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アノニマス||カタグラフィ  作者: 和泉宗谷
Page.3(下):救世の祈り
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5-2.追想:天眼通の視点

部屋だけは有り余ってるし、行くあてがないなら泊まっていけばいい、と。あの宴会での去り際にカズキからそう言われ、あれやそれやと流れるままにアデルは『タキオン』総本部の客間の一室で、7度目の朝を迎えた。

――何やかんや、もう1週間も滞在してしまっている。

宴会の次の日、朝食だとダンゾウが部屋まで迎えに来てくれて、そのままの流れで一通りの施設やその場所を案内してくれて、この一週間で散策を重ねたアデルもそろそろ迷わずに目的地まで移動できるようにまでなってしまっていた。

そもそも、施設を案内されても。

「……どうせすぐ出ていかなきゃいけないのに」

御手洗や浴場といった、生活に必要な施設の説明はありがたいが、図書館や修練場などを案内されたところでアデルに意味は無い。

『タキオン』所属の、ましてや調査員ですらない孤児の自分には。

と。一通りの案内を済ませたダンゾウはとっくの昔に職務に戻り、アデルも特にやることも無いので、『タキオン』本部内を今日も今日とて宛もなくぶらついている。

この一週間で多くの人に話しかけられたが、明日に控えた最深部攻略で、本部内は今は殺伐とバタついている。

だからふと。耳に入ってきた言い争いの声も、一瞬聞き流しそうになって、アデルは足を止める。

「――どうして何も教えてくれないんだ」

「だから何度も言ってるだろ。お前には関係ないからだ」

それは男女の声で、それぞれがそれぞれの悲痛と悲嘆に満ちたものだった。

盗み聞きなんていけないこととは分かっているが、反射的に身を隠しながら曲がり角の向こう側を覗き込むと、そこには見慣れた赤みがかった黒髪の青年と、濡れ羽色の髪の女性が対面していた。カズキとフジノだ。

ふたりは初対面の雰囲気とは打って変わって、フジノは掴みかかりそうな剣幕で、対するカズキは辟易とした様子だ。彼の言葉通り、もう何度も繰り返した会話にうんざりしているようだった。

いや。うんざりと言うよりも、苛立っている?

同じことを何度もされて、鬱々とするのはわかる。しかしカズキの様子はそうではなく。

――突き放そうとしているのに、それでも寄り添う彼女に対して、それをどこかで安心している自分に対しての感情のようで。

「もういいか。このあと約束があるんだよ」

「っカズキ、」

強引にそう切り上げて、カズキは踵を返す。咄嗟に伸ばされたフジノの手のひらは空を切り、幸いにもアデルがいる角とは真逆の方向にカズキは歩き去って、やがては影も見えなくなってしまう。

どのくらい、立ち尽くす彼女を見ていただろうか。

「……見苦しいところを見せてしまったね」

明らかにアデルに向けられた言葉。どうせそうだろうと思っていたが、やっぱり気づかれていた。

覗き見してしまった罪悪感からおずおずと物陰から出ると、フジノは苦笑する。

「……ごめんなさい」

「別に謝ることじゃないさ。ただまぁちょっと、恥ずかしいかな」

こんな所を見られてしまって、と。先程までの怒りの感情はさっぱり消え去った顔で微笑する。

努めては居るが。――やはりその笑顔には影がさしてほの暗い。

「私はただ、話してもらいたいだけなんだ」

「……クサナギさんのこと、好きなんですね?」

白銀の瞳に散る黄金がちかり、と輝いたことに、本人のアデルは気づかない。

フジノは驚いたように琥珀色を見開いて、そして恥ずかしげにはにかむ。あぁ、と。

「そうだね、私は彼が好きなんだ。だから彼の隣にずっといると自分に誓ったんだ」

今はもう影も形もなくなった、幻想の背中を追いかけて、フジノは僅かに顔をしかめる。

もどかしくて、何も出来ない自分に苛立つように。

「隣にいて、何が出来る訳でもないけど。でも。――話を聞いて、その重荷を一緒に背負うことは出来るのだから」

真っ直ぐな、洗練された視線はそう言って眇られて、直ぐに気を取り直すようにぱっと穏やかになる。

「って、こんなこと言ってもしょうがないか。まぁ単純に、振られたのに諦めきれずに追いかけてるだけなんだけどね」

フジノは情けないようにクシャりと笑うと、アデルの薄桃色の髪をひとつかき混ぜる。それはどこか手馴れていて、彼女にももしかしたら兄弟がいたのかもしれない。

こんな子供の自分にも、嘘偽りなく本心を話してくれる、淡麗で誠実な人。

もし母親の温もりというものがあるのなら、こういうものかもしれない。

年齢的にそう思うのは失礼かもしれないが、そういうものとは無縁だったアデルは、あったかもしれない穏やかな日々を夢想して思う。

「じゃ、私も明日からの遠征の準備があるから失礼するね」

懐中時計をぱちんと閉めて、フジノは彼女に似合いの強気な笑顔をして、カズキと同じ方向へと足を向けた。

頭に残る温度に名残惜しさを感じながら、アデルはそれを見送った。

『タキオン』に詰めている多くの調査員は明日からの遠征に向かうだろう。そうなれば自分は、どうすればいいのだろうか。とフジノの言葉を受けてアデルは白銀の双眸を伏せる。

今日中にでも出ていけと、追い出されるのは目に見えているけど。

……どうしよう。

成り行きで手に入れた平穏だけれど、しかしそれを知ってしまったからこそ、あの貧民街の生活には戻り難いと、アデルはとぼとぼと廊下を進んでひとつ窓の前で立ち止まる。

だから、それを見つけたのは本当に偶然。

――数ある中庭の一角に、見慣れた薄桃色の髪の少年の姿が目に飛び込んだ。

「――っお兄ちゃん!?」

襤褸のような布切れの上からでもわかってしまうほどにやせ細った体躯。とても満足な生活ができていないだろうことは容易に見て取れるほどにみすぼらしい姿と成り果ててしまっているが間違いない。

薄桃色に白銀。自分と同じ色彩の、同じ歳のたった1人の家族。

――ようやく見つけた。

考えるよりも行動の方が早かった。アデルはその姿を見るやいなや弾かれたように顔を上げると、元きた道を遡る。

なぜこんな所に、よりも。ようやく見つけられた歓喜の気持ちの方が勝った結果だ。

確かさっきこっちに下に降りる階段があったはず、と思って駆け足で戻る。自分でもわかってしまうほどに、その足は軽快だ。

しかし、逸る気持ちに呑まれてしまったせいで差し掛かった曲がり角の先で、影に弾かれて転んでしまう。

「痛…、」

「……そんなに急いでどうしたんだい?」

見上げた先にはオフゴールドのウェイブがかった髪と翡翠色。

アルベルトは突っ込んできたアデルに怪訝そうに双眸を眇ながら、左手を差しのべてくれる。先日のカズキとのやり取りから粗暴さが目立ったが、根は案外優しいのかもしれない。

その伸ばされた手をおずおずと握り返して、さして重そうにすることも無くアルベルトはアデルを引き上げる。

「ご、ごめんなさい」

「ここは謝罪ではなくお礼の方が嬉しいのだけど。まぁ俺にも非はあるだろうしいいか。それで、どうかしたのかい」

そうだ、こんな所でもたついている暇はない。アデルはどうにか自分を落ち着けながらアルベルトに向き直り。

「あ!あのその、向こうの中庭にボクの、ボクがずっと探していた兄がいるんです!だから、」

アデルの言葉にアルベルトは翡翠の双眸を驚きに見開くと、しかしそれは直ぐに伏せられて。代わりに。

「そうか。じゃあここから先には行かせられないな」

「……え、」

予想外の切り返しに、アデルは頭は真っ白になって立ち尽くす。ただ呆然と見下ろしてくる翡翠色を見上げることしか出来ない。

数拍おいて、ようやく。

「……なんで、ですか」

「あの少年には自分以外近づけるなと、カズキから言われている」

「っどうして!?」

「あの預言者の言葉は絶対だ」

――そんなことっ。

「そんなことは聞いてない!」

欲しい言葉ははぐらかすものでは無い。そんなものでは到底納得できない。

今まで捜し求めていた兄が今、目の前にいるのに――!

高低差のある2色の視線が火花を散らして交錯し合う。とても長い間そうしていたのではないかと思うほどの短い静寂の後、根を上げたのは意外にもアルベルトだった。

彼はアデルの白銀の双眸の中に、何があってもここだけは譲れないという信念を汲み取って、僅かに口の端を上げる。面白いと言いたげに。

「この俺を前にそんな目をできる奴は中々居ないな」

ぱちん、と音を鳴らしたかと思うと、その影からにじみ出るように前触れもなく影がするりと現れる。真っ黒なシルエットの中、夕暮色だけが唯一の色彩の少女。

「如何致しました、閣下」

「急用ができた。この後の最終調整会議を1時間ほどずらすと各班長へ通達してくれ。先に書類だけ目を通すようにとも」

「承知致しました」

抱えていた書類を受け取ったダンゾウは、現れた時同様に影に溶け込むように姿を晦ます。一瞬だけ交わった視線が、心做しか穏やかだったように思う。

そうして元から第三者などいなかったかのように、アルベルトはアデルの隣をするりと抜けながら。

「お前はカズキの異能を知っているか?」

「……未来を視ることが出来るって」

「そうだ。その瞳は過去や今を見ることはなく、いつだって俺達には知覚できない遠くを見ている」

アルベルトと後を追って歩いていくと、兄を見つけた中庭が見下ろせる窓際で立ち止まる。ちょうど先程アデルが彼を見つけた場所だ。

白魚のように美しい長い指が、窓の縁を掴んで白んでいるのを視界の端に映す。

「……俺は彼のそんな達観しきった眼が嫌いだった。何もかもお見通しだと、こちらを見下してるような眼が」

翡翠の視線を追ってアデルも中庭を見下ろすと、兄の他にもう1人の影があった。赤みがかった黒髪の、紅の瞳。

この距離では到底会話の内容は聞こえないが、親しげに会話する2人の姿から、和やかな雰囲気は手に取るようにわかる。

その2人を見るアルベルトの双眸にふ、と影が指す。

「でも違った。あいつは初めて迷宮区ここにきてから5年間、最悪に備えてだけ生きてきた。自分の何もかをも投げ打って、世界が終わらないようにと」

己の中で澱のように溜まった憎悪を吐き出すようにアルベルトは吐露する。それは終わらないようにカズキが願う世界全てを呪うかのような怨嗟の声だ。

その声音に一瞬にして氷点下まで気温が下がったかのように凍りついた空気を肌で感じ、アデルはひとり身を強ばらせる。

放っておいたらそれこそ本当に世界に対して牙をむく、狂犬の如き荒々しさを感じて。

それをアルベルトも気配で察してか、努めて殺気を押し殺し、できるだけ威圧しないよう朗らかな空気に戻す。

「ちなみに、お前の兄だというあの少年は近い未来、カズキの弟と一緒の調査団に入って暴れまくるそうだ」

「え"、」

「微妙な顔だな」

「いや、お兄ちゃんは色々とやりすぎるというか、加減を知らないのでみんなを困らせないか心配です」

まだ2人で貧民街の路上で生活していた頃、兄は出店の食べ物を盗って来たりチンピラに喧嘩を売ったりと、余計な怪我を多くこさえていた。生きるためだったとはいえ、もっと器用に出来なかったものなのか。

思い出すように虚空を泳ぐ白銀の瞳を見つめて、アルベルトは吐き出すように苦笑する。

「仲が良いんだね」

「……唯一の家族、ですから」

「……そうか」

だから会いたい。その感情をありったけ瞳に込めてアルベルトを見上げるが、しかし翡翠の双眸は逃げるように伏せられる。すまないと、そう言外に言って。

「あいつは5年間、この瞬間のためだけに綿密な計画を立てて、それこそ細い糸を手繰るように現在に漕ぎ着けた。しかしここでお前があの少年と出会ってしまえば大きく未来が変わってしまうだろう」

アルベルトはそこで1度言葉を切って、意識的に一呼吸を置いて、窓の向こうの2人から目を離す。

「だから今ここで、会わせることはできない。それはカズキの今までを破って丸めて、屑入れに放り込むのと一緒だ」

それはカズキの5年という短くない年月を、全てなかったことにすることと同じだから。

向けられた翡翠の双眸は、アデルの白銀のそれを射抜くように固定されて。

その奥に秘められた感情が見てた気がして、アデルは瞠目する。

その真摯な瞳が物語る。この人は痛々しいほどに。――穢れを知らない、真っ直ぐな人なのだと。

人の感情や倫理を踏みにじる人間なんてごまんといる。自分に都合のいいように、自分が生きやすいようにするには、他人を蹴落とす方が楽なのだから。

でもこの人は、彼の異能が生き様が。嫌いだというのに、彼の悲願の成就を願っている。

アルベルトはきっと、カズキがもっと自由気ままに生きてほしいと思っているのだろう。

だけどそれは同時に、彼の願いを否定することと同義。

相反する感情の中で、それでもアルベルトは『正しく』あろうと自分の感情を殺す。

『正しさ』を貫くために邪魔な、自分の感情を切り捨てて。

それはとても――。

そこまで考えて、目の前の麗人の顔がぎょっと酷く歪む。

「す、すまないっ。別に泣かせるつもりは無かったんだが…っ」

「……え、」

そう言われて初めて気づく。自分の頬を流れる水の正体。それは眦から流れ落ちて、柔らかな絨毯にささやかなシミを刻む。

アデルは言われてようやく手を伸ばして、初めて自分が涙していることに気づいた。

自分でも知らぬ間に流れた涙に1番驚いているのはアルベルトで、彼は似合わないほど慌てふためくと、アデルに視線を合わせるようにしゃがみこんで手を伸ばす。

「もっと言い方を考えればよかったな…。妹がいるのに、子供の扱いが慣れていないな」

兄に合わせて貰えないことが悲しくて泣いたのではない。そう弁明しようと心の中では思っていても、頭を混ぜられる感触にまた涙腺が緩む。

頭を撫でられるのは、一体いつぶりだろう――。

「何お前、もしかして泣かせたの?」

そんなに時間は経っていないはずだったが、兄と中庭にいたはずのカズキが気がつくと背後に立っていて、しゃがみこんでいたアルベルトをアデル越しに覗き込んでいた。心底呆れた、という声音で。

ぎょっと振り返ってみてみれば、声音とまんまの表情だ。

「小さい子供を泣かせるなよ。兄貴失格だな」

「元々追い出された身で兄貴も何も無い」

「開き直るなや。ごめんな〜美形の無愛想なつらって怖いよな〜」

立ち上がるアルベルトと代わるようにしてアデルの前にかがみこみ、カズキはいつもの軽い調子で声をかける。

その軽々な紅の瞳がふ、と真剣味を帯びて影が指す。ごめんなと、前置きをして。

「俺は凡人だから。――俺が神様だったら今すぐお前たちを会わせて、選んだ未来も勝ち取れるんだけどな」

泣き出しそうなくしゃくしゃの笑顔で精一杯笑って、カズキは懺悔のように告げる。

【三天】と呼ばれるほどの凄腕の調査員で、『未来視』の異能力者。その彼が彼自身のことを『凡人』だと言って。

でも。カズキがそう自分自身を貶しても。

「大丈夫です、だって今は会えなくても。――いつかは会えるんでしょう?」

カズキのセリフの裏の真意を汲み取って、アデルは乱暴に目じりを拭って笑ってみせる。目は腫れてまだ潤んでいるけれど、その頬に涙はもう流れない。

その姿を見てカズキは目を瞠り、一瞬後にはいつもの強気の笑顔に戻る。

彼の顔には、笑顔が似合う。

「そうだな。絶対にその日は来るよ」

『未来視』の預言者からの『絶対』に、アデルは今度こそ微笑んだ。それは他の誰から言われる言葉よりも、ずっと信頼出来る『預言』だから。

だからその日が来るまでもう少し。――もう少しだけ、頑張ろう。

自分に出来る精一杯をしながら。

その時紅に散る黄金が一際強く輝いたことに、正面から真っ直ぐに見据えていたアデルは気づく。

カズキは大きくひとつ頷くと、何かを決めたように立ち上がる。

「そうだアデル。お前こいつの養子になれよ」

行儀悪く親指で背後の麗人を指さしながら、カズキはなんの前触れもなくそうもちかけてきた。

あまりの突然な提案にアデルは呆然と口を開くことしか出来ず、代わりに大いに反応したのはアルベルトだ。

「何を言い始めてるんだお前はっ」

「いや、お前もそろそろ子供とか居てもいいと思うぜ?」

「その前にまず相手がいないがっ?」

「え、なにお前気にするところそこ?」

本当真面目だなお前、と言いたげな視線から逃げるように窓の外に向けられる翡翠の双眸。

「……その子が可哀想だろ。母親が居ないのは」

ごにょごにょと絞り出すように溢れ出た言葉に、カズキは一瞬大きく瞬いて、盛大に吹き出した。

「ぶひゃひゃっ確かにお前みたいな父親1人だとアデルの方が気の毒だよなーぁはいすみませんでした」

目にも止まらぬ早さで突きつけられた剣先の容赦のない殺気に、カズキはすぐさま素直に謝罪する。これ以上笑ったら間違いなく首と胴体は永遠にさよならだ。

そうと分かっているのだけど、その2人の様子がやっぱりおかしくて、アデルは堪えきれずに笑ってしまう。

「ボクは兄に会いたい。そのためには貴方のそばに居る方がきっといいはずだと思います」

だからと。アデルは意を決して顔を上げ、真っ直ぐにアルベルトと見上げる。


「雑用でも、身の回りのお世話でもなんでもやります。だからどうか。――ボクをここに置いてはくれませんか」


10は確実に年下の少年の決意に、百戦錬磨の調査員のふたりは瞠目する。その小さな身体のうちの、意志の強さに。

「ほら、ここまで啖呵切ったんだぞ?お前はそれでいいのかよ」

アルベルトよりも数瞬早く我に返ったカズキのにやけ顔に、アルベルトは心底悔しげに顔を顰めて荒々しく剣を鞘に滑らせる。

「〜〜っ勝手にしろ!」

とだけ言い残し、アルベルトは金色の軌跡を残しながらガツガツと軍靴を鳴らして去ってしまう。

これでは喧嘩別れみたいで、最悪だ。

「あっえっと、やっぱり迷惑でしたよねっ!?」

「いや、あいつは嫌な時はちゃんと嫌って言うから。濁したってことはそういうことだろ」

慌てふためくアデルとは対照的に、くつくつと喉を鳴らしながらカズキはその背中を追う。

出会って1週間も経っていないアデルには分からないが、付き合いの長いがあるカズキがそういうのならそういうことなのだろうか、と胸を下ろす。

「アデル」

しん、と。まるで常闇の深海のように静謐な呼び声に、自然とアデルは姿勢を正す。見上げた先には未だ去っていくアルベルトの背中に固定されている、紅の双眸。

その紅の中の黄金を、煌々と輝かせながら。

「あいつはかたくなすぎる。それ故にあいつはいつも孤高を強いられる。――あいつに必要なのは、ただ当たり前に隣に居てくれる誰かの存在だ」

ようやく交わった視線には、希うような色が濃く浮かんでいて。見ているこっちが痛ましくなるほどに軋んでしまっている。

アデル、と。もう一度名前を呼んで、刻むように。


「お前の異能で。――知人の現在を視るその瞳で、あいつの力になって欲しい」


何故、や何をといった疑問は、もう浮かんでこなかった。それは預言者に対してはなんの意味もなさない質問だから。

自分自身で把握出来なかった異能の正体も。

あの完璧な麗人の何を手助けすればいいのかも。

ただ、兄の後ろで泣いてばかりの自分にできることがあるなら。

「ボクに出来ることなら。――それで貴方が、少しでも笑ってくれるのなら」

予想だにしていなかった言葉だったのか、カズキは時間が止まったかのように息を飲む。

その間隙をつくように、アデルは最後に告げる。ずっと言えずにいた、伝えたかったセリフを。


「ありがとうクサナギさん。ボクに希望をくれて。――貴方の視る未来になるように、祈っています」

そして。これは真正面から伝えるのは躊躇われて、だから消えそうなほどそっと。

「出来れば、あなたを気にかけてくれるあの人のことを、もう少しだけ見てあげてください」


彼の瞳に、現在は映らない。その黄金はずっと、未来だけを見続けて紅を覆い隠す。

それでも。――だからこそ視続けたそれが、現実になるように。


奇しくも先程アデルの兄が彼に告げた言葉と同じ台詞は宙を舞い、遠い喧騒にもまれて溶けていった。

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