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アノニマス||カタグラフィ  作者: 和泉宗谷
Page.3(上):昔馴染みと聖遺物
41/132

4-3.ピトスのかめは開かれる

白のヴェールが剥がれ落ち、迷宮区最深部の地面を最初に踏みしめた感想は、控えめに言っても最悪の一言に尽きた。

血の匂い。

臓物の匂い。

――人の死の匂いだ。

おぞましいまでの悪臭に思わず顔を顰めると、隣に立っていたはずの雪白の少年は口元を押さえて頽れる。

「――っう"、」

「大丈夫かヴァイス、」

午前中から昼食抜きだったことが幸いしてか、吐瀉物の中に固形物は見られない。それでもなお堪えられない吐き気から、胃液しか出ない口元を覆ってヴァイスは嘔吐く。

普段から病的に白い白皙の面は、際限のない不快感からか真っ青だ。

「……ごめん、」

「謝る事ないだろ。――それで、何が視えた」

魔法小瓶に入った水と、気付け用のポーションを渡しながら隼人は訊ねる。ヴァイスの蒼白の相貌にはまる瑠璃の中で仄かに光る黄金に気づいて。

受け取ったポーションを一気に煽り、ヴァイスは口を開く。

「あの錬金術師が見せたものよりもっとおぞましい魂の色が、溢れかえってる」

先日の一件で得意げに見せられた迷宮生物の混じり物。それを見せられた時も、ヴァイスは険しく柳眉を寄せていた。――その内の、魂の汚濁の色彩を見てしまって。

しかしそれよりも、いま立つこの空間の方が、惨酷だと。瑠璃に散る黄金でヴァイスは捉える。

「……戻ろう」

「【聖櫃】はどうするんだ」

「この有様見れば、もう使われたことは分かるだろ」

いくら地獄と呼ばれる迷宮区、その最深部だとしても、この光景はあまりにも異常だ。

脈を打つようにうねる、迷宮区の壁も。

充満する死臭も。

――まるで戦時の死体置き場のように、ここには死が溢れすぎている。

何よりも、血の気という血の気の失せた相棒の容態が気がかりだ。どうにか吐き気を堪えているものの、心の中では一刻も早くこの場を離脱したいに違いない。

それに――。

「ひっ、来るな、来るなぁあぁぁぁぁ!?」

埋没した意識が突如として上がった悲鳴で引き戻される。耳を塞ぎたくなるほどに、突き刺さるように耳朶を打ったそれは、機関銃から雨のように乱射される銃声とある種の音楽を奏でるよう。

――この状況で、生きている人間がいる。

先程まで絶望的だと思っていた己の思考を恥じる。相手は腐っても軍人。調査団員として迷宮区になれていないとしても、戦闘に関してこれ程精通しているもの達もいない。

そう希望して、隼人は声がした方へ足を向け、力を込める。――悲鳴と機関銃に紛れる、その音に気づかず。

「――待って、ハヤト!」

様子を確認しようと駆け出そうとして、出鼻をくじかれる形で引き戻される。掴まれた右腕の意味も分からず振り向きざまに開きかけた口を、白磁の手が覆う。

「――っ!?」

「静かにして。――お願いだ」

脈動する壁の僅かな隙間に押し込まれ、足が絡まる程に密着する。抗議の声をあげようとあてがわれた手首を掴んで、その動きはそこで止まる。

『死神』と恐れられる少年の、恐怖と緊張に染まる表情と、掴んだ腕の小刻みな震え。

訝しんで深紅の双眸がそれを捉えた瞬間、その答えは直ぐに得ることになる。

今も尚鳴り響く銃声の狭間、確かに隼人はその声を聞いた。


「うふ。フフフあハハハハハhhhhhhhハハハハハハハハハハきゃはははhhhhaaaaaa♪」


この場において、最も場違いな、無邪気な子供の笑い声。それは公園で友人たちと遊具で遊ぶように、純粋に楽しんでいる嬌笑。

楽しげなその声とは裏腹に、生き残りらしい男の悲鳴は最高潮のように、それはもう意味を成していない。

「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だオレはこんなことのためにここまで来たんじゃないいいいいいいいいい、ぐ、い"、ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああ――ぁ"、」

壊れたビデオテープのように、その悲鳴は何かを引きちぎる音と共に突然ぶつんと切れる。

何が起こっているのか。得体の知れない恐怖と、耳にこびり付いて離れない断末魔に、ヴァイスの腕の中で隼人は硬直し、びちゃりと地面に何かが投げ出される音に咄嗟に目を向けてしまう。――それを見たら、いけないと警鐘が鳴っているのに。

緩やかにカーブを描く迷宮区の通路の向かい側。その中心に、それは打ち捨てられていた。


――背骨から綺麗に抜き取られた、頭のない人間だったもの。


何をどうしたらそうなるのか。蟹の中身だけを抜き取って残された厚い甲羅のように、器だけがそこにある。背骨が抜かれた空洞からとめどなく滴る赤黒い粘着質な液体が、先程までそれが生きていた事を知らしめる。

いくら日頃迷宮区に潜り続け死体に慣れていると言っても、目の前の惨状はその範疇を明らかに超えていた。

「ぁ、」

それが自分の口から出たものだと隼人は気づけずに、掻き消えそうになる理性をどうにか保とうと、無意識のうちにヴァイスの腕を掴んだままの手が縋るように軋む。

「おにごっこはもうおしまい?でもまだおともだちたくさんいたはずなんだけどなァ?」

そんな見るも無惨な惨憺たる有様の死骸はもう見えていないのか、先程の子供の声は本当に残念そうに呟いて、やがて合点がいったようにそっかと手を叩く音。

「つぎはかくれんぼっていうのかな?しってるわ、かくれてるひとをおにがさがすのよね?」

それなら、と。依然として楽しげな少女の声は続けて。

「――これならすぐにみつかるわ」


その言葉が合図のように、迷宮区の厚い岩盤に数多の眼球がぎょろりと浮上する。


「――ッ!!」

その光景を目の当たりにするや否や、弾かれるようにヴァイスは押し込めていた隼人の腕を引っ張りあげかと思うと、そのまま元来た道を巻き戻しのように駆ける。

隼人がいくら引っ張り戻そうと力を込めても、ヴァイスは振り向きもしないので声だけをはりあげる。その声はみっともなく恐怖に掠れてしまっていたが。

「っ待てヴァイス、」

「やつに見つかった今、殺されるのは時間の問題だ」

「だけど――」

ついさっきまで動いていた死体に振り向きながら、隼人はそれでも言い募る。彼一人が最後の生き残りだとは思えずに。

だから。他にもまだ、生き残りがいるのなら。

そう言おうとした矢先、歯が砕けんばかりに軋む音が聞こえた瞬間、頑として聞く耳を持たなかったヴァイスが振り返って掴みかかる。

何かを必死にこらえるように、沈痛と苛立ちがない混ぜの白皙の顔。


「――また人を殺したいのか!」


飛び出た激昂に、隼人の深紅の双眸は見開かれて凍りつく。瞬間脳裏に閃くのは、自分の才能にうぬぼれて50余名を殺した己の罪。

それを、よりにもよって彼に突きつけられて、隼人は息を詰まらせる。まるで抜き身の刀を喉元に突きつけられたかのように。

――自分はまた、同じ過ちを繰り返すのか。

「……そんな、つもりじゃなかったんだ。お前を危険に晒すつもりじゃ、」

息も絶え絶えに、うわ言のようにどうにかその言葉だけを絞り出す。

そこに救える人間が1人でも居るのなら救いたい。純粋にそれだけをただ願った。それだけだ。

だけど。――それに付き合わされる相手の気持ちも知らず振り回そうとしてしまって、隼人は喘ぐ。

しかし、目の前の人形のように美しい少年の表情は和らぐことはなく、むしろさらに険しさを増す。そうじゃないと言うように激しく頭を振って。

「いつもいつも他人のことばかりで、どうして君はいつも自分のことに無関心なんだ!」

突きつけられたその言葉に、隼人は深紅の瞳を見開く。先程とは別の、喫驚に。

肩を掴む両の手は痛みを伴うほどに強く握りしめられ、震えている。そんなヴァイスの表情は、項垂れて長い雪白の髪で覆われてしまって、見てとることは出来ない。

それでも。どんな顔をしているのか、今にも泣き崩れそうな、か細い声から容易に想像出来て、何も言えず隼人は声を詰まらせてしまう。

「死にたくないって言うのに、初めて会った時もひと月前も、君は死にかけるような厄介事に首を突っ込んで。自分自身の生存の可能性の高い戦術も考えられるはずなのに、それをしようともしない…っ」

1番損害が少ない戦術を。

救いたい人間と、それを助力してくれる人間の被害が最小限になる戦略を。

――そこに『草薙隼人』が含まれていないことを、隼人自身は気づいていない。

それは深層心理で、『草薙隼人』は生きていても意味が無いと思ってしまっているから。

本当に生きるべき人間は、セオのように善良な人間で。

オリバーやヴァイスのように、才能のある人間で。

レグルスのように、1度絶望に落ちた人間で。

兄のように、人望のある人間だ。

――ただ頭がいいだけの、数十人を一度に殺した落ちこぼれに、生きる価値などない。


草薙隼人は、『草薙隼人』という自己を否定する。


「……どうしてそこまで気にかけてくれるんだ」

言葉は無意識に口から零れ落ちて、空間に溶ける。

自分さえ居なければ、彼は兄を殺したという虚構の罪に苛まれることも無かったはずなのに。

こんな落ちこぼれに付き合うことも、苦しむことも怪我することもなかったはずなのに。

――彼に自分は何も与えてはいないのに。

零れた言葉は、天才児と呼ばれた天才が、唯一導き出せなかったその答えを知りたいが為の問。

取り繕わない子供のような少年は、その答えを知っているのではないかと、そう思って。

――答えはすぐに返ってきた。

弾かれるようにヴァイスは面を上げて、涙で潤む瑠璃の双眸には、何をしても曲がらないだろう強い意志。

「君の言葉に、僕は何度も救われた。モノクロなつまらない世界に色をくれたっ多くの関係を得られたっ。――僕にとって君は、もう僕の世界の一部で。君が死んだら僕の世界も死ぬのと同じだ!」

だから、と。どうしたら伝わるだろうかと言葉を探す一瞬の間を置いて、ヴァイスは言い募った。

隼人がこの人生で求め続けた、その答えを。


「君に生きていて貰いたい。ただそれだけじゃダメなのか――っ?」


――瞬間。世界が改変されたかのように、隼人を取り巻く全てが塗り替えられていく。

それは隼人の深層心理の奥底の、真っ暗な世界にまで届く。まるで全身を雷に撃たれたかのような、凄まじい衝撃だった。

ただ生きる。――それが、答え。

たったそれだけが、草薙隼人の求めてきた疑問の答えだったのか。

なんて簡単な答え。小学生でも答えられる回答だ。そんな単純な答えに、今まで気づかないなんて。

天才とは何だったのかと、知らず隼人は口の端を緩めて手を伸ばす。手のひらで感じる雪白の髪が内で踊って擽ったい。

驚いたように見開かれた瑠璃の双眸に、また珍しい顔が見れたなという感想は心の内にだけ留めておく。何だか小さな子供相手にサプライズが成功したかのような、そんな気持ちだ。

「俺が死んだらお前も死んじゃうんじゃ、仕様がないよな」

1人で死ぬ分には何も問題ないが、道ずれになってしまうならば、それは隼人としても納得できない。

納得できないなら。――生きなくてはならない。

だから。


「手間かけさせて。我儘言ってごめん。――戻ってみんなと相談して、立て直すぞ」


この状況を打破するために。――ちっぽけな自分をずっと気にかけてくれる、彼のために。

その言葉に、ヴァイスは虚をつかれたようにひとつ大きく瞬いて、そしてくしゃりと破顔する。

それは幼い子供が欲しかったものをプレゼントされたかのような、そんな心からの笑顔のようだった。

「急ごう。転移魔法陣が敷いてある場所はこの先、」

「――あぁあああああああぁああああああああああああああああああああぁぁぁ!!」

長年の問に決着がつき、決意を新たに踏み出そうとした一歩は、悲痛な絶叫によって遮られる。

声がした方角は、奇しくも転移魔法陣が設置してある広間からのようで、確認するかのように振り向いた瑠璃の双眸に、深紅のそれを頷き返して二人は通路を引き返す。

そう遠くになかった広間には時間をかけずにたどり着いて、状況を確認しようと瞬時に視線を走らせる。――壁と同じように脈動する迷宮区の地面の上でたうち回る、蓮の姿を確認したのはその直後だった。

「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイ――!!」

「っ落ち着けレン!その痛みはお前のものじゃない!!」

左腕をちぎれんばかりに右手で掴みながら転げ回る蓮を、見慣れた赤茶色の髪の青年が必死に押さえつけている。耳を塞ぎたくなる絶叫を堪えて、隼人は駆け寄って、声をかけようとして発した声は、自分でもわかってしまうほどに引きつってしまう。

――蓮を押さえつけるアイザックの左腕は、肘から先が喪失していたから。

なくなってからそう時間は経っていないのか、止血用にと巻かれたベルトは意味を成さず、薄桃色の断面からは尚も赤黒い液体が吹き出して地面を濡らす。

その惨状に立ち尽くしてしまった隼人たちの気配に気づいてか、銀の双眸がはねるように向けられる。

「っお前ら、」

「何があった」

なぜここにいるのかというアイザックの質問を、動転して声が出せない隼人に変わってヴァイスが牽制する。そんな無駄な問答をする時間はないと、言外に切り捨てて。

それをアイザックも察してか、それ以上の追求はせずに暴れる蓮を組み敷きながら。

「異能のせいでオレの痛みがこいつに行っちまってるんだ。気が動転し過ぎて、異能が制御できてねぇ」

駆け足で近づくと、焦点の定まらない虚ろな琥珀の瞳には、散った黄金が煌々と光っている。それは、『痛覚共有』の異能をフルで使用してしまい、対象者であるアイザックの痛みを諸に受け取ってしまっているという事。普段であれば呑まれることも無かっただろうが、こんな事態になれば誰だって気がふれる。

「お前は大丈夫なのか?」

「……支給されたそいつを打ったからな。でも、」

どうにか気持ちを落ち着けて発した隼人の言葉に、近くに転がっていた注射器を顎でさしながら答えるアイザック。携帯していただろう鎮痛剤を打ったのだろうが。――それは幻の痛みまでは和らげることは出来ない。

「意識を失えば異能は強制解除できるけど」

「こんな死ぬかもしれない場所で気絶されても困るだろ」

アイザックの正論に、ヴァイスは口を閉ざす。この場で唯一の異能力者として、いくつもの地獄を経験した調査員としての両サイドの立場で板挟みになってしまって。

どうやら初めてらしい蓮の様子に、アイザックすら対応に困って、せめて余計な怪我をしないように押さえつけるだけで精一杯らしい。

その様子をひとり俯瞰で観察している隼人は、気づかれないように小さく嘆息する。

この手は本人としても不本意だろうが。……後で大人しく怒られるとしよう。

「ちょっとどいてろ」

割り込んだ隼人を訝しげに眺める二色の双眸を横目に息を一息吸い込んで、苦しげな表情の面に顔を寄せ。


「――こら蓮!もう朝稽古の時間だぞ!!」

「――ひっごめんなさい姉さん今起きます!?」


雷でもくらったかのようにビクリと大きく身を震わせると、蓮は慌てふためきながら腹筋を使って跳ね起きる。琥珀の双眸には光が戻っていて、彼が正気に戻っていることを物語る。

蓮は暫く状況を確認するように辺りを忙しなく見回して、やがて自分を見下ろす銀と深紅と瑠璃の視線にに気がついてはた、とひとつ瞬いて。

「よぅ。相変わらずこのフレーズ、使えるのな」

「…………ッ!!」

いつもマイペースで、笑顔の裏に本心を隠してしまう彼にしては珍しく。隼人の言葉の直後、恥ずかしさに耳まで真っ赤になってこれでもかと瞳を見開く。軽く半泣きで。

「ひ、酷いじゃないか隼人!人前で使ったね!?」

「お前が異能に呑まれるのが悪いだろ。というか今でも藤野さんのおはようがトラウマとは思わなかった」

「それは隼人が知らないから言えるん、はっ!?」

言いかけて、突き刺さるような視線にようやく気づいて蓮は振り向く。ヴァイスとアイザックのどこまでも冷ややかで冷酷な据わった双眸。

それを見てさらに居心地が悪くなったのか、蓮は言い訳をしようとして言葉にならない声を発しながら猛烈に手を振って、やがて何も思いつかなかったのか。

「……あぅ」

赤面して俯いた。

「さて。蓮の恥ずかしい一幕は後で話すとして」

「……後で話さなくていいから、」

「ここもいつ見つかるか分からない。早く移動しよう」

促すヴァイスが指さす方向には、広間の隅の少しくぼんだ空間。そこには人為的に設置された石版がたっている。あれが転移魔法陣の起動装置だろう。

この広間の壁や地面にも、埋め尽くさんがばかりに眼球は広がっている。ヴァイスの言う通り、もう時間はない。

そう思って隼人が1歩踏み出した。――その時だった。


「 み ィ つ け た ♪」


あの子供の声が聞こえたと認知した時には、隼人の身体は後ろからものすごい勢いで押されていた。

あまりにも突然の衝撃に咄嗟に受身をとる事が出来ずに、隼人は赤黒い迷宮区の地面の上を転がる。

「っなん、」

振り返って飛び込んできた光景に、言いかけた声はその先を見失う。


地面と壁から1本ずつ。生えた長細い腕が、隼人を庇ったヴァイスの腕と身体を掴みあげ、その下には巨大な人間の口が大きく広げられていたから。


その腕はゴムを引っ張るように、徐々に間隔を広げていく。鼓膜を揺らす肉と骨が軋む異音。

「〜〜〜〜ッ!!」

途方の無い痛みにヴァイスは声にならない叫びを上げる。どうにか窮地を脱しようと、唯一自由になる左手で腰の裏の拳銃嚢(ホルスター)から拳銃を引っ張り出すと、眼下の顔に向けて発砲。全弾を撃ち尽くす。

本来ならば地面にめり込むだけの弾丸を食らって、浮き出た顔は絶叫する。

「イタイのはきらいいいいいいいiiii@@@@@@@@@!!」

ヴァイスの右腕を掴んでいた腕がしなり、そのままの勢いで手を離す。当然支えを失ったヴァイスは弾き飛ばされ、背後の壁に激突して止まる。

「――ぁぐッ!」

瓦礫が崩れる音に紛れた苦悶の声を最後に、ヴァイスは電池の切れた人形のように気絶する。口元から一筋血が流れ出しているところを見ると、内蔵にも損傷があるかもしれない。

「っヴァイス!」

「オレが行く、お前は蓮と一緒に先転移魔法陣の起動準備をしてろ!」

隼人の叫びと同時にアイザックは飛び出す。自分たちとヴァイスが飛ばされた間には、あの気味の悪い顔と腕がのたうち回っており、飛び込む獲物を待ち構えている。――それは戦場で狙撃手がよく使う、『吊り』の手法のように。

転移魔法陣の起動には準備がかかる。そして最後の鍵はヴァイスが持つ『タキオン』所属を示す紀章だ。ヴァイスが気絶した今、その起動方法を知っているのは自分一人だけだ。

――ヴァイスは彼に託すしかない。

「――っ頼む!」

こんな時。何も出来ない自分が心底腹立たしい。その事に隼人は地面を力いっぱい叩き、その衝撃で裂けた手のひらを握りしめながら立ち上がって一直線に転移魔法陣のあるくぼみに駆ける。

横目にアイザックを見ると、彼は時には飛び、時には地面に伏せ、伸ばされた手を足場に駆け抜ける。パルクールでもやっていたのかと思うほどの、華麗な身のこなしであっという間にヴァイスを抱えると。


「――そーら。ちゃんと受け取れよ、ご主人様!!」

「って何をしてんだお前はぁああああ!?」


ボールでも投げるが如く、意識のないヴァイスは空中に投げ出される。

当然それを見過ごす腕達では無い。無数に分裂した腕は餌に群がる魚のように我先にとヴァイスに殺到するが、その尽くは火炎によって弾かれ届かない。アイザックが放った『火』属性の魔法。

アイザックの奇行に起動準備をしようとしていた隼人は瞬時に中断。落下地点を計算してどうにか滑り込んで受け止める。

「〜〜たぁ!っ人間を投げるバカがどこにいるんだよ!?殺す気か!?」

「――オレはここまでだ」

アイザックのその荒業に思わず声を荒らげるが、直後に返された言葉にそれ以上は返せずに息を飲む。

己の全てを悟った、静かな声だった。

「みんなを置いて、隊長のオレが一人で帰れるわけないだろ」

「――お前っ、」

「っザック!」

彼の言葉にいち早く反応した蓮は、切羽詰まったように、蠢く腕の隙間を通すように声を張り上げる。

「みんなはまだ生きてるよ!だから見つけて連れてきて、それまで待つから!カノンも、ケーニッヒもアイラもヒューイも!だって、」

「――あいつらはもう死んだよ」

距離は遠く離れているのに、彼の静かな声は隣で聞いているかのように耳朶を打つ。その手に握られた、ガラス片が擦れる音も。

――そこにあったのは、隼人やヴァイスたち『ケリュケイオン』に渡されたものと同じ、四葉のクローバーが込められた結晶だ。

そのことに気づいた蓮は、驚愕に震えながら瞠目する。

「……なんで、」

「初めて戦地に行った時にみんなで決めたんだ」

言いながら、銀の双眸は天井をみあげる。その瞳は土の囲いを超えて、その先の空を見据えて。

近いようで遠い、過去を回想するように。

「初めてお前が戦場で人を撃った時。姿を隠してその人の墓の前で泣きながら謝るお前の姿を見て、みんなで決めたんだ」

誰も彼もが当たり前のように死んでいく戦場で。

たった1人の名も知らない他人の墓の前で。

『ごめんなさい』と。――贖罪する少年の背中を見て。

それは隼人の知らない、蓮とアイザックの過去。だからこそ横から口を出すのは、彼らの覚悟の邪魔をするのと同じだと、その先に続く言葉を静かに待つ。

やがて決心したように、アイザックは蓮をまっすぐ見据えて。普段と何も変わらない、彼に似合いの強気な笑顔で。


「――お前に、背負われてやらないって」


だから、蓮から渡されたその結晶は、アイザックが1人で受け取って。今の今まで隠していた。

カレンは腹を貫かれて。

ケーニッヒは四肢を八つ裂きにされて。

アイラは首をねじ切られて。

ヒューイは。――ケインを庇って、原型を留めないほどにミンチにされて地面に散った。

アイザックはその全てを目に焼き付けて、だからもう言い逃れはできない。

――彼らは全員、死んだのだと。

その言葉を信じられないように動けない蓮にもう一度微笑みかけて、アイザックは鋭く声を放つ。それは一部隊を率いた長の号令。

「――早く行け!!」

彼の覚悟を。彼自身が決めた最後を、自分が汚すことは出来ない。

隼人は力なく項垂れる蓮とヴァイスをくぼみに引きずり込むと、石版を砕かんばかりに叩いて起動させる。

「……んでだよ、」

意識のないヴァイスの胸に光る紀章をもぎ取って、石版にかざす。直後に周囲は白く輝きだし、魔法の粒子が立ちこめる。

転移魔法陣の起動を察知し、向こう側でルークがゲートを繋げるその刹那。世界が白のヴェールに包まれ切る前に、蓮は最後に叫ぶ。

聞いているこっちが痛ましいほどに。それは悲痛すぎる最後の言葉。


「――そんなの、ズルいじゃないか――!」


その言葉は果たして相手に届いたのか。――隼人には、それを知る術はなかった。


*****


「……確か、こっちだったはず」

もう走る余力もなく、歩くのも億劫。それでもアイザックは足を止めることだけはしない。

最後に義兄の姿を見たのは、この通路だったはず。

レンたちが無事に転移した後に、どうにかあの無数の腕を撒いてやって、アイザックは今だ脈動する地面を這いずる。

もう自分が揺れているのかも分からないが、そんなことはもうどうでもいい。

自分が残ったのは、ここが自分の死に場所でいいと思ったからだ。過去の妄執に取りつかれ、惨状を撒き散らした亡霊には似合いの終着点。

彼自身それでいいと思ったし何より、散った仲間を置いて自分だけ逃げ帰るなんてできるわけがなかった。

それと、もうひとつの心残りのためだ。

どのくらい歩いたか分からない長い時間。実際には数分とかかっていない道行の先に、それはあった。


鳩尾から下が欠損し、その中の腸をぶちまけ横たわる、ケインの惨状。


ちぎれた脚は見たところどこにも落ちていない。蓋を無くした上半身の出口からは、零れた内蔵が四散している。ここにもし医者や学者がいればよい標本だと舞い上がっただろうか。

やっとの思いで隣まで歩み寄り、そこでアイザックは力尽きで頽れる。

「……しぇりる、」

うわ言のように発せられた声に、銀の双眸を見開く。こんな状態でも人間は生きていられるのかと。

それも。――後数瞬だろうが。

「……しぇりる、ようやく……かえってきたな」

震えながら伸ばされる手は、全ての指が喪失して何も掴むことは出来ないだろう。そんな血にまみれた手を、ケインはもうなにも見えていない虚ろな視界でアイザックの頭を撫でる。

ケインの婚約者でありアイザックの姉。――シェリル・リーと同じ赤茶の髪。

「こんなにながいあいだ、るすにするとは…おもわなかったぞ」

「……うん」

「でもそのぶん、たのしいはなし、たくさんあるんだろ…?」

「……うん」

「……おれも、たくさんあるから、こんやはながく、なりそうだな」

「……そうだね。お土産のお酒もあるから、飲みながらしようか」

逆流する赤い泡を吐き出しながら、ケインは笑う。ここ数年でついに見ることが出来なかった、かつての不器用な朗らかな義兄の笑顔。

「……それは、たのしみだな」

最後にそう微笑して、ゆっくりとコバルトブルーの瞳は瞼の下に隠れて消える。

力を無くして滑り落ちる硬い手を、アイザックは空中で受け止めて。

「……あぁ。ようやくゆっくり眠れるね、義兄さん」

頭の左半分が削がれ、自分の脳漿で汚れた視界を最後に、アイザックは眠るように目を閉じた。


*****


一瞬の浮遊感を感じたと思った直後、隼人は地面にも、投げ出される。ろくに受け身も取れなかったので、その衝撃はダイレクトに臀部に突き刺さる。

「――あだっ!?」

「ハヤト先輩!無事ですか!?」

「随分早かったな、クサナギ」

頭上からかけられた声に深紅の双眸をあげると、そこには見慣れた薄桃色とマリンブルーの色彩。

「……戻って、これた?」

呆然としながら辺りを見渡すと、赤黒い地面もなければ眼球の浮かぶ壁もない。普段の見なれた迷宮区の岩盤が見て取れて、先程までランキング戦が行われていたあの広間だということにようやく理解が追いつく。

戻ってきた。――噛み締めるようにもう一度心の中で繰り返し、そこでようやく胸の中の重さにも気づく。

「っそうだ、ヴァイスっ」

がばっと身をあげると、雪白の少年は依然として力なく寄りかかってくる。表情の読みにくい瑠璃の双眸も、瞼に固く閉ざされて今は見てとることが出来ない。

「ヴァイスっ、おいしっかりしろ!」

「揺らさないで。脳震盪を起こしてるだけだよ」

肩を掴む隼人の手の上から、声とともに別の手が添えられる。伸ばされた方向を見ると、昔から変わらない、黄金が仄かに光る琥珀の瞳。

ヴァイスの痛みを受け取っているのか、蓮は痛みを抑えるように頭に左手を当てている。

「衝撃で内蔵もいくつかダメージを負っているけど、治癒魔法で治せる程度だ」

「……よかった」

蓮がそういうのなら間違いない。隼人は今は力ない重みを感じながら、ようやく心から安堵する。

「……ハヤト」

静かな声に、隼人は姿勢を正す。地面に相棒を下ろすのはなんとなくいい気分にならなくて、支えるようにしゃがみ込んだままの体制で、できる限り。

「……【聖櫃】は、使われました」

「……そうか」

隼人の報告を聞いても動じないアルベルトに、つかみかかったのは隣にいた蓮だった。彼にしては珍しい、憤怒の炎に焼かれた琥珀の双眸。

「……なんだあれは。あれのせいで俺の仲間は全員…っ!」

「お前たちが望んだ結果だろう」

「それは――ッ!」

「私は忠告したはずだぞ。2年前の真実を知ろうなどと。そんな愚かなことはしない方が賢明だと」

「……っ、」

すべてアルベルトの言う通りだ。彼はきちんと忠告し、その上で行動に移したのは『ノアズアーク』だ。ならばこの結果も、自業自得。

それでも、もう口を閉ざすことは許されない。

「……総団長。もう話してくれてもいいでしょう。あれはなんですか」

蓮に掴まれた襟元を直しながら、アルベルトは見下ろす。いつもの覇気はなりを潜め、覚悟を決めたかのような静かな翡翠の双眸。

深紅のそれで受け止めながら、隼人は言い募る。

「2年前に、何があったんですか」

「――それはボクがお答えします」

唐突にかけられた乱入者の声に、その場の全員が振り向く。

広間の入口、その逆行の中のシルエットは細く小さい。やがてブーツの底を鳴らしながら、光の中から溶けだすように、その影は一歩と歩を進める。

その姿を見て。真っ先に声を出したのは。


「――アデル?」


不確かなものを確認するように、その声はいつもの彼からは想像もつかないほどにか細く震えている。

薄桃色の綺麗に切りそろえられた髪に、白銀の瞳。

レグルスと全く同じ見た目の、全く同じ背格好のその少年はしかし、彼とは決定的に違う黄金に光る左眼と、王冠のように浮かぶ天輪を携えて。


「全てをお話します。――ボクが見た、2年前の真実の全てを」


レグルスの写身のような少年は、厳かに告げた。

今回で三話前半は終了です!謎をまき散らした終わりかよ!?って感じなのでできる限り早めに後半戦を始めたいとは思っています…えぇ本当ですとも(目そらし)

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