2-3.昏迷の聖徒たち
予想外にも学年交流は特にこれといった事件もなく、日常は過ぎていった。
普段と変わらず授業を受け、レグルスと共に迷宮区へ潜り、たまに彼が隼人の手伝い(と言ってもやっぱり何もすることは無いので後ろをついてまわるだけ)をしたり、平々凡々だ。
そして、週末前日。つまり木曜日。
「――明日、こいつを狩りに行きましょうっ!」
その日の授業を全て終えた放課後。もう普段通りになりつつある終業後のレグルスの来訪と、その日だけはいつもと違う誘いに隼人とヴァイスは揃って目を瞠る。
「こいつ、って…また随分と大物を狙うんだな」
言うと同時、レグルスが出てきた調査書類に記載された写真には8本もの脚を持った迷宮生物――スレイプニル。
北欧神話における主神・オーディンが騎乗したとされる神獣の勇ましい姿が写った書類をずいっ、と隼人の眼前に突き出しむふぅ、と何故か自慢げにレグルスは頷く。
「はいっ!ハヤト先輩ならちょちょいのちょいでしょう?」
「そうだな、ちょちょいのちょいで殺られるな。俺が」
レグルスの自慢げな様子の意趣返しか、隼人も自慢げに頷く。音速で死ぬ自信がある。
「最後の締めだからって、そんな大物狙いに行く必要ないだろ」
そう、今週末。つまり明日の訳だが、長いようで短かった学年交流が幕を閉じる。
各々良き関係に恵まれた上級生下級生はこの交流会後も引き続き『義弟妹』としての関係を継続しても良いのだが、隼人自身そのつもりは毛頭ない。
教えることがない以上続けても無意味だし、そもそも小さい子供は理屈が通じないという元も子もない理由で苦手なのだ。
その大締めとして、最後の授業として今回関係性を築いたもの同士で協力して、迷宮区から珍しい物品や迷宮生物を討伐するというのが、暗黙のルールになっている。
暗黙のルールなので、元々は最後に実技講義として迷宮区に入りましょう、というのが学院側の方針だが、それはそれで成績もつけやすいし学生たちのやる気も向上するのではないか、という判断の元黙認されているのである。
閑話休題。
「大丈夫ですって!ハヤト先輩はいつも通〜りに後ろで指示してくれれば。あとはオレがやりますんで」
「そこは手出ししないから安心しろ。じゃなくて、」
「そんなこと言って。ハヤト先輩だって1度は狩ってみたいって思ったんじゃありません?」
一旦そこで言葉を切るとぐい、と2人の距離は狭まり。
「だって、売ったら1ヶ月は何もしないで暮らせますよ?」
スレイプニルは比較的上層を住処とし、なおかつ迷宮生物にしては気性は穏やかな部類だ。かつてオーディンと共に駆けたとされる逸話からか、人間にも温厚。
そして。――その蹄は『空を翔る』能力を使用者に付与すると言われ、大変高額で取引される。
そんな金の成る木を借金返済のために仕方なく迷宮区へ潜る羽目になっている隼人なら無視するはずは無いのだが、腐っても迷宮生物。残念ながら隼人の腕では歯が立つはずもなく、選択肢からは外した経緯を持つ。
しかし。
「どうしますぅ〜、オレだったらちょちょいのちょいで狩って来れますよ〜?分け前は3:7でどうでしょう?いや〜お買い得ですね?」
「ぐぬぬっ…!」
まるで悪徳商法を企てる悪の商人宜しくどす黒い顔で迫るレグルスから逃げるように、いつも通り隣に座るヴァイスに助けを求める。
「ヴァ、ヴァイスは来るのか?」
何度も言うがヴァイスには講義を受ける必要性は皆無である以上、普通であれば行かない一択。しかし頑なに「守る義務があるから」と同行を強行している彼であれば、付いてくるのだろうと思っていた。
のだが。
「…すまない。明日からは『タキオン』に戻らなくちゃいけない」
「あぁそうか。下の階層に繋がる道が見つかったんだっけ」
迷宮区『サンクチュアリ』の全容は確認されているだけでも666階層。しかしその最奥部――660階層以下、最奥部まで実際に辿り着いたのは2年前、隼人の兄・一樹ただ1人だけだとされている。――その後謎の崩落が起こり、最奥部への道は今は瓦礫の山。
この『666』という数字は透視能力をもつ異能力者が確認した数値であるが、崩落により前線は一時後退、現在攻略が進んでいるのは630階層まで、というのが現状である。
その、631階層へ続く通路がついに発見され、当然その第一線を任されたのは多国籍最上位迷宮区調査打撃群『タキオン』である。
ヴァイスは元々『タキオン』所属の調査員であり、現在は隼人が彼の契約印を所持しているため同行を特別に許可されているが、生憎と切り札を遊ばせておけるほど、最前線の攻略は甘くはない。
よって要請があれば、ヴァイスは『タキオン』へ戻らねばならない、という取引で落ち着いた。
ということは、とふと考える。
明日からは、最近はようやく違和感の無くなった隣の体温が無いのか、と。
「……」
分かりやすく肩を落とすヴァイスに、ここぞとばかりにレグルスは見下した笑みを浮かべて。
「オレが代わりに守ってあげるから、あんたは安心していいよ?」
その挑発的な言葉に隼人はそろりと隣を伺う。なんでそういつも喧嘩腰にしか話せないかな、と。
しかし喧嘩を売られたヴァイスはと言うと、僅かに眉を寄せたものの、しかしそれ以上は何も言わずにムスッくれるだけ。
このところはずっとこんな感じだ。
隼人がオリバーと話していたあの昼休みに何かあったらしい、ということは直後から薄々感じているのだが、しかし突っ込んで聞いてもいいものかと聞きあぐねている。
…誰にでも言いたくないことの一つや二つあるだろう、なんて。自分でも逃げてるなと思うけども。
「そもそもあんたが厄介事持ってくるんじゃないの?人付き合い苦手そうだし」
と、一人思考しているとサンドバック宜しくレグルスの毒舌がヒートアップしていたので。
「おい、その辺にしとけ」
「先輩だってそう思うことありません?『死神』じゃなくて『疫病神』って」
「そりゃまぁこいつが噛み付いたせいでリンチ受けたことはあるけど」
しまった、ついうっかり口を滑らせた。隣の様子は伺うまでもなくどんよりだ。
流石にこれはまずい、と思い隼人は分かりやすくごほん、と仕切り直す。
「だからといって、本人も望んでないことかもしれないだろ。ノストラダムスだって何も『世界滅んで欲しい』から予言書をまとめたわけじゃないだろうし」
なんとも締りのないフォローだったがどうやら渋々と納得したらしく、レグルスはそれ以上は言い募ることなく引き下がる。
「明日のことはまた夜までには考えておくから、放課後にでも宿舎に来てくれ」
「分かりましたっ差し入れ持っていきますね」
「いらんわ普通に来い」
これまたこの1週間でやり慣れた軽い言葉の応酬をこなし、自称義弟はてててと小走りに去っていった。
*****
「――さっきの話。やめるべきだ」
放課後。まだ完全に右腕が治りきっていないハヤトは春先からの日課であった借金返済のための迷宮区潜りを自粛しているため、直帰した宿舎の二人の自室。
裏地の紅い制服を脱ぎながら、怪訝そうにハヤトは振り返る。
「その場で言えよ」
「それは…」
ハヤトの最もな意見に、ヴァイスは口を噤む。だって。
その場で返したら、あの子供に何を言われるかわかったものじゃない。
ヴァイスの煮え切らない返答にはぁ、と嘆息しながらクローゼットを閉める。
「まぁけどスレイプニルくらいなら、お前がいなくても何とかなるんじゃねぇの?それに、」
一旦言葉を切ってひょい、と肩をすくめる。こちらを伺うように、気遣うような深紅の瞳。
「俺だって子供じゃないんだし。自分の身くらい自分で面倒みれるよ」
それは、そうなのだろうとヴァイスは思う。ハヤトだってもう17だし。いやそうではなく。
彼自身の評価は、彼自身が一番よく理解しているだろう。だからこそ彼なりの処世術を身につけ、まがいなりにもこの迷宮区で生き残っているのだから。
でも、心配なものは心配なのだ。特にあの、何かを企てている少年がうろついている今は。
ハヤトもその事は理解した上で、そばにいるのを良しとしているが、なぜそうしているのか。その真意すら正直いってヴァイスには分からない。
そう、分からないのだ。心配だと思うその気持ちともう1つ。――胸につかえるこのモヤモヤが。
そんなヴァイスの気持ちは口にしていないのだから相手に届くはずもなく、当の本人はまぁ、と冗談混じりに続ける。
「いざとなったらあいつを頼るさ。俺よりめっちゃ腕立つし」
ハヤトにその気は全くなかったが、しかしちょうどその『あいつ』について考えて、そして苛立っていたヴァイスはついかっ、と血の気が上がる。
口から滑りでた声音は、抑えきれない苛立ちの色を濃く含む。
「…君はあの少年の方が頼りになるって言うんだな」
「…は、」
予想外の返答に、咄嗟にハヤトは反応することが出来ず、代わりに呆けた声が零れてしまう。
その緊張感のない声音にさらに苛立ってしまって、堪らず言い募る。
「彼は君を使って何か企てているんだぞ。もう少し気を張ったらどうだ」
「いや、まぁそうだけど、」
「今日の誘いだって明らかに裏がある。そんな誘いにホイホイ乗るほど、君は馬鹿だったのか」
「言い過ぎだろ」
明らかに様子のおかしいヴァイスに、ハヤトも堪らず待ったをかける。
「落ち着けよ、お前らしくもない」
「僕は落ち着いてる」
「いや落ち着いてないだろ」
『僕(素)』が出てる時点で落ち着いている訳が無いのだが、そんなことを知るはずもないヴァイス本人はあくまで冷静に続ける。
「だいたい君は脆弱なんだから、大人しくしてた方がいいって言うことに気づけよ。なのに自分から危ない橋渡って死にかけてっ。契約主の君が死んだら僕が困るんだ、僕の迷惑も考えろよっ。君が死んだら…っ、」
これ以上は行けないと、頭では理解している。だけど着火してしまった炎の勢いはそうそう止められない。
ぎり、ときつく歯を軋ませ、血が滲みそうになるほどに手のひらを握りしめ。
「――君が死んだら、カズキに合わせる顔がないだろ!」
言っしまって、はっとヴァイスは唇を噛む。
本当はこんなことが言いたかったんじゃない。こんなことを言うつもりなんてなかったのに、感情に任せてぶつけてしまって、激しく後悔する。
頭の中で反響する、あの言葉。
『――そういうあんたが1番。ハヤト先輩のこと、見てないくせに』
同一視しているつもりなんて、本当になかった。
この世界に全く同じの人間なんて、存在しない。
死んだ人間も、蘇らない。
だから、カズキのことは死んだものとして割り切って、ハヤトと出会ったのだって本当に偶然だった。
赤銅色の髪に、カズキよりも深い深紅の瞳。
レグルスの言う通り見た目はほとんど一緒で、でも性格はハヤトの方がふてぶてしいというか根暗というか、頭がキレるゆえの自信のなさ。
それでも出会ったあの瞬間、視えてしまった。――初めて自分がその瞳に映した、鮮烈な『あか』の色彩の魂の色。
もう二度と見ることは無いと思っていたその色に、ヴァイスはかつての景色を幻視した。
あの長いようで短い、たった2年間の記憶を。
ダメだと思いながら、でもその記憶は日を追う事に鮮明になって行ってしまって。理由もなくついてまわったり金稼ぎの手伝いをしたり、挙句部屋にまで押しかけて。
――自分が最低だということは、自分が一番よく分かっている。
長いようで、短い静寂。ヴァイスは下げていた視線を上げ、そして見開く。――激情が燃え盛る、深紅の瞳。
「…あぁそうかい。死人にまで義理立てするだなんて、よく躾がなってるな」
軋む声で吐き捨てると、固まるヴァイスの横をまるで居ないものと通り過ぎ、部屋のドアノブに手をかける。
すると、ちょうどよく軽くドアを叩く音が3回。
「失礼しま〜す。ハヤト先輩、明日のことどうするか聞きに来ましたっ?」
「あぁちょうど良かった。明日最初打ち合わせしてから出たいから、直接迷宮区じゃなくて一度講義室に来れるか」
「うぇっ?えぇ大丈夫です、けど」
「じゃあそういうことで」
自動じゃないのに自動で内側から開けられたドアと、家主であり尋ね人の剣幕に「何事」と白銀の瞳をまばたくが、捨ておいてハヤトは足早に通り過ぎてしまう。
その、彼らしからぬ背中を呆然と見送って、ややあって立ち尽くしたままのヴァイスを見遣って。
「…勝手にベッドの下覗いて怒られた?」
そんなわけないだろ。
がしかしそんな冗談にも付き合う気にもなれなくて、結果何も言い返せずに項垂れるだけ。
その余裕の無い様子をみて大凡を察したのか、いつもの見下した笑みの代わりに苦い表情を浮かべて。
「……ごめん、やりすぎたね」
こういう時ばかり素直に謝罪し、レグルスは居心地悪そうに桃色の頭をわしゃわしゃとかき混ぜた。
*****
「それで、私の所に来られても困るんだが」
自室のドアの縁に、今は下ろして肩甲骨辺りまで伸びたマリンブルーの頭髪を凭れつつ、隠す気のない思いっきり迷惑そうな紫の瞳をオリバーは向ける。
その最もな文句に言い返せずに、逃げるようにして深紅の双眸を伏せる。
「…おっしゃる通りで」
「来られるのも迷惑だが、突っ立ってられるともっと迷惑だ。あとでリュカにも謝っておけ」
彼の同室であり特戦クラス所属、リュカオン・ルーはオリバー付の護衛だ。赤みの強い金髪をその昔『悪魔に魂を売った呪われた一族』として迫害されていたところを一族全員ひっくるめて当時のロングヴィル伯爵が迎え入れ、以降は従僕としての任を負った同じ年齢の少年。
以前春先の一件で病室を尋ねられたことがあり、その時の『落ちこぼれ』である隼人に対しても礼節の行き届いた態度は記憶に新しい。
まぁ、程々の実力を隠しているオリバーに果たして護衛が必要なのか、そこは甚だ疑問ではある。
あれから勢いで自室を出たものの他に行くあてももちろんなく、ぐるぐるとしている間にオリバーの部屋の前にまで何故かたどり着いてしまって、「あの件についてはどうなったか確認しないといけないしな!うん!」と柄じゃない空元気で己の行為を正当化してでも扉を開ける勇気もなくてうんうん唸っていたところで、リュカオンが(空気を読んで)さりげなく退出し現在に至る、というわけだ。
その、隼人が自室を飛び出してきた経緯を聞いたオリバーの第一声が、これ。
自分が逆の立場だったら、全く同じことを思ったし言っただろうな、と思うからこそさらに居心地が悪い。
なんというか、と前置きをして、麗人は半目で嘆息する。
「青春だね」
「お前も同じ歳だろ」
「私にはそんな小っ恥ずかしい問答出来ないね」
「前にこれより数倍は恥ずかしいやり取りをヴァイスとしてたと思うけど」
「というかちゃんと帰れよ、悪いが泊められるほど懐は深くない」
自分のことは思いっきり棚に上げたオリバーの発言に突っ込むが、遮るように繰り出された最もな意見に押し黙る。それはそうだろうけど。
正直、今は帰りたくない。
ヴァイスが自分のことをバカ兄と重ねてしまっているだろうことは容易に想像がつくし、事実それでもいいか、なんて思って今日まで放っておいたのだが。
改めて正面切って言われると、多少なりともクルものもあって。
再び項垂れて下がる赤銅色の頭に、オリバーはなんの感慨もなく見下ろし。
「慰めて貰いたいなら、抱いてやろうか?」
核爆弾を投下した。
「っは!?」
「冗談だ」
「マジで心臓に悪いからやめろ!?」
「何ムキになってるんだ。好きだろう、こういう話」
「お前は俺をなんだと思ってるんだ…」
貴族流のジョークならまじでやめて欲しい。
ゲンナリとした隼人にひょい、と無言で肩を竦めると、オリバーは顎で入室を誘う。
「ちょうどこの間の件について、父上からの返答が来たところだったんだ」
内密な話になるから、ここでは話せないという事だろう。
その事は隼人自身相談した時から重々承知している。分かっている、特に深い理由はないOKOK大丈夫だ。
けど。
「…前から気になってるんだけど、」
家主である仏貴族は、隼人の問いかけにマリンブルーの長髪を靡かせながら振り返る。怪訝そうな、紫の双眸。
「お前って、あっちの世界の人?」
「入らんなら締め出すぞ」