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アノニマス||カタグラフィ  作者: 和泉宗谷
Page.3(上):昔馴染みと聖遺物
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4-2.胎動

彼女は、誰よりも真実を追い求める人だった。

それは誰かの秘め事を暴いて面白がるというものではなく、パズルを解くかのようにただ純然たる事実。それを知りたい人にだけ知ってもらいたくて、ジャーナリストになったのだと自慢げに話す。

時としてそれは『プライバシーの侵害だ』と、弾劾された時も、追っていた政治家や被害者たちからも疎まれもしたと言う。それでも彼女は自らの仕事を誇らしく思っていた。

元々写真を撮るのも好きだったのも相まって、ジャーナリストという職業は、彼女にとって天職だったに違いない。

だから。

「ケイン。私、迷宮区へ行くわ」

そう言って付き合って数年、結婚して間もないその時に打ち明けられたのは仕方がない。自分もそれを承知で彼女と一緒になったし、何より縛り付けたかった訳ではなく、自由に駆け回る彼女が好きだったから、二つ返事で了承した。

最後に見たのは、そんな彼女の底なしの笑顔。


自分の人生において唯一の光は、なんの前触れも慈悲もなく迷宮区の闇に堕ちて、今は見る影もない。


*****


がつん、と。右頬にくい込んだ容赦のない拳に、蓮は両の足を踏ん張って耐えきる。2年前の自分なら、間違いなく衝撃で崩れ落ちているだろうな、と他人事のように思いながら、口内に広がる鉄の味。

「何故殺さなかった」

『タキオン』総本部に隠されていた扉をくぐった先。迷宮区『サンクチュアリ』最深部第660階層の広間で、静かに降りかかる低音。常人ならば聞いただけで竦み上がるような怒気を孕んだ声も、聞きなれた蓮に取ってはそよ風も同然と聞き流して向き直る。

人を殴っても一瞬も揺らがない、冷然としたスカイブルーの双眸。人を殺したとしても、彼の凍てついた瞳が揺らぐことは無いだろう。

頭の片隅でそう思いながら、蓮はいつものように微笑する。神経を逆撫でしない程度に注意しながら。

「俺は渡されたものを使ったにすぎません。アイザック隊長から」

にこやかに晴れやかに、一応は上官であるアイザックを売りつけた。

「おいおまっ!?」

なんの感慨もなく売られたアイザックは途端に狼狽した声を上げるがもう遅い。ケインはズカズカと歩み寄ると、蓮同様に(彼に対しては頭にだが)拳を叩きつけ、仔犬の叫びのような言葉にならない悲鳴が上がる。

「いつまで学生ごっこに興じている」

「もう学生は卒業しましたよ、」

「……死にたいか」

アイザックの軽口は、瞬時に向けられた銃口によって遮られる。今にも爆発しそうな殺気が指に込められ、引き金がきり、と軋む。

頭に突きつけられた銃口を見遣り、アイザックは短く嘆息してケインを見上げる。いつも浮かべている軽薄な笑みは消え失せ、ケインと同じかそれ以上に底冷えた銀の瞳。

「あいつらはオレ達の復讐にはなんの関係もない。そうだろ、お兄様?」

ある時一度だけ打ち明けられた、総隊長と彼の関係。それはもしかしたら、自分と隼人がなるかもしれなかった、血の繋がらない兄弟のそれと同じだ。

ケインの愛した人は、アイザックの姉だった。

それはこの『ノアズアーク』に集まった全ての人間にある、ありふれた不幸。誰もが大切な人を、特別なものをこの場所に飲み込まれてしまった、それでもその真実すら知ることが出来ない亡霊。

――自分も、その有象無象の一つ。

知らず黄金の散った琥珀色の双眸を細めるのと、ケインが銃を腰の拳銃嚢ホルスターに戻したのは同時だった。

「……お前を隊長から外す。以降はヒューイが部隊を率いろ」

「Yes,sir.」

ざ、と音を立てて蓮含む小隊全員が姿勢を正す。ケインはその姿を一瞥し、正確にはアイザックと蓮を一睨みすると、人混みに紛れて消える。先進部隊の先頭へ向かったのだろう。

濃い金髪の影が見えなくなって、ようやく姿勢を崩す。緊張で固まった身体がぎしりと軋むのを感じて、意識して解しながら。

「……ごめん、ザック」

隣で同じように、手を組んで頭の上に伸ばして解していたアイザックに向かって、蓮は掻き消えそうな小さな声で謝罪する。さっきは彼を身売りするような真似をしたが、心の底では彼に感謝していた。――蓮も本当は、隼人を殺したくなかったから。

2年前の真実は、自分の姉の死の真相は蓮が命をかけても知りたい全てだ。そのためには手段は選ばないし、その覚悟も出来ているつもりだ。

だけど。――かつて共に過ごして笑いあった友達を関係ない事で、私怨で殺すのはどうしても納得できなくて。

だからあの時、アイザックが寄越した拳銃を見て蓮はは、と息を飲んだ。アイザックは蓮のそんな真意を見抜いて、隠していたペイント弾入りの拳銃にも気付いていて、あえて寄こしたのだと気づいたから。

蓮の突然の謝罪にアイザックは銀の瞳を見開いて、そしてなんでもないように微笑する。いつものように張り付いた、軽薄で陽気な笑顔。

「気にすんな。オレも、オレの復讐に誰かを巻き込みたくない」

「隊長降ろされちゃったね」

「元々柄じゃねーんだよな。これで好き勝手できるぜ〜」

「残念ながら、ぼくが隊長になったからには指示通りに動いてもらうから」

「あ、ヒューイてめぇ!日頃こき使われてるからって私情を挟むのはいけないと思いますぅ〜」

「日頃隊員をこき使ってるからだろうが!?」

いつも通りの部隊員のやり取りに、蓮はようやく安堵する。なんの取りとめもない、意味の無いバカ話。

こんな場所ですることではないと注意するべきなんだろうけど、普段のやり取りで少しでも緊張した心を溶かしたいと思って。――それも、手を打ち鳴らす軽い音で終わりを告げる。

「――傾注!」

ケインの右腕であり副戦隊長の号令に、体の芯にまでしみこんだ習性通りに姿勢を正す。ほんの数順前まで文句を言いあっていたヒューイとアイザックの顔からは、感情という感情はもう削げ落ちていた。――勿論、自分もそう。

本隊含む5小隊の最前列。そこにある一際大きな岩石を足場に、ケインは立つ。一何時も揺れることのない、巌のようなコバルトブルー。

「我々は米国政府直轄の秘密組織としてこれまで訓練を重ねてきた。アルベルト・サリヴァンがこの場所に多くの人材を集める理由、発掘した技術や骨董品の占有。その危険度を裁定し世界に一石を投じるためだ」

アルベルトとはまた違った、人に指示を出すのに慣れきった低い声は、地盤で四方を取り囲まれた広間に反射して耳朶を打つ。

だが、と。ケインは尚も続ける。静かに燃える復讐の炎の熱が、意図せずに言葉に乗る。

「ここにいる皆にはそれぞれの理由、それぞれの思惑でこの場にたどり着いた亡霊だ。数多の訓練を乗り越え、血反吐を吐くような無慈悲な戦場を、望まなかったものも多いだろう」

その言葉に、蓮はこの2年を振り返る。それは走馬灯のようで、白昼夢だったらどれだけ良かったかと、思わずにはいられなかった記憶。

人が傷つくのを見ていたくなくて、医療魔法を学んだ。必死に勉強をして、だからこそ7年前姉と共に迷宮区へ来ることが出来た。――それなのに。

多くの戦闘訓練で、骨を折られたことも折ったこともある。

同じ学者の同級生同士の殴り合いも、指導だと言って殴り掛かる上官も見てきた。

スコープ越しに、戦場でなんの理由もなく薬漬けにされ、嬲られ、殺される様を目も覆いたくなるほど見てきた。

そして。――そのスコープの向こうで咲く、鮮血の色の鮮やかさも。

かつて命を救いたいと思っていたこの手は、いつの間にか全く逆に染まってしまった。

――目を開けたらそれが全部夢だったなら。どれだけ救われただろうか。

「『サンクチュアリ』は地獄だと、誰かが言った。だが本当の地獄は目の前の現実リアルだ。無慈悲な戦争に、悼むことすら許されない現実に、我々は今日終止符を打つのだ!」

ケインの言葉に、その場にいる全員が声を上げる。それは感極まって震えていたり、興奮に言葉になっていないものだったり。それぞれがそれぞれの心象で、この時を祝福する。――ついにこの時が来たのだと。

歓声に包まれながら、蓮は隣を一瞥し。

「……あまり喜ばないんだ」

「……まぁな」

そういえば、彼はどうして『ノアズアーク』に入ったのか、その理由を蓮はついぞ知ることは無かった。別段話すことでもないし、そもそも人によっては話したくないものだから。

それが表情に出ていたのか、アイザックは苦く微笑する。どこか痛ましいものを見るような、そんな悲しい瞳。

「オレは正直、姉貴が死んだことをそこまで気にしちゃいないのさ。死んだと聞かされた時には悲しんだけど、それは生きてれば人間平等に来る、ありふれた終わりだからだ」

言って、伏せた視線を前方に向ける。そこにはアイザックたちが持ち帰った四方体を手にした、男の姿。

「あいつの痛ましい姿を見て居られなかったのさ。オレが戦う理由はそれだけ。だから喜ぶと言うよりかは、安心したって気持ちの方が強いのさ」

これでようやく、彼も彼女の死に折り合いがつくだろうと、そう思って。アイザックは銀の双眸を細める。

その視線が不意にこちらを向く。

「だからお前も、これでしっかり折り合いつけて。――あいつらに謝れよ」

一歳しか違わないのに、アイザックのその言葉に、蓮は姉の藤野を連想した。弟を心から心配する、歳上の人の声。

この期に及んでこの男は、人のことばかり。

お人好しなところは隼人に通じるものがあるなと、蓮は微笑して。

「……そうだね」

くしゃりと面を歪めながら、なんとかそれだけ呟いた。

同時に沸き立っていた歓声が、波が引くかのように静まって、やがて静謐な夜の帳のように無になる。副戦隊長が緩く振って落ち着くよう指示を出したのだろう。

「――時間だ」

左手に巻かれた時計を確認すると、針がケインが発した放送の通りの時刻を示そうとしていた。

ケインはおもむろに四方体の持つ左手とは逆、右手を胸ポケットにそえ、ずるりと何かを取り出して高々と持ち上げる。


――それは、透明な球体を満たした赤い液体。


最前列でそれを一番に見たものからその動揺は波紋し、瞬く間にその場を満たす。先程とは打って変わって、得体の知れない何かを見る疑心の声。

しかしケインはなんでもないように聞き流し、そして思い切りその球体を握りつぶした。

「――な、」

歴戦の戦士といえど、さすがに理解を超えた状況に、隣のアイザックはたまらず声を上げる。

硝子の割れるような軽い音と共に、液体はケインの手の隙間から溢れ出て、しかし地面を濡らすことなく、まるで生き物のように動き空中で脈動し、形を形成する。

それはケインの左手に納まるものと、全く同じ四方体だ。

「【聖櫃】を奪われることを忌避したアルベルトは、魔法で【聖櫃】を二つに分けた。ひとつは匣という物体として。そしてひとつは【聖櫃】という概念として。ひとつでは機能しないこれらを手に入れたことで、ようやく我らの悲願は叶う――!」

あの時無線に「意味は無いのか」と返したアイザックの言葉が脳裏を掠める。その時はどういうことなのか蓮にも理解できなかったが、ここに来てようやく納得する。

と、同時。蓮は自分にも理解できない、不確かな引っ掛かりが脳に突き刺さる。

それは2年もの間、戦場で息を潜めスコープを覗き続けた狙撃手としての勘。戦士としての勘が、ここに来て警鐘を鳴らす。

あの球体に納まっていたものは、確かに人間の血液だった。あれだけの量だ、あの血液の保有者はもう死んでいるだろう。

人一人を犠牲にして、かつ【聖櫃】をわざわざ二分にして封印していたのは何故なのか。保管するならひとつにしておいた方が面倒はない。

魔法的にも、手段的にも。この封印方法は手間がかかりすぎる。

その異常さに、蓮は思案する。培われた警鐘と、この違和感に。


――そこまでする理由が。そこまでしなければならない理由が、【聖櫃】の中にはあるのか。

――2年前の真実を話さないのではなく、話せないとしたら。


その答えに行き着いて蓮はは、と目を見開く。もう遅いと知りながら、それでも警告を発せずには居られずに声を張り上げる。

「――待って!」


しかし、その時にはもう手遅れで。ケインの手の中のふたつの四方体は混ざり合い融合し、それはやがてひとつの新しい匣を形成する。

禍々しい、空気に触れて変色してしまった血液のように赤黒いそれは、その不吉な気配とは裏腹にささやかな、それでいて精緻な模様が全体に施されて神々しい。

「さぁ【聖櫃】よ。我らの願いを叶えたまえ。――2年前の真実をここに!」

ケインの言葉に反応するように、【聖櫃】はふわりと飛び上がり、虚空で止まり。

そして。中身をぶちまけるかのように、呆気なく霧散する。


――その中身を見て、その場の全員が凍りついて、言葉を発することも出来ずにただ立ち尽くす。


――中から出てきたのは、人間の心臓だったからだ。


戦場で嫌という程見てきた赤黒く、新鮮な臓物。そして形からして間違いなくそれは、今も尚胸の中で鼓動する心臓の形をしていて。

それを理解したからこそ、全員が全員絶句した。

――これはどういうことだ、と。

しかし、次の瞬間。驚愕と恐怖は上書きされる。

そこだけ無重力なのかと疑うように、空中でひとりでに漂うその心臓は次第にゆっくりと、しかし確かに脈を打ち、やがてそれは興奮するかのように一定の間隔で跳ねる。

まるで生きている人間の様に、どくどくと。

そして、それに呼応するかのように、蓮たちが立つ地面も蠢いて揺れる。両の足でしっかりと踏ん張っていないと、投げ出されるまでの振動。

「な、なんだっ!?」

何処からともなく上がった声を皮切りに、恐怖は伝播する。

「――伝令!」

「っどうした!?」

押しつぶされそうな恐怖の叫びと声の中、伝令役の隊員の声を蓮の耳は確かにとらえた。誰もが狼狽える中、それでも必死に冷徹に徹するケインの声も。

「周囲の警戒に当たっていたデルタ、チャーリー、ベータ各隊からの連絡が途絶しましたっ」

「『タキオン』からの襲撃か?」

「いえ、それが……」

珍しく言い淀む伝令役の態度に業を煮やして、ケインは胸倉を掴みあげる。

「なんだ!?はっきり言え!」

「…っ、チャーリー分隊との最後の無線で、声が聞こえたんです」

「声…?」

その時には様子がおかしいことに気づいて着いてきたアイザックと共に、ケインの前に蓮は飛び出してきていて、だから伝令役の言葉も目の前で聞くことが出来た。

――それはすぐに、聞かなければよかったと後悔することになるとも知らず。

恐怖と興奮が入り交じった蒼白な顔で、伝令役はか細い声で言葉の続きを口にする。


「仲間たちの絶叫と、何かの咀嚼音に紛れて。――子供の声みたいなのが、聞こえたんです…っ!」


「――ぎゃあああああああああああああああああああああ……っ!」

問い質す間もなく、伝令役の声に被せるように、その絶叫は凄惨に広間に響き渡る。その声はやがて掻き消えて、残ったのは何かを貪る咀嚼音。


ばりばり。

ぐちゃぐちゃ。

――ごくん。


その音はこの広間の出入口から聞こえてくるが、その真逆に立っていた蓮達には様子を見ることは出来ない。

その咀嚼音はなんなのか。

何を食らっているのか。

――何がいるのか、その何もかも。

訳の分からない現場で、それでもなんとかすり減る理性を繋ぐので精一杯だった。

それでも、変化は止まらない。

ひとり、またひとりと叫びを上げ、その数だけ鳴り響く咀嚼音。

そうして誰も彼も、何もかもを理解出来ないで立ち竦み、叫び声と咀嚼音だけが響く静寂の中、唐突にその声は無邪気に笑う。

見なくてもわかるほどに、凄惨な笑み。

楽しげに。愉しげに。娯しげに。


そして。深淵の底なしの闇から、確かに人の言葉でこう聞こえた。


「――あ そ ぼ うよ」

次回更新で三話前半終了予定です!いや~忍び寄る恐怖というか、小説でホラー描写って結構難しいですね…

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