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アノニマス||カタグラフィ  作者: 和泉宗谷
Page.3(上):昔馴染みと聖遺物
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2-2.パンドラの匣

もう何度目かになる、木刀が木剣に打ち払われて遠くに落ちる音。それを今まさにぶっ飛ばされて何も無くなった、己の手のひらの虚空を見ながら隼人の耳は捕える。

「正攻法だと本当からきしだな、クサナギ」

隼人の木刀を振り払った木剣を軽く振りながら、オリバーはこれまた何度目かのため息を零す。

あれから何度か模擬戦をしてもらい、やっぱり勝てずにムカつくので再戦に再戦を重ねて、彼方の地平線に太陽が沈み始めた薄暮。

やはり涼しげに見下ろす紫の瞳を、隼人は恨めしく見上げて。

「……貴族のくせに」

「関係ないだろうが」

憎まれ口をこれまで浴びせられながら、それでもなんやかんやで付き合ってくれるオリバー面倒見の良さに、性根は真面目なんだろうなと隼人は思う。

まぁ、リュカオンに聞いた通り短い人生の人付き合いで、ひねくれた傲慢な性格も確かに持っているので、素直に礼を言う気にもなれないが。

と、弾き飛ばされた木刀を拾い上げながら。

「センスがあれば良いんだが。君は型とかそういったものを習得した方が良くなると思うが」

「ん〜つってもそんな知り合いいないし」

「兄君の真似でもしてみたらどうだ」

兄、ねぇ。と隼人は当時を思い出す。手頃なものがないからと神刀でスイカを捌いたり、どっかのアニメに触発されて大きな岩石を斬ろうとして模擬刀を真っ二つに砕いたり。

…………全く手本にならねぇ。

そんな一樹もいざ戦闘となればそのちゃらんぽらんな私生活とは真逆に、洗練された無類の強さを誇った。当時猛者集いの『大和桜花調査団』においても、トップ3に入った実力者。

掴みどころがなく飄々と。その場その場で繰り出される変幻自在の我流剣術。それが草薙一樹の剣術だ。

そうして当時を思い出して、そしてふと思い出す。

そういえば。

「兄貴よりも、あの人の方が手本になるかも」

「あの人?」

合点がいかずに首を傾げるオリバーに、あぁ、と隼人は返す。

「蓮の姉貴だよ、九重藤野。『大和桜花調査団』で団長の次に強かったんだ」

「あのココノエの…?」

蓮の名前が出たことで、オリバーは胡乱げな紫眼で斜め上を見上げる。頭の中では先程まで一緒にいた蓮のぽやぽやとした顔が浮かんでいる事だろう。

「すっごい美人なんだけど、だからこそ圧があるというか、随分と男勝りな人だったよ。女だからって舐められることも多かっただろうけど、一回剣を交えれば誰も文句も言わなくなった」

全てを清め、静謐な異空間を作り出す能力を持った『天羽々斬』の使い手。普段は一樹よりも男気のある性格のくせに、ひとたび剣をとれば流れる清流のごとく一切の乱れのない、綺麗な型。

荒っぽい我流剣術といい、『炎』の性質をもつ刀といい。ことある事に並べられた2人は、調査団の『二天』と呼ばれることもあった。

隼人の評価に興味を示したのか、オリバーは口に手を当てながら。

「ならば1度見てみたいものだな」

「風の噂で迷宮区に残ったって話は聞いたけどな」

そういえば、先程議題には上がってこなかったなと隼人はふと思い出す。そもそも迷宮区に残っていると聞いてはいるものの、ここに来てから半年間彼女の姿も見ていない。

彼女ほどの腕があれば『タキオン』に所属していても不思議は無いのだが、ヴァイスからもそんな話は聞いていない。

まぁ、また今度時間がある時に蓮に聞いてみよう。と隼人は一人で完結させて、当時の藤野の姿を夢想する。

確か――。

7年前。自分はあくまで戦略指揮官だからと前線部隊でも後方に控えていた頃。自分の兄と、その隣に立つ絹糸のような濡れ羽色の紗幕。

何度も見た、手本のように一切の綻びのない太刀を思い出しながら、なぞるように。

しん、と木刀の切っ先を正眼に構え、そして。

「――ふっ!」

短い呼気と共に空を斬る。左下段から斜め上方の右上段へと振り上げるその動きは、頭の中では完璧だった。

が。


「「あ」」


左下から右上に隼人の持てる全力で振り上げられた木刀は。――物の見事に右手からすっぽ抜け。華麗な弧を描いて夕闇の空を飛んでゆく。

が、不幸はそれだけにとどまらず。丁度すっ飛んだ木刀の着地点付近には横切る影が一人分。

このまま行けば間違いなく、激突コース。

「――危ない!」

そう叫んだ時には既に影近くまで木刀は迫っており、これは謝罪だけでは済まないぞ、とこんな時でもどこまでも冷静で冷淡な脳裏で考えながら無駄な足掻きと知って手を伸ばし。


――瞬間。その影は必要最低限の所動だけで、背後から飛来した木刀をひらり、と躱す。


さらに、躱しきったあとについでと言わんばかりに伸ばした手で木刀を空中で掴み取るという荒業さえやってのけ、その影はしかし何事も無かったかのように振り返る。

「すみません、大丈夫ですか?」

「俺であれば問題ない」

硬質な声に、隼人は相手が歳上なのだと直感する。自分よりも高い場所から見下ろす、澄んだコバルトブルーの瞳と黄金の髪。

全身黒色の、しかもフードまで被った服装で完全に闇と同化していた男は、闇から溶けだすようにしてゆるりと隼人の前に立つ。

「しかし次からは気をつけることだ。かすり傷では済まないからな」

「いや、本当にすみませんまさかすっぽ抜けるとは…」

自分の醜態に隼人は目を逸らしながらからからと笑う。さぞ空々しい笑顔をしていることだろう。

しかしそんな隼人の様子は、別のことを思案している様子の男には気にならなかったようで。

ふむ、と口に手を当てて少し考える素振りを見せ。

「そうだな。お前はどうにも貧弱すぎる」

ぴと、と。いきなり腹を触られて。

「――ひっ?!」

特にいやらしい手つきで触られた訳では無いのだが、なんの前触れもなかったことと同性だということもあり、自分でもどっから出したんだという声で隼人は悲鳴を上げる。

が、男の所業はそれだけにとどまらず。

「背中も足も腕も何もかも、まるで枯れた木だな。こんな身体で刀なんぞ振るえるものか。ただ死ぬだけだ」

べたべたべたと。背中や足や腕やその他色々とまさぐられて。

「いっ、いきなり何するんだよあんたはっ!?」

いきなり初対面の人間にこんなことをされて、生粋の日本人の隼人は耐えきれずに今までのことなど全てすっ飛んで絶叫とともに突き放す。

日本人ではなくても普通は驚くし、悪ければ警察沙汰だ。

しかし、たたらを踏んだのは突き飛ばした隼人の方だった。

え、と驚きに深紅の双眸を見開いて、改めて目の前の男を見る。着痩せするタイプなのだろうか、しかし触れれば一瞬でそれと分かる、無駄なく鍛え抜かれた身体の男性のシルエット。

男性は誇示することなくその腕を胸の前で組んでみせながら。

「遠目で拝見していたが。お前は先ず身体を鍛えて体力をつけるのが第一だ」

と、遅れて駆けつけたオリバーを指さして。

「そこの彼は細身に見えてきちんと剣を使う身体に仕上げているぞ」

戦士の肉体だと、そう言って男はコバルトブルーの双眸を眇める。その瞳にはなんの感情も浮かばず、努めて機械的のような伽藍堂。

それはいつかのヴァイスのようでいて、しかし彼よりももっと根強く張り付いてしまった鉄仮面のようで。

――どことなく、破滅的だ。

「では、私はそろそろ失礼する」

左手首に巻いた無骨な腕時計を一瞥し、男は端的に言ってからくるり、と踵を返すと元々目指していた場所へと去っていった。

振り返る一瞬、左顎から首筋にかけてまでの大きな古傷を、深紅の瞳は確かに捉えた。

入れ違うように隼人の隣にオリバーが追いつく。視界の端にちらつく、マリンブルーの長髪。

「見ない顔だったな」

「そうだな。どこかの調査員かなにかだろ」

「何を話していたんだ?」

問われて先程までの男との一部始終を思い出し、隼人はなんとも言えない表情になる。知らず自分の身体を抱きしめながら。

「枯れ木って言われた」

「は?」

「いや、剣を使うには筋肉が無さすぎるって」

補足の説明に得心がいったのか、オリバーは右手を口に当てながら熟考し。改めてと言うようにマジマジと隼人の身体を一通り眺めて。

「まぁ確かに」

「んな事言ったって、オリバーだってそんなにないだろ」

「愚か者め。私は5歳の頃には既に剣を握っていたのだぞ。貧弱な君と一緒にするな」

「あ"?そんなに言うなら確かめさせろ」

と、何故か運動部でありそうな男子高校生のノリのまま筋肉自慢大会(もちろん着衣でだ)が屋外で勃発し、『学生試験調査団模擬戦闘ランキング戦』の正式エントリー用紙を取りに行くついでにアルベルトへの面会取次をしに理事長室に行っていたヴァイスが、変態を見るように据わった瑠璃の瞳で隼人を呼びに戻ったのは、その最中だった。


-----


「…なぁ。だからあれはただのお巫山戯だから」

「問題ない。僕はハヤトがどんな趣味を持っていようと気にしない」

「そう言って距離置くのやめてくれる?」

発言とは裏腹にいつもより若干の距離を置いて、理事長室への道中を歩くヴァイスに、隼人はなんとも言えない声音で隣を見遣る。

そんな露骨に、さらにこの少年にそのような態度を取られると、何故か無性に傷つく。

しかし、と。まだ先程の一件の尾を引いている隼人はヴァイスをそろりとうかがう。自分よりも少し高い、スラリとした身体。

頭の先からつま先まで一切の不純物がない、造形美。指や腕や足は正直少し力を込めれば折れてしまいそうで、特に混じり気のない雪白と、男にしては長いまつ毛の下の瑠璃の双眸は下手したらその辺の女子よりも淡麗だ。

これでひとたび戦闘になれば、自分の倍以上は軽くある巨体を軽々と蹴り上げ、二丁の拳銃を振り回すなんて、欲張りが過ぎるだろと思わなくもない。

天は二物を与えない、なんてことわざは迷信だったなと内心悪態をつく。

「…何」

深紅の視線に気付き、黄金の散る瑠璃の瞳が胡乱げに振り返る。隼人は真意を気づかれる前に視線を逸らす。さり気なさを装って、右隣を歩くヴァイスと真逆の、窓の外の黒檀に浮かぶ星空をうかがうようにして。

「いや。夏の空だなと思って」

「?」

夏なんだから当たり前だろ、と書かれた白磁の容貌をこてん、と傾けるヴァイスの雪白の軌跡が視界の端で動くが、努めて隼人は振り返らない。

初めて会った時と同じに。――綺麗だと思っていることに、気づかれたくないから。

いや別に自分自身そういう趣味があるわけじゃないし、ただ普通に綺麗なものを綺麗だと評価することはおかしい話じゃないから問題ないだろ大丈夫俺は正常だ。

なんていう隼人の頭の中で繰り広げられる葛藤は口に出していないのでもちろんヴァイスに伝わるはずもなく、なんの反応もないのでヴァイスはふ、と通路の先を見る。

「窓の外もいいけど。もう理事長室の前だけど」

「あぁはいはい分かってるよ」

聖グリエルモ学院の全てを睥睨するように、一際高所に設えられた理事長室の豪奢な扉の前で立ち止まり、一息ついてからそれに手の甲を打ち付ける音を、三回。

「――入りたまえ」

ややあってから聞きなれた声が室内から上がり、隼人とヴァイスはごく自然な動きで入室する。

そこには勿論この部屋の主である金髪の麗人と。――煌びやかさとは一切無縁そうな、野蛮で硬質な空気を纏う男性が1人。

その男に、隼人は心当たりがあった。

「では新学期から宜しく頼むよ。シュルツ」

「承知した」

かつ、と軍靴を鳴らしその場で軽く一礼をしてから、男は隼人とヴァイスを横切り振り返ることなく退室する。

金髪にコバルトブルーの双眸の。左顎から首筋を横切る大きな古傷。

「…誰?」

「新学期から新しく授業を持ってもらう教師だよ。ケイン・シュルツ。無愛想だが仕事はきちんとこなす男さ」

男。――ケインの歩き去る背中を扉越しに追いながら、隼人はアルベルトに問う。確信のある持論を。

「――軍人、ですか」

「今の一瞬で見抜いたのかい?」

「ここに来る前に外で会ったんですよ」

流石ハヤトだ、という賞賛を隼人はひょい、と軽く方を上げて否定する。洞察力には自信があるが、さすがに今の一瞬では隼人もそうとは見抜けない。

無駄なく引き締まった肉体に、背後からの木刀をいなしたあの動き。

何より。――あの感情をどこかに落としてきてしまったかのような、虚ろな伽藍堂の瞳。

自身を殺戮兵器だと、長年戦場を駆け続けた兵士のそれだ。

成程、と隼人のそんな謙遜は今は聞き流して、アルベルトは切り上げる。

「担当は近接格闘になるかな。まぁ迷宮区では格闘技はあまり意味を成さないが、身のこなしを学んでもらうには1番だと思ってね。近接歩兵科メインに授業は行うから、お楽しみに」

「全然楽しみじゃないですけど」

近接格闘ということは、軍人であるケインが行うのであればだいぶ実戦寄りの授業になることで、つまり他の生徒よりも実戦慣れしていない隼人の怪我の発生率が跳ね上がると言うことを意味しているのであって。

正直、何も楽しみでも嬉しくもない。

なんて彼が理事長である以上言っても無駄なので、早々に部屋へ訪れた用事を済ませることにする。

『学生試験調査団模擬戦闘ランキング戦 エントリー用紙』と大きく書かれ、5人の直筆の署名がなされた紙。

「いよいよ来週からか。どうだい、調子は」

「まぁ、個々人がアホみたいに強いですから。実力は心配してませんよ」

「実力は、ねぇ」

隼人の懸念を看破して、アルベルトは意地悪く口の端を緩める。例の悪魔のニヤニヤ顔。

そう。それぞれ実力は何も問題は無い。

現在迷宮区最前線を任されている『タキオン』の切り札の『死神』。

聖グリエルモ学院の多額の援助を行う、フランス『オルレアン』の血を引く管理者。

非合法な人体実験によって生まれた、『死神』に匹敵する小さな覇者。

そして、かつて死線を共にくぐり抜けた、不可視の暗殺者。

これだけの逸材を、どう活かしきるか。――詰まるところ、隼人の懸念はそれだ。

「楽しみにしているよ、『軍神』の再臨を」

「めっちゃ楽しんでるじゃん」

「当たり前だろう?親友の弟の晴れ舞台だ。決勝は観に行くから上がっておいで」

「参観日かよ」

年甲斐もなくわくわくと楽しそうなアルベルトに、隼人は敬語も忘れて辟易と。

まだ自分が日本の小学校に通っていた頃。来て欲しくないからと告知プリントは一切渡していないのにどこからともなく参観日当日現れては、ギャーギャー騒ぐ両親の姿は記憶に新しい。

同じ物見遊山で来られるのなら、逆に手を抜いてやろうか。どうせ留年撤回に必要なのは上位3位に入れば良いのだし。

と結構本気で手抜きの算段を考えていると、そのエントリー用紙をアルベルトは紙の束の1番上へと置く。

そう。紙の束の、上。

「…つかぬ事を聞きますが。今回エントリーってどのくらいあるんですか?」

「今年は凄いぞ。過去最多の40チームだ」

「馬鹿なの死ぬの」

せっかくの夏季休暇を自ら潰しにかかるアホがこれほどいるとは。隼人は呆れを通り越した死んだ目で虚空を見つめる。最低人数が5人なのだから、単純計算で200人の生徒が休みを棒に振っている計算だ。

正気とは、とても思えない。そんなにここは男子校並の熱血なノリだったのか。

「まぁ今回は優勝の報酬が報酬だからね。それ目当てだろう」

「報酬?」

あぁなんかそんな話もあったな、と柳眉を寄せる隼人にアルベルトは紙束を手渡す。長々と書かれた、分析結果がまとめられた研究報告書。

大きく見出しのように貼られた写真には、豪奢にも禍々しくも見て取れる、四角い匣。

書かれた表題には。――『聖櫃』の文字。

「今回は『聖遺物』が報酬なのさ」

「――はぁ!?『聖遺物』?!」

迷宮区には地球上には存在しない、不思議な力を持った物品が少なからず出土する。それは見た目は食器だったり置物だったり、何の変哲もないアンティークだが、それらにはおよそ常識を超えた能力が内包されている事が、その後の研究経過で発表されたのだ。

あるものは『記録抹消』。

あるものは『不老不死』。

あるものは『時間遡行』。

神の力とも言える力を持ったアンティークは、総じて『聖遺物』と呼ばれ、調査団総本山である『タキオン』総合研究所で保管、管理される。

そのひとつである『聖櫃』は、間違ってもこんな学生間のバカ騒ぎの報酬なんぞに与えられて良いはずの代物ではない。

「なんてものを報酬にしてるんですかあんた!?」

「なんだ。これを売れば借金なんて完済出来るじゃないか」

「それあんたが言う!?」

「まぁ落ち着きなさい。これはただの複製品。レプリカだ」

アルベルトの暴挙に思わずデスクに詰め寄った隼人の顔を覆うように伸ばされた右手越しに、アルベルトは呆れ半分の翡翠の双眸を眼鏡越しに向ける。フレームの細い、銀の眼鏡。

その穏やかな、渚のような瞳を深紅のそれに映し、隼人も荒々しくため息をついて。

「レプリカと言っても、能力とかはコピーされているものでしょう」

「1/10程度さ。でも『願いが叶う』という能力は変わらない」

「……『願いが叶う』ではなく、『あらゆるものを封印することが出来る』能力じゃないですか。『聖櫃』は」

キリスト教、ユダヤ教において十戒、つまり神から与えられた10の戒律を示した石板を入れていたとされる匣が『聖櫃』と呼ばれるもので、その能力、見た目がそっくりな為同じ名が与えられた『聖遺物』。

どんなに大きなものだろうとも、強大なものであろうとも格納できる『聖櫃』だが、滅多に開けられるものではなく、その中に入っているものが完全にブラックボックスの場合が多いため、その中身を邪推した者によって、いつしか噂によって能力が上書きされた。

――その匣を、中身を開ければ『願いが叶う』のだと。

それはまるで、同じ匣でもパンドラの匣になってしまうだろと、あらゆる神話を一通り網羅している隼人は思う。まぁその場合、開けたら最悪しか出てこないのだけれど。

「まぁ『聖遺物』であることに変わりはない。欲しがる輩はごまんといるさ」

言いながら、アルベルトは1枚のエントリー用紙を隼人へ手渡す。構成人数は隼人と同じく5人で、全員が外国人。

「これは?」

「今回の1番の目玉さ。恐らく彼らが決勝まで残るだろう」

歴戦の調査員であり、『タキオン』総団長がそう評するのであればかなりの強敵だろう。今まで無言を貫いていたが僅かに興味を持ったのか、つつつと寄ってきたヴァイスと2人、エントリー用紙を覗き込む。

リーダーの欄に記載されているのは、赤茶の髪にシルバーの瞳。近接歩兵科3年を表す襟章に、アイザック・リーの文字。

近接2人に壁役の重戦士級が1人。遠距離魔法が1人に、同じく術士でヒーラー役が1人の、バランス型の団編成。

「強いのか?」

「まぁそんじゃそこいらの調査団よりかは、練度は上だろうね」

「……ふぅん」

いつもの変わらない平坦な声に、しかし僅かばかりの愉悦の色。ヴァイスもアルベルトがあまり高く評価することがないのを知っているから、期待値が高いのだろう。――こいつら相手なら、多少は楽しめそうかと。

「でもお前が本気を出しては壊されてしまいかねないからね。きちんと縛りは付けさせてもらうよ」

「何度も同じことを繰り返さなくても、分かっている」

そういって、ヴァイスは隼人を一瞥する。なんともないいつもと変わらないその瑠璃の瞳に射抜かれて、隼人は少しばかりバツの悪い表情で覗き込む。

「……いいのか?」

「『制御装置を使って力を抑制する』のが僕の参加条件だ。それに異論はない」

「そうだけど、」

「強制されるのは慣れてるから」

純白と蒼碧の中にあるから尚目立つ、右耳の深紅の白銀の制御装置を揺らしながら、ヴァイスはなんでもないように言う。檻の中の動物のような、拘束され制限された狭い世界に慣れきってしまった、静謐で凍った瑠璃の双眸。

その感情のない白皙の顔が気に入らなくて、思わずつい荒く肩を掴む。

「『自分を道具扱いするな』。俺はそう言ったぞ」

隼人の言葉には、と見開かれる瑠璃の瞳。4か月前の、激戦の最中ヴァイスに下した、最初で最後の隼人の意志による『命令』。

それを改めて言われて、ヴァイスは怒られた幼い子供のように忙しなく瞳を動かして、やがてしゅん、と肩を落とす。

「……すまない。そんなつもりじゃなくて、」

「お前だって、強制されるのは嫌だろ」

小さくこくり、と頷くヴァイスから隼人は掴んだ手を離し、素直にそういえばいいのに、と言おうとしたところで、ヴァイスに先手を取られる。

「ハヤトなら、命令されてもいいと思ったんだ」

ん?

と、一瞬言われた意味がわからず、隼人はしかめる顔の下で脳みそを高速回転。強制されるのは嫌なのに、自分は良くてむしろそっちの方がよさげな雰囲気で?――まさか、下僕思想?

複雑かつ答えが出たらそれはそれで恐ろしそうな方程式に頭を悩ます隼人をよそに、目の前に座って成り行きを見守っているアルベルトは楽しげなニヤケ顔。

青春だね、若人と。自分だって数年前までこっちの立場だったろうに、麗人の顔にはそうはっきり書いてあるように思えてならなくて、隼人は気を取り直すように大きくひとつ咳払い。

「とりあえず!これで書類の提出はいいでしょうっ?」

「あぁ問題ないよ。正式エントリーを認める」

頬杖をつき、アルベルトは穏やかに微笑する。その内に秘めた、見定めるような鋭い眼光。


「今後の最前線を担う若者たちの今の実力を。――存分に発揮したまえ」

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