1-2.義弟妹(ファミリア)制度
たった今自身に降り注いだいくつかの事態に流石のハヤトも混乱したようで、彼にしては珍しくその深紅の双眸をぱちくり、と大きく瞬いた。
「…なんだって?」
「そっか。まだここに来てから日が浅いんでしたっけ」
そういうと飛び込んできた淡い桃色のミサイルは隼人の腹の上でうんうんと唸り、そして思いついたのか大きく頷く。
「平たく言うと、オレを先輩の舎弟にしてください」
「もっとわからん」
そりゃそうだ。
と、廊下に転がったままの2人を見下ろしながら、内心ヴァイスは突っ込んだ。
それでも何とか伝えようと少年はさらに長くう"〜〜〜ん、と悩んでいるが、その前にハヤトが音を上げる。
「あ〜、済まないけど考えるんならちょっとどいてくれ。腕がきつい」
見遣ると、確かに上半身を持ち上げている右腕が産まれたての小鹿宜しくぷるぷると震えている。生憎と資料で見た事があるだけで、実物を見た事はヴァイスは勿論ないのだが。
細胞の接合手術という大手術がどうにか成功し、以前のように動かせるようになったといえど、元々完全に千切れたものを取ってつけた付け焼き刃だ。
日常生活には支障がない程度には回復はしたが、あまり負荷を掛けすぎると繋がりの脆い細胞は再び解れてしまう。それは大きな裂傷を縫合した直後や骨折した骨を再生させる時と同じ事。
当然彼の唯一の武器である、刀による戦闘は論外なわけで。暫くは戦闘訓練や自主的な訓練、迷宮区への単身調査は控えろと医者からも厳に言われている。
しかし、その事を知らないらしい少年は。
「え、オレそんなに重いですか!?ひど〜い」
なんて、言いやがったので。
「…退けと言っているだろ」
慣れた手つきで拳銃嚢から白銀の自動拳銃を引き抜くとスライドを引き初弾を送り込み、照準。
無造作に、しかし常人にはその動作を見ることすら出来ない神速で向けられた銃口に、少年はきょとん、と目を瞠り。
「今オレは隼人先輩と喋ってるんだけど」
「そのハヤトが退けと言っている。そもそも君はどこの誰だ、図々しい」
「そっちこそ、初対面の人にいきなり銃口向けるとかどういう神経してんの?」
は〜やれやれ、と自分自身の年齢など思いっきり棚に上げ、まるで躾のなっていない子供を見るように肩を竦めてみせる少年に。
「――あ、」
何かを悟ったらしく、身を強ばらせたハヤトを他所に。
――一息に引き金を引き絞る。
勿論、当てる気などさらさらない。腐っても第1級の戦闘調査員資格を持つヴァイスである。その辺の力加減や角度調整等は周囲を一瞥しただけで事足りる。
ヴァイス本人に自覚は無いのだが、周囲から人形と評されるこの少年は、実はかなり気が短い上に所動の端々に育ての親であるハヤトの兄、カズキのガラの悪さが滲み出ている。
そんな事は知る由もないヴァイスは、ただ『腹が立ったから』というシンプルすぎる理由の下、しっかりかっきり当たらない、跳弾しても被害が出ないようにと撃つ手前僅かに手元をずらして発砲。
ただ単に、調子に乗っている餓鬼を脅すつもりで。
――が、目を見開いたのはヴァイス本人だった。
忽然とヴァイスの目の前に現れた巨大な鎌が一閃。
閃くと同時に柄を使って的確に弾かれた銃身は支える右腕ごと真上へと跳ね上がり、狙いを大幅に外された銃弾は過たず頭上の石造りの天井へめり込み穴を開ける。
それは先程ヴァイスが得物を引き抜いた時よりも、刹那の攻防。
一瞬後、排出され空を舞った空薬莢だけが静止したその場で、唯一軽い音を響かせた。
「危ないなぁ。隼人先輩に当たったらどうするのさ」
未だ場が凍りつく中、1人だけ何事も無かったかのような自然な声音で少年は桃色の前髪の下、白銀の双眸を眇める。
その手には、恐らくは自身の身長よりも一回りも大きいであろう、巨大な鎖鎌。
最先端の魔法技術の恩恵にあやかれる聖グリエルモ学院において、魔法によって大小が自由に操れる所持武器の大きさについて、特に問題になることは無い。それを獲物とするかはさておき。
ただでさえ狭苦しい洞窟や横穴が多い迷宮区において、槍や斧といったリーチの長い武器は咄嗟の時に反応ができない理由と、単に持ち運ぶのに苦労する為にあまり需要はない。
普段は制服の下に小さくして持ち運んでいたその鎌を、ヴァイスが引き金を絞ると同時に少年は引き抜き弾き飛ばしたのである。
と、頭では理解しているものの。
迷宮生物と同じ蒼い血液が体内を流れ、その戦闘能力はそれをも越えるヴァイスの速度に反応し、あまつさえ防御出来るほどの反射神経を持つものなど、知りうる限りはアルベルトとカズキのみ。――それを、こんな子供が。
「…なんの騒ぎかと思いましたら」
それぞれの思惑で渦巻く静寂を、マイペースな声がすり抜ける。
その沙羅、と通る風のさざめきのように柔らかな声音と共に、つい先程まで明確な殺気をヴァイスへ向けて放っていた少年がひとりでに空へ持ち上がる。
「わっ、」
「始業時間よりも前に来られるとは勤勉ですが。殺傷沙汰はいけませんよ、レグルス・アマデウスくん」
かつ、と軍靴とは違う女性物の高いヒールが床を打つ音と共に現れたのは、秀麗な美貌を持つ妙齢の女性だ。
藤色の双眸には慈愛の色が濃く宿り、聖母マリアを彷彿とさせる靱やかで淑やかな足運びで少年――レグルスが飛んできた方向とは真逆から聖母は歩み寄ってくる。
腰まで伸ばされたウェーブがかったオパールグリーンの細糸の髪はハーフアップに上げられ、魔法五大元素の1つ『風』の属性の適正値の高さを伺える。
その得意魔法である風魔法を巧みに操り、女性は持ち上げたレグルスをハヤトの上から降ろす。
「――ハンナ・サリヴァン教諭」
「お元気そうでなによりです、クサナギくん。ですがファーストネームは要りませんよ」
『タキオン』総団長にしてこの学園の理事を務めあげる青年と同じファミリーネームを持つ女性教諭は、ハヤトの呼び掛けににこり、と微笑む。
「てっきり、アルベルトの言葉は無視するものと思っていましたけれど」
「流石にそうだ、…理事長の言うことを無視できる程の胆力は持ち合わせていませんよ」
呆れ半分、と言ったように流し目でハンナを見遣りながら立上がる。痛む右腕を庇うようにして。
「その腕、まだ完治してはいないのでしょう?保健室へ行くことを勧めますよ」
「え、」
「放っておけば大丈夫ですよ」
ハンナのその気遣いにレグルスはぎょっと反応し、それを庇うようにしてハヤトが上から言葉を被せる。
一見してぶっきらぼうなやり取りだったが、その裏の彼なりの優しさを察し、ヴァイスは小さく嘆息する。
その、自分が損をしても受け入れてしまう不器用な優しさは確かに彼の美徳であり、実際に自分も助けられたけれど。――その勇者然とした優しさは、いつか彼を滅ぼしてしまうのではないかと、心配で。
今もこうして初めて会った、しかも礼節の欠いた相手であってもそういった態度なのだから、余計に不安は募る。
その事をハンナも察したのか、つっけんどんに言い放ったハヤトにかつ、と近づくと抑えている右腕を細い指でつつく。
「ったぁ!?」
「そんな強がってないで、大人しく治療を受けなさいな。痛みというものは我慢するものではなく訴えるものです」
2ヶ月前にも同じ光景を見たな、その時はだいぶ容赦なく捻り上げられていたけど。と眺めていると。
「本当変なところで夫婦感出さないでくれます?!」
どうやらハヤトも同じことを考えたらしい。
その様子に満足したのかハンナはにこり、と微笑む。
「本日の講義は学年合同となりますので、開始は戻るまでお待ちしています。――ヴァイスくん、付き添いを頼みますね」
「…分かった」
「あ、じゃあオレも、」
知らなかったこととはいえ、自責の念から名乗りを上げるレグルスの表情は流石に少々曇っている。
が、生憎とこれは自分の仕事だ。
「君は大人しくお座りして待ってろ、駄犬」
「はぁ!?なんっなの、本当ムカつく!」
というやり取りを眺め。
「…お前ら、初対面だろ」
少しは仲良くしろよと、ヴァイスとの出会いからの自分を思い切り棚に上げ、ハヤトは盛大にため息をこぼした。
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「…義弟妹制度?」
黒板に書かれた馴染みのない単語に、ハヤトは怪訝そうに教卓を見下ろすように整列した机に頬杖を付き、そこにわらわらと詰め込まれた数十人の子供を凝視する。
一瞬の応急手当を終え、ハヤトとヴァイスは聖グリエルモ学院高等科近接歩兵科2年の講義室に戻ってきている。
言葉通りに律儀に待っていたのか、教室内の視線を浴びながら席に着く2人を見届けて、約10分ほど始業のチャイムから遅れて、開始された最初の授業。
壇上の子供たち――聖グリエルモ学院初等科の聖歌隊のような制服に身を包んだ小学生たちは、高等科の講義室が物珍しいのかキョロキョロ、と見回したり隣の子らと思い思いに言葉を交わしている。それは高等科の学生も同じのようで、マジマジと見下ろしてはそれぞれ品定めを開催しているようだ。
皆が一様に落ち着かない理由は明確。同じ学院に通っていると言っても、学年間の接点などまるでないからだ。
聖グリエルモ学院の全容は今や、かつてそこにあったヴァチカン市国のそれと同じ敷地面積を持つ。移動にはそれなりの時間を要するし、まず何より生活時間が異なる。
よって、入学式で初対面のクラスメイト同士宜しく、話してみたいけどどうきりこめばいいのか分からないという、なんとも言えない空気が講義室内に漂っている次第だ。
その様子をさらと流し、ヴァイスはハヤトの疑問に応答する。
「監督生制度と世話係のようなものだ」
「あぁ、成程」
それだけで、廃れて久しい欧州生まれの学校制度に関わらず、隣の天才は合点がいったようだ。
ハヤト・クサナギは掛け値なしの天才である。
齢十にして超難関の学院の論文を読み解き、あまつさえ自身でもその場で評価されるほどの論文をたたき出せるほどの頭脳を持ち合わせた、ヴァイとは違った方向の『怪物』。
その頭脳は迷宮区においても遺憾無く発揮され、当時所属した遠い東方の弱小調査団を最前線に押し上げた。
その頭脳に畏怖を評してついた渾名は。――『軍神』。
自分の忌み名とは違う神の名を背負う少年は、しかしそれきり興味は失せたのか、頭の後ろで腕を組み椅子に行儀悪くもたれ掛かる。
ヴァイスは自分の中で生まれた疑問を、そのまま問う。
「興味無いのか?」
「ないね。俺には縁のない話だろ」
だってと言いかけて、その言葉を両の手が打ち合わされる軽い音で遮られる。教壇に立つ、ハンナだ。
「はい、では今日から1週間、高等科の皆さんには監督生として、初等科の皆さんには雑用係としてそれぞれ生活していただきます。学院生活ではもちろんのこと、私生活や迷宮区調査全てにおいて、義弟妹として行動を共にして頂きますね」
――だって、俺からは何も学ぶことなんてないんだから。
監督生は元は英国の私立学校で発生した学校制度だ。
勉学の他に教諭の補佐として業務をこなし、各々の学校の最高学年の生徒らの中から選出される。
彼らは教諭の補佐という役職からそれなりの権限が与えられ、催し物などでは常に生徒たちの先頭を立つことを課せられる、言わば生徒たちの鑑と言えよう。
が、こと聖グリエルモ学院においての監督生とは、学年間交流における下級生の規範となる上級生のことを指す。
雑用係に関しては、字面の通りでこれ以上の説明は特にないのだが、義弟妹として契りを交わした監督生から勉学や戦術、その他身嗜みや生活態度などを身近で教わる代わりに、彼らのサポートを行う下級生の事だ。
元々虐待問題や拘束時間の長さから問題になっていた制度だが、アルベルトはより学生間で学ぶ場を設けようと内容を改め、このように施行している。
と、ハヤトの手前知ったかぶってはいるけども。
『…おれも、あまり詳しくはない』
この年齢にして1度も『学校』というものに通ったことがないヴァイスにとっては、監督生や雑用係と言った制度はもとより義務教育全てに関して、知識として知っているだけだ。――つまり。
「ひとまずは初等部の子達の意見を尊重しましょうか。お好きな方の元へいってらっしゃいな」
子供であろうと、いつなん時死ぬか分からない地獄の隣で日々を謳歌する調査員の卵である。
――当然、学ぶのであればそれなりの実力者の方が良いだろう。
案の定、というか最初から分かりきっていたことなのだが、ハンナの言葉でまとまっていた一団は少数の例外を残し、そのままマリンブルーの一生徒の元へと駆け寄っていく。
気づかれないようにちろり、と横を見るとハヤトはその様子を無関心に眺めている。「まぁ、そうだろうな」と深紅の双眸がボヤきながら。
と、思っていると。
「さぁハヤト先輩っ。オレを勿論義弟にしてくれますよねっ」
その視線を遮るように、先程の駄犬がやってきた。
長く伸ばした髪は三つ編みにして背に流されており、歩く度にまるでしっぽのようにぴょこぴょこと跳ねる。その上耳の上には獣の耳のような二対の髪が同様に跳ねており、こちらはどういう原理なのかレグルスの気分次第で動き回る。
淡い桃色の下、大きな白銀の双眸は真っ直ぐにハヤトに注がれていた。
その、隣で見ているこっちにも飛んでくるハツラツとした空気に、ハヤトは真逆にげんなりとした様子だ。
「断る」
ハヤトの一切の迷いのない拒絶に、しかしレグルスは屈しない。
「どうしてですか!?オレ何でもしますよっ。カバン持ちだったり焼きそばパン買いに行ったり、なんだったら椅子にもなります!」
「俺にそんな趣味はねぇ!大体いつの時代のヤンキーだ俺はっ」
はぁ、と荒々しく溜めていた息をこぼし、ハヤトは座っているお陰で同じ目線の白銀の瞳を深紅のそれで見返す。その裏の、真意を探るように。
「大体、なんでそんなに俺に突っかかってくる。俺みたいな落ちこぼれから一体何を学ぶって言うんだ」
「先輩は落ちこぼれではありません」
妙に確信めいたその言葉に、今まで無関心を貫いていたヴァイスも少年へ視線を上げる。
「先輩がすごいって言うことを、オレはカズキから聞いていますから」
その言葉に、ヴァイスは目を見開く。だって。
その名前が目の前の少年から出てくるなんて、思いもしなかったから。
カズキ・クサナギ。
隣に座る少年と同じ髪。彼よりもほんの少し淡い紅色で自分と同じ黄金の散った瞳を持つ。
――自分の、育ての親の名前。
一方ハヤトも実の兄の名前が出たことで目を瞠ったが、しかしヴァイスよりも早く気を取り戻し。
「だからって俺が教えることなんて何もねぇ」
半目でそう切り返す。
「そもそも俺は暫く激しい運動は出来ないんでね、他所を当たれ」
ひらひらと無気力に振られる手は、寄ってきた野犬を払うように。
その様子を見て、それでも食い下がろうとレグルスは言葉を探し、またも叩く手の軽い音が講義室に通る。
「はい、それではまずはお試しということで。実際に見ていただいた方が、皆さんにとっても相手を選ぶ上で良いでしょう」
にこやかに、晴れやかに。
まるで遠足にでも行くような陽気さで、ハンナは年齢入り交じる講義室をぐるりと見渡し。
「――迷宮区『サンクチュアリ』へ参りましょうか」
周囲の喧騒とは裏腹に。
ヴァイスは恩師の名を口にした桃色の少年の裏を探るために。
――瑠璃に浮かぶ黄金を、静謐に光らせた。
仕事が繁忙期に突入しました!!!よって更新率が以前にもまして下がってしまうかもですがそれでもめげずに執筆続けようと思っていますので、どうぞよろしくお願いいたします。