでは無いと思いたい。それでも心の靄は晴れなくて、藤野は立てた膝に顔を埋める。

「――俺に連れションの趣味はねぇぞ、アル」

ぼんやりとしていた思考が、不意に聞こえた声で覚醒する。結界の中はどんな些細な音すらも遮断するはずなのに、その声はするりと通ってきて藤野は瞠目する。

一樹の声だ。

「お前のような野生児と一緒にしないでもらえるかな」

「いや、野蛮さで言ったらお前も大差ないから」

じゃれ合いという名の悪口合戦をしながら、2人分の足音と声が反射して澄んだ碧に溶けていく。

ちょうど2人からは大きな岩が陰になって居たため、負い目はないがなんとなく反射で藤野は岩から飛び降りて身を隠す。

そろり、と陰から確認すれば案の定、見知った顔の青年2人が立っている。

「団長様はみんなのところにいた方がいいんじゃねぇの」

「お前こそ、あの忠犬のお守りはいいのか」

「……まぁいいけど」

皮肉を皮肉で返され毒気が抜かれたのか、一樹はそう言うとその場にしゃがみこんで小石をひとつ摘む。

目の前の地底湖にぽい、と放れば、それは小さな波紋となって模様を描く。

「……これで良かったのか」

何度目かの投石の後、アルベルトの囁きに一樹は手を止めて振り返る。最後に放った小石が水面を叩くささやかな音。

その残響が空に溶け込んだ頃、意を決したようにアルベルトは口を開く。悲嘆に満ちた、翡翠の双眸。

「お前はこんな終着で、本当に良かったのか」

その言葉は、隠しきれないほどに悲しみと悔しさが溢れていて、だから一樹も驚いたように息を呑む。

アルベルトがずっと隠してきた真意が、聞いているだけの藤野にも理解出来る程に、軋んだ声。

お互いが向き合っていた時間は一瞬で、一樹はしばらく観察するようにアルベルトを見ていたが、やがて短く息を吐き出すように微笑する。

「……お前に初めて会ったのは、もう3年も前なのか」

返って来たのは質問の答えではなく、場違いな思い出話。その事にアルベルトは怪訝そうに翡翠の瞳を眇めるが、口を挟むことはしなかった。

彼がそうするのであれば、それは必要な事だと。3年の付き合いで身に染み付いているからだ。

「露店街で一瞬目が合っただけなのに異様につっかかって来たよなお前」

「……それは、お前みたいなやつが気に入らないからだ」

「知ってる」

その時のことは、一樹の隣を歩いていた藤野もよく覚えている。

当時のアルベルトはぞろぞろと貴族の取り巻きをひけらかすように連れ、非貴族や貧民たちを見下して闊歩するような、そんな同じ歳(一樹にとっては1つ年上)の少年だった。

貴族でもないのに五大元素外の『雷』の魔法を操る魔法師、我流で覚えた剣術、そしてカリスマ。――周囲から注目されるのは当然だろう。

悪くいえば、天狗になっていたのだ。

当時別の調査団でお世話になっていたとある休日に、露店街ですれ違いざまに喧嘩を売られた時はさすがに藤野も驚いた。

ただ歩いていただけなのに、いつの時代のヤンキーだ、と。

そんなヤンキーな天狗相手に、一樹は売り言葉に買い言葉で容赦なく叩き潰した訳だが。

あの時露店街に繰り出そうと誘ってきたのは一樹だった。――今にして思えば、それを狙っていたのだろうと想像出来る。

アルベルト・サリヴァンという、英雄足りうる原石を見つけるための。

「一発目にトラウマ級の怪我負わせてやったのに、何度もつっかかってきたよなお前」

「負けっぱなしは性にあわないだけだ」

「でも。……俺はズルをしていただけだ。未来を見て、お前の動きを先読みして。本当最低だよ」

自嘲げに、一樹は空々しく笑って。

「あとから俺の異能を知っても、態度を変えなかったのはお前だけだよ」

藤野は一樹の『未来視』の異能を最初から知っていた。それはかつて所属していた大和桜花調査団の全員がそうだ。

何も知らずに近づいてきたものたちは皆、彼の異能を知れば態度を変えた。

利用しようとするもの。

詐欺師だと罵るもの。

媚びを売るもの。

――兎にも角にも、人間の醜悪のオンパレード。

そんな中で、唯一態度を変えなかったアルベルトの存在は、一樹の中でも大きいものだっただろう。

「そんなお前だから、託すことができるんだ」

膝に手を付き立ち上がり、5年前から空洞になってしまった右袖を靡かせながら振り返る。

紅の双眸は真っ直ぐに。静謐に満ちて麗人を映す。


「俺は俺の終着に後悔はしない。――俺が死んだ後にも俺の遺志を継いでくれる、お前がいるからだ」


その言葉を聞いて、藤野の世界は一切の音が消え去る。

――今彼は、なんと言った?

そのあとも2人はなにか喋っているが、藤野の意識は全く違う次元に飛んでしまったかのように、その言葉はすり抜けて行く。

「――それはどういうことだ、一樹」

紅の双眸が大きく瞬き、見開かれて振り返る。そして反射的に周囲を見回して、ついさっきまで目の前にいたアルベルトの姿が消えていることに気づいて、一樹は大きく舌打ちをする。

先程まで自分の周囲にだけ留めておいた結界を拡げた、2人だけの世界。

藤野の許可無く第三者は立ち入れない内側で、藤野は隠れていた岩の陰から立ち上がり一樹の前に立つ。

「……あの野郎、気づいてやがったな」

あのアルベルトが第三者の気配に気づかないわけが無い。それは一樹も同じだが、魔法感知に関しては彼の方が1枚上手だ。

藤野の存在に気づいていて、アルベルトは話を誘導したのだ。

だが、今はそんなことはどうでもいい。

「君が死ぬって、どういうことだ」

ばしゃばしゃと、水をかき分けながら近づく藤野の琥珀色から逃げるように、紅の瞳は逸らされて。やがて藤野の剣幕に根負けするように大きくひとつため息を零す。

「……そのままの意味だよ。俺は今回の攻略で死ぬ。死ぬことによって最悪の未来を、少なくとも先延ばしにできる」

「最悪の、未来って、」

「この迷宮区は今はまだこの程度の規模に治まっているが。――やがて迷宮生物は外に出て進行を始めて、現実世界は迷宮区に塗り替えられる」

紅の中の黄金を輝かせながら、神託を告げるように厳粛に一樹は告げる。

それは彼がその目で視た、未来の景色。

「地上の命あるもの全ては、飲み込まれ侵食され、やがて迷宮区の女王の子供になる」

「……子供?」

「――迷宮生物になるってことだ」

一樹の口から出た言葉に、藤野は大きく息を飲む。

現実世界の塗り替え?

女王?子供?

預言者の言葉は藤野の理解を大きく越え、最早彼の言葉を全て理解することは、今この場では難しかった。

ただ。――どうしようもなく恐ろしいことが、近い未来に起きるのだと。その悪夢の輪郭だけは朧気に理解することは出来た。

「まだ世界はそれに対抗できるだけの力を持っていない。その進撃に対抗出来る俺たちの数は、現時点で圧倒的に少なすぎる」

でも、と。一樹は見つめた左手を、藤野には見えない未来を掴むかのように空を握る。

「今回の攻略で、俺たちは最深部の扉にたどり着く。その奥には女王が待っているはずだ。――俺がそいつを倒す」

「……倒せるのか、一樹一人で」

「無理だよ」

間髪入れずの即答。

悄然と見つめる藤野に、一樹は困ったようにはにかむ。そして右腰に佩いている日本刀に視線を移す。

「俺ひとりじゃ絶対に倒せない。でもこいつがあれば、時間稼ぎくらいにはなるだろ」

唯一無二の全ての邪を祓うと言われる『聖火』を灯す神の刀。それはきっと彼の言う女王にも有効だろう。――そう思いたい。

かたり、と。腕を回して柄に手を載せる金属の音。

「時間を稼げば、後の奴らが対抗策を見つけてくれる。俺じゃ思いつかないような、そんな予想外の逆転劇をきっと見せてくれる」

誰か、は一樹は言明しなかった。しかしきっと彼の脳裏には、今自分が思い浮かべている幼い子供の姿を想像していることだろう。

赤銅色の髪に、深度の違う深紅の瞳の、天才おとうとを。

降りる沈黙に耐えきれず、項垂れる藤野を気遣うように、一樹は努めて明るい声で締めくくる。

「これが俺が5年前に視た未来の映像だ。……なんてことは無い、ただ一人の男が死ぬだけの話」

頭1つ分上から降りかかる、柔らかい声。今まで張りつめていた緊張が緩んだのが、俯く藤野にも伝わってくる。

ここまでの5年間、一瞬の油断も出来なかっただろう。

迷宮区に潜る時も、団欒に笑う時も。寝ている時ですら、彼の気は休まらなかっただろう。

そんな、針に糸を通すよりも緻密で、繊細な作業。きっとみんなはこういうだろう。――彼は偉業を成し遂げたのだ、と。

しかしそれは一瞬で、本当の英雄はきっと後世に台頭する若い調査員達だ。彼の言う『女王』をうち果たし、迷宮区の謎を解明する英雄譚に塗りつぶされて、やがては陰に隠れて消えてしまう。

でもそれでいいのだと。それが望みなのだと彼は言う。

数字の上では『人ひとりが死んだ』。――たったそれだけの話だと、笑って言う。

――なにが、それだけの話だ。

「……だからなのか、」

ふつふつと、湧き上がる激情を堪えながら絞り出した声は掠れてしまって、そんな自分がみっともなくて強く手のひらを握りしめる。

「だから私を振ったのか」

いずれ自分は死ぬから。

呪いのように吐き出された言葉に、息を呑む一樹の気配。それは藤野が彼と知り合った中で1番の動揺。

それでもなにかを言わなければ。何にそう追い立てられたのか分からない焦燥感から、一樹は苦し紛れに唸る。

「……俺はお前に、幸せになってもらいたいんだ」

自分といると、きっと後悔する。

不幸になる。傷つける。

――いずれ藤野を、置いて逝ってしまう。

たったそれだけの言葉だったけど、一樹の真意が痛いほど伝わってくる。私が逆の立場なら、きっと同じことを思ったかもしれない。


――巫山戯るな。


雷に撃たれたように、気づけば己の右の手のひらを振り抜いていた。

ばしん、と。肉と肉が打ち合わされる音が鍾乳洞の中で反響し、雫と共に地底湖に沈む。

狙いは正確に一樹の左頬を打ち抜き、彼は何が起こったのか分からないと言ったように呆然と、紅の双眸は瞠目し、やがて驚愕の色を宿す。

しかし涙で霞む視界では、藤野には彼の表情は読み取れない。

悔しさ。悲しみ。怒り。――そういった様々な感情がもみくちゃになって、胸中で逆巻く。

「……藤野、」

「そんなことで君は私の気持ちを否定するのか!?どこまで私を愚弄すれば気が済む!君一人の犠牲で世界が救われるなんてなんていい事だ、とでも言うと思ったのか!?馬鹿にするな!」

子供の駄々のように言い募る藤野の剣幕に、一樹はただ立ち尽くすことしか出来ない。

自分でも、みっともないと思う。もっと冷静に話し合いたい、彼と向き合いたい。それなのに、口からこぼれるのは子供のような言葉の数々。

「人の気持ちも知らないで、何が幸せだ!君に私の何が幸せか分かるのか、知ったふうに言うなよ!」

自分にだって、何が自分にとって幸せなのか分からない。知ったかぶりは私の方だ。

だけど。――目の前の青年を失うことが藤野にとっての幸せだとは思わない。

彼が居なくては意味が無い。この現実世界が救われたとしても。――草薙一樹がそこにいなければ意味が無いのに。

その事に気づけない、気付こうとしない彼に認めて貰えないとが、どうしても許せない。

悔しい。


「そんなに凄い異能があるのなら、みんなも救って君自身も救ってくれよ……っ!」


絞り出すような、藤野の悲痛の叫びに。

「……んだ、」

「……?」

「無理だったんだよ……っ!」

不意に、気圧されるように立ち尽くしたままの一樹が反応する。

多くの戦場をくぐりぬけてきた藤野ですら思わず後ずさるほどの、怨念のような殺気。

藤野のさっきまでの勢いはそれだけで霧散して、真逆に戸惑いに身体が震える。

「お前も俺が、どうにかしようと思ってこなかったと言うのか!」

足掻かなかったのか。

諦めなかったのか。

今まで突きつけられた一樹のその自問を、藤野は知らない。

そう言いながら詰め寄る一樹の剣幕に気圧されて後ずさるが、足首まで浸かる水に足を取られて普段通りに動けない。その遅れた反応に、一樹は一気に距離を詰めて、そのまま藤野を押し倒す。

ばしゃん、と地底湖で大きな水しぶきが上がる。幸い浅瀬だったから溺れることは無いが、上がった飛沫と体の半分は浸かる冷たい水が2人を濡らす。

それは5年前とは、ちょうど真逆の立ち位置。

押し倒された藤野の上から、一樹は言い募る。

「どうにかしようと思った!なにか手が、道がきっとあるって、5年前に視た未来を否定したくて、何度も何度も気が狂う程未来を視た!だけどっ、」

異能力者はその異能を無制限には使えない。それは藤野の弟の蓮の様子を見ていたから知っている。

それでも、無能力者には理解できない、理解してはいけない大きな溝が、彼らとの間には深く横たわっていて。

未来を視る。――その破格の異能の代償は弟の非ではないだろう。

顔の隣に突かれた左手は、横目に見えるだけでも震えていて、それはかつて後ろに連れ添った弟の細腕と重なった。

「何を視ても、どこを視ても、どこにも道がないんだ…っ!見渡す限り死体、死体、死体!大切な友人の、家族の、お前の!……俺は、惚れた女ひとり守れない、ちっぽけな人間なんだ!」

降りかかる叫びにふいに、藤野は気づく。はらはらと頬を打つ、雫。


――それは子供のように腫らした紅の双眸から、とめどなく溢れていることに。


「……お前は俺と一緒にいちゃいけない。一緒にいたら、お前に待っているのは悲惨な最期だ。最期にしかならないんだ……っ」

溢れる涙をそのままに、一樹は悲嘆に暮れた憔悴しきった表情で琥珀の瞳を見下ろして。

「だからもうこれ以上、俺を掻き乱さないでくれ。お前を諦めさせてくれ。――人並みの幸せを、願ってしまうから」

自分が犠牲になれば、世界は救われ、藤野も救われるのだと。

だから諦めさせてくれと。

かき乱さないでくれと。

――藤野の一緒になる未来を、手放させてくれと。

懇願する一樹に対して。

「私は5年前のあの時に決めたんだ」

頬に張り付く濡れ羽色の紗幕はそのままに、藤野は濡れて揺れる紅の瞳を射抜く。


「例え一樹が私を拒絶しようとも。――私は貴方を愛し続けると」


信じられないものを見るように、一樹は身を震わせる。

愕然と見下ろす一樹を、藤野は真っ直ぐに受け止めて。驚かさないようにそっと両手を回して引き寄せる。

「例え世界のみんなが一樹のことを世界を救った英雄と呼ぼうとも、みんなが賞賛しようとも。私はそんな世界否定する」

みんながみんな、彼を神聖視する。

預言者だと。

【三天】と呼ばれる凄腕の調査員だと。

神の刀を操れるのだと。

そんな人間が、凡人であるはずがないと。

――子供のように泣きじゃくる人間が、そんなことは無いのに。

「1人で辿り着かないなら、みんなで協力すればいい。一樹の自慢の弟はいないけれど、ここには『タキオン』のみんなやアルベルト、あの君が見つけたヴァイスなんて、あの子だけで百人力だ。もちろん私もいる」

ここには一樹を慕って集まった、仲間がこんなにいるのだと。それを知って欲しくて並べ立てる。

「君が笑って幸せを願える世界に、みんなが連れていってくれる。だから、一人でなんでも背負い込むなよ。――君はただの、私が愛する凡人なんだから」

「……なんで、どうしてそこまでして俺のことを。お前は、俺と一緒にいちゃいけないって言ってるのに、」

「そんなこと決まってる」

我が子を慈しむように、愛でるように見下ろす彼の顔を真っ直ぐに見つめる。

一息ついて、この台詞を君に刻みつけるように。


「私は君を愛しているからだよ。――それ以外に理由はいらない」


そう言って、藤野は一際強く一樹を引き寄せる。もう反抗する力も残っていないのか、呆然と一樹はなされるがまま。

「一緒になったら悲惨な最期?上等だよ、やってみればいいさ。――君を失う以上に悲惨なことなんて、私の世界には無いのだから」

赤銅色の髪を掬ってかき混ぜて。自分のそれとは感触が違う、それすらも愛おしいと思いながら。

「私を守れない?私がただ守られるだけの女だと思っているのか?むしろ私が一樹を守るんだ。なんたって私の方が君より強いんだからね」

やがて、2人の距離はゼロになって。


――啄むように、唇を重ねた。


重ねた唇を介して、二人の吐息は混ざり合う。しかしそれも一瞬で、直ぐに離される。

こつん、とおでこを合わせて、覗き込むように二色の視線は交わって。

「私は不利になるほど燃える質でね。どんな未来が待ってるとしても、君を絶対に諦めない。世界も一樹も全部救って、ハッピーエンドだ」

ぱちりと大きく紅の瞳は瞬いて、やがて根負けしたかのように困ったようにはにかむ。その表情は先程のそれよりもどこか清々しくて、いつかの日に見た一樹の素顔のままだった。

「……男らしいな」

「それ、女の子に言う台詞じゃないだろう」

「褒め言葉だよ。さすが俺の惚れた女」

「え、」

不意打ちに反応出来ないで固まる藤野の背中に、一樹は左腕を回して抱擁する。あまりの力強さに、意識しないようにしていた邪な気持ちが湧き上がって、体温が上がるのが藤野自身にも分かってしまうほど。

――程よく締まって均整の取れた、男性の身体。

自分のそれとは全く違う感触に、跳ねる鼓動を抑え込むのに精一杯で、自分はこんなに女々しかったのかと内心1人で突っ込む。

「――本当は、諦めたくなかった」

静かに吐露された言葉は、そんな藤野の心を一言で沈めて、藤野は耳を傾ける。

縋るような、か細い声が耳のすぐ側で泣いている。

「……うん」

「お前と一緒になれたらって、ずっと思ってた」

「うん」

「お前が他の男といる時だって、本当は嫌だったんだ。アルベルトでさえも」

「案外嫉妬深いね?」

思わず零れた本心に、一樹はがばっと藤野を引き剥がす。いきなりのことで驚く藤野の目の前で、むすくれる愛しい彼の顔。

「……俺だって、自分がこんなだとは思わなかったよ」

さらりと流れる濡れ羽色の髪を掬って、それをつんつんと引っ張る。

「この髪も、瞳も、何もかも。俺のもんだって言いたくて仕方なかった」

いじける顔が可愛くて、つい藤野は思いついたように口の端を緩める。

「……身体は一樹のものじゃないのかい?」

「……っば!?」

たっぷり数秒置いてから、一樹は声を荒らげて後ずさる。その顔は傍目にも一目瞭然なほど真っ赤だ。

「お前っいきなり何言い出してんだ!」

「何って、別に普通のことだろう?今ならほら、結界内だから何をしても気づかれないよ」

「悪魔の囁きはやめろ!」

じりじりと近づく藤野から逃げるように後退する一樹の背中には、先程の大きな岩が立ち塞がってそれ以上の侵入を阻む。

「ほらほら、本当は手を出したくて仕方がなかったんだろう?部屋にだってえろ本の10冊や20冊あるだろう」

「あるわけないだろそんなに!」

「そんなにってことは1冊はあるんだ」

「〜〜〜っ!!」

流石にからかいすぎたかな、と。声にならない一樹の叫びを聞きながら、藤野はこの位で勘弁してやろうと視線を逸らす。

その一瞬で、一樹は藤野の腕を掴んで引き寄せて。

「――え、」


二人の影は、先程よりも長い時間、重なり合って。

2人だけの世界に、鍾乳石から滴る雫の雨音が祝福するかのように涼やかな音楽を奏でていた。


*****


藤野が展開する不可視の結界。術者の許可無くその神域には第三者は立ち入れない。

はじき出された向こう側。ちょうど鍾乳洞に入る入口に佇むアルベルトには、その中でどんなやり取りが行われているのか知る術はない。

ただそれが。――お互いの為になることをただ願うばかり。

「……こんな所で何をしている?」

音もなく忍び寄る様は、まさに死を告に来た死神のようで。アルベルトは背後からかけられたその声に、少々の薄ら寒さを胸に抱きながら振り返る。

「お前こそ、こんな所に何の用だ」

「カズキを探しに」

本当にこの少年はカズキが好きだな、とヴァイスを映した翡翠の双眸を眇める。まぁ、一人記憶もなく何もかもわからない状況で、一番最初に彼の目に映った人間を慕う気持ちは分からなくもない。

――ただ一人の人間にだけ縋る、その危うさも。

「ここにはいないようだが」

「……カズキの魂の色はここにある」

不可視の結界の中だろうと、彼の瞳は正確にその色彩を視る事ができるのだろう。生物の魂の色彩を視覚に映す、この迷宮区においては破格の異能力。

……そういえば、1週間前に保護した少年も、同じ視覚系の異能力者だったか。

瑠璃の双眸に散る黄金を仄かに光らせるヴァイスを見ながらふと思う。彼はまだ自身の力に無自覚のようだが、白銀の双眸には隣の少年と同じ輝きが宿っていた。

カズキが言うには、『現在を見通す目』だとか。

同じ系統の異能力者同士は、お互いの異能力が相互干渉を引き起こし、うまく能力が使えない場合があるらしい。そのせいでカズキはあの少年を最初そうだとは気づけなかったと話していた。

彼が。――アデルがカズキが待ちわびた、最後のピース。

アデルは後世の世界において、みなを導く先導者になるのだと。今はまだ目覚めていないが、後天的な能力者であるアデルは、迷宮区に来たことでその能力は必ず目覚めるだろうとカズキはそう話していたが。

……想像上のアデルの姿からは全くイメージがわかないのが正直な感想。

と。目を細めながら今は居ない、出会って幾らも経っていない少年に思いを馳せていると、その隣をするりと抜ける雪白の影。

「こらこら、男女の営みを邪魔するものじゃないよ」

首根っこを掴んで無理やり引き戻すアルベルトに、敵意しかない瑠璃の双眸を細めてヴァイスは振り返り。

「……何それ」

「何ってそれは、」

言いさして、アルベルトは口を噤む。

……そういえばこいつ、こんな見た目でまだ2歳児だった。

外見上では15歳だが、如何せん拾った時には記憶も何もかも持っていない、泣きわめくしか出来なかった少年だ。意思疎通ができるレベルでの会話ができるようになったのなんて、本当に最近の話だ。

――言ってしまえば、そんなまだ言葉を覚えたての子供に性教育ができるほど、アルベルトの神経は図太くない。

そもそもカズキとフジノが結界の中で営んでいるかどうかすら正直に言ってアルベルトは知る由もないのだが。しかし好きあっている男女が、密室で二人っきり。むしろここで手を出さなかったなどと、そんな腑抜けは俺が切り捨てる。

ここまでわずか1秒間。カズキの弟までとは行かないまでも明晰な頭脳を無駄にフル回転させて出した結論は。


「……そろそろ戻る時間だ。ほらさっさと帰るぞ」


ヴァイスの首根っこを掴んだまま、アルベルトは引きずりながらキャンプ地への道を戻る。

単純に、力推しの苦しすぎる話題転換だった。

全快から間が空いてしまってすみません~っまたちょくちょく遅れてしまうかもですが頑張ります;;

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