2-1.神よ、奢るなかれ
実質『間章』のオリバー目線のお話しです~
今回はヴァイス目線のお話ですが、ちょくちょく隼人の内心も迫っていきたい…!
名前を呼べとは言ったものの、こんなに早く呼ばれるとは思わなかったので。
「――オリバー、ちょっといいか」
背後斜め上からの唐突の呼び掛けに、オリバーは咄嗟に返事を返すことが出来ず、代わりに紫の双眸を大きくまばたいた。
その様子にバツが悪そうに、少し気恥しげに呼んだ当人は深紅の双眸を逸らしながら。
「…なんだよ、別に都合が悪けりゃ、」
「いや、行こう」
昼休みに入るこの時間をあえて狙ったのだろう、次の授業開始時刻までは余裕がある。オリバーは席を席を立つと、居心地悪そうに付いてくるハヤトを先導して歩く。
広大な学院の廊下を数回曲がった先、中世のヨーロッパの路地裏のような、青少年たちの喧騒とは無縁の細い通路に出る。
すぐ上を学院上層階の渡り廊下が通っており、ちょうどその下の影が落ち込んだ空間で、2人は立ち止まる。
「よく知ってんな、こんな所」
「自分の職場の把握くらいするだろう」
そう、職場。
オリバーにとって聖グリエルモ学院はいち学生として通う学舎でもあり、そして彼の――『伯爵』としての任務を遂行する職場でもある。
貴族階級において『伯爵』とは、王の権能を示す剣であり盾。それ即ち。――権能を曇らすものがあれば容赦なく断罪する、王の写身。
特にオリバーの実家ロングヴィル伯爵家は裏社会では名が通る程であり、聞く人が聞けば一発で知れてしまう。よって普段名乗る際には名前を伏せているし、学院側にも現ロングヴィル侯から直接話を通してある。
しかしかつて『軍神』と呼ばれた、落ちこぼれだと思っていた赤銅色の少年はそのことを一見して見抜いた。自分がどのような使命を持ってこの学院へ来たのかも。――素性を知っている者に、今更隠す必要は無い。
そして。
「それで、用事とはなんだ?」
落ちこぼれの用事もこれ絡みなんだろうと予測を立ててオリバーは催促し、言いにくそうに、しかし確信を持ったハヤトの口から出た単語に、紫の双眸を眇める。
「…君は私に他国に喧嘩を売れと言っているのか?」
「そこまでは言ってないけど…」
「同義語だ。わかって言ってるだろ君」
オリバーの責め立てる視線から逃げるように、あさっての方向を流し目で見ながら、ハヤトは口をとがらせる。
「庶民の言葉を聞くのも、貴族様の責務だろ」
その言葉に、オリバーは色々な意味合いのため息を零す。
「…まぁいいだろう、父上には話を通しておく。しかしそれ相応の裏付けが必要になるぞ」
ハヤトの口にした案件は管轄を大幅に外れる。いくら無法地帯と名高い迷宮区だとしても、流石に向こう方も黙ってはいまい。
相応の根回しが必要になるし、糾弾された時用の守りが必要だ。
しかし、その事を重々承知しているであろうハヤトの返答は。
「あぁ、それなら問題ない。答えは見えてるんだから」
あっけらかんとしたその発言に、しかしオリバーはその裏を理解し人知れず冷や汗を流す。
彼はこういっているのだ。『答えは分かっているんだから、理由なんてでっち上げのこじつけでも良い』と。
その辺の科学者が聞けば顔を真っ赤にして激怒したところだろうが、生憎とハヤトは勿論オリバーもそれでは無い。
おそらく彼は『それが一番手っ取り早い』と判断すれば、いかな非道な手段だろうと狡っ辛い手だろうと選択するだろう。――それが己の矜持なのだと言うかのように。
もしかしたら、今は置いてきていない、最近は見なれた彼の隣の『死神』よりも爆弾かもしれない。
「全く、敵に回したくないものだ」
こぼした評価にハヤトはふん、と鼻を鳴らす。
「庶民なめんなよ?」
そんなことでドヤ顔されても。
庶民かどうかはさておき、この男の評価だけはさらに改めなければならないなと思いつつ。
「と言うよりも、いつまで『貴族様』呼ばわりなんだ」
オリバーの問いかけにハヤトはむ、と顔を顰めて。
「だからなんでもいいだろ、呼び方なんて」
だから、の意味を理解できずにオリバーはん、と首を傾げる。
先日同じようなことをヴァイスも尋ねたのだが、そんなことはその場にいなかったオリバーは知る由もないので、しばらく考えてやっぱり答えにたどり着かず、まぁいいかと置いておく。
「良いわけないだろ。それじゃ誰を呼んでいるかわからん。せめて家名で呼べ家名で」
「あ〜ハイハイわかったわかった、気が向いたらな」
もう貴族様のことは呼ばないだろうけど、と言い残し、勝手に話を終わらそうとしたので。
腰に佩いていた長剣を鞘ごと掴み、行く手を阻むように柄をがんっ、と壁に突き立てた。
「逃げるな」
イタリアの中心区にあり学院生の大多数をヨーロッパ人が占める聖グリエルモ学院生の平均身長は高くなりがちだ。その中では平均並みの高みから、平均値より少し低い、深紅の双眸を見下ろす。
退路を絶たれたことで恨めしそうに見上げるそれもまた、紫の双眸を睨みあげる。
「別に逃げてなんか、」
「君が頑なに他人を名前で呼ばない理由を当ててやろうか」
被せるようにハヤトの言い訳を遮って、オリバーは決定的な言葉を突きつける。
隠せ通せると思っているのか、この愚民が。
「――また失うのが怖いからだろう?」
オリバーの言葉に、転瞬深紅の双眸は見開かれ凍りつく。
その、幼い子供が親に不意打ちで怒られたかのような反応にオリバーは一瞬たじろぐも、ここで正さなければと自身を叱咤する。
それは、間違いだということを。
「名前を呼んで、それほどまでに気を許した相手を失うのが怖いんだろ。10歳の頃に50人以上もの同じ調査団の団員が死んだのも、この間のターナーが死んだのも、兄君が右腕失って死んだのも、全部自分のせいだと思っているんだろ」
言い募られたその言葉に、ハヤトは揺れる瞳を隠すように俯く。恐怖と自責の念が強く浮かんでしまった、深紅の瞳を隠すために。
しかし何かを言い返すにはオリバーの言葉はその通り過ぎて、その沈黙は結果的に相手に『肯定』を知らせてしまう。
その言葉のない返答に。
「侮るなよ、平民」
不遜に、不敵に。忠告を告げに来た臣下を嘲るように、オリバーは鼻で一蹴する。
だって、つまりはこういう事だろう。
「他人を舐めるのも大概にしておけ。君の助けがなければ生きていけないほど脆弱でもないし、君が間違えたことを責めるものもいない」
少なくとも、オリバーはそうは思わない。そもそもどうしてそういう考えに至るのか、まるで理解できない。
それが人よりも出来ることが多い、見ている世界が広い故のことだとは、思うけれど。
だからこそ、奢るなと。オリバーは憤る。
返答の代わりに返されたのは、先程とは違う意味の色彩が乗った深紅。大きく見開かれたそれはオリバーの言葉を受けて今一度大きく開かれると、ぱちくりとまばたかれる。
この少年といい、『死神』といい。こういう所動はどうして似ているのか。
そうして見上げる深紅の双眸を、紫のそれは睥睨し。
「君は単に頭がいいだけの、ちっぽけなただの落ちこぼれなのだから」