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アノニマス||カタグラフィ  作者: 和泉宗谷
Page.3(上):昔馴染みと聖遺物
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3-3.暗躍する闇

自称現在進行形の迷える子羊、ルーク・イグレシアスの1日は礼拝堂の清掃から始まる。用事がある日もない日も、迷宮区に潜る日もそうでない日も欠かさず毎日こなしてきた、子供の頃からの習慣。

だから今日も同じように朝日も昇りきらない早朝に起床して、1人でせっせと竹箒を振るう。同じく朝日と共に起き始める子鳥のさえずりだけが、一人しかいないだだっ広い空間を彩る。

「……こんなものでしょうか」

誰に対しても、誰もいなくても敬語を使ってしまうのは無意味と知りつつ、そのように育ってきたのでもう変えられない口調で呟いて、額に薄く溜まった汗を拭う。こんな早朝でも、夏という季節は獰猛に牙をむく。

集めた塵をちりとりにまとめて、それらを所定の掃除用具入れの小屋に戻して。ようやく前準備が整う。

左右に均等に並べられた座席の中央。通路の真ん中で跪いて、頭を下げる。

「――主よ。どうか今日も神の御加護を」

外からの淡い朝日を通して7色に輝く、聖母マリアを象ったステンドグラス。その色彩を一身に浴びながら、ルークは祈りを捧げる。

ひ弱な自分と、彼女のために。

こう言うのもなんだが、自分は滅法運がない。無事に日々を生きていたいのに、次の日には隣人が死んでるような場所に連れてこられた挙句、あの悪魔みたいな超人麗人にこき使われる日々。

昔の小石につまずいて骨折やら、最後の1個のスウィーツを横から掠め取られた過去なんて、この数年に比べたらまだマシだ。

元々実家が教会だったこともあり、気がついたら毎朝の祈祷が日課になっていて。何となく、その日一日の運回りを感じ取れるようになっていた。

だからその時、ルークは気づいてしまった。――今日は何だかヤバそうだぞ、と。

そうしてただでさえ戦闘スキルの高くない彼が、潜んでいた殺気に気づけなかったのは無理もない話で、気づいた時には血色の悪い細首が何かに締め上げられて持ち上がる。

生き物の反射で首を掻きむしって、ようやくワイヤーで括られていることに気づくが、気づいたところで何が出来るわけでもなく、打ち上げられた魚のように宙に浮いた足をばたつかせ、空気を求めて喘ぐ。

「――ルーク・イグレシアスだな」

どす黒い邪気を孕んだ、低い声。トーンからして男性だと分かる聞き覚えのないその声に、締め上げられて引き攣る喉からは残った空気が漏れ出す音しかルークは返せない。

背後に立つ男も返答は望んで無いようで、淡々と続ける。流れ仕事をこなすように、自然に。

「最奥部への入口はどこにある」

「……っ?」

「……お前も記憶を消されたか」

ルークの態度を見るやいなや、男はゆるく首を振る。この男の言葉の全てを、ルークはまるで分からず狼狽えるだけ。

それも、続く言葉で逆転する。

「では。『聖櫃』はどこにある」

『聖櫃』。その言葉にルークは僅かに身を強ばらせる。彼からしてみれば隠した方だったが、背後の黒ずくめの男には十分すぎる、確かな動揺。

それを見逃さず、首を絞める力が強くなる。僅かに残った空気すら絞り出されて、ちかちかと視界に散る火花。

「言え。言わなければ殺す」

涎と冷や汗と涙とでぐしゃぐしゃになりながら、それだけはダメだと己に言い聞かせる。

ひ弱でちっぽけでなんの取り柄もないダメ人間の自分だけど。だからこそ、それだけは言ってはならない。

唯一の彼女を、守るために――!

「……ルーク?」

きい、と扉を軋ませて第三者が顔をのぞかせたのは、意識が暗転して遠のく直前。

来ては行けない、そう叫ぼうとしても締め付けられた喉からは、声にならない掠れた呼吸だけが吐き出され、それは相手には届かない。

僅かに開いた扉から覗かせた彼女の顔が強ばるのと、首に取り付いていた圧迫感が無くなったのは、ほぼ同時。

支えを失ったルークは、大理石の床にそのまま頽れる。

オパールグリーンと、それを飲み込む漆黒の左顎から首にかけての大きな古傷。霞む眼鏡のフレームの奥の黒瞳は最後に映し、ルークは意識を手放した。


*****


ただでさえ第一級調査員資格を持つ近中距離戦闘のエキスパートなんていうチートがいる上に、それでなくとも個々人が学院において最上位と評しても何ら遜色のない人間が3人もいるのだ。この結果はなんというかまぁ、なるべくしてなったと言ってもしょうがないだろう。

『――さて、ランキング戦もいよいよ大詰め!数々の修羅場をくぐりぬけ、決勝戦へ勝ち進んできたのはこのチームだ!』

この1週間で嫌という程聞きなれた、実況担当の男子生徒のがなり声を白い聖石越しに聞きながら、隼人は迷宮区第10階層の入口でため息を着く。

理由は簡単。なぜこんなことになったのか。

くどいようだが、隼人自身は留年の撤回条件であるランキング戦上位に入ることが出来ればそれで満足なのである。それは『ケリュケイオン』のメンツみんなが知っていることでもあるし、このランキング戦の最中も口酸っぱく唱えていた。それなのに。

「……なぁ。もういいんじゃないか」

「「1位以外はありえない」」

ヴァイスとレグルスのハモりに、隼人は愚かオリバーさえももう言い返す気力はなく。蓮に至っては普段通りのマイペースな笑顔。

このふたりとしては隼人の『落ちこぼれ』というレッテルを学院中から撤回させる良い機会だと思っているようだが、隼人は正直『落ちこぼれ』という肩書きなら肩書きでいいと思っているのだ。目立つのは嫌いだし。

まぁもうここまで来てしまったのもしょうが無いし。隼人以外の人間の力があってこそだというシナリオにしておこう。

「や。やっぱり来るならお前だと思ってたぜ」

快活な声に、軽快な足音。砂利を踏みしめ迷宮区の地面へ降り立つ音を背後にとらえて、隼人は振り向く。

1週間前と同じ、赤茶色の髪に、今はその時よりも獰猛な光を強く宿した銀の瞳。

『ノアズアーク』団長、アイザック・リー。

「日本人が一度した約束はきっちり守るって噂は本当だな」

「いや、それとこれとは話が違うでしょう、」

「non!違うぞハヤト!」

バッテンを表すように胸の前で両手をクロスさせて、アイザックは近づき隼人の肩に手を乗せて。

「敬語なんてつれないぜ。オレたちもう戦友…だろ?」

なんだそのノリは。ついていけん。

と謎のキメ顔で距離をグイグイ詰めてくるアイザックの赤茶の頭を無造作に掴んで引き剥がす。距離感も頂けないが、背後の冷え始めた空気を察したからだ。

アイザックも挨拶以上の意味はなかったようで、大人しく距離を離す。

「でもどうしてだ?俺は学院一の落ちこぼれ。あんたのお眼鏡にかなうとは思えないんだが」

「お前の目だよ」

お言葉に甘えて敬語も敬称も全部とっぱらった素の口調でおどけてみせると、アイザックは間髪入れずに即答する。自分の銀の瞳を指さしながら。

「一目見ただけで分かったよ。お前は実戦を経験したことがある。人の死を、目の当たりにしたことがある」

それは迷宮区においては日常茶飯事だ。だからといって生徒全員が血や臓物や死体をみて血相を変えたり、吐き気をもよおしたりと言ったことがないとは言えないが、慣れざるを得ない。

だから、アイザックが言っているのはそういうことではなく。

本物の戦場を。殺し合いを。そういったものを見たことがあると。そう言っているのだ。

深紅の双眸を不審げに眇めて、隼人は認識を改める。

アイザック・リー。おどけたその表情の裏の、獲物を追い詰める狩人の如く鋭い観察眼を。

そんなお互いの化かし合いも、ランキング戦決勝戦を告げるアラートで終わりを告げる。

「時間だな。お互い全力を尽くそう」

「あまり期待されても困るんだが」

「ま〜たそういうこと言う」

向かい合っていた両チームが踵を返し、それぞれのスタート地点へと向かう。

その最後。振り向かずに背中越しにアイザックはこう呟いて。


「期待してるぜ?――お前が導いてくれることを」


*****


『さーて。決勝戦が始まってから早30分と言ったところですが、今のところ両チームとも動きはないようですね』

『決勝戦は予選までと違い【フラッグ戦】。つまり、優勝賞品である【聖櫃】を入手し各々のスタート地点へ先に戻ったチームが勝利ですから。まずは【聖櫃】が見つからなければ動きようがありません』

『時間制限もありませんからね〜。虱潰しに探すには、迷宮区は広大ですからね〜』

なんて、外では未だ動きのない決勝戦の様子に沸き立っていた熱気も落ち着いてしまっているようで、気の抜けた実況が白の聖石を通して伝わってくる。普段無駄にテンションの高い、例の実況担当のノリ担当に関してはこのくらいで丁度いいが。

「……そっちの空洞はどうでした?」

「ダメだ。聖櫃のせの字もねーよ」

「こっちじゃないのかもね〜」

3人の生徒が通路の真ん中に集結し、各々の結果を報告し合う。『ノアズアーク』所属のカノン、ケーニッヒ、アイラという名の生徒たち。

それぞれ近接、重戦士、回復術士の獲物の音を鳴らしながら。

「じゃあザック達と合流を、」

「なぁんだ。こっちにはないんだ」

3人の誰でもない、歳若い子供の声。なんの前触れもなくするりと会話に参加した第三者の声に、3人は即座に背後を振り返る。

「せっかくオレが見つけて、ハヤト先輩にプレゼントしようと思ってたのに」

「そんなことを考えていたのか君は……」

薄桃色とマリンブルーの色彩の。年の離れた兄弟に見えなくもない身長差をした影が、岩陰から音もなくするりと舞い降りる。

「オリバー・ブルームフィールドと、レグルス・アマデウスだな」

「直接のご挨拶はまだだったね〜お兄さんお姉さん方」

挑発するような声音で、レグルスは小柄な身体を媚びるように捩りながら口の端を緩める。

「珍しい組み合わせだね。君たち2人は犬猿の仲だと思っていたんだけどな?」

「それはオレもそう思うよ。誰が好き好んでこんな貴族のお守りをしなくちゃいけないんだか」

「君がお守りをされている立場だろうが現在進行形で」

虫けらを見る目で一瞥され、オリバーは呆れに思わず眉間に皺がよる。自分も指示でなければ誰がこんなに可愛げのない子供と好き好んで一緒にいるものか。

悪徳錬金術師が運営していた系列孤児院は、現在ブルームフィールド家が後見人として存続させている。本当なら各々別の孤児院に収容したいところであったが、あまりの数にそれが困難だった為の応急処置である。

現在本家ではバックアップ体制や、他のフランス貴族に掛け合って体制を整えつつあるのだが、現状の子供たちの様子を、年長組であるレグルスにオリバーは定期的に確認を取っているのだ。

11歳の。まだ親の庇護下に置かれるはずの、孤児の少年。その彼が孤児院の年長。――それ以上の孤児たちはみんな、非合法の人体実験を生き残れなかった。

そんな彼に、表には出さずとも少なくない同情の念を抱いてしまうのは、貴族の出過ぎた行いを統括する『調整者』のオリバーであったとしても、しょうがないのだけど。

「ハヤト先輩もどうしてこんな貴族と一緒に組ませたんでしょう。本当萎えるわ」

ここまでコケにされれば、さすがに腹は立つ。オリバーだってまだ17の少年なのだから。

口の端をぎこちなく緩ませて、額に青筋を浮かべて。ぎぎぎ、と音が聞こえそうなほどの機械的な動きで隣を見下ろす。

「それは私も同じだよ。こんな薄汚い孤児の面倒を見る羽目になるなんてな」

「なに?やる気なの?」

「君がやるのなら私は止めんが?」

仲間同士の間で火花が散る。その光景を『ノアズアーク』のメンバーはあっけに取られたように眺める。ぽかんと口を開けて呆然と。

――それが、命取り。

じゃら、という金属音が背後で鳴ったと思った時にはケーニッヒの丸太のように太く筋肉質な脚は絡め取られ、背後の迷宮区の壁に激突する。

瞬く間に土煙によって視界がゼロになった戦場で。まるで面倒な買い物を頼まれた兄弟のように、自然な声音で。

「まぁでもまずは、ハヤト先輩のお使いを済ませてからかな。手出ししないでよオレ1人で褒めてもらうから」

「別にクサナギに褒められたいと思ったことは1度もないからご自由に」

緊張感の欠けらも無い会話から、戦端は切って落とされた。


*****


迷宮区『サンクチュアリ』第10階層北側。ランキング戦決勝戦が行われている舞台で、オリバーとレグルスと二手にわかれて【聖櫃】を探す隼人は、ふと足を止めた雪白の少年を振り返る。

「どうした?」

「……音が聞こえた」

音?と尋ねる前に、遠隔音声通信機能の能力を持つ聖石から声が上がる。あの無駄にテンションの高い実況担当の声。

『あぁーっと!ようやく南側にて動きがありました!【ノアズアーク】の3人と【ケリュケイオン】の2人による戦闘開始だぁ!』

『数では【ケリュケイオン】が不利ですが、最初に盾役を潰した事で有利に持ってきていますね』

「……ってことはあと2人、どっかにいるってことか」

この広大な迷宮区内でひとつの宝を探すとなれば、当然相手もわかれて虱潰しに探すことを考えるだろうと、隼人はそう考えたからこそ二手に分かれたのだ。ある程度戦力、戦法共に均等になるように。

……別れ際、レグルスにしつこいくらいに縋り疲れたのを引っペがすのに無駄な体力を浪費してしまったが。

「あっちは西から回ってたはずだから、向こうにはなかったかな?」

「東はなかった。とすればあとは北側だけ」

東チームである蓮とヴァイスの指摘を聴きながらふむ、と隼人は口元に右手を当てる。

第10階層は広い空間がいくつもある、開けた階層だ。さらに無数とも言える抜け道が蛇の胴体のように複雑に絡み合っている、まさに迷宮と言えるフロア。

だからこそ二手に分かれて、予め予想を立てた場所を片端から巡回していたのだが、ここまで来れば残りは自ずと絞られる。

だが。

「……上手く行き過ぎる」

「待ち伏せされてるってこと?」

「分からない。だけど妙に引っかかる」

胸の辺りの判然としないモヤ。この決勝戦が始まってからずっと感じている胸騒ぎの理由は、隼人とて分からない。

まるで、誰かの手の上で踊らされている。そんな気味の悪い舞台の脚本のような。

「……あれじゃないのか」

薄気味悪い感覚に埋没している隼人の隣から、ヴァイスはふ、と声をかける。白磁の細指が指し示す方向、開けた広間の中心には、迷宮区内にあるには不自然な質素なテーブルと、その上には見慣れた黒い四方体。

遠目からでも見て取れる。神秘宿すアンティーク【聖櫃】は、何となしにひっそりと置かれていた。

「まだ向こうのチームの人はいないみたいだね」

「ならさっさと終わらせよう」

素早く周囲を確認した蓮の言葉を聞いて、ヴァイスはするりと隼人の隣を抜ける。

「早く終わらせれば、ハヤトの懸念も解消される」

すれ違いざま、気遣うようなトーンでヴァイスは隼人にそう言って、1歩と【聖櫃】に近づいていく。それを追うようにして、隼人も追随。

それでも、隼人の懸念は消えなくて。むしろ胸のざわつきは大きくなる一方だ。

何もおかしなことは無いはずなのに。何も引っかかる部分はないはずなのに。

いや、と。隼人はふと足を止めて立ち尽くす。柳眉の下で眇められる、深紅の双眸。


何も無いから、おかしいのか――?


隼人がその結論に辿り着くのと、【聖櫃】を拾い上げたヴァイスの右腕が吹き飛んだのは、全くの同時。


「――っ!?」

宙を舞う、蒼い血潮。その空間だけが世界から切り取られたように静止する中、さすがと言うべきかいち早く正気を取り戻したのはヴァイスだった。

吹き飛んだ右腕を見開かれた瑠璃の瞳は一瞬だけ映し、すぐさま左手で背中の拳銃嚢ホルスターからもう一丁の自動拳銃を引き抜き、襲撃者の方向へ銃口を向ける。

しかし、引き金が引かれる前に左手には風穴が開き、その反動で拳銃は零れ落ちて地面を転がる。今度は右腕を撃たれた方向とは、全くの反対側からの射撃。

重心の崩れたヴァイスは、そのままの勢いで自分から湧き出た血溜まりへ音を立てて沈み込む。

音もなく、第3の襲撃者が撃鉄をおこす鈍い音が耳朶を打った気がした。

そう思った時には隼人は全力で地面を蹴り抜き、蒼い血溜まりで藻掻くヴァイスの前へ躍り出る。

弐――壱――零。

ここだと思った瞬間に、隼人は左腰に佩いていた神刀を抜刀。居合切りの要領で何も無い空間を斬りあげる。

僅かに、けれども確かに何も無いはずの中の空間の何かを斬り裂く感触。それを感じたと思った時には、背後の壁に銃弾がめり込む金属音が響く。

――ことん、と。天高く舞い上がっていた【聖櫃】がようやく地面を打つ音。それ程のわずかな時間の攻防。

「っハヤト、」

ヴァイスの呼び掛けにも隼人は動じず、油断なく前方に刀を構えながら、背中越しに振り返る。

そこに居るはずの、襲撃者を深紅の双眸に映しながら。


「なんのつもりだ。――蓮」


振り返った先の昔馴染みは。今まで見た事もない感情が消えうせた、虚ろな琥珀の瞳で構えていた狙撃銃を下ろした。


「まさか銃弾を斬られるなんて。やっぱり侍はみんなそんなアホみたいな芸当できるのか?」

隼人の問いかけには答えず、構えられた刀なんて見えていないかのようにかけられる声。その声には聞き覚えがあって、だからこそ隼人もごく自然に挨拶をするように答える。

「行動不能になった用済みを処分するなら、次は頭だと思ってね。俺もあんたを信用したんだよ。――アイザック」

「それは嬉しいようで悲しいような」

ひょいと肩を竦めながら、アイザックは隠れていた通路から歩み寄る。その後ろには『ノアズアーク』の最後の構成員である、魔法支援タイプの魔法師の少年。

「せっかくいい線いってたと思ったんだけど。どこで気づいた?」

「ついさっきまで何も思わなかったさ。ただ、逆に静かすぎると思っただけだ」

それと、アイザックの言葉。

導いてくれることをと言った、彼のセリフ。

「そこの魔法師の魔法を使って、つけてたんだろ」

「あちゃー。もっと音を立てればよかった?」

「お前はいつも気に入った相手に油断しすぎだ」

アイザックの剽軽なノリに、魔法師の少年は呆れながら叱責する。

「アルファ小隊から各員。お目当てのものは確保した。次の指示を」

ヴァイスの千切れた右腕から【聖櫃】を拾い上げ、アイザックは耳にしていたインカムにそう告げる。その事務的で、機械的な動きは、やっぱりどこかで見覚えがあって。

「軍の連中が聖遺物に何の用だ」

「正確には軍属ではなく、軍で指導を受けた秘密結社のメンバーなんだなこれが」

隼人の確信をつく言葉にも動じないアイザックは聖グリエルモ学院の一生徒ではなく、戦場に立つ兵。軽々とした口調はそのままだが、銀の双眸にはどこまでも冷徹な殺気が宿っている。

「こいつはオレ達のボスがご所望でね。オレ達みんなの悲願と言っても過言じゃない」

アイザックは1度そこで言葉を切る。先程のまで浮かんでいた殺気とは真逆の、悲痛な瞳。

「この2年間、このためだけに生きてきたんだ。――だから、」

音もなく背後に忍び寄っていたヴァイスの回し蹴りを首を振るだけで躱してみせると、逆に掴みあげて組み倒す。

絶妙な具合で組まれた腕の下で、ぼきんと骨が砕かれる音が空間に響く。

「――っあ"…!」

「邪魔する奴には容赦はしない」

赤子の手をひねるように、あの『死神』が組み伏せられる。それは当然の理だ。

ヴァイスは対迷宮生物相手には無敵だろう。対人戦も、その辺の有象無象相手であればなんの不足もないほどの、絶対的な力。

しかし、対するアイザックは。軍人は、対人戦闘に特化した機械化歩兵。どこをどうつけば相手は油断し、相手を殺すことなく痛めつけられるのか。その技の全てを叩き込まれているのだから。

「もう攻撃手段も持てない相手を嬲るなんて。いい趣味とは言えないよ、ザック」

隼人の隣をするりと抜け、ヴァイスの上に馬乗りになるアイザックに向けて蓮はそう吐き捨てる。やはり聞いたことの無い、絶対零度の声音。

「オレ今まさにこいつに殺されかけましたけどー」

「彼に対しては警戒を厳にしろって俺言ったよね」

「相変わらず可愛げのないやつ」

「……どうしてだ、」

零れた声は自分でも驚くほど軋んでいて、震えないようにするのが精一杯だった。悲しみではなく、怒りによる震え。

ぎり、と歯を砕かんばかりに食いしばって、隼人は蓮を問い詰める。

「どうしてお前がこんな事をっ。お前はそんなにも2年前のことが知りたいのか!」

人を嬲って裏切って。そうまでして得たいものが、2年前の真実が、それほどまでに重要なのかと。

――それほどの価値があるものなのかと。その執着が、隼人には分からない。

一瞬の間。しんと静まり返った空間で、ややあって蓮は振り返る。

冷徹な瞳はそのままで。しかし明けることのない悲嘆にくれた琥珀の双眸。

それを見て取って、隼人は深紅のそれを見開く。

「……隼人は俺の姉さんと一樹さんが好き合っていたのは知っていたよね」

予想外の言葉に、隼人は返答に困って口を噤む。どうして今その話を?

蓮はそんな隼人の様子を気にも止めず、話を続ける。おもむろに白のブラウスに手をかけながら。

「俺は応援しようと思ってた。ずっと張りつめていた姉さんの表情が、あの人の前でだけは穏やかなものになったから。だから誰が反対しようとも、俺だけはずっと見守りたいと思ってた。――だけど、」

手がかけられていたブラウスが、力いっぱい引かれる、その下の肌が顕になる。

そこにあったものを、隼人の凍りついたように固まった瞳が釘付けになって、絶句する。


そこには、右肩から左腰。袈裟斬りに一文字に刻まれた、焼き爛れた刀傷が横たわっていたのだから。


一目みて、その傷が何を意味するのか瞬時に理解してしまう。

普通の刀傷では無い、火傷を伴うその傷は。


「――姉さんは、愛したはずのあの男に殺されたんだ!」


そう叫んだ蓮の琥珀の瞳には、想像を絶する憎悪と怒りの炎が燃え盛っていた。

その声は地下迷宮の壁にぶつかり、跳ね返り、隼人達の空間に響き渡る。

「『天羽々斬』の守護がある姉さんをここまで傷つけられるなんて普通はありえない。痛覚共有でここまでのフィードバックが来るなんて初めてだった。だから俺は悟ったんだ。――2年前のあの日に、姉さんは一樹さんに殺されたんだって」

『天羽々斬』と真逆の性質を持つ、『天之尾羽張』によって。

だから、と。蓮は隼人を睨み返す。信じていた親に、親友に。裏切られて途方に暮れて泣く子供のように。

「俺は真実を知る権利があるはずだ」

その痛ましい言葉に、隼人は何も返せなかった。ここで何かを返せる権利は、一樹の弟である隼人には無い。そう無意識下に思ってしまって。

――自分の言葉は、全て彼を傷つける。

「――はぁ?じゃあこの【聖櫃】意味ないんですか?戦隊長」

先程のインカムに向けた言葉の返答が来たのか、アイザックは声高に文句を口にする。どうやら別働隊。――本隊でも動きがあったようだ。

「え?ちょっと何言ってるかわからないですけど。……えぇ、はい。じゃあとりあえず持っていきますね。それでその人はどうしたんですか?」

その問いの答えを、隼人は知る由もない。しかしアイザックの僅かに動いた眉から、想像はできる。

――殺したのだろう。なんせ、計画を知られた相手を生かしておく理由なんて無いのだから。

「……了解。本隊に合流します」

通信終了の合図と共に、依然として藻掻いていたヴァイスの上から退くと、アイザックは二人に指示を出す。初対面の彼からは想像もつかないような機械的に、事務的に。

「本隊と合流する。オレたちが合流次第次の行動に移行する。ヒューイ、ケーニッヒ達にも適当に片付けて合流しろと伝えろ」

「了解」

「それと蓮」

転がっていた拳銃を蓮に向かって蹴り渡す。左手を撃ち抜かれた際に取りこぼした、ヴァイスの白銀の自動拳銃。

「――戦隊長からの命令オーダーだ。目撃者は全員殺せ」

端的に簡潔に。それだけ言うとアイザックとヒューイは出てきたものと同じ通路へと踵を返す。

2人の姿が消えたと同時。蓮は微かな音を立てて拳銃を拾い上げる。

弾倉を確認して撃鉄をおこし、油断なく両手で構えて。照準は隼人の眉間の一点。

「っやめろ!」

両手を失い、足の骨も折られたヴァイスは立ち上がることも出来ずに、蒼い血溜まりの中で叫ぶことしか出来ない。そんな悲痛な、切実な声はしかし、緊張で高まった自分の心臓の鼓動ががなって隼人にはどこか遠くにしか聞こえなくて。

――この距離では、起動を計算する前に銃弾が脳漿をぶちまける方が早い。

きり、と引き金が絞られる。


「君とはもっと違う形で、再会したかったよ。――隼人」


突きつけられた銃口の先。泣き出すのを必死に堪えるようにキツく細められた、潤んだ琥珀の双眸。

火薬が爆発する音とその瞳が、隼人が最後に見聞きした全てだった。


*****


――ガっ、という異物音と共に、全チャンネルをハックされた映像が全世界へと配信される。

砂嵐でブレる動画の中央には、ガタイのいい金髪のアメリカ軍人。


『――我々は英国時間午後15時をもって、アルベルト・サリヴァンがひた隠しにしてきた2年前の真実を暴く。迷宮区で死んだものを悼む権利も、現地で生み出される最先端技術の全てを独占する、かの者に鉄槌を下す時がついに来たのだ。――我々は【ノアズアーク】。2年前に全てを狂わされた人間全てを救済する、希望の舟』


左顎から首筋にかけての古傷が目立つ、コバルトブルーの双眸を持つ青年はそれだけを言い残し、映像はそこで途切れて終わる。

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