4-1.創愛紀:暗影
更新が滞ってしまっていて本当にスミマセン!!!!ひぃん小説更新ってエネルギー使いますね…
まだまだ神話編が続きます。が、折り返しまでは来ていてひとまずは某神話体系の最終決戦に続いていくことになります。独自解釈がありますので苦手な方は申し訳ございません…っ
何も見えない、真っ暗な空間だった。
一筋どころか瞬きほども明かりがない空間。自身が目を開いているのか、それとも開いていないのか。感覚さえも不確かな空間に、しかしふわふわと揺れている感覚だけは微かに感じ取れる。
まるで緩やかな波にさらわれるような、春のうららかな風にそよぐような感覚だ。
「……まぁ大変」
突然耳朶を震わせる声は少女のようでいて、年齢を重ねた女の声のような不思議な声音だ。
――誰だろう。しかし彼女の姿は、相変わらず広がる暗闇が厚いベールのように見ることができない。
「こんなにボロボロの状態は初めてだわ…あ、」
あたふたとした声音が急に軽やかに弾む。遠くに呼びかけるかのように一言二言いうと、再び近づく声。
「ほらこっちよ、あなた。こんなにボロボロになってしまって。急いで形を作ってあげる必要があるわ」
「わかった。急ぎ宮殿へ運び入れよう。グリングルスティ」
先ほどの少女の声とは違い、しんと冷えた森林のような低く澄んだ低音。その声が呼びかけると同時、浮遊する感覚がひときわ大きく揺れる。
「お前も一緒に行ってくれ。私はもう少し周辺を見て回ってみよう」
「わかったわ。早く帰ってきてちょうだいね」
「あぁ、わかっている」
そのやり取りを最後に、のちにバンシーと名付けられる影はまどろむように意識を手放した。
*****
「……さて、ここもそろそろ忙しなくなってきたな」
「対岸の湖畔は見てきた。特にはぐれたものは居ないようだ」
「さすが仕事が早いな」
「おだてても何も出ないぞ」
腰に手を当て周囲を俯瞰するフレイに、スキールニルは歩み寄りながらいつもの通りに報告をする。
――ゲルズとの愛をはぐくむためにオーディンから与えられた「アルフヘイム」へ居を移してから、だいぶ年月が経った。
フレイの魔法で小さくし、少女の姿となったゲルズは新たに「ティターニア」という名前を名乗るようになった。名付けたのはフレイだ。「せっかくだから別の名前で過ごしたほうがお得だろう?」とは本人談。
最初こそ衝突の多かった二人(大体フレイが原因でゲルズが怒る)だったが、数百年ともたてばお互いの性格や距離感もわかろうもの。ときに離れつつときに近づきつつ、二人は二人の時間を過ごしている。
最初の出会いなど遠い昔のようだが、その時よりも幾分も人間らしい感情を表情ににじませる主の隣に、丈の短い草の音をわずかに立てながら立つ。
「何も問題がないなら早く帰るべきだ。いつまた癇癪を起されるか分かったものじゃない」
「そういう女心がわからないから、いつまで経っても独り身なのだぞ?」
「我はお前に忠誠を誓った身。すべてはお前のものだ」
「相変わらず頭が固いな」
ふぅ、と息をついてスキールニルの隣をすり抜ける。どうやらあきれているようだと思って、ふとフレイの動きが遅くなる。
「……――」
すぐ隣で聞いているはずの、スキールニルにさえ聞こえない声だった。
「フレイ」
「ん~?お前宛じゃないぞ」
こういう、何もない虚空に独り言を言うことはよくあることだった。それは例えば本当に独り言だったりするが、ここにはいない、姿の見えない何者かに宛た言葉だったりすることもある。それも、ここ数年は特に多い。
気にならないスキールニルでもないが、仮にも主が言わない以上従者は踏み込むわけにもいかず気になっていない体を装う。こんな時自身の鉄面皮が良かったと思うことはない。
代わりに。
「妖精、とは変わった存在だな」
先ほどまでフレイが見ていた湖畔を紅玉に映しながらつぶやく。
「変わったとは」
「ユグドラシルには神族、人間、巨人の三種族が棲んでいるが、妖精はそのどれにも該当しない」
「あぁ」
「あぁって」
すべての生命が住まう「宇宙樹」は基本的に三種類の種族しかいない。
すべての生命の頂点である、神族。
神々の営みを育み崇敬する、人間。
巌のような巨漢を持つ、巨人。
「宇宙樹」はとある巨人の亡骸から誕生したといわれているが、その当時を知るものは今や最高神・オーディンその人しかいない。
世界誕生の時から不変だった生存種族に、最近新たに加わったのが妖精だった。
神族とも、人間とも、巨人とも。さらに言えば死者の魂とも違う、新しい生命の形。それを形作ったのは、今やその妖精たちの国になりつつある「アルフヘイム」の主フレイだ。
「死者の魂は死者の国へ向かうだろ。私はそれが我慢ならなくてな」
「なぜ」
「あそこは陰鬱で好かん」
この世界の定義に好かないも何もないだろう。
という突っ込みは心の中でだけに済ませて、無言で先を促す。
「老いるまで生きた老人たちならいざ知らず、生まれて間もない赤子や幼子が向かう場所じゃない。光あふれる場所で満足するまで楽しむべきだ。私はここをそういう場所にしたいし、だから彼らに名を与える」
生まれてから満足に世界を見ることすらできなかった生命に、せめてもの贖罪を。
「運命」というものが決まっているこんな世界だからこそ、それを体現するフレイだからこそ、その言葉には重みがあった。
生命というものは魂と魄、つまり器があって初めて成立する。器が朽ちない限り一度抜けてしまった魂は戻ってこられるという考えだ。だからフレイは幼くして死してしまった魂に新たに名前と言う名の器を与えることで、死者の国ではなく、妖精の国へ迎え入れているのだ。
「楽しく安らかな場所にしたい」そんな願望まで口にして。
「傲慢だな」
「何せ神様だからな」
「他人に迷惑をかけないならいいかもな」
「それは仕方がないな」
ガハハと大口を開けて笑うフレイに半目で無言で抗議するスキールニルだったが、不意にフレイの顔に影が差す。
「…特にここ数百年はひどいものだ。正しく周期するはずの季節は回らず、夏は訪れず厳しい冬が三度も続いている」
天井に近いアルフヘイムはまだましだ、とフレイは自身が治める若い王国を見渡した。
フレイのいう通り、ここ数百年は目に見えて変動が起こっている。
すべてが決められたサイクルで回るはずの世界が機能しなくなってきている。まるでどこかの歯車が狂い始めているかのような、そんな嵐の前の静けさをスキールニルも感じ取っていた。
アルフヘイムはもともと暖かな気候の大地だが、冬特有の寒さや天候の異変は起こる。からりと冷えた空気は涼しいと形容すれば聞こえはいいが、朝夜ともなれば肺をさすような寒さに代わる。
そんな、通常よりもなお厳しい冬が三度だ。
そのせいか数百年で随分とアルフヘイムの住民も増えてしまった。にぎやかになったといえばいいが、もともと幼子の死者の魂だった者たちでにぎわうということは、それだけ幼い犠牲者が増加しているということになる。下層の住民たちの嘆きは日々膨れ上がりつつある。
だが極めつけは。
「太陽と月が死んだ」
そう。今はちょうど昼餉の時間だが、頂点に座すはずの太陽はそこにはなく冬の厚い雲に覆われている。その雲に隠れてしまっているわけではなく。文字通り太陽が消えたのだ。
太陽がないということは真っ暗な夜が延々と続くということだ。同じくして月も同様に消失したとなれば、天井からの明かりは一切なくなってしまった。
「スコルとハティに飲まれたと」
「ここにきて世界の動きが激しい。天井からの光がなくなるとなれば、今後はもっと多くの命が失われることになる」
思慮するように口元を右手で隠しながらフレイは低くつぶやく。『生存し続ける』という権能のための知識を活用しても、あまり良い打開策がないのが現状なのだろう。
フレイは普段あまり表には出さないが、それほどまでに切迫した状況なのだろう。
長らく続いた千年王国。しかし――最高神オーディンからの沙汰はない。
ここで、思考にふけっていたスキールニルの視界の端で揺れる、二人の間に割って入る影がふたつ、
ふわりと綿毛のように浮遊する光はひときわパッと光ったと思うと、それらは極めて人間に酷似した、背中から虫の翅のようなものが生えた妖精の姿へと変わる。
『主さま主さま、伝言~』
『主さま主さま、カラス来た~』
「ふむ?」
二人の召使妖精――ビュクヴィルとベイラの言葉にフレイは小首をかしげながら。
「今日は何か催し事があったか?」
「決まった行事はなかったはずだ」
「じゃあまた突拍子もない催しだろうか?主神様にも全く困ったものだ」
自身のことを思い切り棚に上げて、フレイはやれやれと肩をすくませる。神はイベント事には熱心で目がない。主神が何も予定のない日に神々を集めることはまれにある話。
ビュクヴィルとベイラが楽し気にフレイの周囲を旋回していると、そこに新たな黒い影が加わってくる。オーディンの目であり耳であるワタリガラス、フギンだ。
『事はそう道楽の話ではありませぬぞ、フレイ様』
「というとなんだ?またユグドラシルで首を吊ったか?」
『縁起でもないことを言うものではございませぬ』
茶化すフレイに対し、フギンはいつにもまして神妙な面持ちでオーディンの居城への入城をせかすのだった。
*****
「――予言を聞いた。われら神が滅び、世界が終るというものだ」
ユグドラシル最上層、アースガルズ中心区。ヴァーラスキャールヴ。
自らの居城の玉座にて、主人であるオーディンは集まった神々を睥睨しながら厳かに告げる。
集められた神々が神戸を垂れることはしない。たとえ主神がオーディンであったとしても、各々が各々の摂理を体現する声明の頂点。そんなものたちからして、オーディンの言葉ははやり聞き捨てならない。
「また随分と笑える話が出てきたじゃないか、父上殿」
「不謹慎ですよ、トール」
言葉通りに鼻を鳴らし口の端を吊り上げながら言葉を発するのはトールだ。短い赤髪を逆立てながら好戦的に笑う姿はこの世界において最強を関するにふさわしい。そんな彼の不遜な態度をなだめるように。テュールはため息をこぼす。
雷と農耕をつかさどる神――トール。
剣をつかさどる軍神――テュール。
自身と同様に招集された二柱を横目に、同じ神しか登城できない都合上不在の従者に代わりフレイは口を開く。
「我々が集められた理由をお聞かせ願いたい」
自分だけが『争い』から遠い存在だと知っての質問だ。単純に世界をかけた戦争がはじまるというのならトールやテュールの専門だが、あいにくとフレイはそんなものからは一番遠い存在だ。
『存在し続ける』ことこそが使命のフレイが戦場に、なんて矛盾もいい話である。
フレイの言葉に、最古の神は苔の生えた石像のように小さくうなずく。
「私を加えたトール、テュール、フレイ。使命につき動かせないヘイムダルにはもう話をつけてある。ぬしら三柱を呼んだ理由はひとえに予言に関係があるからだ」
賢者オーディンは隻眼をすがめ。
「我らの消滅をもって、神々の世界が終焉を迎えるためだ」
*****
誰もいなくなった玉座で、枯葉のような老人は一人椅子に深くもたれている。
神話世界の終焉――その刻までもう幾何の時間もないが、しかしその世界の象徴たるオーディンはただその時を待つ。
恐怖も怒りもない。ただこれは『運命』なのだ。
『吾の最期の戦に不足なし』――最強の戦神はいつも通りに不敵に笑った。
『戦場で果てるのならば本望です』――勇敢な剣神はいつも通りに肩をすくめた。
『この砦を守るのが私の使命であれば』――先に伝えた守神はいつも通りの堅苦しさで膝を折った。
誰もかれもが『消滅』という終焉に疑問を抱かない。「始あれば終あり」――世界が定めたの絶対不変のルールに異を唱える者は神だろうとおらず、各々粛々と受け入れた。
戦乙女に戦士を集うよう下命を下している。オーディンとしてもできうる手段で対抗する散弾はつけている――が。
「隻眼に映る未来は変わらず、か」
「――オーズ」
誰もいないはずの空間に、一人の声が響く。その名で自分を呼ぶものは一人しかいない。
「どうした、フリッグ」
座す玉座の背後から、見目麗しい女神が音もなくするりと眼前に踊り出る。漆黒の長髪の下の唐紅がステンドガラスの光彩で艶やかに光る。
兄フレイと瓜二つの容姿であるフレイヤ――オーディンと二人きりの時にはフリッグと第二の名で呼ばれる彼女は、穏やかにオーディンの前に立っていた。
「お願いがあります」
「今まで散々お前のわがままは聞いてきたが」
「そうだったかしらぁ」
ふふふと口元を抑えながらフレイヤは知らんふり。そういう奔放な彼女に今の今まで付き合ってきた自分も相当なもの好きだという自覚はあるので、オーディンも苦笑気味にいつもと同じ言葉を繰り返す。
しかし、フレイヤの次の行動は普段通りのものではなかった。
フレイヤはオーディンの座る玉座の前に回り込むと、音もなくその場に跪く。
「主神オーディン。貴方のその権能を頂きたく」
普段の間延びした語尾ではない、凛と咲く1輪の花のような芯のある声が玉座に響く。荘厳で聞くものすべてがその声だけで震え上がるような、まさに神託そのもののような声音。
「……今になってなぜ欲するのだ」
――単純に疑問に思った。
この世界を正しく管理・運用するよう定められたオーディンの隻眼は『遥か未来を見通す』機能が備わっている。それが最高神の使命であったが、決定した結末を前にはなんの効力もない。
そんなガラクタを、今更どうして欲するというのか。
オーディンの問いに、跪いた女神はわずかに口の端を吊り上げたように見えた。フレイヤは漆黒の紗幕の下の唐紅を伏せながら。
「今の貴方様にはわたくしの眼のほうが必要になると思いまして」
「自身の眼をささげる代わりに私の眼を欲すると」
フレイヤの言葉に、オーディンはさらに訝しげに隻眼をすがめる。その気配を察してか、下げていた頭をフレイヤは上げる。
長い漆黒の下の唐紅は、兄と同じようにいたずら心に依然輝きを放つ。
「わたくしは、未来のために生きたいのです」
目の前の女神はいまだかつて見たことがないほどに唐紅を輝かせる。
その光彩は散っている白銀の輝きよりも、まだ見ぬ黄金のような未来に思いを馳せる――。




