3-2.創恋記:心
更新が遅れてしまいました…汗リアルでは別漫画原稿作業も並行して行っているので、また更新が遅れがちになってしまうかもしれません。読んでいただけている読者様にはご迷惑をお掛けしてしまいますが、よろしくお願いいたしますっ
「お前は自身が非人間であるということを、もっと自覚したほうがいいぞ」
「何を言う、私は元から人間ではない」
「そういうことを言っているんじゃない」
巨人の世界での一件を経て、場所は見慣れたアースガルズの花畑。先程までの寒々しい荒野然とした風景から一変、辺り一帯を流れる麗らかな陽気。
そんな花畑の中の、これまた見慣れた休憩所の椅子に腰かけたフレイに対し、スキールニルは端正な相貌を歪める。
「お前のやんちゃに付き合う、我の身も少しは考えてみたらどうだ」
「それがお前の仕事だろう」
「そういうところだぞ…」
先程の巨人にぶん投げられた主を身を呈して庇った際にできた傷だらけの昔馴染みをみても一切動じないフレイを見て、スキールニルは盛大に嘆息する。
別に自分を労わって欲しい訳では無い。彼の言う通り、自分の使命は彼を守ることであるし、労いの言葉がないのも今更だ。
フレイに考えて欲しいところはそこではなく。
「ふむ、わからんな。彼女といいお前といい」
熟考する際の癖なのか、フレイは右手を口にあてながら眉を顰める。先程の情景を思い浮かべているのだろうか、視線はどこか遠くに向かっているように見える。
どこで彼女が怒ったのか、彼女が何に怒ったのか。全てが自分を中心に巡る全能の存在であるがゆえに
そんな些細なことを彼は分からないのだろう。
「これは先が長いかもしれんな…」
「私にも分からないことがあると?」
「現に今答えが出せていないじゃないか」
とがれた刃のような切り返しに、フレイは言い返せずにむう、と口を尖らせる。そんな彼を横目に、そう言ったスキールニルは内心で少し驚いていた。
いつも自分中心だった彼が、今こうして『他人』のことを考えていることに。
何を言われているのか、何がわかっていないのか。自分自身を省みる行動を取っている。
それは、今までの彼にはなかった行為。
確かに、本当の意味で彼が理解出来る日は遠いかもしれない。しかし兆候はこうして直ぐに現れているのだから、ひょっとするとひょっとするかもしれない。
ともあれ、さてどうしたものか…。
自分が答えを教えてしまってもいいのだが、それではただの『知識』だ。彼自身の『経験』にならないし、『実感』が伴わない体験は今後のためにもならないだろう。
「そうだ!我が妹に聞いてみよう」
「…は?」
考えに耽ていたせいで反応が遅れてしまったが、今こいつなんと言ったか。
またしても嫌な予感に苛まれている腐れ縁を他所に、フレイは妙案だとばかりに唐紅を煌めかせ。
「我が妹であれば何か知っているに違いない。なぜなら私の妹なのだからなっ」
どや、と鼻を鳴らすフレイの顔には一切の疑いの色はない。
フレイは妹――フレイヤのことになるとどこか過信しすぎているというか、普段の達観した慧眼が曇る節がある。血の通った兄弟というものを持たないスキールニルはそんなもんかと思っているから、これが俗に言う『シスコン』ということにはもちろん気づいていない。
「そうと決まれば早速参ろうっフレイヤ〜フレイヤ〜!」
言うなり右手で何も無い空間を掴んだかと思おうと、フレイは思い切り真下に振り下ろす。手刀は空間を裂き、開かれた向こう側は今二人が立つ花畑とは真逆に、真夜中の帳。
というか、「ちょっと近くの花でも摘んでくるわ」的な気軽さで空間を裂かないでほしい。
空間の向こう側から聞こえる低い鳥のさえずりと虫のさざめき。星の瞬きが近いことから、世界樹のどこかの枝の上につながっているように見て取れる。
「フレイヤ、少し聞きたいことがあるのだが」
フレイの呼び掛けに、しかし答えるものは鳥と虫だ。しばらく二人は何も動きのない空間をじ、と見つめていたが、ややあって鬱陶しげに動く気配を闇に慣れた瞳が捉えた。
「…もう、何用かしらぁ兄様」
布の擦れる音と身をもたげる緩慢な動きで、今起きたばかりの不機嫌声で女神は億劫げに口を開く。
――誰もが眼を醒ますような、それは美しい女神だ。
すらりとのびた肢体は、まるで彫像のようになめらかで艶やかに伸び、つま先まで一寸の隙もない。男性とはまた違い身体は見事な曲線を描き、小さすぎず大きすぎない適度な胸の膨らみが、申し訳程度に羽織られた唯一の布を押し上げる。
腰まで伸ばされた髪はフレイのそれと同じ漆黒で、その下の美しい相貌にはまる二つのガラス玉もおなじ唐紅。
そのまだ半分開ききっていない唐紅を、フレイヤは空間の裂け目の向こう側から覗く観測者へ向け。
「せっかくいいところだったのに」
「此度はどんな男をつれこんだのだ」
「少し趣向を変えて、肉付きのいい殿方を捕まえてみたのだけれど…だめねぇ」
布の半分を占領しているふくよかな体格の塊を見返して、フレイヤはふるふると首を振る。心底残念そうに言うものだから、スキールニルは指先の分だけ同情した。
「あたしを満足させてくれる殿方はいないのかしらぁ」
「お前はどんな男なら満足するのだ」
「それは殿方次第よぉ」
それきり肉塊には興味が無くなったらしく、それでとフレイにゆるりと向けられる唐紅。
「兄様の方から来るなんて、珍しいこともあるわあ」
「お前にぜひ尋ねたいことがあってな」
「なぁに?」
「いやなに、人の感情の機微が分からなくてな」
フレイの言葉に驚いたのか、僅かに瞳を見開きながら先を促す。
「例えばぁ?」
「そうさな。私のものになれというと不機嫌になったり」
「えぇ」
「こうすれば私の話を聞くと言うから行った行為を、逆に責められたり」
「…えぇ」
「この男にまで非人間だと言われる始末だ」
「……」
それまでの経緯は一切説明がないから、今の発言だけ聞けばただの奇行種だ。
と、少なからず同じことを思ったのか、何と言ったらいいのかとフレイヤは少しだけ考え。
「兄様はまず何を持って行いをしたのかしらぁ」
全くもって当然の質問である。
フレイヤの逆質問にも、しかしフレイは何ともなしに先程あった出来事を思い出すように口元に手を添えて。
「私は私の望みを相手に伝え、相手の望みを聞いただけだが」
小首を傾げるフレイに対し、やはり彼は変わらないなとスキールニルは隣で主とは僅かに彩度が異なる瞳を眇める。
己の希望を伝え。
等価交換と同じ原理で相手の希望を聞き届ける。
そこに自身の感情はどこにもない。いや、ほかの生命よりも上位の存在である『神』に感情なんて不純物は許されないのかもしれない。
そうだとしても彼らのその何にも感情の伴わない行為は――虚ろな伽藍堂のように薄気味悪く、そして脆く悲しいものにスキールニルには映るのだ。
その自身の存在の歪さに未だ気づかないままの知恵の神に、同じ神であるフレイヤは深いため息をこぼす。
「はぁ〜~〜~〜~〜~……。そんなことだから兄さまは未だに童貞のままなのよぉ」
「今はそんな話はしていないが」
「ではそのその相手とはどういう関係になりたいのかしらぁ?」
「どういう関係…?」
言われて初めて気がついた、と目を見開き固まるフレイの隙を見逃さず、追い打ちをかけるようにフレイヤは人差し指をびしりと突き立て。
「兄さまが乙女心を全く理解出来ていないことがよぉく分かりましたわぁ、フレイヤは悲しいです。まぁ長いことそこの人間しか側仕えがいなかったでしょうから仕方がないのかもしれませんけどぉ」
「なぜここで我の責任が問われるのだろうか」
「ともあれ兄ささ、貴方がやるべきことはまず相手を理解することだわぁ」
「な、なるほど…!?いやしかし私はきちんと相手の言い分に耳を傾けたぞ?」
「それは表面上の話で、究極的には兄さまの自己解釈の範疇よぉ。つまり本当の意味では理解出来ていないのよぉ」
「な、なん…だと…?!」
最愛の妹からの言葉ということと、今まで自身に絶大な自信を持っていたという自尊心の否定というダブルパンチで、フレイは今まで見た事のないような絶望顔で絶句。それ以上続く言葉も出てこないのかまるで今にも死にそうな魚のようにパクパクと口を開閉させている。
そんな悲しい姿はみえていないのか見ていないのか、フレイヤは頭に手を当ててやれやれと首を振り。
「相手の心も、まじでは自分の心も分からないようでは神失格よぉ」
「で、では私はどうすればよいのだ…っ」
普段のフレイからは聞けないような泣き言に、フレイヤは慈悲深い女神のような(実際女神だが)、それでいてどこか影を含むような笑みを浮かべて。
「そんなの簡単よぉ。人の心を理解するには、同じ人間と過ごして体験するのがいいと思うわぁ」
フレイヤの言葉に、フレイとスキールニルが反応を示したのは全くの同時だった。
フレイは一筋の光が差したかのように瞳を輝かせ。
スキールニルはこの世の絶望を目の当たりにしたように相貌を歪ませながら。
「神よっっ!!」
「阿呆かっっ!?」
「そうと決まれば早速人間界へ降りて生活してみるとしよう!妹よ、必要な物を借りるぞ!」
「えぇいいわぁ〜行きつけの宿に一式揃っているから使ってくださいなぁ〜」
「ちょっとまて神の職務はどうするつもり、」
「兄さま〜そのままのお姿で下られたら人々が困ってしまうわぁ〜」
「お、そういえばそうか。というわけで姿を借りるぞスキールニル」
「はぁっ!?」
ずんずん置いていかれるスキールニルの制止の言葉は言葉を成す前に、指を軽く鳴らす囁かな音に遮られる。ぱちんと音が鳴ったかと思えばフレイはスキールニルの姿に、スキールニルはフレイの姿に。まるで鏡写しのように変化していた。
「では行ってくる!何安心しろ、使命は私が片手間にやっておくから、お前はただ座していればいい」
「何を阿呆なことを言ってるんだお前は!」
スキールニルの反論も虚しく、先程と同じように右手でさっと空間を割くと、フレイ(見た目は表情豊かなスキールニル)は、時空の狭間に消えてしまう。後に残されたのは呆然と消えゆく狭間に手を伸ばすスキールニル(見た目は強ばった表情のフレイ)と麗しい女神、あとはこの騒動の中でも延々いびきをかき続ける超えた肉だけだ。
「…………フレイヤ様」
「何かしら兄さまぁ」
「お巫山戯も大概にしてください。今すぐフレイを連れ戻して、」
「神の職務をして下さるのなら、問題はないんじゃなかしらぁ」
「フレイヤ様っ」
珍しく声を荒らげるスキールニルにフレイヤは頬に流れたひと房の漆黒を指先で遊ばせながら。
「お前も気づいているでしょう?兄さまの変化は、これからきっと世界を変えてくれるわ」
普段の間延びした口調ではない、真剣でひたむきな声音だった。向き合った先の唐紅は閉じられていてもう見えない次元の狭間をじ、と同じく消えていった彼女の兄の背中を見ているようだった。
「この停滞してつまらない、閉じられた楽園をきっと」
「そうお考えであれば、フレイを焚き付けなくとも良かったのでは?」
「私ではダメだめよ。力もないし。何より面倒くさいからと方っておいているのだから」
だけど彼ならきっとそんなことは無い。途中で投げ出すことも諦めることも、真実を追求し続ける彼なら、自分にはたどり着けなかった解に辿りつけるだろうから。
「それに」
「それに?」
「お前をからかうのは愉しいから、仕方がないわぁ」
今すぐ叩ききってやろうか、この駄女神。
少し見直してしまっただけに彼女の本心に思わず噴出しかけた殺意をどうにか抑えながら、スキールニルはもうひとつの疑問を口にする。
「ところで、フレイの相手が女だとどうしてわかったのです」
「あら、そんなことぉ?」
プレイは明言していなかったはずだが、話を聞いていたフレイヤは「乙女心を分かっていない」と断言した。相手が女だと最初から知っていたのだろうか。
フレイヤはもう興味を失ったのか、来た時と同じように薄手のシーツを被り直しながら。
「私は愛の女神ですからねぇ」




