1-2.死神様の華麗なる一手
「――今、なんて?」
言葉の長さは違えども、先程のハヤトと全く同じ意味の言葉を発したヴァイスだったが、しかしその場にいた訳でもないので当人には当然分からない。
時刻は流れ、とっくに日の暮れた夜。地平線に隠れた太陽の威光は直接は届かずとも、依然としてその放射熱は健在で蒸し暑い。
夏夜に煌々と輝く月光の下。聖グリエルモ学院の理事長室で、ヴァイスは今言われた言葉の真意を目の前の人物に問う。
「全く。何度聞き返しても同じことだ、ヴァイス。そもそも良く考えればわかることだろう?」
答えるのはこの執務室の主にして、ヴァイスが所属する多国籍最上位迷宮区調査打撃群『タキオン』本隊所属、その総団長を勤め上げる麗人、アルベルト・サリヴァンは、駄々をこねる子供に辟易とする父親のように柳眉を寄せながら答える。これまた彼の妻と同じように、一言一句違わず。
「――お前の『学生試験調査団模擬戦闘ランキング戦』の参加は認められないよ」
「それがなぜかと聞いている。具体的な理由は」
「ただ聞き返して答えが返ってくると思ったら大間違いだ。少しは頭を働かせてみなさい」
『総団長』から『理事長』へ変わる際の、スイッチの薄い眼鏡のレンズ越しから覗く翡翠の瞳の、慈愛の色。それがヴァイスには子供扱いされているようで、気に入らずに口をむ、と尖らせる。
実際自分は人間社会に入って4年しか経っていないので、確かに子供なのだが、それとこれとは話が別だ。
へそを曲げながら、しかし言われた通りに思案するもヴァイスには彼の言葉の答えが思いつかない。少々の素行不良はあったにせよ基本的には大人しくしているし、学院側の教育方針には従っているはず。
ふと自分を見下ろしながらそこまで考えてあ、と目を緩く見開く。
――そうだった。
ヴァイスのその反応に目敏く気づいたアルベルトは、短く嘆息し苦笑いをする。ようやく気づいたか、と言いたげに。
「――そもそもお前は学院の生徒では無いのだから、大前提として参加資格がないんだよ」
見下ろした自分の身体、正確には自分が今身に纏っているのは裏地の蒼い黒のトップスと上着。色合いからすれば聖グリエルモ学院指定の制服と言えるが、しかし決定的に違うそれは、『タキオン』所属を表す団服だ。
他に私服らしい私服をヴァイスは持っていないので(持っていなくても何ら不都合がなかったからだ)普段着としても着用している団服が身にしみすぎて、疑問にすら思わなかった、ハヤトとの立場の違い。
さらにここ数ヶ月は彼に付き添って学院に毎日足を運んでいたこともあり、あたかも自分がそこの学生のように錯覚していた。同じ講義室内の学生たちも、今や自然の光景となりつつあったのだから。
何たる失態。何たる無自覚。
ヴァイスはそんな見れば1発でわかる間違いを恥じ入る。先程そう言った時にハヤトが苦い顔をした理由にも、ようやく納得する。
「お前の学院への出入りを許しているのは、単純にハヤトの所有物だということだけだ。あの子は何かと自分に関しては無頓着だからね。誰かが指摘しなければ自ら危険に身を投じる」
「それは同意する」
ハヤトは根っからのお人好しだ。自分では頑として認めないが、彼は困っている人を見かけるとどうにも首を突っ込む節がある。ひと月前もそうやって引き入れた義弟の少年絡みで痛いしっぺ返しをくらったばかりだと言うのに。
『死なない』事がモットーのはずなのにその一貫性のない行動は、彼がかつて所属した『大和桜花調査団』で失敗し、多くの犠牲者を出したことへの罪滅ぼしなのだろうことは、なんとなく理解はできるけど。――心配するこちらも身にもなって欲しい。
だからこそ、自分にできる範囲では助力を惜しまない。惜しみたくないのだ。
しかし。
「そもそもお前は一級調査員の資格を持っているじゃないか。在籍中の生徒は精々が3級。レベルの差がありすぎてランキング戦にならないだろう?」
困ったように事実を言い募るアルベルトに、ヴァイスはぐうの音も出ない。こんなに実力があることを憎んだのは初めてだ。
しかしここで引き下がるのはヴァイスの沽券に関わる。どうにかする良い方法は無いものか、と考えて。そしてふ、と思い至る。
そも、この答えも簡単ではないか。
「僕が学院の生徒じゃないことが問題なんだな?」
「うん?あぁそうだね」
話は終わったとばかりに思っていたアルベルトは、早々に手にしていた次の議案の書類から翡翠の双眸を上げる。ヴァイスの不意打ちの問に僅かに目を瞠りながら。
――次の一言で、さらに目を見開く事になるとは思いもせずに。
「じゃあ。――僕をこの学院の生徒にしてくれ」
瞬間。理事長室は世界の理から隔離され、一切の音が遮断された。時が止まったかの静寂の中、その均衡を崩したのはぷ、と笑いをこらえてしかし失敗して吹き出されたアルベルトの声。その含み笑いは次第に大きさを増し、次第には大笑いへと発展した。
暫く大笑いした後残されたのは、理事長室のたいそう立派な豪奢な造りのデスクに突っ伏すアルベルト。彼にしては笑いすぎで、ぴくぴくと痙攣する様はまさに打ち上げられた魚そのものだ。
ややあって満足したのか、目元の薄く溜まった涙を指で拭いながら面を上げる。
「は〜、久しぶりにこんなに笑った。お前は道化師の才能もあるんじゃないかな」
「僕は大真面目だ」
「そこが面白いんじゃないか」
ぎ、と音を立てて椅子に深く腰掛け直し、天井を見上げながら。その先の、どこか遠くを見つめて。
「お前がそんな奇天烈なことを言うようになるとはね。当時では考えられないことだ」
4年前。迷宮区最奥部でカズキに拾われた、言葉すらろくに喋れなかった子供が。
たった四ヶ月前まで、死んだような、精巧に作られた人形のような無表情を貫いていた少年が。
それほどまでに彼。――草薙隼人との邂逅は、彼にとっては与えられたものが大きかったのかと。
アルベルトのその感慨は、口に出していないからヴァイスには届かなくて、その沈黙を訝しげに見つめる瑠璃の瞳。先程言った言葉は本気だと訴えて。
アルベルトは気を取り直してデスクの上で指を組む。
「君を学院に置くメリットはなんだろうか?お前は既に大学卒業までの資格を有している。『学生試験調査団模擬戦闘ランキング戦』に出たいからだけでは編入させられないね」
加えて、と。アルベルトはさらに問題点を言い重ねる。
「お前は『タキオン』所有の切り札だ。学院なんて平和な日常を送れるだなんて、本気で思っているのか?」
一瞬の殺気。翡翠の瞳の奥深くの、『タキオン』所属の調査員はおろか時には迷宮生物までも時としてその眼光で黙らせる程の抜き身の刃。しかしヴァイスにとってはごく普通の、ありふれた冷気。
その殺気をそよ風同然に流し、ヴァイスは指を立てながら提案する。彼の相棒が説明する際によくやる、手癖を習うようにして。
一つ。
「僕が学院に通っても、『タキオン』にはなんら不都合は無いはずだ。なぜなら今現在でも僕は学院に通っているのだから」
二つ。
「僕が学院に通えば、内側から学生のレベルを引き上げることが出来る。僕が引っ張ることで、年々問題になっている戦力低下の問題を少なからず解消できる」
そして三つ。これが本命。叩きつけるように見せつけるように。ヴァイスにしては珍しく、意地悪く笑って。
「僕はまだ聞けば答えが返ってくると思っている子供だからね。学院で少しは学ばなくちゃ」
先程アルベルトか言った言葉をそのままに。意趣返しのように自慢げにそう言って。
アルベルトは翡翠の双眸をぱちぱちとまばたいた。
呆然と、半ば無意識に言葉は唇から零れ出す。
「これは。…どうやら良くない方向に育ってしまっているらしい」
まさか4年前まで。いや、つい数ヶ月前までは思いもよらない相手からの、搦手。
1ヶ月までの遠征時の途中離脱の時と言い、ヴァイスもあの『落ちこぼれ』に随分と毒されてきたらしい。
――随分と俗物めいて。人間らしくなったものだ。
言葉とは裏腹に、アルベルトは満足気に笑みを深めて、組んだ指の上に顎を乗せながら。
「そこまで言うなら宜しい。但しきちんと学生として通うのであれば特例は許さない。お前の主人と共に規律を守り、『タキオン』からの要請があれば速やかに従うこと。いいね」
「問題ない」
事が上手く運んだことで、無意識下で緩む頬を引き締めながら、ヴァイスは簡潔に承諾。
これで、大手を振ってハヤトと共に学院へ通う事が出来る。それが嬉しくて、つい目の前の麗人の深められた笑みを見逃す。
三日月のように、弧を描くようにまで歪められた、悪魔の笑みを。
「では早速だがこれが編入書類だ。今は夏季休暇中だから、正式編入は新学期に入ってからだが」
「ランキング戦には出られるんだろう?なら問題ない」
言われるまでもなく編入書類にサインをする。重要書類なので、消えないようにきちんとペンでさらさらと。
と、書き終えてからヴァイスはふとある項目で目を留める。学院名。学年。そして――。
「…あ、」
「はい残念。書類はきちんと目を通してからサインをすることをお勧めする。カグヤ」
主人に呼ばれた瞬間にどこからともなく現れた影は、瞬く間にヴァイスの手から書類をかすめ取ると、そのままアルベルトへ届けまた影のように消える。
本当に瞬きのうちの、一瞬の所業。
「ちょ、ちょっと待ってっ」
「おや、言ったはずだよ?」
正面のアルベルトは手の内の書類をひけらかす。底意地の悪い、心から楽しげな満面の笑み。
「――ここでは私が規律だ」
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「…おかえり」
寄宿舎の自室の扉を開けるやいなや、先にベッドの上で寝転がっていたハヤトは律儀に、勇気をだしてヴァイスの帰還を祝す。
その声がなぜか引き攣っていたのだが。――自分のとことん不機嫌でむくれっ面で、ぶっちゃけ人を殺しそうな修羅の形相を自分では見ることが出来ないヴァイスは、その理由は分からない。
「なんだよ、どうした?」
寝転びながら雑に見漁っていた、これまた小難しそうなアメリカ英語で書かれた小論文の束をどかしながら、ハヤトはむくりと上体を起こし胡座をかく。
この科学が発展した現代において、ハヤトはタブレット等は使わず、読む小論文やら小説やらをわざわざプリントアウトして読み耽る。そっちの方が読みやすいだの頭に入りやすいだの言っているが、おかげで部屋は紙の束だらけである。
その紙の束の一山を越えながら、ずんずんとヴァイスは怒り足で入室。ヴァイスの剣幕に気圧されながら突き出された書類に目を落とす。
「って、お前本当に学校に通うことになったのかよ。総団長もよく許したよな」
「違う問題はそこじゃない」
「うえ?」
中途半端な返事をするものだから、業を煮やしたヴァイスは細指で問題の箇所をび、と指さす。勢いそのままに書類が破りそうになりながら。
そこには。――『聖グリエルモ学院高等科 中遠距離戦闘科 中途編入』の文字。
それをじ、と確認し。噛み砕くように吟味して。
「…当たり前だろ?」
「僕には君を守るという使命があるんだ!離れたら意味ないだろ!」
「使命て、そんな大袈裟な」
場を和ませようと軽口を叩くハヤトだったが、どうやらこれ以上は火に油を注ぐだけだと判断したようで、無駄にホールドアップなんぞしながら。
「いや、普通に考えて妥当な判断だろ。お前は接近戦もできるけど、あくまでメインは拳銃なんだから」
「けどこんなの、」
「そもそも。こんな無茶ぶり、聞いてくれただけでも有難いだろ」
ハヤトの言葉に、ヴァイスは口を噤む。その通りだと言うことはヴァイスが1番よく理解している。
自分は『タキオン』の所有物。本来であれば迷宮区の最前線を拓くためだけに飼われているだけ。そんな自分が学校に通えるなど、破格の待遇だ。
奴隷は反乱を起こせないよう、学を学ばせて貰えぬように。
理解している。しているけど。
「ハヤトが居ないんじゃ、つまらない」
ぽそり、と。届かなくてもいいと零れた呟きを、それでも拾いあげてハヤトは嘆息する。初めて学校に登校する子供のぐずりを慰める親のように。
「別に永遠に離れるわけじゃないだろ?休み時間とか来ればいいし、宿舎だって一緒だし」
それに、と一旦そこで言葉を区切り、ヴァイスが面をあげるのをわざわざ待ってから続ける。
「せっかくの機会なんだ。お前も遊んでおけよ」
死と隣り合わせの非日常で、それでも年相応に日常を謳歌しろと、ハヤトはそう言って困ったように苦笑する。捻くれ者の彼の、不器用な優しさ。
それに免じてどうにか怒りを収めようとするも、やっぱりまだ納得できなくて。くるりと踵を返してそのまま自分のベッドにダイヴする。
「寝るのか?メシは?」
「要らない」
もぞもぞと、うつ伏せにベッドに沈みこんだので声をこもらせながら返事だけはしておく。
普段であれば寄宿舎の食堂が24時間開いているのだが、学生と共に今は生憎と長期休暇中だ。なので休暇中は各々自分たちで用意をしなければならない。
ふーん、とハヤトは関心なさげに。しかし独り言にしては大きめの声音でベットの下をガサゴソとかき混ぜながら。
「それは残念。今日は秘蔵の醤油豚骨味を出そうと思ったのに」
じゃん、と手に持つのは、お湯を注いで数分待つだけでそこそこいけるカップ麺。何故か大量にストックしてあるうちこの連休中何度か貰った、厳密には醤油やら味噌やら塩やら味の違うそれをヴァイスはじ、と見つめて。
「…食べる」
「単純だなお前」
半ば投げやりにけしかけてみたが、こうもすんなりとのってくるとは。とハヤトは単純すぎるヴァイスの態度に呆れながら、それでも2人分の夕食を作るためにお湯を沸かし始める。
その、お湯を沸かす数分間。
「まぁともあれあとは3人か。その3人が難題だよなぁ…」
「僕に学生の知り合いは居ないよ」
「そうだよなぁ…」
は〜と深い、深ぁ〜いため息を付いて、深紅の瞳は天井を仰ぐ。
「とりあえず、ダメ元で当たってみるかなぁ」
その呟きは、ケトルから湧き出る蒸気の音にさえ負けて、空中で散った。