1-3.小さき王の粛清浄化
迷宮区『サンクチュアリ』に隣接、と言うよりもその上層に居を構える聖グリエルモ学院には、迷宮区へ直接向かえるようにいくつもの通路や入口が点在している。
聖グリエルモ学院は教育機関の他に、学生ではない多くの調査員の詰所や拠点、集会所が併設されており、それぞれの調査団の練度も勿論違う。
それにより、それぞれの入口には様々な階層の出口が魔法により設定してある。流石に中層以下からは脅威度が跳ね上がるため、現状中層域への入口は最前線で攻略に当たっている『タキオン』総本部内部にしか設置されておらず、出入りも構成員のみに限定されているが。
つまり、『タキオン』本隊所属第1級戦闘調査員にして、『死神』の異名を持つ少年は当然ほかの出入口から迷宮区へ入場したことは1度もない。
よって、ハヤトにとっては馴染み深い風景だとしても。
「……」
言葉は発しないが、きょろきょろと忙しなく周囲を見渡してしまうのも仕方がないわけで。
その、まるで初めて遊園地に来た子供を眺める年の離れた兄弟のような、なんとも言えない色を含んだ深紅の双眸が半目で聞いてくる。
「…そんなに楽しいか?」
「普段はこんな所から行かないから」
「まぁ、『タキオン』本部の中にあるんだからわざわざ来ないわな」
ふ、と列の最後尾から大小様々な色とりどりの頭の向こう、迷宮区第1階層へ続く入口を遠くに眺めつつ、ハヤトは呟く。
ハンナの一声で、高等科近接歩兵科2年と初等科5年1組の一団は単純に2倍になった人数で狭くなった通路のひとつを移動中である。
ちなみに初等科までは基本的に全国の小学校と同等の義務教育の範疇で教育が行われるため、高等科のように『近接歩兵科』や『戦術立案科』と言ったクラス分けは行われず、『1組』から『5組』のようにクラス分けが行われているようだ。
閑話休題。
そんなわけで、初等科の子供たちも同行する授業ということもあり、本日の実技の会場は初級も初級の第3階層からのスタートで、今はその道中である。
それはそうと。
「…なぜこんな所に集落があるんだ?」
「え?」
そんなことも知らないのか、という目で隣のハヤトは見返してくる。そう見られても、知らないのだからしょうがない。
「本っ当。何も知らないんだね、あんた」
ヴァイスの疑問に答えたのは、2人の後ろを歩くレグルスだ。その刺々しい声音を見るに、どうやら自分のことは敵認識されているらしい、とヴァイスも応えるように瑠璃の双眸を苛立ちに眇めながら振り返る。
「迷宮区の表層、第1第2階層までは迷宮区ができた時に家を無くした家族とか親に捨てられて子供達が集まってくるんだよ。ここは無法地帯だから、何かと都合がいいんだよ」
「まぁだから総団長とか、あとは貴族連合だったか。そういった奴らが取り締まったり改善しようとしてるんだよな。ノブレス・オブリージュってやつ」
「…よ、」
ぼそり、と呟かれた言葉に、怪訝そうにハヤトも振り返る。
「何か言ったか?」
「いえ、ちょっと段差に躓いて」
「気をつけろよ、足滑らしたら今度こそ支えきれん」
そんな茶々を投げ合う2人を他所に、ヴァイスは1人耳ざとく聞き取った言葉を反復し、周囲を見渡す。
迷宮区表層部は彼らの言う通り第2階層までは吹き抜け構造となっており、見上げると夏の突き抜けるような蒼穹が大穴に落ち込むように飛び込んでくる。
この大穴は迷宮区が発生した時に頭上にあった旧ヴァチカン市国を飲み込んだ跡とされるが、本当のところそれが事実であるのかは定かではない。
そのお世辞にも綺麗とは言えない、採掘してそのままの穴の凸凹に沿うようにして、集落――貧民街は形成されている。
大昔、切り立った山々の岸壁に沿うように住居を作り暮らしていた民族もあったそうだが、まさにこういうことだろうな、と今にも崩れそうな家々を遠くに眺め。
似ている、と思う。
恐れるように、恨むように向けられる数多の双眸のお世辞にも綺麗とは言えない恰好を、かつて迷宮区最奥部で救われた当時の自分と。
あの時はボロきれ同然の衣類すら着ていない全身裸だったけれど、そうではなく。
骨ばった身体と。
すすだらけの顔と。
――その、生気のない虚ろな瞳が。
それは特に大人に多い。人の世を長く生きたものほど、より強く感じてしまうからなのだろうか。
――自分がどれほどみすぼらしく、そして醜く生き延びているのか、という事を。
「あー!レグ兄!」
なんて思考していると、隣の壁面からどこからともなくにょきにょきと子供たちが生えてきたかと思うと、レグルスに飛びついてきた。
彼よりも幼さの残した、けれども他の住人とは違ったまだ光の残る無邪気な瞳。
「レグ兄がっこうは?」
「あ、もしかしてさぼりー?」
「ねぇきょうはいつかえってくるの?」
「これから迷宮区で授業するからサボりじゃないし、今日の帰りはどうかな〜」
矢継ぎ早に問われる質問に、飛びついてきた年少をあやしながら全てに答える。
「お前たちがいい子にしてたら、早く帰ってくるかな」
「わかった!じゃあがんばっておそうじする!」
「ぼくはごはん〜」
「えっとじゃあわたしは…っ」
レグルスの言葉を信用したのか、子供たちは来た時同様嵐のように唐突に元来た道を駆け去っていく。
「…お前の弟か?」
やけに多いいな、と言外に含めたハヤトの言葉に、レグルスはちぎれんばかりに手を振る子供たちへ手を振り返しつつ。
「孤児院の年少たちです。オレも、孤児ですから」
あっけらかんと発せられた言葉に、真逆に苦虫を噛み潰したような表情になるハヤト。彼の境遇を憂いたことだというのは、容易に想像できる。
「…すまん、突っ込みすぎた」
「じゃあオレを義弟にしてくれますか!?」
「それとこれとは話が別だろ」
えぇー、と前を歩くハヤトに駆け寄りながら文句を垂れるレグルスの背を見流し、ヴァイスは再度崩れ掛けの集落を瑠璃に映す。
――奴らは何も、してくれないよ。
人知れず零した、しかしヴァイスだけが聞いた孤児だという少年の言葉を思い出しながら。
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端的に言えば、レグルス・アマデウスという少年の戦闘力は同級生たち、いや紅の裏地の制服を纏う高等科二年全てを含めた中で、ずば抜けていた。
初等科五年という枠を完全に越える、圧倒的戦闘センス。
身の丈以上の大鎌を無尽蔵に振り回し、その刃を持って敵を叩き伏せ、時にはその柄の先についた鉄鎖で絡めとり、細い足に一体どこに隠れていたのかという脚力で踏みしだく。
対峙しているのは、迷宮区第3階層においてポピュラーな迷宮生物ヘルハウンド。通称ブラッグドッグと呼ばれる黒妖犬だ。
『地獄の釜』という別称宜しく、迷宮区の入口に生息するには相応しい死神犬は下層域では群れを成して攻め入ってくる軍狼占術を得意とするが、一体一体の戦闘力は迷宮区に置いては最底辺と言えよう。
こんな表層の、しかも一体で行動をしているとなればなおのこと相手をしやすい。
とは言っても腐っても迷宮区に生息する『人智を超えた獣』。通常であれば11の子供が相手取れるとは思えない、と覚えていたのだが。
「どーぅですかハヤト先輩!!少しは見直しましたぁ!?」
第3階層に到着し、ハンナの教育方針通りに各々が各々で同階層を散策し始めてから早1時間半。
その間、「戦闘はオレに任せてください!(ハヤトだけに向かって)」と大見得を切ったレグルスの言葉に甘えて、ハヤトとヴァイスは一切手出しをせずに何度目かの戦闘を見学している。
元々ハヤトは右腕の件で戦闘は出来ないし、そもそもヴァイスも生徒でない以上必要でもない戦闘に無駄弾を使う気は更々ないのだが。
どうやら大口を叩くだけの事はあるようだ、とヴァイスは内心改めて認識を改める。口には決して出さないが。
ちら、と隣を窺うとどうやらハヤトも同じことを考えていたらしく、「んー」と感嘆の色濃く小さく呻いている。
「速さだけならエリート様以上かもな」
ぽつり、と盛れた言葉にヴァイスは内心同意する。
迷宮生物の蒼い血をその身に流すヴァイスの戦闘能力はその細い身に似合わずパワー、スピード、スタミナとどれも人間のそれを凌駕する。
それ故に『死神』の異名で称えられ、そして『タキオン』切手の切り札として最前線を任されている自覚はあるし、それに足る力があるとヴァイス自身認識している。
――が、目の前の少年は、あろう事かそのヴァイスと同等の戦闘能力を見せつけた。
ハヤトの言葉通り、特にスピードが傑出している。速さだけ取れば、成程確かにヴァイスより上かもしれない。
と思っても、それを認める事はまた別なわけで。
「おれの方が倒せる」
「何張り合ってんの」
「今の一瞬であいつの倍はいける」
「いや、だから何張り合ってんの?」
別に決して張り合っているつもりは無いのだが。
「事実を言っているだけだけど」
「さいですか」
見るからに呆れながら軽く手を振るハヤトを、ヴァイスは不満げに目を眇める。
ところで。
「いつまでその呼び方するんだ」
ヴァイスが彼に対して抱いている不満の理由の一つはそれだ。
『エリート様』
最初の出会い方が最悪だったからか、はたまたそりが合わないせいなのか、ハヤトはヴァイスと出会ってからこっち皮肉げにそのように呼ぶ。
まぁ、最初の彼に対しての態度からそうなってしまったのはヴァイス自身自覚があるので仕方がないと思っているのだが、春先の一件、ひいては今右耳に揺れている彼と親指に嵌る指輪とおなじ色彩の制御装置を貰ったあとも、頑としてその呼び方を改めないのだ。
その事が、正直ヴァイスはさみしい。
ヴァイス自身、自分の名前が好きだから。
これは、何も無かった自分に最も尊敬する人から最初に与えられた、大切な名前。
それを、与えてくれた人の弟に呼ばれたいと思うのは、さすがに女々しいのだろうか。
不満げに見返す先、少し見下ろす位置にある深紅の双眸は瑠璃のそれを見上げるが、しかし直ぐに伏せるようにして逸らしてしまう。
「別にいいだろ」
呼び方なんて、何でも。
続く言葉にさらにむっとして、言い返そうとしたところで。
「なにイチャついてるんですか?」
「語弊を招く言い方はやめろ」
近くまでよってきたレグルスの言い分に、心底うんざりとした様子でハヤトはあしらう。
「ダウト!じゃあその距離はなんですか?近くないですか??というかオレの勇姿を見てくださいよ!!!」
「ダウト?距離が近いのはエリート様が寄ってくるからだ」
「近くにいないとハヤトを守れないから。契約主に死なれたら困る」
「け、契約…!?」
ヴァイスの口からとび出た言葉に後ずさるレグルス。その表情は、まさにこの世の終わりとでも言いたげだ。
「ということは、ハヤト先輩はこいつを飼って好き放題やっているということ…!?」
「お前、そのくらいにしとけよ?」
「その表現もある意味では正しい」
「お前も黙っとけ」
2人の遠慮の無いやり取りの何が気に入らなかったのか「きー!」とその場でだんだんっと地団駄を踏み始める。
「そいつがよくてなんでオレはダメなんですか!?なんなら首輪でもつけましょうか!?」
「もーなんなんだこいつ」
元々小さな子供の相手が苦手らしいハヤトは、いよいよお手上げだとばかりに音を上げる。
と、その時だった。
「――ヴァイスくん」
木の葉の擦れ合うような、柔らかな声。
その声の方を振り向くと、やはりその場にはハンナが立っていた。
その崩れない笑顔の裏の怜悧さにヴァイスは気づきながら、状況を確認する。
「なに」
「貴方にお願いしたい案件ができたわ。お願い出来る?『死神』」
『死神』と呼ばれ、ヴァイスは腿の拳銃囊から白銀の拳銃を引き抜き、自然な動作でスライドを引く。
その自分ではもう無意識の、ぬるま湯のような日常からの戦闘思考に脳を切り替えながら。
「位置はここより真逆の、」
「問題ない」
言いかけたハンナの情報を、言葉を被せて遮る。――その情報は、もう無意味だと瑠璃に浮かぶ仄かに光る黄金が知っている。
会敵まで二、一――今。
4人のいるさほど広くもない通路の壁面が突き破られるのと、構えた銃身の横を桃色の影が横切るのは、ほぼ同時。
「――オレの獲物だ」
崩れ落ちる瓦礫諸共に一閃。あや待たずして耳障りな悲鳴が狭い通路を突き抜ける。
しかし一体は仕留めたのだろうその悲鳴の後には、続くようにしてばち、と電気の弾ける音が数個分。かと思うとそれは細長い蛇のようにうねり、レグルスに殺到する。
直撃すれば確実に感電死する、その蛇の群れを前にして、しかし少年は笑う。――まるで獣のように獰猛に。
大鎌の柄の先についた鉄鎖を掴み横薙ぎに振るう。それだけで紫電の蛇は弾かれ、または鉄鎖を伝って地面へと堕ちる。
刹那の攻防。その後にようやく落ちてきた瓦礫の積み重なる音と煙の先、現れたのは現在いる階層よりも10は下に主に生息する、電流をその翼に変え浮遊する幻鳥。――サンダーバードだ。
「お、UMAだ」
確かにそう言う記述もあるのだが。
「その言い方は流石に不適切だろ…」
サンダーバードを視認したハヤトのなんとも味気ない発言に、戦闘思考に切り替えていたはずのヴァイスは半目で突っ込んでしまう。
そもそも『人智を越えた超生物』がウリの迷宮生物に対して、『未確認生物』と呼称するのは若干間違っているのでは、と。
そんなヴァイスの心象なぞ知らないハヤトは「あれ、換金率いいんだよな〜」とこの場に全くそぐわない発言までする始末。
元々迷宮区へ来た理由が『兄の借金を返すため』であるハヤトにとって、迷宮区とはすなわちただの金の採掘場なのだろう。上物を狩れば狩るだけ稼ぎが出るシステムもある以上、確かにそれも迷宮区『サンクチュアリ』の側面とも言える。
しかし哀しいかな。彼にはそこまでの実力はないので表層の換金率の低い迷宮生物を狩っては雀の涙程の金を地道に稼ぐしかないのだが。
なんて考えているうちに、目の前の戦場はほぼ終わりを迎えており、五羽のサンダーバードは一羽にまでその数を減らしている。
一羽残ったサンダーバードは自身のその紫電の翼を限界まで帯電させ、自爆まがいに突進。その速度は雷鳴のごとく。
電磁砲のようにはじき出されるその突撃に、しかしレグルスは嗜虐にその白銀の双眸を見開き、大鎌を振り上げ真下の地面に勢いよく突き刺す。
反動。その小さな身体を生かすように迷宮天上間際まで大きく飛び上がることで雷鳴の一撃を回避。
目標を無くしたサンダーバードはしかし追尾弾のように背後に降り立ったレグルスを追おうとするが、絡みついた鉄鎖がそれを許さない。飛び退くと同時、レグルスは進行方向に鉄鎖を蜘蛛の糸のように広げていたのである。
視認さえ難しい、雷速のその物体に。
レグルスはかかった獲物を釣り上げるようにサンダーバードに繋がる鉄鎖を思い切り引き上げると、そのまま壁面へ叩きつける。
如何に迷宮生物と言えど所詮は生物。許容範囲外の攻撃を喰らえば次のモーションへ移るまでに時間を必要とする。
その、間隙。
再び振りかぶった大鎌を、その壁面ごと叩き斬る。――それは迷宮生物の魂とも言える『結晶核』を1寸のズレもなく両断した。
時間にして、僅か100秒。
2分もしないうちに積み重ねられた迷宮生物だった肉塊を、それを積み上げた少年をハンナとハヤトは同様に瞠目して見る。
その戦闘時間の長さにではなく、迷宮生物の死骸でもない。
彼らが驚いているのは。――ただ1人でこの惨状を作り上げた少年の有様。
サンダーバードはここより10下の第13階層から下を縄張りとする迷宮生物だ。そして、迷宮区は下へ行くほど危険度が上がり、その危険度のほとんどは迷宮区に住まう奴らの脅威度によるものだ。
それは、たった1階層降りただけでも桁上がりに跳ね上がる。
第3階層まで登ってきたのは、ただ迷い込んだだけだろう。迷宮区では度々目撃されることだ。――そう頻繁にある事でもないのだが。
だからこそハンナはヴァイスを呼びに来たのだ。――他でもない、同族の命をたったの1度で刈り取る最前線の『死神』に。
今この場にいる生徒で、対抗出来るものはハンナを除けばヴァイスだけだと判断して。
――それなのに。
2人とは打って変わって、冷徹に少年を見遣る。
3つの色彩の瞳の注視の中、作り上げた本人はしかし、なんの感慨もなく至って平凡な色をその白銀の双眸に浮かべている。
そう。――迷宮生物達がただの残骸に成り果てることが、さも当たり前のように。
それは増えすぎた反乱分子を排斥する、粛清。
あるいは反抗勢力を国家の力を持って計画的に遂行される、殺戮。
無慈悲にして苛烈。
その姿は、小さくも一国の主たらんとする孤高の王の孤影のそれのようだと思う、ヴァイスの評価は口にしていないから誰にも届かない。