1-1.落ちこぼれの帰還
「…暑い」
無理やり連れてこられた時はまだ春先で肌寒かったのに、季節が巡るのは早いものだ。
季節は少しめぐり、7月。
赤銅色の乱雑に切った髪の下、深紅の双眸を恨めしそうに細めながら、その少年は己の学舎へととぼとぼと歩を進めていた。
少年、草薙隼人が日本を離れ、ここ迷宮区『サンクチュアリ』へ7年の時を経て舞い戻ってきた季節から、2ヶ月と少し。――絶賛夏、真っ盛りである。
この2ヶ月の間に倍、とまでは行かないまでも上がりに上がった気温と夏のギラつく太陽の光が、室温が均一に保たれた白塗り無菌室を先日めでたく出所した隼人には、些か以上にキツイものがある。
迷宮区表層下層域での死闘からも程々に日数が経ち。その後受けた右腕の細胞接合手術も、まぁ何とか終えた。
その大手術に関しては、自分の予想通り紆余曲折に続く紆余曲折、せっかくだからとあーだこーだ色んなことをしでかされた挙句、腐敗が進んだり何度か再び腕がもげたりなんだかんだあったけれど。
最初は抵抗した隼人だったが、好奇心の塊なマッドサイエンティストどもが聞くはずもなく。最終的には反論する気すら失せた。――退院した時の「せっかくのモルモットが」と言う顔が、今でも鮮明に脳裏に記憶されている。
そんな一悶着も二悶着もあった接合手術だが、なんとか成功を果たし。炎天下の中聖グリエルモ学院高等科近接歩兵科を表す赤い裏地の詰襟の右袖には、そこに収まる厚みが戻っている。
因みに。聖グリエルモ学院の制服には魔法繊維が編み込まれているらしく、外気温と体温を感知し自動で温度調節をしてくれるらしいので、本来であれば暑くていていられない夏の詰襟でも、問題なく着ることが出来る。しかし校則で決められている訳では無いので、普段の学院生活では詰襟を脱いだシャツ姿の学生もちらほらと見受けられる。
そんな本日はめでたい、退院後の初登校である。
正直な気持ちとしては、退院後色々な手続きや少なからず低下した体力を戻すためにもう少し自主休講をしたかった隼人だったが、それを先読みしたこの学院の理事であり亡き兄、草薙一樹の友人であるアルベルト・サリヴァンに先手を打たれ。
『記載した日にちから登校するように。さもなけば、借金上乗せね♡』
とその流麗に書かれた筆跡とは程遠い、然るべき場所へ出せば法的措置が可能なほどの明確な脅迫文書が寄宿舎のドアの隙間に挟まれていたのは、つい昨日の話。
――ただでさえ洒落にならない額の借金が、これ以上膨れる事は何としても阻止しなければ。
というわけで、渋々と出てきたわけであるが。
入院する前の、学院での立ち位置を思い出し。
「めんどくせぇ…」
『落ちこぼれ』、というレッテル自体、その通りだと隼人は思っているので気にしている訳では無いのだが。
そういう目線や陰口を無視し続けなければならない生活がまたやってくるのかと思うと、隼人は憂鬱な気持ちで17という年齢に似合わない程の深く長い溜息を、一人ついた。
-----
「――大変申し訳なかった」
登校していつも通り入って一番遠い窓側上段端の席を陣取った隼人を前に、開口一番放たれた言葉は予想したものとは違うものだった。
「…は?」
机に置こうとした鞄も座ろうと引いた椅子もそのままに、隼人は目の前の光景に驚きを隠せないでいた。
前に立つのは、魔法適正値の高さを表す深いマリンブルーの頭髪に、このくそ暑い中でもかっちりと締められた詰襟の制服。
聖グリエルモ学院の経営費出資貴族の一翼を担う、ブルームフィールド家の子息、オリバー・ブルームフィールド。
「先日、と言うよりも2か月前の話だ。あの一件に関しては全て私の不徳。故の謝罪だ」
「あぁ、そういう…」
天変地異でも起こったのかと思った。
オリバーは貴族ゆえの自信か、傲慢な態度で隼人を『落ちこぼれ』と呼んでいた筆頭だ。学院の出資貴族の生まれということで、学生内にも学院教諭にも取り巻きは多い。
その、プライドの塊の彼が劣等生である隼人に頭を下げるなど。それも、手本にしたいくらいの無駄のない所動で。
しばらく呆気に取られていた隼人だったが、次第に刺さりまくる視線に今度は慌てふためく。
「いや、もういいからとりあえず頭上げろっ」
周囲の視線に俺が刺殺される。
隼人の言葉に、ようやくオリバーは頭をあげる。
律儀に閉じていたのか、伏せられた瞼の下の深い紫眼とようやく視線が合った。
「というか今更じゃ?2ヶ月前の話だろ。…それと、」
2ヶ月もあれば、病室に顔を出す時間くらいはあったろうに、そういえば1度も見かけなかったなと、言いながら隼人は思い出し。
その、端麗な美貌が台無しになるくらいに傷だらけの傷を見て。
「…何かあったのか?」
怪訝そうに眉を寄せる隼人の瞳には「なんだか可哀想なことがあったんだな」と、誰が見てもわかるように如実に書かれていた。
「これはそうだな…。兄や姉にぼこぼ、…弛んでいるとみっちり剣の稽古をさせられてな」
成程。つまり扱きがてらフルボッコにされたんだな。
オリバーには上に兄が3人、姉が2人も居るらしい。
オリバーが剣を嗜む以上、その家族も武術には多少の心得があるものだろうとは思っていたが、かの聖女の忠臣の末裔はかなりの武闘派のようだ。
引きつった苦笑いを浮かべつつ、目を泳がせながら告白する姿をみて、流石にそれ以上は責め立てる気には隼人はなれなくて。
「…まぁ、お大事にな」
自分がつい先日まで入院していた重症患者だったことを思い切り棚に上げ、考えた末にありきたりな言葉を投げかけた。
「ま、まぁ私の話はいいだろう。それよりも君には一つ大きな貸しが出来た。有事の際は一度だけ助力を約束する」
ごほん、と気を取り直すように一息ついてから提案されたその言葉に、再度目を瞠る。
さっきの謝罪と言い、提案と言い。
「…なにか裏があるんじゃないだろうな」
「君は私のことをなんだと思っているんだ」
「プライドが高いボンボン貴族」
「殺す」
取り巻きなんぞ引連れて、実際そうだろうがと言おうとした所で、彼の左腰に刺されていた鞘からほんの少し刀身が抜かれたので、降参とばかりに両手をホールドアップして押し黙る。
上げられた両手、正しくは右腕とその隣をちろり、と見遣るとオリバーは小さく嘆息し、剣を収める。
「用があったら名前で呼べ。それで貸し借りは無しだ」
それだけ言うと、マリンブルーの長髪を揺らして周囲の注目をそよ風同然に浴びながら、軍靴を鳴らして自席へと着席。
その後ろ姿を見届けて、隼人も先程の彼と同じ気持ちで嘆息し。
「…で、お前なんでここにいんの?エリート様」
「君がここに居るからだけど」
なんだそれは。
と、半目で右隣を見下ろす。
隼人が学院に踏み入れてから今この時まで。いつの間にか一歩後ろから音もなくついて回っているのは、雪白の少年だ。
聖グリエルモ学院の制服ではなく、迷宮区『サンクチュアリ』に数多存在する調査団、その頂点に立つ多国籍最上位迷宮区調査打撃群・通称『タキオン』所属を表す純白と蒼碧のそれを身に纏い、なおも映える雪白の髪。
まるで彼の為にデザインされたのではないほどに違和感のないその姿は、無機質な表情と相まって精緻な人形を彷彿とさせる。
右耳に光る銀と紅のピアス――隼人の右親指に収まる指輪と対の制御装置だけが、完璧な色彩に置いて異を放つ。
その浮世離れした佇まいと、それに反する鬼神のごとく戦闘力からついたあだ名は、『死神』。
先程オリバーが剣を僅かに抜いたと同時。彼の獲物である白銀の拳銃の照準はぴたり、とオリバーの眉間に向けられたその反射神経から、彼の戦闘能力の高さが見て取れる。――オリバーが隣を見、二人でため息をついたのはこのためだ。
彼の前では、冗談さえ命懸けになるのか、と。
当の本人はというと、先程までの殺気なぞ毛ほども見せないその長い前髪の下の、兄と同じ黄金の散った瑠璃の瞳をぱちり、と瞬き。
「…何かおかしいか?」
「おかしいと思う」
隼人の言葉に、少年――ヴァイスはまるで分からないとこてん、と首を傾げる。
「君はおれの契約主だろ」
「そうだけど。じゃあ前の時もこんなにずっと一緒だったのか?」
「そんなわけないだろ」
「じゃあなんでだよ」
そもそもお前学生じゃないじゃん。大卒資格持ってるじゃん。
様々な疑問を詰め込んだ一言に、しかしてヴァイスは答える。
あくまでも淡々と。
「君に死なれたら、おれが困る」
つまり。
「俺が弱いから放っておけない、とか?」
「この間みたいに腕が飛んだだけで、一々死にかけられても面倒だし」
普通の人間は、腕が飛んだらショック死すると思うのだが。そこでショック死ではなく出血死で死にかけた自分は、まだ善処した方なのでは?
色々と込み上げる気持ちそのままに目の前のエリートにぶつけてやろうかと思ったが、それをしても絶対に目の前の無垢な少年はきっと聞かないだろうと、隼人は早速ストレスに痛み始めた眉間を指で揉みくるり、と踵を返す。
「何処に行く」
「総団長に抗議しに行くんだよ。お宅の貴重な戦闘要員が遊んでますよって」
いくら我が道をゆく兄の親友も、直に抗議しに行けば一考くらいはしてくれよう。
そう思い、依然として着いてくる白い忠犬を振り払うように足早に講義室の敷居をまたごうとして。
「――ちょうど良いところへいらっしゃいましたぁーー!!」
廊下右側から突如として出現した弾道ミサイルが、隼人の脇腹を直撃した。
視覚外の突撃に、勿論隼人が反応できる訳もなく、ぶつかった弾道ミサイル諸共に廊下を転がり滑った。
その距離、優に50m。
流石の反射神経で危機を回避したヴァイスがとことこと徒歩で歩み寄り、主の生死を確認する。
「大丈夫か?」
「…これが大丈夫に見えるか?」
「生死に問題は無いようだ」
ただでさえ迷宮区なんて地獄があるのに、学院でなんて死にかけたくはない。
転がり天地が逆転した逆さ頭でそうボヤきつつ、隼人が打った後ろ頭を摩るのと同時。
腹の上で同じく伸びていた、弾道ミサイルがはね起きる。
「高等科近接歩兵科二年、草薙隼人先輩でよろしいですかっ?」
「え?あぁそうだけど」
淡い桃色の髪に、くりくりと大きく開かれた白銀の双眸は隼人の肯定をきくと、さらに煌めきに見開かれる。
そして。
「――オレを、先輩の義弟にして下さい!」