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アノニマス||カタグラフィ  作者: 和泉宗谷
Page.3(上):昔馴染みと聖遺物
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1-1.落ちこぼれの苦慮

「――今、なんて言いました?」


夏。どこまでも突き抜けるような蒼穹にもこもこと沸き立つ入道雲は手を伸ばせば掴み取れそうで、天に座す太陽はその威力を遺憾無く発揮する。

そんな灼熱の太陽が照りつける日の、とある一室には2人の影が向かい合うように腰掛けていた。

一人はここ聖グリエルモ学院指定の漆黒の詰襟に身を包む、東洋人の学生だ。その詰襟の紅の裏地は、彼が5つあるクラスのうち『近接歩兵科』所属を表している。

歳の頃は17。特にこれといって手入れもしていない赤銅色の髪の、その下には赤よりも深い深紅の瞳。

普段は知的に、そしてつまらなそうに伏せられているその双眸は、今は真逆に信じられないものを見るかのように見開かれていた。

「何度同じことを言わせるの、クサナギくん?貴方はそれほどおバカさんじゃないでしょう」

はぁ、とため息をついたのはその向かいに座る、妙齢の女性。緩くウェーブがかったオパールグリーンの長髪はハーフアップに結わえられてもなお腰まで届き、ふるふると首を振る所動を後追いする。

ふ、と上げられた藤色の双眸には言い逃れできないほどの憐憫と憐れみの念。

いいですか、と前振りをして彼女は告げる。何回か繰り返した言葉を一言一句違わず。


「――ハヤト・クサナギくん。貴方このままだと留年決定よ」


「…すみませんちょっと記憶飛んでましたもう1回お願いできますか?ハンナ教諭」

「これ以上は流石に私も怒りますよ?クサナギくん」

にこやかな表情の裏の冷ややかな怒気を察知し、学生。――草薙隼人は速やかに言い分を変更する。

「いや、ちょっと待ってくださいよ。こんな勤勉な生徒がどうして留年なんかになるんです?」

「毎回の考査で手を抜きまくり、あまつさえテストの問題にケチをつける生徒が勤勉と申しますか」

しかも前回の期末考査では全教科で平均点を予想した上で、赤点にならないギリギリの点数を弾き出したことは全職員の記憶に新しい。

かつて齢10にして当時日本国立調査団を戦略面から支えた天才児。『軍神』の異名を持つ隼人からすれば児戯のような問題の数々。――普通に回答していたのでは欠伸が出る。

「ケチというか。もっとこうしたらひねりがあって面白い問題になるんじゃないかと意見具申をしたまでです」

「…まぁ、貴方の意見は今後の問題作りに役立たせていただきますわ」

「ではどうして?」

どうやらテストの点数がそのまま留年という結果につながっているものでは無いと気づき、隼人はさらに疑問を投じる。

『兄の借金の肩代わり』として学院に放り込まれた隼人だが、律儀にも学院にはきっちり登校している。講義中も昼寝をするような真似はしないし(それが一番評価に関わると知っているからだ)、自分からは素行不良など一切行っていない。

そんな善良な生徒が何故。――と、ここまで考えてからはた、とある仮説に辿り着く。

――おい、まさか。

「お気づきですか?」

隼人の変化に目敏く気づいたハンナはぴ、と得意げに人差し指を立てて。


「――度重なる入院。貴方の留年は単純に、出席日数の不足ですね」


ハンナの一言に、堪らず隼人は前のめりに問い詰める。両の手をばんっ!と机にたたきつけながら。

「ここは普通の学校じゃないんですよ!?出席日数なんて気にするんですか!?」

「あら〜。普通じゃなくても教育機関である以上大事な評価基準ではなくて?」

「明日には隣の席の住民が死ぬような場所で、何が出席日数ですか。けが人なんていない方がおかしいのに」

そもそも、と隼人の弁舌は熱くなる。

「イタリア含む多くのヨーロッパ諸国は、高等学校までが義務教育ですよね?義務教育には出席日数での留年は無いはずですというか理事長の母国の英国は自動進級制です」

隼人の地元であればいざ知らず、ここは迷宮区『サンクチュアリ』が口を開くイタリア旧中心区。隼人の言う通り大凡のヨーロッパ教育では19歳までが義務教育に該当し、ついでに言えば8月といえば、とっくの昔に夏休みに突入しているはずで、呼び出しをくらった隼人以外の生徒はそれぞれの夏を謳歌している。

そんな必死の弁論にもハンナは薄く微笑むだけ。

「アルベルトは日本の教育方法にも興味をお持ちで。その辺は日本の教育方針に則っているそうですよ?」

「要らないことしないで欲しい」

聖グリエルモ学院の理事長を務める金髪の麗人、アルベルト・サリヴァン。彼の友人が隼人の兄であり東洋人ということもあるのか、彼はところどころに日本の文化を入れた独自の教育方針を確立している。

東洋人である隼人にとっては、不慣れなヨーロッパ暮らしの中でのちょっとした和みとなっているのだが。

こんなに嬉しくないのは初めてだ。

「貴方が弱いから怪我をして入院をする羽目になるのです。少しは腕をあげたらどうですか」

「…ぐ、」

それを言われてしまうと元も子もない。

弱肉強食。それがこの聖グリエルモ学院、ひいては迷宮区『サンクチュアリ』における絶対普遍のルールなのだから。

言い返すことが出来ない隼人に対し、ハンナはまあ、と言葉を続ける。

「そもそも一連の事件は純粋に貴方だけのせいというわけでもありませんからね。そこで、アルベルトからの提案です」

「嫌な予感しかしないのですが…」

「文句は言えない立場のはずですよ」

ふふふ、と他人事のように楽しげに。事実他人事なので楽しんでいるであろうハンナを恨めしそうに見る深紅の双眸を他所に、ハンナは助け舟を出す。

ハンナは机の下のクリアファイルから1枚の書類を出しながら。

「クサナギくんは、この聖グリエルモ学院の学生の夏休みの過ごし方をご存知でしょうか」

「…?えぇ簡単に。夏休みと言えど寄宿学校ですから。大半の生徒は寄宿舎か学舎か迷宮区か。兎に角ここから出ることは無いとは」

突然の切り返しでも、隼人は深紅の双眸を眇めながらよどみなく答える。彼の言うとおり聖グリエルモ学院は寄宿制の学校であり、基本的には長期休暇といえど学生は学院で過ごすことが多い。今は年度末である夏休みであり、学院の承認を得れば各々の地元へ帰省することも可能であるが、特に理由がなければ留まるのが常。

「そんなクサナギくんも日本へは帰らないようですからね」

「俺の事はいいでしょうよ」

「では、そんな盛りの学生諸君が一体どのようにして暇を潰しているかは、ご存じですか?」

重ねられた質問に暫し熟考し、およそ自分には関係ないだろうと頭の隅に追いやっていた記憶を引っ張り出し、隼人は露骨に顔を顰める。

――げ、と言い出しそうな、見事な顰め面。


「来週から行われる『学生試験調査団模擬戦闘ランキング戦』。これに上位入賞することが出来れば、留年を白紙に致します」


にっこりと、クリアファイルから取り出した書類を提示しながら、ハンナは朗らかに笑う。

その書類のタイトル欄には、他の文よりも目立つように文字の大きさを変えて、『学生試験調査団模擬戦闘ランキング戦 申込用紙』の文字。

これは『提案』では無い。――『強制』だ。

これ以上の抵抗は無意味と判断した隼人は、机に突っ伏し。

「…人生すんなり行かないもんだよな」

ひんやりとした無機物の冷たさを頬に感じながら、『軍神』はぽつりと呟いた。


-----


「…『学生試験調査団模擬戦闘ランキング戦』?」

無駄に長いネーミングの上、言いにくさの塊でしかないそのイベント名を復唱し、とことこと隣を歩く少年は柳眉を寄せる。

すらりとした長身に、それなりに鍛え抜かれ均整のとれたしなやかな身体。その上から纏う裏地の蒼い黒の上着は、それとは真逆の色彩の雪白の髪がよく映える。

長い前髪の下の、黄金の散る瑠璃の瞳。隼人と歳を同じくする少年は、ちろりと隣を見遣り。

「それはなんだ?」

「あ〜エリート様。…ヴァイスには縁のない話だな」

『エリート様』と言った瞬間に雪白の少年。――ヴァイスがあからさまに顔を顰めたのを目撃した隼人は、慌てて言い直す。

――やっぱりまだ、名前を呼ぶのは慣れない。

先日同級生であり何かと縁があるマリンブルーの長髪の少年に胸の内を論破されて以来、隼人はなるべく名前で呼ぶよう務めている。だってここで名前で呼ばなければ、負けた気がするから。

――近しい人を失う恐怖。

それをトラウマとして胸に傷を負った隼人は無意識のうち、近しい間柄になりそうな相手の名前を呼ばず、それ以上の接近を避けるように生きてきた。

という理由もあるけど。

と、正面に向けていた瞳を右隣へ移す。隣人には気づかれないよう、そっと。

春。迷宮区での初対面は最悪なものだった、その戦闘力の高さから、出生の難しさから自由を制限された『死神』の異名を持つ少年。

なんやかんやありその『主人マスター』として契約印を有する運びとなってから、はや4ヶ月。

その間色々なことがあり、お互いの距離としては限りなく近くなったものだとは思うけれど。――それはそれとして、逆にどう接したらいいのか難しい。

普通に接すれば良いのだろうけど、その普通ってなんだ?何が正解なんだどうするのがベストなんだ?とその頭脳を無駄に空回りさせている、今日この頃。

そんな隼人の沈黙に違和感を感じたのか、ヴァイスは訝しげに瑠璃の双眸で、僅かに見下ろす深紅のそれを覗き込む。

隼人が1度迷宮区でその右腕を吹き飛ばして以来、まるで自分がその代わりなのだと言うように、隼人から見て右側から。

「何?」

「いや何でも。え〜っと『学生試験調査団模擬戦闘ランキング戦』の話な。まぁそのままだよ」

学院内の石畳の回廊を軍靴を鳴らしながら、隼人は簡潔に説明する。

「聖グリエルモ学院の生徒は学院卒業後は正式登録されている正規調査団に入団するのが一般的だ。よって『試験調査団』は学生の時点でチーム戦に慣れるために、学院が設けた制度のひとつだ」

「隼人はその試験調査団には入ってないのか?」

「義務じゃ無いから。あとソロの方が気が楽」

「…そうだろうな」

「なんだその顔は?俺が別にチーム戦ができないわけじゃないのはお前も知ってるだろ。俺は自分で選んでソロ活動してんの」

「そういうことにしておく」

それ以上言い合っても不毛と判断したようで、ヴァイスは小さくため息をついて無理くり納得を決め込む。半目に開かれた瑠璃の瞳は断固として認めてはいないようだが。

気を取り直すようにして一息ついて、隼人は説明の続きを喋り始める。

ちなみに。彼自身は自分をワルぶって見せようとしているのだが、こういう細かな気配りと言い人の良さと言い、彼の根本的なお人好しな性格が端々に滲み出ているので、最近は知る人には生暖かい目で見られていたりする。

閑話休題。

「で、その『学生試験調査団模擬戦闘ランキング戦』っていうのは、そういう学生だけで構成された試験調査団同士で模擬戦をして、どのチームがいちばん強いかってのを決めるものなんだと。決まって夏休みにやるらしくて、それが学生間では毎年の楽しみらしい」

参加する側としても、ギャラリーとしても。

ここだけの話、ギャラリーに関しては『どのチームが1位になるか』という賭け事が行われているらしいが、かけるのは金銭ではなく迷宮区から出土した聖石や年代物といった物品に限ることで、学院側も黙認している。

大凡の概要は把握出来たようで、ヴァイスはふむ、と口に手を当てて何やら熟考し。

「…なぜ夏休みにやるんだ?」

「元々これは暇を持て余した昔の学生たちが勝手におっぱじめたイベントらしい。そもそも学院が考えた制度でもなければ基本的に成績にも反映されない」

けど、とヴァイスの新たな疑問に先回りする形で隼人は続ける。

「だから出場する試験調査団はみんな有志だ。大体は腕試しとか暇つぶしとかだろうけど、毎年の優勝チームの報酬が結構良いらしくて、それ目当てで参加するチームは年々増えてるらしいぞ」

突っ込んだ話をすれば、それは幻級の迷宮生物の体毛だったり体の一部だったり。またある時は確率1/10000と言われるほど希少な聖石だったり。――どう考えても学院サイドがバックについていなければ到底用意できない逸品の数々。

それらを求めて参加するチームは後を絶えないらしい。それが学院側の『戦力向上』戦略とは知らず。

ふ〜ん、と聞いてきたにしては関心の薄いヴァイスは嘆息し。

「で、そのランキング戦に出て上位に入らなければ、隼人は留年するのか」

「現時点で留年確定してるから、それを見逃してくれるって話な。は〜めんどい…。というか無理じゃないか」

「何故?」

ことり、と首を傾げるヴァイス。どうやら本当に疑問に感じているらしい。隼人はそんな相棒の姿を目の端に映しつつ、指を立てながら説明する。

一つ。

「学生間の娯楽イベントだが出てくるチームは本気のやつも多い。上位にくい込むにはそれなりのチームメンバーが必要だ」

二つ。

「一人一人が強くてもチームプレイが重要になる今回のイベントは、シングルコンバットの成績は宛に出来ない。重要なのはチームプレイになる」

そして、最も重要である、三つ。


「――そもそもこれは団体戦。最低人数は5人。俺にはそんな人望はない」


言い切った瞬間、二人の間にはなんとも形容し難い、どんよりとした空気が落ち込む。あの表情があまり動かないことで有名なヴァイスでさえも、気まずそうについ、と目を逸らす。

「…その。わかる人には分かるだろうから、人脈の狭さは気にしなくてもいいと思う」

「励ますなもっと惨めになる」

慣れないヴァイスの励ましに、隼人は憎らしげにじろり、と据わった深紅の瞳で一瞥する。その視線から逃げるようにして、さらに逸らされる瑠璃の瞳。

そもそもこれは自分の日頃の行いのせいなのだ。他者との不必要な接点を避け、わざと近づけさせないようにつっけんに、孤立を徹底した。成績も相まって、近づいてくる物好きは居ない。

――いや、1人だけいたか。

「は〜。こんな時セオが居ればなぁ…」

「…誰?」

知らない人物の名に、ヴァイスは瑠璃の双眸を眇めながらたずねる。その声音がすこし軋んでいたことに、隼人は気づかずに。

「俺の前のルームメイトで、講義室でもお前の前に隣によく座ってた奴だよ。誰にでも優しくてお人好しで良い奴で。…まぁ、春に迷宮区で死んだんだけど」

もしかしたらとも思ったが、あの後道中に彼のちぎれた腕だけが見つかりとっくの昔に死亡が確認された、当時唯一隼人と関係を持とうとした少年。葬儀の際には人影に隠れひっそりと悼んだことは記憶に新しい。

本当に惜しい人を無くしたと。心の底でそう思う。

「俺に付き合わなければ、死なずに済んだかもな」

ははっ、とから笑いをして重くなった場をどうにかして盛り上げようとするが、しかしヴァイスは笑わない。振り向いた先、静謐さを増した瞳が隼人を射抜く。

「…ここにいるだろ」

「?…誰が?」

「僕は死んだりしない。僕の願いを遂げるまで、君も死なない」

その会ったことも無い少年のように。君を置いて、死んだりしないと、そう顔に書いてあって。隼人はおもわず目を見張る。

そういう意味で言ったわけじゃないのだが。彼にはどうやら自分の姿が寂しげに映ったのかと。そう思って、いらない心配かけさせたな、と反省する。

しかし。

「だから。よくそう恥ずかしい台詞を正面から言えるよな」

「事実を言ってる」

迷宮区の最奥部から拾われて。記憶もない言葉も知らずに育てられて4年。その見た目に反して赤ん坊のように純粋無垢なこの少年の言葉はいつもストレートだ。

正直、言われるこちらが恥ずかしい。

その気恥しさを紛らわすように、隼人はわざとらしく軍靴を鳴らして早足で回廊を進む。歩いた先に宛は無いのだが。

「兎にも角にも、まずは人を集めなきゃならない。…4人も集めろとか、一体どういう苦行だよ」

ハーバード大学の教授を唸らせる小論文を作れ、の方が隼人にとっては遥かに簡単だ。それほどまでに『仲間を集める』という問題は、彼にとっては高すぎる壁なのだ。

そもそも誰に声をかければいいんだ?同級生はおろか同じ講義室内にいる同級生ですらうろ覚えなのに。

頭を抱えながらうんうんと悩む隼人を他所に、ヴァイスは音もなく隣に並び立つ。その心底不思議そうな、瑠璃の双眸。

「4人じゃなくて、3人だろ?」

「は?」

ヴァイスはさも当然のように。山を下って大海へ注ぎ込まれる水のように、自然の摂理を説くように。


「――隼人と僕。だから必要なのはあと3人だ」

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