0.落伍者と巫女(序章)
三話後半戦、開始します~!サブタイ変えたいがために章分けちゃってますが、続きものとして認識していただけますと幸いです
九重蓮は、代々神の刀『天羽々斬』を祀る由緒正しき神社の家系の、待望の男児として生まれ落ちた。
他の家系はどうだか知らないが、九重家は『天羽々斬』の契約者は男と定めており、それは絶対不変の決まり事だった。
だから。――その唯一の彼に契約者としての資格がないと知れた時の、一族の落胆たるや。
しかも、日本男児たらしめる漆黒ではなく、瑞々しい青々とした若苗の色をした頭髪で生まれてきてしまったものだから、そんな少年の将来は一択。
――九重家が、九重蓮を見限るのは早かった。
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九重家所有の広大な森林は、夏が過ぎて秋に差し掛かる朝夕の寒暖差によって、その色彩を鮮やかに澄んだ青空を染め上げる。
そんな、広大すぎてもう誰も覚えていない小さな神を祀った朽ちかけの祠の陰が、蓮にとっては定位置で。
「ま〜たこんな所に居るのか、蓮」
蓮を真っ先に探して見つけてくれる唯一の存在は、九重家の今代の神刀の担い手で、蓮より6つも歳上の実姉だった。
長い艶やかな濡れ羽色の髪を高い位置でひとつに束ね、祠の裏の大きな岩をかけおりる動きを追うように流れる紗幕。
何年もかけて神の刀の契約者として完成された藤野は、重力を感じさせない足取りでふわりと音もなく降り立つ。
「今度はどうした、靴でも隠されたか?それとも懲りずに陰口でも言われたか?」
卑下する訳でもない、普通の年相応の少女としての爽やかな笑みと、同じ色彩で、しかし黄金の散っていない琥珀の瞳。
――九重藤野は、美しい人だった。
街を歩けば性別問わず誰もが1度は振り返る美貌。長く伸ばされた黒髪は一切の綻びもなく、1本1本が風になびいてサラリと流れる。その下の、揺らぐことの無い琥珀色。
この人さえ居なければ、自分がこんなに惨めに思うこともないだろうと。そう思えたならどれだけ楽だっただろうか。
そんなことすら思わせて貰えないほど、九重藤野は完璧だった。
蓮の言葉を待つかのようにことり、と首をかじける藤野。その様子を依然として俯いたままだった蓮は影でその動きを追ってぼそり、と呟く。
「……ぼくの髪。変だって学校で笑われた」
「なぁんだ、そんなことか。そんなわからないやつの言葉なんて放っておけ」
心に少なくない傷を残した同級生の言葉を、藤野はいとも容易く切り捨てる。その切れ味たるや、まさに神の刀。
海を隔てた遠い大陸の、とある小国が消えてからというもの、世界には『魔法』という空想上の技術が普遍化し浸透している。その高い適正値を表す、異常な頭髪も。
しかし所詮は対岸の火事。古来から変化を受け入れない東の島国にとって、それは未だ物語の産物だ。
じゃり、と音を立てながら藤野は蓮の正面にしゃがみこんで、蓮が生まれてからずっと気にしている髪をそっと撫でる。初夏の日の出とともに朝露を弾かんばかりに茂る、若苗色の髪。
「こんなに綺麗なのに」
その言葉にはっと面を上げて、それを待ち構えていたかのように藤野の顔が正面にあって。同じ色の視線が交わると同時ににかりと笑う。
「そんな心無い言葉にいちいち付き合うな。男の子ならもっと堂々としていればいいのさ」
「……ぼく、その言葉嫌い」
その言葉に、藤野は少し目を見開く。蓮にとって『男の子』という言葉は、呪いの言葉にほかならない。
男の子なのに、どうして契約者の資格がないのか。
待ちに待った男の子なのに。
――どうして、男の子なのに。
「男になんて、生まれなければよかった」
性別なんて、自分で選択できるものじゃないのに。
勝手に期待されて。
勝手に落胆されて。
――その果てに捨てられる、なんて惨めなことか。
心の中でネガティブがぶり返して、黄金の散った琥珀の双眸がまた涙で潤む。
「……なぁ蓮。お前がもし本当に望むなら、私だってこんな資格、あげるよ。それで蓮が泣き止んでくれるなら」
仄く朱の指す唇から滑りでた言葉はしん、と冷えきっていて、その冷たさに蓮は伏せていた瞳を上げる。真っ直ぐで切実な、少しの悲しみに満ちた琥珀の双眸。
「私はこんな力、欲しいと思ったことなんて一度もない。あげれるものなら蓮にあげるよ。私は、」
藤野は躊躇うようにそこで一度言葉を切って、やがて心を決めたかのように言った。
どこか縋るような、触れたら砕けて散ってしまいそうな、ささやかな鈴の音の声。
「私は、お前が羨ましい」
全てにおいて完璧だと思っていた少女の、仮面の下の素顔だった。
「お前はこんな昔からの錆び付いたしがらみなんてなくて、望めばどこにだって行ける。どこでだって、好きな場所で咲くことが出来る、自由な花だ。大きな空の下で、のびのびと自分の人生を生きることが出来る。こんな素晴らしいことがあるかな」
それは整備された花壇で咲くような、綺麗なものじゃないかもしれない。
雑草に紛れてもみくちゃになって、それでも太陽の光を一身に受けようと高みを目指す、野に咲く不格好な花。
それでも。――そっちの方が、ずっと美しい。
「……私は、大事に大事に育てられる、鉢植えの花だ。そんなのは、とてもつまらない」
何もかもを与えられて。
何不自由のない暮らし。
それは確かに幸せかもしれない。食に飢えることもなく、虫のように人に集られもてはやされる。
――そう、あれかしと。
彼女はその人生に、なんの不満もないと蓮は思っていた。――今の今まで。
何も分かろうとしなかった己自身を、蓮は心の中で強く恥じる。
誰からも期待され、その全ての期待に答え続ける、生き神のような美しい少女巫女。
気高く孤高すぎる彼女の孤独の空洞は、誰にも気づいて貰えずにぽっかりと口を開けていた。