1-3.勧誘と来訪と
明くる日。とりあえず宿舎で悩んでもしょうがないよな、と学院内を宛もなくブラブラと歩く、今日も今日とてこちらの気分なんぞ知ったことではないと言いたげな、直射日光の中。
「ハヤト先輩〜!ハヤト先輩が留年の危機って聞いたんですが本当ですか?」
獣のしっぽのようにぴょこぴょこと長い三つ編みを揺らしながら、隼人の義弟である薄桃色の髪の少年は出会い頭にそうぶっちゃけた。
「…どこで聞いたそんな話」
「学院中で皆言ってますよ?『とうとうやりやがった』って。そういえば創立以来初らしいですよ」
良かったですね〜なんてほざきやがったので、その頭を引っ掴んでめりめりと圧迫してやるが、本人としてはじゃれ合いの範疇らしくきゃっきゃと嬉しそうだ。
「でももうご安心をっ」
苦もなくするりと両の手から抜けると、半分とまでは行かないまでも結構ある身長差を埋めるようにレグルスは行儀悪く回廊の手摺に着地。白銀の双眸を煌めかせながら清々しいまでのドヤ顔で。
「このオレ来たからには百人力です!その辺の有象無象なんてこの鎌の錆にしてくれましょうっ」
どやぁ。
そんな目の前の喜劇を無視して、まるで元々居ないもののように華麗にヴァイスはスルーして。
「あと3人だぞ。宛はあるのか」
「おいコラ今オレが話してるでしょ『死神』」
「居たの。小さすぎて見えなかった」
「ブッ殺」
「お前まだ11じゃん。参加できるんだっけ?」
雪白の少年と薄桃色の少年のいがみ合いは今に始まったことではない。いちいち付き合っていたら埒が明かないことをもううんざりするほど理解している隼人も無視を決め込み、早いところ話を進める。
「あれ、ご存知ありませんか?初等科から大学院までの全学生に参加資格があるんですよ。さすがに一級クラスの化け物とかは戦力差が開きすぎて参加人数に上限がありますし、そもそもそんなに高位調査員はこんなお遊戯参加しないんですけど」
最後のワンフレーズはほとんどヴァイスに向けられて発せられた言葉だったが、当の本人はスルー。
やれやれ、こいつらが多少仲良くなる日は来るのかね。
と当面の課題はひとまず頭の隅に追いやり、隼人は自分よりも目線が気持ち高くなった白銀の双眸を見上げながら。
「身体は大丈夫なのか?」
短い言葉の中に複数の意味を込めて。レグルスはぱちぱちと大きく瞬いて直ぐに隼人の真意に気づき、不敵な笑みを浮かべる。
「これでも『化け物』なので。ハヤト先輩よりも治りは速いのはご存知でしょう?」
かつて孤児院で、その地下深くの人体実験上で人間の権利を剥ぎ取られた、迷宮生物との混ざりものの少年は嘲るように嗤って。
神話の時代に大天を飲み込んだ迷宮生物『魔狼』の能力は絶大で、齢11ながらレグルスは『死神』の異名を持つヴァイスと同レベル、いや機動力と俊敏さでは上回る程の戦闘力を有する。ヴァイスのように蒼い血こそ流れていないものの、その回復力も人間のそれを軽く凌駕する。事実同時期に入院した、レグルスと比べれば軽傷だった隼人よりも早くに退院していた。
それは知っているけども。
ぴ、と人差し指を肉食獣特有の細待った瞳孔に突きつけて。
「次に『化け物』なんていったら縁切るぞ」
隼人のその言葉にレグルスは今1度大きく瞬きをして。一瞬だけ困ったように笑ってすぐに引っ込めて、にたぁと笑う。今度は楽しげに。
「いや〜んハヤト先輩は優しいな〜。オレが女の子だったらイチコロですよ〜」
という100%の冗談をがしゃこ、という音がさえぎって。
「お望みなら僕が殺してあげようか」
「ほぉ〜やってみる?全力でやればオレが勝つと思うけどいいのかな?」
「僕は5割で勝てる」
「オレは3割」
「1割」
「なぁその話多分一生終わらなそうだから後にしてもらっていいか?」
出会ってからこっち。多少は良くなるかと思った2人だったが好転することは無さそうで。つくづくどうしてこう喧嘩腰にしか話せないのだろうかこの2人、と力ずくで話の腰をぶった斬る。
とりあえず。
「じゃあ遠慮なくお言葉に甘えようかね。よろしく頼むよ、レグルス」
「――はいっ。お任せ下さい!」
隼人の快諾に、大きな瞳をいっぱいに輝かせ、ついでに獣耳のように跳ねたくせっ毛をぴろぴろと忙しなく動かして。
こうして3人目のチームメイトのスカウトに成功した。
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「…まぁ、丁度やることも無いし。付き合ってやってもいい」
ここが最難関だよな、と思っていた矢先。予想外すぎる二つ返事の承諾に、隼人はあっけに取られ呆然と立ち尽くす。
ややあってから少し後ろに控えていたヴァイスと、何故か付いてきたレグルスと3人でそそくさと距離を取って。
「おいちょっと待て俺起きてる?夢見てる?」
「あの貴族絶対なにかよからぬ事を企んでますよ絶対」
「油断させて後ろから排除っていうのが、邪魔者を消す手段としてはよくあるけど」
「「それだー」」
「聞こえているぞアホ共」
そう言って、たった今隼人が玉砕覚悟で勧誘をしてみた同級生。――オリバー・ブルームフィールドは紫の双眸を眇めながら、手に持っていた陶器の茶器をがちゃんとソーサーへ落とす。
学院から寄宿舎へ戻り、それなりに豪奢な造りの談話室のその一角。聖グリエルモ学院に多大な資金援助を行うフランス貴族の、優雅なアフタヌーン。
普段はかっちり編み込んでまとめあげられているマリンブルーの長髪は、今は緩くまとめられ右肩から滝のように流れている。
そんな貴族の生活とは迂遠の、それでも人目見ただけで絶対に高いとしか思えない茶菓子を端目に。
「いや、ダメ元で来たから即答されるとは思わなくて」
「さっきも言っただろう。手が空いているから暇つぶしだ」
そんな『久しぶりにちょっと狩りに行きましょうか』的な、貴族の道楽と同列にしないで欲しい。
と、半目で見ていると。オリバーの向かいに座ってこれまた高いであろう茶葉の、紅茶の甘い匂いと共に赤みの強い金髪の少年が歩み寄り。
「あの人不器用なんで。あれでも借りを返さなきゃーとか思ってるんですって」
「借り?借りなんかあったか?」
「それ以上要らんこと吹き込むようなら国へ送り返すぞ。リュカ」
殺気レベルの怒気を孕んだ声にも、彼の従者であり特殊戦闘科所属のリュカオンはひょい、と軽く肩を上げるだけ。とても従者の行いではない。
「というか貴様、なんで座って茶を飲んでいるんだ。従者だろ」
「俺がそんなこと出来ないのはオリバーが1番よく知ってるでしょうに」
確かに似合わないな。とヘアバンドで雑に上げられた髪や身なりをみて、隼人も内心で同意する。
ところで。
「借りって何の話だっけ?」
「この流れでよく聞けたな君は」
「だってほら、手を貸すのは1度きりだ〜って前に言ってたから。それじゃないんだろ?」
隼人の右腕がちぎれ飛んだ、春の一件。操られていたとはいえ原因の片棒を担がされたオリバーは退院した後に『1度だけ手を貸してやる』と一方的に約束を取り付けた。それは先日レグルス含む多くの孤児を慈善活動と称して孤児院へ収容し、非合法の人体実験を行っていた悪徳貴族の排除に一役買ってくれたことで履行されたはずだと隼人は解釈していた。
それはきっちりかっちり、後始末まできれいさっぱりまとめてくれた事で十分すぎるほどの助力だったのだが。
「その悪行の裏付けをとったのはクサナギだったろ?貴族間の出来事は貴族が全て始末を付けるのが本来あるべき姿で、それを手伝わせた事を気にしてるんだと」
リュカオンのその言葉を聞いて、隼人は憐れむように、労わるように深紅の双眸を眇めながら。
それは、なんというか。
「…そんなこと言ってたら、お前いつまで経っても借りを完済できないぞ?」
難儀な奴だな、と言外にそう言って。オリバーは紫の瞳をじろりと向ける。
「やかましい」
「いや、そのまま大人になったら大変だぞお前?」
「君は私の母親か何かか」
余計なお世話かと思いつつ助言をしてやったのに、なんて切り返しだこの貴族。
「それ以上何か言うならこの話はなかったことに、」
「すみませんでした有難くご好意に甘んじたいと思いますオリバー様」
「分かればよろしい」
ふん、と満足気に鼻を鳴らし、オリバーはご満悦のように再び茶器を手に取る。
口元までカップを上げて、ふと何かを気に止めるように動作を止めて。
「他のメンツはどうなっているんだ?」
「現在メンバー絶賛募集中」
隼人の端的でやけっぱちでやけくそな言葉を聞いて、オリバーは動作を止めたそのままの格好で隼人を見つめる。今度はオリバーの、憐れむような紫の双眸。
「…まぁ。幸運を祈る」
「同情するなら金をくれ」
「この場合は人脈じゃないか?」
そう言って、とりあえず明日から作戦とかミーティングとかお互いの戦法の確認とか簡単にしたいから、学院の中に作られた訓練場に昼頃来てくれと手短に締めて、隼人一行はその場を後にする。
と、思ったのだが。
「クサナギ」
呼ばれた声に振り向くと、追いかけてきた赤みの黄の従者は困ったように、でも嬉しそうに笑って。
「改めて、ありがとうな」
「何の話だ?」
小首を傾げて隼人はその言葉に質問で返す。先程と言い全く心当たりのないお礼。
リュカオンはどこかでもしかしたら聞き耳をたてているかもしれない主人に聞こえないように、声を潜ませて頭をくしゃりと混ぜる。
「あれでもオリバーもお前さんに感謝しているんだ。あいつは生まれとかもあって友達が出来なかったし、だからあんな傲慢でひねくれた正確に歪んちまったけど。最近ようやく真っ直ぐ歩けるようになった」
だからと。リュカオンは貴族の従者に恥じない流麗な所動で頭を下げながら。
「別に好いていてとは言わない。けどこれからも気にかけてやってくれ」
真正面からそう言われてしまったら、断るにも断りきれない。そう思って息を吸うが。
「いや、育ちが変わってもあの人の性格は変わんないよ」
「それと中身はそんなに変わってないと思う。腹黒」
「んんん〜全部否定しきれないのが悲しいわ〜」
と、軽い調子で話がどんどん進んで言ってしまうので、隼人は言おうとしていた言葉を見失い、代わりに正直な言葉は恥ずかしいので、濁して伝える。
「まぁ。用があったら話しかけるよ」
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と、こんな感じに4人は集まった訳だが。
「………………はぁ」
肝心の5人目が見つからない。
寄宿舎に学院に、足を伸ばして迷宮区や貧民街や。片端からとりあえず回れるところは回ってみたが収穫はもちろんゼロ。
世界一小さい国と言われたかつてのヴァチカン市国と言えど、東京のディズニーランド程の面積はあるので、1日で回ろうと思えばそれなりに体力を使うのであって。歩き疲れた隼人ら一行は、狙撃演習場を目の前にしたベンチで休憩を決め込んだ。
ちなみにヴァイスは涼しい顔だし、レグルスに至っては元気がありあまりすぎてちょっと遠くの自販機まで飲み物を買いに行ってくれている。
そんな、遊園地で子供に付き合って疲れ果てた父親のような深いため息をして。
「見つかんねえじゃん………………」
「あのリュカオンとかいうやつに頼めば良かったじゃないか」
「それは考えたけど、あいつ怪我してんじゃん」
「そのようだったな」
リュカオン本人も彼の主のオリバーも、特に話題には出さなかったから付き合って隼人も振らなかったが、たまにぎこちなくなる動きは明らかに怪我をしている証拠だ。何故治癒魔法で治さないのかは多少疑問に思ったが。
それを談話室で会って話した時に察した隼人は、彼に勧誘の声はかけなかった。のだが。
「あいつは最終手段だ」
「結局頼むのか…」
「背に腹はかえられん」
しかし怪我人にムチを打つのは隼人としても本意ではない。出来ればこの手は使いたくはない。
頭の隅で考えながら、ぼんやりとなんとなしに目の前の演習場を見る。
的との距離は優に100メートルはある、広い演習場だ。さすがに室内では場所を確保できなかったのか屋外のそこは、でこぼことした土の起伏や生える雑草が田舎の学校のグラウンドを彷彿とさせる。横並びにずらりと並んだ各スペースには1人ずつが射撃体勢となって、各々が各々の獲物で的を狙う。
『近接歩兵科』所属の隼人には無縁の、裏地が青の制服を纏う『中遠距離戦闘科』の、特に遠距離支援を担当する狙撃手達の演習場。
夏季休暇中だというのに、複数の発砲音が鳴り響くのを眺めながら。
「そういえば、狙撃手とか後方から戦闘に参加できるやつが欲しいな」
今いるメンツのラインナップを見た限り、だいぶ接近戦に特化した部隊編成になっている。特にそれ自体は問題にはならないが、欲を言うならヴァイスの自動拳銃よりも射程のある、魔法攻撃や狙撃が出来るやつが居たら嬉しい。
魔法攻撃と言えばオリバーもできるだろうが、彼は遊撃手として接近戦もして欲しいから、固定させたくない。
そう言わずとも隣の相棒は察してくれたようで、瑠璃の双眸を少し上に上げながら。
「ハヤトも僕もあのチビも。魔法適正無いからね」
あの戦闘力の高さの代償なのか、レグルスも実は魔法適正値は底辺らしい。まぁヴァイスといいレグルスといい戦闘力でカバーし切れるのだから問題は何も無いのだろうが、「おれも火の玉だしたり空中から水出したりしてみたかったです!」と結構本気で嘆いていた。
せっかく『魔法』が使えると言うのに、なんとも味気のないとは、隼人は思わなくもないが。
と、そこまで考えて、目の端に薄桃色の影を捉える。
「買ってきました〜。何がいいですか?」
「って、変な味しかねえじゃん!」
「おれのオススメは『ドリアンスパークリング』」
「僕はこの『梅じそジンジャー』を貰おう」
「ちょっとは躊躇えよ」
もうひとつの『黒蜜バナナオレ』なる甘ったるさの塊のような缶はレグルスに取られたので、仕方なしに勧められた『ドリアンスパークリング』なる缶を手に取る。指でプルトップを開ける、軽い音。
目の前の演習場がざわついたのは、意を決して中の液体を喉に通そうとしたその時だった。
「…なんだ?」
そのざわめきの原因を突き止めるために、隼人はその中心へと目を向ける。
先程も述べたとおり、射撃スペースは背は低いが仕切りが立てられており、原則入れるのは1人だけだ。だから騒いでいる生徒たちは仕切りの外、件の生徒から距離を置いた場所から遠巻きに見ている。
ささ、とさり気なさを装って近づき、聞き耳を立ててみると。
「あいつ、さっきから外してなくないか…?」
「というか、同じ箇所をずっと当ててない?」
との事。隣に立つヴァイスはそもそも聞いてもおらず、その瑠璃の瞳は一点だけを見つめて。
「…すごい」
このエリート様のお墨付きを貰えるとは。余程の腕をもつ生徒がどうやら騒ぎの中心らしい。
その瑠璃色の視線を追うようにして、隼人もついと目を向ける。深紅の思慮深い瞳。
果たして。そこに居たのは1人の少年だ。
彼は服の汚れなぞお構い無しに、白のブラウス姿で地に伏して獲物である円形の的を狙う。胸に抱くようにして構えられているのは、イギリス軍で使用されるAI L96A1。
流れる動作で打ち終えた薬莢を排出、同時に再装填すると、間髪入れずトリガ。
軍用狙撃銃に相応しい射撃音を轟かせ、音速を超える弾丸は過たず的の中心を貫く。中心以外には興味が無いと言いたげに、それ以外はまっさらな的。
そう。この生徒は前9発。今の射撃を入れて10発の全弾丸の全てでただ一点だけを撃ち抜いていた。
その精密さは、まさにドイツの民間伝説に登場する『魔法の弾丸』。――その射手である少年は、さながら『魔弾の射手』と言ったところか。
などと頭の隅で考えていると、全ての弾丸を撃ち尽くした少年は、保護用に耳に当てていた遮音性の高いヘッドフォンを外し、自然と振り返る。
――瞬間。その琥珀色の双眸がこちらををて固定された。
「…隼人?」
本人を呼ぶためではなく、確認。呟いた言葉は周囲の野次の声で掻き消え空中で遊ぶ。しかし本人は口に出したことで確信に至ったか、大きくひとつ瞬きをして、ぱっと笑顔になる。早朝、朝日と共に綻ぶ花の、朝露を弾くように。
「隼人!君、隼人でしょう?」
今度こその呼び声に、しかし呼ばれた当人の隼人は深紅の双眸を胡乱げに眇めるだけ。
誰だろう。全く思い当たらない。
周囲の、両隣のヴァイスとレグルスの全ての視線を受けながら小首を傾げる隼人へむかって、少年は一直線に歩を進める。
大海を真っ二つに割ったモーセ宜しく前に立った少年へ。ほぼ同じ高さの琥珀の瞳を見据えながら。
「悪い。誰だっけ」
「そうだよね、7年振りだもんね」
あははと特に気にした様子もなく朗らかに笑う少年を見て、隼人は取っ掛りに柳眉を寄せて。
琥珀の瞳。流暢な日本語で日本人で、若苗色のインナーカラーの髪で、7年前。
あ。
「お前、蓮か?」
「そうだよ。――久しぶり、隼人」
思い出してくれて嬉しいよ〜、と。周りの喧騒とは裏腹の、周りに花でも飛びそうなほど穏やかに朗らかに、旧友。――九重蓮は微笑んだ。