2-1.招集(ⅰ)
「「やりすぎです(わ)、先生」」
僅かに文字数の違う、それでいて全く同じ言葉を正面の女生徒2名から浴びせられ、ルークは青ざめながら身を強ばらせる。
「……すみません」
「確かにわたくしも軽率でしたが、それにしても程度というものはあります」
「というかそもそも生徒と先生…」
「あの時はそんなこと言っている状況ではごめんなさいすみませんなんでもないです」
突き刺すような冷ややかなシクラメンと灰色の2色の視線に、ルークは言葉を強制的に打ち切って陳謝。彼女らの言葉を借りる訳では無いが、仮にも生徒と教師の関係なのに何故か自分が謝る側。しかし目の前のふたりの殺気の前では、自分の猜疑心など綿埃も当然。
迷宮区の狭苦しさの欠けらも無い、限りなく白い室内に3人はいた。つんと鼻を突く消毒液の匂いとできる限り不純を取り除かれた病室特有の空間で、贅沢にも一人部屋用の室内に誂られたささやかなテーブルを囲んで、片方のユーナと丁那2人に睨まれる形で対面するルークの肩身は狭い。
3人、と言ったが実際にこの病室内にいるのは4人だ。
腰掛けている来客用のスペースを薄いカーテンで隔てられた向こう側、個室用のベッドには今はひとりの東洋人の青年が深々とその身を沈めている。
「異能力は魔法と違って人体の延長にあるものです。軽度ならいざ知らず酷使しすぎは人体にも影響を及ぼすという程度、先生もご存知ですよね」
「そ、それはもちろん知っていますがだからそのあのそうしたら諦めてくれるかなぁと思ったんですよ…」
「なるほど、ココノエ様の性格を見誤りましたね先生」
ぐぅのねも出ない。
だって彼のクラスの中遠距離戦闘科はルークは受け持っていないからそんなに接点はなかったが、普段はとても穏やかで温厚で、いつもニコニコしているような青年がルークにとってのレン·ココノエという人間だ。迷宮区に滞在する調査員のほとんどもそれに隣接する聖グリエルモ学院に在学する生徒も競って負けん気が強い人間ばかりで、レンのような温厚さはある意味異質なのだ。
自分と同じ血の気の低い人間だとどこかで同類と括ってしまっていたところが間違いで、よく良く考えれば元は米国の秘密結社の構成員だったし各地の戦場を渡り歩いていたらしいし、そもそもあのアルベルトとカズキを諌めれた唯一の人物であったフジノの弟という時点で根っからの本性は実は違ったことなんてわかったかもしれないが。
あの場、結界によって囲われた2人だけの闘技場で、果たしてそこまでの思考を巡らせられただろうか。いや無理だ。死なないように立ち回るので精一杯でした。
徹頭徹尾、後衛職のルークにとって異能力という弱点を突くことでしか、彼に勝つ手段はなかった。だから咄嗟に思いついた魔法をそのままぶっつけ本番で展開してぶつけて。
――魔法による異能力の一極集中の影響で、レンは今絶賛意識喪失中なのである。
さらにこの魔法の厄介なところは、その影響が異能―つまり肉体に直接及ぶものではなく精神に作用するものだという点だ。実際レンの身体に外傷は一切ないが、精神に負荷がかかりすぎたために昏倒してしまっているのが現状で、これでは名高い『タキオン』直営の総合病院の医師たちもお手上げだ。
したがってなんの治療法も考えつかないまま、さらに言えば現状の対処に追われ彼の対応は後回しにされてしまっているため、このひと月レンはそのまま眠り続けてしまっているのが今の状態だ。
――世界が改変されてから、早ひと月が経過した。
エドヴァルド·フォン·ユングリングが『聖杯』を起動させ、恐慌に陥った世界はまさにこの世の地獄と言っても過言ではい様相を呈した。
笑顔で死んでいく隣人。
狂乱に落ちた狂人による事件。
パンクし機能しなくなった医療機関や警察機構。
迷宮区内部からも混乱し興奮した迷宮生物が溢れ出し、本来真っ先に対処を行う調査員らも状況理解が及ばず、指揮系統は混乱するばかり。
突然現れた臨時講師に言われ、命からがら深部から這い上がってきたルークたちを迎えた世界は、そんな変わり果てたものだった。
それでも、この状況を打破しようと動き始めたものたちがいた。最初に先陣を切ったのは、我らが新しい小さな少年総団長。
前団長アルベルトの突然の崩御に、しかしアデルは彼さながらの指揮を執り、そんな年端も行かない少年の奮戦に何も思わない大人はここにはいなかった。指揮系統を取り戻した歴戦の調査員たちによって、大凡の迷宮生物たちの掃討がひと段落着いたのは、つい先日のこと。
この1ヶ月の死者は、あの『聖戦』や『大予言』が生易しいと感じるほど、膨大な数となった。
この数日ずっと出ずっぱりだったルークもようやく部屋に帰れて死んだように寝て、知らない間に数日をそのまま過ごして謝罪をと見舞いにようやく来れたのだが――疲労感が増しただけだったようだ。
自分がやった事なので疲労感も何もないのだが、しかし少しくらい労ってくれてもいいのではないだろうか。まぁ目の前の女生徒達も連日対応に追われていただろうし、むしろ彼女らはまだ学生なのだから守られるべき存在なのだが。
……そういえば、主のハンナも見た目とは裏腹に、どこら辛辣だったというか厳しかったというか。女というものは案外こういうものだろうか。
まさかとは思うが自分だけ冷たく当られているとは信じたくない。
戦線は奮戦と総団長以下指揮官の統率のおかげで何とか防衛ラインを死守できている。が、病院はそうとも言えない。ひと月経った今はようやくギリギリ運営ができるようになってきているようだが、未だにベッドは満員、軽傷患者で廊下やロビーは足の踏み場もない始末。
どこを歩けども上がるうめき声に、途切れることの無い泣き声。それに耐えきれず怒り出すものもいれば、この世の終わりだと言いたげな感情のそげ落ちた無表情の人々。
西暦を越え聖暦となった今に生まれたルークに知るべくもないが、戦時の病院とはきっとこういう状態だったのだろうと、痛ましさに思わず鼻白む。
そんな中での個室での治療で、レンは今それほどまでの容態なのだと無言の圧力を思い出して、ルークはさらに気落ちする。
「…こういう時、何も出来ないとやっぱり自分の無能さを痛感しますね」
ポソり、と。誰に聞いて欲しい訳でも無い言葉が丁那の口から知らずこぼれ落ちる。様子を窺うようにルークは黒瞳を、気遣うようにユーナはシクラメンの瞳をそれぞれ彼女に向ける。
「何ができるって自信があるわけじゃないけど、何からできるって思いたかった。でも私は私の得意分野でさえもいざってとき役に立たなくて。本当、何しに来たんだって話ですよね」
「…丁那さん」
消毒液の匂いに混じった華の香りの中で、旗目から見ても無理に笑う丁那にユーナはその先の言葉を見失う。何も出来ないのは自分も同じだとわかっているから、伝えたい言葉とのどれもが軽くなってしまう。――それはルークも同じだった。
結局ルークも、分断されたアルベルトの下に駆けつけることが出来なかった。主が愛した仮初の伴侶を、主と同じく仰ぐべき存在をルークはまたも守ることが出来なかったのだから。
この場で1番の負け犬に、言えることは何もない。
それぞれがそれぞれの自責に落ち込んで。だからやかましすぎるその足音さえも直前まで気づくことが出来なかった。
「やっほーーーーー元気してるぅーーーー!?」
バァンっ!とおよそ病院では聞いてはいけない程の扉の開閉音に、直前までの思考が三千里先までぶっ飛んだ。
ユーナと丁那は入口を背面にしていたから、彼女らが振り返るわずかな時間にずり落ちた眼鏡もそのままにルークがその場の総意を代表して。
「ふ、フローズ臨時講師…!?」
「ややっこれはおそろいだね〜。…ごめん、君名前はなんだっけ?」
「……ルーク·イグレシアスです」
悪気は無いのだろうがさすがに名前すら覚えられていないのはショックすぎて、肩を落としながら何度目か分からない自己紹介を闖入者―フローズにする。確かに担当専科は違うが、10回会えばさすがに覚えて欲しい。
非難がましい黒瞳を、しかし当の本人はやっぱり全く気にしていないようで。
「あははそうだったそうだった、ごめんね先生〜」
「ところでここへはどういった要件で…?」
これ以上の文句は徒労に終わるだろうと彼女がここへ来た理由を問いただすことに。彼女の受け持ちがレンの所属する中遠距離戦闘科ではないことを知っているから、なおのことここへ来た理由がルークには検討もつかない。
詰問に、ぱちりと瞬くペリドット。
「我らが暴力主の命令でね〜、ココノエくん?とやらを呼びに来たんだけど…」
ざっと見回して、とりあえず部屋の半分には姿が見えないことを確認しながらカーテンの向こう側へ歩いて行って。
「おや?この子も寝ちゃってるの?あ〜…」
レンの様子を見て驚きに上がった声は、次第に辟易どころか「やったな」と言いたげな避難げな声音に落ち着いていく。
「外傷…じゃなくて精神か。これをやった人はえぐいね〜、かなり精神削れてるよ〜。放っておいたらこりゃ1年は目を覚まさないね〜」
…本人に悪気が全くないばっかりに、純粋な感想が研がれてすぐの包丁のごとくグサグサとルークを抉り、フローズの言葉でさらに冷たくなる目の前の2対の双眸。
1人は精神的ダメージで、2人がそれを責め立てるように殺気を募らせていて気が逸れてしまっていたから、フローズの次の行動を誰も瞬時に理解することが出来なかった。
ごく自然な動作でレンの相貌に、フローズは近寄って。
――ごくごく自然な流れで、唇を重ね合わせた。
「なぁ!?」
「あら」
「ななな、何をしているんですかぁーーーーーーーーー!?!」
それぞれがそれぞれ違う驚嘆の声を上げる中、1番過剰な反応でソファから立ち上がった丁那は、そのままフローズに突撃をかます。
勢いそのままにべりっと引き剥がされたフローズはこてん、と首を傾げて。
「何って?」
事の重大さを全く理解していないようだ。
「ななななにってあああああなた!ね、寝ている男性に対していきなり、キ、キストカ…するなんて!?」
『キス』というフレーズ部分だけやけに小声にひそめられたのは聞き間違いじゃないだろう。
恥ずかしさを紛らわすために腕をブンブン振り回しながらの抗議に、フローズは納得したようにえらく古風なリアクションでぽん、と手を叩き。
「迷宮生物の血液って、人間の治癒能力を向上させるって知らない?」
そういう話ではない。
「そういう話じゃないですーーっ!!」
「……なんかやけに騒がしいけど」
「ひゃあっ!?」
半泣きで叫びを上げたと同時、まさに今起きたばかりの寝起き声に、丁那はうさぎのように飛び跳ねた。
そんな丁那の様子も理由もたった今起きたばかりのレンには理解できないのも当たり前で、注目の中起き上がった彼はベッドの上で若苗色のインナーカラーの黒髪を乱雑にかき混ぜながら周囲を一周し。
「いまいち状況が理解出来ないんだけど…」
「ぐっもーにん少年!まぁ今は昼なんだけど、ちょっと主が呼んでるから悪いんだけど来て貰えるかなっ」
「えー…、てちょっと待ってせめて上着着させて欲しい」
治療のためにと何も纏っていない上半身に今更ながらに気づいて、起きて早々フローズに引きずられるレンはベッドの脇の椅子に引っ掛けられていたシャツをどうにか掴んで羽織る。
そのシャツの裾を、逆サイドから丁那が引っ掴んで。
「ちょっと待ってくださいってば!九重さんは病人ですっ絶対安静なんですっ!」
「さっきから突っかかってくるなぁ。君はこの少年のなんなの?」
「えっ!?」
予想外の質問に、丁那は金魚のように口をパクつかせて。やはり状況が呑み込めていないレンの顔を、瞳を。羽織っただけで前が開いたままでその間から見える均整のとれた、右肩から左脇腹にかけての1文字の傷を中心に、意外にも古傷が残る身体を混乱したようにぐるぐる見回すばかり。
見ているこっちが可哀想に見えてくる。
「…なにか用事があるみたいだから、ちょっと行ってくるね」
見かねたレンがそんな彼女に助け舟を出す。恐らくベッドから起きる際にみつけた、指先でつまんだ花弁をヒラヒラと振りながら。
彼女の一族が得意とする華の香の、中国地方に古く伝わる治療法の証をレンは掲げて。
「ありがとう、李さん」
それだけ言い残して、堪え性のない台風のような女に引かれて慌ただしく病室を後にした。
後に残されたのは。
「―そうだったのですか丁那さんっ!わたくし、応援しております!!」
「やっやめてください何の話ですか!?」
「隠すことないじゃありませんか、ささ、もっとお話をお伺いしても?」
と乙女モード全開で、瞳を目いっぱい輝かせ恋バナに花を咲かせる女生徒2人と。
「…それじゃ、僕はこれで…」
完全に空気となってそそくさとその場を後にした男だった。




