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アノニマス||カタグラフィ  作者: 和泉宗谷
Page.7 死神と落ちこぼれ
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3-1.創恋記:始まり

その神は、なんの前触れもなくやってきた。


「私はお前の事を気に入った。私のものになる気は無いか?」

初めましての挨拶も名乗りも挙げず、開口一番にその男神は偉そうに言ってきた。

一見しても誰もが見惚れるだろう、完璧な外見をした神だ。

見た目の年齢は第2成長期をとうに過ぎた辺り。漆黒の髪は深夜の帳にも、暗闇に横たわる海面にも見て取れる。きちんと梳けば女性のそれよりもなお美しくなるだろうに、残念ながらその髪は適当にひとつにまとめられて背中を流れる。

均整のとれた肢体は一切の無駄なく適度に鍛え上げられ、その全身は神獣からしか生成されない生糸で編まれた羽衣に包まれ、袖から除く骨ばった長い指。

そして何よりも、世界中どこを探してもおなじ輝きは見つけられないであろう、綺羅と野心に光る唐紅が印象的だ。

彼はその瞳をどこまでも無垢で無邪気で残忍に輝かせながら、こちらの注意を引かんばかりにめいっぱい声を張り上げる。

そう、神といえど所詮は人の子の大きさ。象が蟻の声を聞くことなどあるだろうか。

耳を傾けないと聞こえない囁きに、ゲルズは純白の下のオパールを僅かに向ける。隠す気もない敵愾心と共に。

「まずはお名前を名乗るべきでしょう?神の分際で」

「おぉ、この私を神だと知っていながら態度を変えないか。そうでなくては」

一発目に喧嘩を売って興味を無くさせようとした作戦だったのだが、あっけなく失敗。しかも逆に興味を持たれてしまった。

そんな彼女の心境を知ってか知らずか、男神は悦に入ったように両腕を広げ。

「私はフレイ。豊穣を司る神だ」

高らかな名乗りに、ゲルズは僅かに相貌にはまるふたつのオパールを瞠る。この世界において『神』は当たり前の存在であるが、彼の名前はその中でも噂に名高い。

豊穣神フレイ。

同じ眷属のフレイヤという妹を持ち、そのどちらもが他の神とは比べ物にならないほどの美貌を持つとされている、富を司る神だ。二柱は生命の信仰と最高神の祝福に恵まれ、神の中でも高位の権能を秘めると言われている。

しかし妹はその美貌をこれ幸いにと無駄遣いをし、異性遊びに興じる始末。また兄であるフレイも同じように悪名に名高い。

その悪名と、そもそも彼らの存在自体に不満を持つゲルズは苛立ちに瞳を眇める。

「さぁ名乗ったぞ。これで私のものになる準備は出来たな」

なぜそんな帰結に至るのかさっぱり理解できない。頭が沸いているのかこいつ。

フレイの背後の影に隠れるようにして控える人間の従者もどうやら同じことを思っているようだが、しかし余計なことには首を突っ込まんが吉と、立場を笠に着て我関せずだ。

正直、そんなものはゲルズも同じだ。なので。

「いやしかし、下層に来たのは初めてだ。こんな肌寒いところで良く満足できるな」

「……」

「オマケに驚くほど何も無い。普段は何をしているのだ」

「……」

「これだけ何も無いなら、花のひとつでも持ってくるべきだったか」

「…よく喋りますね」

無視を決め込もうと思ったが、余りのやかましさに耐えきれず、ゲルズはため息とともに鬱陶しげに睨みつける。

ちなみに、こういう非情になりきれない部分がゲルズの長所であり短所だと以前友人に釘を刺されたが、なんのことを言っているのかゲルズにはさっぱり分からなかった。

嫌悪感しかないゲルズの言葉に、しかしフレイは気づいていて知らないフリをして。

「こうしていれば注意を引けると思ったからな」 まるで頭の中を覗かれているような、自分の全てを見透かされているかのような錯覚に、ゲルズはいよいよ鼻白む。

「貴方たちのそういうところ、嫌いです」

「そう言われてもな。分かってしまうからには仕方がないだろう」

「だから気に入らないのよ」

自分は選ばれた、神に祝福された存在だということに彼ら自身が気づいていて。その傲慢さが、ゲルズは何より気に入らない。

それに。

「何をそんなに怒っている?」

彼ら自身、その傲慢さに気づいていないことが、いっそう腹立たしい。

そう認識しているものを変えるのは骨が折れる。そもそもそこまでする義理はゲルズにはないからに、さてこの状況をどうしたものかと考えあぐねていると、ゲルズの前に躍りでる1人分の影。

「ゲルズ〜っ」

「あら、どうしたのミリンダ」

ゲルズの問いかけに巨人の少女―ミリンダはどうしたじゃないと言いたげに腰に手を当てて。

「約束の時間、とっくに過ぎてるから呼びに来たの!」

「あぁごめんなさい。そうだったわね」

自分としたことが、目の前の苛立ちにかまけてミリンダとの約束を失念してしまっていたようだ。今日は彼女に友人の婚式に呼ばれているんだった。

ミリンダとは友人であるが、今日の主役である彼女の友人は会えば挨拶をする程度であまり親しくはない。正直、ゲルズにはとしてはそんな赤の他人も同然の婚式に部外者が紛れ込むことに引け目を感じているのだが、ミリンダを含め参列者はそんなこと露にも気にしておらず、さらにどちらかと言うと参加して欲しくて仕方がないそうだ。

『あんたも、少しはそういうことに関心を持ってもいいんじゃない?』

ふと、先日(と片付けるには長い時間)腐れ縁の幼馴染の言葉を思い出し、ゲルズは小さくため息をこぼす。関心を持てと言っても相手もいないし、そもそも興味もないのだからどうしようもないじゃないか。

しかしそう入っても今日は祝いの場だ。たとえ自分自身乗り気ではないにしても、せっかく誘ってくれたのだから、空気を悪くしては行けない。

「直ぐに行くわ。少し準備を、」

「――なんだお前は。横から出てきて、図々しいぞ」

横槍を入れて来たのは、またしてもこの男神だった。

人間サイズの小さな存在に声をかけられて初めて気がついたのか、ミリンダはいかにも不満そうに眉を寄せつつも、その内心は口にはせず。

「申し訳ございませんでした、神よ。我々はこれより所用がございますので、失礼致します」

「今私が彼女と話をしている。邪魔をするな」

この返しには、さしもの人格者であるミリンダま開いた口が塞がらない。打ち上げられた魚のようにぱくぱくと開閉する口では言葉はかたちを成さず、見るに耐えなくなったゲルズがフォローに入る。

「……フレイ様。申し訳ございませんが、彼女との約束が先約ですので」

「私を差し置くほどの用事か、それは?」

「物事には順序があるわ、約束事は先に結んだものを優先するべきではなくて?」

苛立ちにとうとう口調が元に戻ってしまったが、しかしフレイは納得できないのばかりに口を尖らせるだけ。まるで駄々をこねる子供のそれだ。

いい大人(文字通りあれでも数千年は生きているだろう)が、聞いて呆れる。

だから、これはちょっとした冗談だった。

「そんなに自分を優先させたいなら、そこの段差から飛び降りるなりして気を引いてみたらどうかしら。さっきよりかは引けるかもしれないわよ」

ちらり、とオパールの視線を向けた先には文字通り段差がある。そう、ゲルズたち巨人たちにとっての段差だ。気をつけていればなんてことは無い。

およそ人間の居住住宅の4.5階分程の高さだろうか。巨人族にとってもそれなりの落差だが、それほど気にかけるほどでもない。「ここを降りたらショートカットでるから、飛び降りよう」と簡単に判断できるほどの。

しかし――巨人でもない生き物からすればそれは、奈落にすら通じていると言っても過言ではないものだとは、もちろんゲルズも分かっている。分かっているからこそ、冗談で口走ったのだ。

これで、少しはこの神も黙るだろう――。

「よしわかった。ここから飛び降りればいいんだな?」

「「「は?」」」

その場の全員が全く同じ言葉を口にした瞬間。フレイはなんの気負いもなくその段差の縁に歩を進め――。


――なんの躊躇いもなく、虚空に身を躍らせた。


「「「はぁっ!?」」」


フレイの奇行に、永い付き合いであろう青年騎士すら唖然と意味をなさない言葉を口走る。しかしそうしている間にもフレイの身は量子力学的力場の法則に従って自由落下していく。自分たちからは地平に見える端から、忽然と消える姿。

気がついたら、体が動いていた。

青年騎士が動き出すよりも早く、ゲルズは1歩を踏み出していた。人間の1歩を優に超える巨人の1歩であっという間に段差の縁にたどり着くと、まだ腕を伸ばせる範囲を落下していたフレイを手のひらですくいあげる。

「っ何を考えているのあなたは!?」

「どうだ?これで私を優先するな?」

顔面を寄せて怒鳴る声も吹く風で、実にあっけらかんと言ってのけたフレイの姿に、ゲルズは我慢の限界だった。

落下していた彼の表情が、何もかも見透かしたような笑顔だったから。

手のひらをフレイごと握りしめて、感情に任せて小石よろしくぶん投げる。音速を超える速度でフレイがすっ飛んでいくが、地面に激突する前に滑り込んできた青年騎士によって激突だけは回避する。

もみくちゃになりながら男2人は地面を転がり、たっぷり数百メートルをかけて減速。背後に出現した大きな岩にぶつかる形でようやく静止した。

「っいてて…全く、いきなり何をする、」

「貴方と話すことは何もありません。今すぐアースガルズに帰りなさい」

緩衝材の騎士を押しのけながら面を上げたフレイに、明らかな拒絶の意思――殺意を込めて、唐紅を睨みつけるオパールの双眸。


「金輪際、その姿を見せないで頂戴」


*****


一方的に言い放ち、二度と振り返ることなくその場を立ち去っていく初恋の相手の背中を眺めながら、フレイはこてんと首を傾げる。

「私はなにかおかしなことをしたか?」

「……とりあえず、お前は最低だとだけ言っておく」

一切反省の色を見せず、腹の上に居座り続ける主に向かって、痛みの分を上乗せしてスキールニルは恨み節をたたきつけた。

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