3-1.トリスメギストスの英智
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――懐かしい夢を、見ていた気がする。
ふ、とまぶたを開けると辺りはまだほの暗く、予定していた起床時刻よりも早い事が分かる。
上体を起こして隣を見る。今週の初めに押しかけてからは当たり前に寝そべっている影が、今日はどこにも無い。
ハヤトはあれから出ていったきり、戻っていない。
正確には、戻ってきたく無いのだろうことは、容易に想像できる。自分が同じ立場ならそうするだろうし、今戻ってこられても正直困る。
どういう顔をして向き合えばいいのか、分からないから。
再び沈みそうになる気持ちを、頭を振って払う。これから迷宮区の、それも最前線へ向かうのだ。気持ちを切り替えなければ。
そう意識して着慣れた『タキオン』の団服に袖を通す。自分と同じ色彩でハヤトが着用しているものとは真逆の、純白と蒼碧の制服。その上から腿と腰裏の拳銃嚢のベルトを外れないようにしっかりと通す。
最後に、寝込みを襲われてもいいよう癖で枕元に忍ばせておいてあった自動拳銃を引き抜き、軽く動作を確認し、安全装置をつけて拳銃嚢にしまい込む。
短い身支度を済ませふと、窓を見つめる。――右耳に揺れる、紅と銀の制御装置。
――もう、ここへは戻れない。
だって、あんな最低なことを言ったのだから。
徐にそれを外して、決別のようにデスクへ置いて。
それでも未練がましく後ろ髪を引かれながら、ヴァイスは部屋を後にする。
「――随分早いね。まだ出発まで時間があるぞ」
宿舎を出ると同時。入口のすぐ脇からの問いかけに、ヴァイスは足を止める。振り向いた先には自分と同じ団服に身を包む、金髪の麗人。
「そっちこそ。出迎えなんて珍しい」
「息子の初陣を、主人と離れるのが嫌になってバックレられても困るからね」
アルベルトはもたれていた壁から背中を浮かせ、ヴァイスの些細な変化に気づく。
「おや、首輪はどうした?」
「……」
置いてきた、と言おうとして口を閉ざす。その自分の行動に、この期に及んでもまだ執着する自分に、ほとほと嫌気がさす。
そのヴァイスの様子に、アルベルトの翡翠の双眸に驚きの色が指す。
「お前が言い淀むなんて珍しい。ようやく人間らしくなってきたじゃないか」
カズキがみたら喜ぶんじゃないか。と続く言葉にもヴァイスは俯いたまま。まさにその事で落ち込んでいるのだから、心境としては複雑だ。
恩師の名前にも反応しないヴァイスをしてアルベルトも何かを察したようで、それ以上の茶々は入れなかった。
代わりに。
「何故ハヤトがレグルス・アマデウスの接近をゆるし、オリバー・ブルームフィールドと関係を築こうとしているか、お前は考えたことがあるかい?」
なんの前フリもないいきなりの問いかけに、ヴァイスは怪訝そうに顔を上げる。その真意を測りかねた、胡乱げな瑠璃の瞳。
その様子に嘆息し、アルベルトはひょいと肩をすくめる。やはりな、と言いたげに。
「あの子の優しさは、近しい者ほど分かりにくいものだからね」
*****
「…ハヤト先輩、大丈夫ですか?」
朝。昨晩のハヤトの言いつけ通りに迷宮区ではなく2年歩兵科の講義室へ向かうと、いつも通りの席でハヤトは突っ伏していた。
赤銅色の髪はいつもより割増で散らばっており、その間から除く深紅の瞳は血走っていて、ちょっとしたホラーだ。
どう見ても死に体である。
「はぁ…昔は一徹も二徹も三徹も余裕だったんだけどなぁ…もう若くないってことか…」
17歳で何を言ってるんだこの人は。
と思うがまだ12のレグルスには17のハヤトの気持ちは分からないので頭を振って追いやる。
ちなみに、昨晩はあれからオリバーと明け方まで予定を詰めていて、ようやく渋々と帰った部屋はヴァイスは出たあとで、机の上には渡したはずの制御装置が置いてあって、その事で悶々と考えていた結果の徹夜なのだが、当然レグルスは知らない。
「昨日はその、ごめんなさい」
それは昨日ハヤトの部屋を訪れたあと、正確には1人項垂れていたヴァイスを見てから、ずっと心の中で反復していた謝罪。
直接的な原因ではないにしろ、あの空気を作ってしまったのは自分のせいだと、レグルスは悔いる。反省するくらいなら最初からやらなければいいのにと、我ながら思うけれど。
けど、少しくらい八つ当たりしてもいいじゃないか。――憧れた人の近くに、あいつはずっと居れるんだから。
だけど、そんなことはまるで理解できないといいたげに、ハヤトは素知らぬ顔だ。本当は、分かってるくせに。
「謝るならこっちだろ。言うだけ言って勝手に居なくなって悪かった」
「…その、何があったんですか?」
「青春」
「はぁ…」
青春してたって、自分で言うセリフだっけ?
こてん、と首を傾げるレグルスだったが、この軍神の考えることは凡人には到底理解できないんだろうなと納得しておく。
なお、『青春』と言ったのはオリバーなのだが、生憎とレグルスには親しい面識はない。
と考えていると、兎に角といったようにハヤトは肘を立てる。
「さっさとミーティング済ませて行こう。最終日くらい、気楽にやろうぜ」
そう、今日は待ちに待った学年交流会最終日。レグルスはずっとこの時を待っていた。――本当のことをいえば、この時を迎えたくはなかったけれど。
でも、と。だからこそレグルスは笑う。目の前の英雄と同じ表情。
「――そうですね。面白おかしくやりましょう」
最後だからこそ、めいっぱい楽しもうじゃないか。
最後の、冒険を。
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暫しのミーティングを終え、ハヤトとレグルスは他の学生同様に迷宮区へ向かう。
迷宮区『サンクチュアリ』表層域、第7階層の土を踏みしめながら、2人はとぼとぼと歩く。
「…居ませんねぇ」
「…居ないなぁ」
同じ問答をしながら、かれこれ3時間である。その間数回迷宮生物との戦闘もあったが、本命ではない相手に容赦なんてするはずもなく、ほぼ瞬殺でレグルスが終わらせている。
スレイプニルは表層域を住処とする迷宮生物だが、だからといって遭遇率が高いわけではなく、むしろ下層域の迷宮生物が偶然登ってきて会敵するよりも、下手したら下回るかもしれないレア中のレアだ。
しかも、今回に限っていえば。
「…今、繁殖期だもんなぁ」
タイミングが悪すぎた。
「そうだったんですね、知らなかった…」
「貰った資料にはなかったからな。いや俺も気づけばよかった」
そう、繁殖期。
迷宮生物も一応は『生物』なので、地球上に生息する普通の生物と同じように繁殖周期があり、その周期も個体差がある。
スレイプニルの繁殖周期は今がちょうど絶頂。と言うよりも少し下降傾向で、育児の真っ只中だ。
人間にだって育休があるご時世だ。迷宮生物だって子育て中に有象無象に構っている時間もなく、殺気立っている頃合だろう。
いくら温厚な迷宮生物だとしても、虫の居所が悪い時だってある。ということで、ハヤトしてはぶっちゃけ遭遇したくないな、と思い始めていたりする。
このままフラフラ歩いていてもいいのだけれど。
「…『死神』も言ってたかもしれませんけど、」
このタイミングを逃せば、もう話せないかもしれない。思ってレグルスは意を決してそう切り出す。
隣を歩く自分よりは高みからんー、と短く返答が来る。何も気負うことの無い、緊張感の欠けらも無い反射的な声音。
「ハヤト先輩はもう少し危機感を持った方がいいんじゃないかと」
「迷宮区に潜る時はいつも死んだわって思ってるけどな」
そんな純粋な危機感ではない。そういう話をしているのではないことはハヤトにだって分かっているはずだ。けどこの先輩は、この期に及んでまだ気付かないふりをしてくれている。
その不器用な優しさが、レグルスには嬉しくもあり、歯がゆくもある。
だから、1歩踏み込む。
「オレは貴方を利用しようとしています」
「でも殺すのが目的じゃない。だったら早々に殺してるはずだ。てことは目的は別にある、だろ?」
踏み込んでくるのならもうしらを切る必要は無い、というようにハヤトはレグルスの言葉に即答する。
「まぁ多方、孤児院の連中を助けて欲しいってところか。どうせあの貴族の事だから、タダで慈善活動なんてやらないだろ。上物でも狩ってくれば助けてやる、なんて取引でもあったか?」
じゃなけりゃいきなりスレイプニル狩りだなんて言い出さない。とハヤトはごくごく自然に肩を竦める。淡々と飄然と、ひたむきに隠し通していた真実が露呈する。
突然現れた初等部の少年。
迷宮区に向かう道中で遭遇した孤児院の子供たち。
図ったように現れた孤児院のパトロン。
こんなことは彼にとっては推理にすらならない。初日の時点で全てのピースが揃っていたのだから、あとははめるだけ。欠伸をしながら片手間にできるほどに、実に簡単すぎるゲームだった。
「しかし、そう単純に解放するとは思えないけどな、大事な実験材料を。お前こそ利用されてるだけだぞ」
「…まぁ、それはそうでしょう」
レグルスはその言葉に薄く口の端を歪める。そんなことは、分かっている。あのくそ野郎共が、こんな約束を守るはずが無いことくらい。
スレイプニルは次の実験の材料で、用済みを自分を体良く処分するための理由。
レグルスの寿命はもう残されていない。しかしその辺で野垂れ死んで彼の身体の秘密を知られれば、貴族連合よりも前にあの執行人が現れる。
だから、そうなる前に穴蔵の底で『処分』するのが、クロス家のやり方だ。
そんな自分が、最後のあがきにできることは限られる。
「だから、取引の内容を捻ってみたんです。『解放』じゃなく、『人体実験はしない』という内容に」
そうすれば少なくとも、孤児院の年少たちの身体が開かれることも、弄り回されることも無くなる。少なくとも今よりはマシになるはずだ。――化物の自分と同じになることは、無いはずだから。
ふ〜ん、と右手を口にあてながらハヤトは物思いに深ける。その些細な行為が彼が『軍神』としての知恵を発揮する動作だということは、本人は気づいていない。
「俺を使おうとは思わなかったんだな」
「思いました」
「即答かよ」
ドヤ顔でえへん、というレグルスに半目でハヤトは突っ込む。そこはもう少し隠せよ、と。
その様子が少し面白くて、レグルスは微笑する。少し悲しげに、憂うように。
「カズキにハヤト先輩の話を聞いた時に、真っ先に考えました。その頭脳を使ってあの貴族を落ちぶらせてやろうって思ったし、オレには探さなきゃならない本当の家族もいた。その手がかりとかも掴めるかもって。でもあれから貴方は迷宮区を去って、その間に随分と。…子供たちは死んでいきました」
もう疲れたと、その小さな王は項垂れる。
いくら小さな子供だろうが、大人数で襲いかかればあるいは、と思っていた。それを実行するにはまず作戦が必要だ。
でも、その作戦を考える頭はレグルスにはなく。
話に聞いた、一縷の望みの『軍神』も去った。
闇雲にやって、被害を大きくしたくないと機を伺っている間にさらに多くの子供たちが散り、かつて志同じくした同志も死に絶え。――自身の生命活動も限界が訪れた。
――生き別れた弟と、たった1度再開することも出来ぬまま。
「だからこれがオレにできる、最後の抵抗です」
過去の弔いは出来ずとも。
弟を見つけることが出来ずとも。
――子供たちの未来を繋ぐことが。
静かに告解を聞いていたハヤトは最後まで遮ることなく全てを聞き終え、そして訝しげに問いかける。
じゃあ。
「なんで俺のところに来たんだ?」
レグルスは、ハヤトを利用するために近づいたと告白した。
だが、スレイプニルを狩るためだけなら筋が通らない。彼ほどの戦闘力があるのなら、ハヤトの力を使わずとも狩るのは容易のはずだ。ハヤトにわざわざ近づく必要はない。
ならば保険?それならばあれほど執着するのも不自然だ。
そもそもハヤトは彼の本当の家族についてなんて、たった今知った。ましてそれが、弟だなんて知るはずもなく。
ようやく危機感を持ったように身構えるハヤトの問に、レグルスは笑う。
サプライズが成功した子供のように、純粋で清々しい笑顔。
だってそうだろう。
自分のような凡人が天才の頭脳を、予測を超えることが出来たのだから。
1歩先を歩く小さき王は、振り向く。年相応の無邪気さで。
「――最後に。憧れた英雄と、冒険がしたかったんです」
それだけが、レグルスに残された最後の願い。
どの願いよりも簡単に叶えられる、ささやかな願望。
でも、それでいいんだとレグルスは思う。
なんて短い、くそみたいな人生でも。――これだけで、なんて輝かしいものになるんだろうと思えたから。
向かい合った先、英雄の顔浮かぶのは憐憫と悔恨が入りまじる、悲嘆の表情。
その揺れる深紅の双眸を、白銀のそれは見つめ返す。そんな顔をしないで欲しいと。
同情して欲しいわけじゃない。
ただ純然と。彼と共にこの迷宮区へ来られたことが、本当に嬉しいのだから。――嬉しい時には、笑うものだ。
だから彼にも、笑って欲しい。
二色の交錯は一瞬で、レグルスはその場で深く頭を下げる。
「ハヤト先輩、義弟にしてくれてありがとうございました。オレの勝手に付き合っていただいて。振り回してばっかりで迷惑だったと思うけど、オレはこの1週間とても楽しかったです」
この話はこれで終わり。短かった夢から醒める時間。
話を終わらせようとするレグルスにハヤトは声をかけようとするが、構わずレグルスは続ける。あの憎たらしい、雪白の少年を思い浮かべながら。
「これ以上ハヤト先輩を巻き込むつもりはありません。きちんと宿舎までお連れします。あの『死神』にも言いましたから」
だからもう、自分のことは忘れろと。続けようとした、その時だった。
「――なんだ、意外に女々しい願い事だね。実験体495」
軍靴を鳴らして現れたのは、黄の裏地の制服に身を包む、スカイブルーの頭髪の錬金術師。
「……マークス」
「怖い怖い。まるで獣だね495。いや、獣かお前は」
肩を竦めながら飄々と歩みでたマークスはレグルスのひと睨みを受け流す。
「なんの用?お目当てのスレイプニルならまだだけど」
「あぁあれか。必要なくなった」
さらりと告げられた新事実に、レグルスは白銀の双眸を眇める。
「…どういうこと」
「さらに価値のある実験が成功した、ということだよ」
そういうとマークスの影に隠れるようにして立っていた影を引っ張り出す。
ハヤトがこの学年交流の初めに見て、レグルスにとっては見慣れたその子供。迷宮区へ向かうレグルスを「さぼり?」と言った比較的年長の少年。
「――ヴィル?」
ヴィル、と呼ばれた少年はしかし、名前を呼ばれてもなお反応することはなく、その瞳も虚ろのままで焦点がまるで合っていない。
「どうしてヴィルをっ!この子はまだ手術を、」
「待て」
マークスに詰めよろうとしたレグルスの前に、ハヤトが滑り込む。マークスとの間に割ってはいるように。――その殺気に、レグルスは無意識にたじろぐ。
「…俺はこうまでしろとは言ってねぇぞ」
その声は今まで以上に低く、烈火のごとき熱を帯びる。そのハヤトの尋常ではない様子に、改めてレグルスは正面を。――ヴィルに向き直る。
何かが変だ、とようやく気づいたのはその時だ。――背が幾分か低い、気がする。
「俺は迷宮生物同士を掛け合わせればと言ったんだ」
「それだと意思疎通が難しいだろう?」
「覚えさせろよ、そのくらい」
「非効率的、だろう?」
ハヤトの返しに、マークスは人差し指を左右に振る。数日前ハヤトが彼に対してやったように、それは意趣返しだろう。
然して錬金術師は、己の到達した真理を口にする。
「――人間と迷宮生物の遺伝子を組み合わせた方が効率的だ」
マークスの言葉の意味が、レグルスには瞬時に理解することが出来ず、呆然と立ち尽くす。人間と迷宮生物の遺伝子を組み合わせる?
「それは、」
どういうことか、と聞き返そうとしたところで、答えたのはハヤトだ。
深紅の双眸を険しく眇めながら、簡潔に端的に、レグルスの問に返答する。
「――クローンだよ。人間の遺伝子使ってそっくりそのままの人間を作り出す技術」
それはレグルスにも分かる。どっかのお偉いさんや金持ちが、自分の優れた遺伝子を後世へ遺そうとして、変に金を費やしている先端医療。
でもなぜ今この場でその話題が出てくるのだろうと考え、答えにたどり着いた瞬間、レグルスは時間が止まったかのような、そんな錯覚に陥る。
全身の血が逆流したかのように、指先の感覚がない。
なのに心臓の音だけはどくどくと、うるさく耳朶を打つ。
そのレグルスの様子を知って知らずかマークスはやれやれと首を振る。
「クローンだなんて味気のない。錬金術風に『人造人間』と言って欲しいね」
錬金術師のその何気ない一言で、その答えが正解だということにレグルスは気づいてしまい、震える口からうめき声のようにこぼれ落ちる。
「――迷宮生物の遺伝子を持った人間を、一から作ったってこと…?」
その驚愕に、畏怖に満足したのかマークスは整った顔を醜く歪める。口の端をこれでもかと吊り上げ嗤う。
「どうかな?今度こそ素晴らしい作品だろう?命令すれば一瞬で迷宮生物へ早変わり。戦闘後は元の人間の姿へ戻り生命活動も停止しない。全ての問題をクリアした、まさに新人類の誕生だ」
あまりの残虐さに声も出せずに呆然と立ち尽くすレグルスに、マークスは神父のように語り聞かせる。
だから、問題は無い。
「お前との約束は果たそう、なにしろ。――あのガキ共はもはや、大事な遺伝子提供者たちなのだからね」
鳥籠に囲って、死ぬまで搾取し続ける。
より良質な遺伝子を求めて、体の隅々から様々な形で取り出して。もし良質な遺伝子が見つかれば良質なもの同士掛け合わせればもっと良質な遺伝子が搾取できる。あぁなんて。
――素晴らしい技術なんだろうか。
――狂ってる。
それ以上に当てはまる言葉は、ハヤトには思い浮かばない。
しかし、レグルスはもう聞いてはいなかった。
孤児院の、血の繋がりなんて一切ない。見捨てて置いても良かった子供たち。
その子供たちと、あまつさえこれから生み出される無数の同じ顔をしたクローンたちを。
――こんな、下衆に弄ばれるなんて。
潰す勢いで拳を握り、砕かんばかりに歯を軋ませて、小さき王は咆哮する。
「――っ貴様ァ!!」
瞬間、ハヤトが止める間もなくレグルスは小さく格納していた得物を掴みあげ、疾風のごとき勢いでマークスへ突進する。
――こんなひ弱な人間ごとき、一振で潰してやる。
しかしマークスは回避行動をとることはなく、嘲りに一息をこぼし。
「命令だ。――あの出来損ないを殺せ」
刹那。命令を受けたヴィル――いや、ヴィルではない『なにか』はビクリと反応すると、ボコボコとうねりを上げて変形し、やがてそれは彼の遺伝子に組み込まれた迷宮生物――北欧神話における冥府の番犬『ガルム』の姿に変貌する。
振り上げた前足は遥か高みから振り落とされ、過たず主人を狙う不届き者に直撃。
レグルスは獣さながらの反射神経でこれを防ぐが、その小さな身体では衝撃の全てをいなすことは出来ず、吸収されなかった勢いは立っていた地面を陥没させる。
直後に襲う浮遊感。レグルスは為す術もなく重力に従って瓦礫と共に大穴へ投げ出され。
「――出来損ないは出来損ないらしく、地の底で人知れず野垂れ死ぬのがお似合いだよ」
その呪いの言葉を最後に、レグルスは瓦礫と共に闇へ堕ちた。