3-2.落ちこぼれと死神(終章)
お待たせいたしました!本編一話、これにて終了です~
綺麗にまとめられたか自信あありましたが、精一杯書ききれたので、満足です汗
ぼんやりと目を開けるとそこに満天の星はなく、無機質な真白な天井が見てとれた。
ぱちぱちと何度か瞬きをしていると、次第にそれは像を結ぶ。
「やぁお目覚めかな、眠り姫」
パタン、とハードカバーを閉じると、アルベルトはそう言って翡翠の双眸が上がる。
寝起きのせいかはたまた見ていた夢のせいか、些か以上に回らないぼんやりとした頭で、隼人は苦笑する。
「…眠り姫って、そんなに寝て無いでしょう」
「たっぷり1週間は寝ていたね」
マジかよ。
そう言われて上体を起こそうと利き手に力を入れようとして、はたと気づく。
飛ばされた右腕が、あることに。
「…腕、」
「あぁ、君の腕ね。ヴァイスが律儀に君と一緒に持ち帰ってきたからね、とりあえず繋げてはおいた」
てっきりグチャグチャに消化されたものと思っていたので、少々拍子抜けにその腕を見る。よく見れば確かに歯型や細々とした傷が入っている。
が、アルベルトの言葉通り繋げただけだろう。力を込めてもその腕は一向に持ち上がりはしなかった。
何度かの挑戦の後、諦めて左腕で上体を起こす。
「そんなプラモみたいに着脱可能みたいに言わないでください」
「今の現代医療も魔法医療も発達しているからね。と言っても、ただつけただけだから動かないだろうけど、」
と、そこまで言ってアルベルトは隣のデスクから冊子を取り出す。見せびらかすようにペラペラと振れば、その文章がぼんやりと目に入る。
非常に見覚えのある、その文章が。
「ここにとある天才がお兄様のために考えた、大変興味深い資料がある」
「ちょっとまてなんであんたが持ってる」
「まぁ私がなぜこれを持っているのかはさておき」
「さて置くなよ!?人のデータどっから盗った!?」
アルベルト配下の影に一言いえば個人データなど簡単に手に入るのだが、そんなことは隼人は勿論知らないので、その手のレポート用紙がどのようにして今ここにあるのか皆目検討もつかない。
が、そのレポート用紙用紙に書かれていることは見なくてもわかる。何故ならば。
「無くなった腕を復活させる方法か。確かにこれが実証されれば、君のように腕がもげたり足がもげたりしても元通りになるわけだね」
――7年前、兄の腕が無くなってからどうしても治してやれないものか、1人で医学書や魔法学書をひっくり返して考えたものだから。
「筋肉や骨ならいざ知らず、切断された神経回路を医療魔法で繋ぎ合わせる、ね。全く無茶難題を考えたものだ、この天才は」
神経回路は血管と同じく全身を巡り、そして全ては繋がっている。1箇所だけ繋ぎ合わせれば良いというものでは決してなく、デタラメに繋ぎ合わせれば最悪腕や足の1本では済まないだろう。
全身の神経回路を把握し、その1本1本を繋ぎ合わせ伝達網を復元させる。――それは神の御業と言っても過言ではない、まさに机上の空論だ。
だが、とアルベルトは前置きをする。
「昨今の両医療技術の進歩は目覚しい。かつては無理だったかもしれないが、今であれば腕の良い施術師も沢山いる。この神の御業に挑戦したいという猛者も居るだろう。あとは丁度いいモルモ、…被験者がいればいいのだけれど」
モルモットって言いやがった。
「…ちなみに他の方法もあるのでは?」
「あるにはあるよ。腕生やしたり、義手をつける方法もある。前者は死んだ方がいい痛みが1週間続き、後者は向こう数年はリハビリ生活だけどね」
「なるほど分かりました」
選択肢はひとつしかないということが。
「分かればよろしい」
隼人のげんなりとした表情に、学院理事長は満面の笑みで及第点をつけた。
「まさか自分が実験することになるとは…」
「医療には何事も最初の犠牲が必要だ。今確立されている多くの医療にも、最初に名乗りを上げた犠牲者がいるからこそあるものばかりだよ」
「さいですか」
まんまと口車に乗せられたようで腹が立つ。そう思って不機嫌に頭をがしがしとかく隼人はふと、もうひとつの変化に気づく。
右親指に嵌っていた紅い輪が、無くなっていることに。
隼人がそのことに気付いたことを察してか、アルベルトはぴ、と人差し指を立てる。
「ついでに、契約印も外させてもらった。うちの『死神』が迷惑をかけたようですまなかったね」
これで晴れて自由の身だ、とばかりに手を広げ、ついで謝罪するように頭を下げる。
アルベルトの言う通り、これでいけ好かないエリートの顔を見なくて済むようになったのだ。隼人としても、その事実はこの上なく吉報だ。
それなのに。
何も無くなった空虚な右手を見て、隼人は言い難い感情にかられ言葉を探すが、立ち上がることでアルベルトはその行為を拒否する。
「さて、私は多忙だ。事後処理やらお前の手術の段取りやらまだまだやることが多いのでね、これで失礼するよ」
暇だろうから顔くらいは覗きに来てあげよう、と立ち去ろうとするアルベルトの背中は言外に、隼人の言及はこれ以上聞けないという警告を表していた。
その、こちらの意見などまるで聞かないという態度が気に入らなくて、隼人は絞り出すように言葉を投付ける。
「…俺はお役御免、ということですか」
「もとよりお前は無理やり契約を交わされた。ならばこの結果はお前が望んだもののはずだろう」
その通りだと、隼人は歯噛みする。
前の契約者から無理やり指輪を嵌められ、かと思ったらこっちの言うことなんぞ何も聞きやしない、無愛想な『死神』のお守りをさせられ、最終的にはいざこざに巻き込まれて腕を吹っ飛ばされて死にかけた。
せいせいしないと言えば、嘘になる。
だからこれは、自分が待ちわびた結果だったはずだった。――つい数瞬前までは。
「――知っていると思いますが」
背後からの低く怜悧な声に、病室の敷居をまたごうとした足をアルベルトはふ、と止める。
振り返りはしなかったが、肩越しに向けられる視線は、まるで驚異にならない虫を見下ろす爬虫類のそれ。
普通の人間であればそれだけで萎縮するその翡翠の眼光を、深紅の双眸は真正面から逸らすことなく受け止める。
「この腕、元はと言えばお宅の団員の私怨のせいで無くなったんですよね。それに対する謝罪というか、何か見返りがあってもいいと思うんですが」
「ほう。この私に取引かな。一下級調査員の分際で」
「その一下級調査員の命を『タキオン』構成員である上級調査員が奪おうとした、という汚点は総団長にとっても隠したいものでは?」
上級調査員が下級調査員を私怨で不可抗力とはいえ殺そうとした、などと周囲に知れれば、『タキオン』の信用性に関わるだろう。少なくない士気の低下や、もしかしたら反旗を翻す者まで現れるかもしれない。
『タキオン』は全調査員の憧れであり象徴、そして抑止力でもある。『タキオン』の存在があればこそ、この迷宮区という無法地帯でギリギリの秩序が保たれいる。その存在が揺げば、今の均衡は容易く瓦解するであろう。
秩序は唯一普遍。であれば一切の汚点は許されない。
隼人の鋭い指摘はアルベルトとしても痛いところをつかれたはずだが、しかし彼のその顔には一切の動きは見られない。
ただ少し、面白いと言いたげに翡翠の双眸を眇める。
「だからこそ私手ずから異端分子は排除する。そのやり方はお前も知っているだろう」
さすが若くして総団長を務めあげる男。この程度の舌戦など、彼にとってはそよ風同然なのだろう。
品定めするように向けられた視線はしかし、一転して穏やかなものへと変わる。
「お前がこうも噛み付いてくるのはカズキの葬儀以来だからね。可愛い弟の少ないお願いくらい、そう絡め手で来ずとも聞いてあげたいと思うものだよ?」
肩を竦めながら振り返るアルベルトの表情は総団長のそれではなく、先程までの兄の友の顔戻っている。
「これだと決めた事は、絶対に譲らないのは兄弟どちらも同じだね」
「俺自身は、そうじゃないと思っていたんですがね」
自分でも、柄にもないことを言っている自覚はある。何かにこんなに執着することなど、17年の人生の中であまり記憶にはなくて。
だから今の自分の心境は、自分でもよく分からない。
だけど。
にやにやとからかうように笑う視線から逃げるように。逃げた先の、覚えのないガラス玉の破片を見留めながら、隼人は自分の胸にあるひとつの決意を吐露する。
「約束、しましたから。勝手に」
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面会時間もとうに過ぎ、月も空高く昇る時刻。
雲の一切ない月光は、太陽とはまた違った明るさで病室の白を際立たせている。
しん、と静まり返った聖グリエルモ学院付属研究病院病棟の廊下を歩く影がひとつ。闇の中にあって尚映える、雪白の少年だ。
彼はさながら命を刈り取る死神のように音もなく移動すると、この一週間で通い慣れたひとつの病室へ足を踏み入れる。
4人分あるベッドのうち、埋まっているのは入って左手窓側の1人分だけ。
一つだけ仕切られているカーテンからひょこり、と顔を覗かせると、同じ歳の少年が静かに横たわっている。
かつて自分を拾い育ててくれた人と同じ赤銅色の髪と、その人よりも深い深紅の瞳は、閉じられた瞼で今は見えない。
今日ようやく目覚めたとアルベルトからは話は聞いているが、夜の闇も深くなった今の時刻では寝静まっているのは当然だろう。
だからこそ、あえてこの時間を狙って来たのだ。
だって、どう顔を合わせたらいいか、わからない。
成り行きで契約印を押し付けられて。
自分の身勝手な行動で尻拭いをさせて。
自分のせいで、死にかけて。
そもそも迷宮区に彼が来たのだって、元はと言えば自分の調整費や育成費だという話だ。
全部――自分のせいではないか。
謝罪をしないといけないことは分かっている。分かっているが、その時の彼の反応が、正直怖い。
どんなに凶悪な迷宮生物と対峙した時よりも、怖いのだ。
だから逃げるようにして、また明日と先延ばしにして。――また明日の勇気は、依然として持てない。
渦巻く胸中を胸に秘めるようにヴァイスは拳を握ると、サイドデスクに手にしてきたモノを置こうとして。
「――それ何?」
大きな声は出していないはずなのにびょんっ、と目の前の死神が飛び跳ねた。まるで白猫だ。
その大袈裟な反応が可笑しくて、隼人は脅かしが成功した仕掛け人のようにくつくつと喉を鳴らす。
「ね、寝てたはずじゃ…」
「寝すぎて寝れないんだよ」
1週間も寝続ければ、蓄積された寝不足も解消されるというものだ。
かと言って夜の9時には全館消灯されてしまうし、着の身着のまま担ぎ込まれたので暇つぶしの道具も何も無いし、とりあえず人の気配がしたので寝たフリをしたのだが。
音もなく真白な影が現れた時は、病院という場所もあり一瞬血の気も引いたが、それは情けないので黙っていよう。
反射的に交わった見慣れた瑠璃の双眸は、そこに散る黄金の星々が見て取れるほど見開かれている。どうやらヴァイス本人も、起きているとは思わなかったようだ。
「で、それなんだよ。起きた時からあったけど」
昼間アルベルトに尋ねればよかったのだが、腹の探り合いで失念していたのを思い出して。
ヴァイスは流石の速さでそれを奪い返そうと手を伸ばしたが、ほんのわずかな差で隼人がつまみあげる方が早かった。
見た目は水晶のように透き通った、ガラス玉の破片。
くるくると月明かりに透かせば、ひび割れた面に反射して煌と手の中で光った。
空を切った腕を所在なさげに泳がせ、どう言い繕うか口をぱくぱくとさせていたヴァイスだったが、やがてなにも妙案は思いつかなかったのか、罰が悪そうに目を逸らす。
「…お見舞い」
「それは分かるけど」
「結晶核」
へぇ、と改めて月光に照らす。普段は敵として相対するからまじまじとは見たことは無かったけど、こうしてみると、結構綺麗なものなんだなと。
「あのコカトリスの」
前言撤回。
先程―実際には1週間前―死闘を繰り広げた相手のモノと知り、知らず隼人は顔を顰める。だから8つもあるのか。
「わざわざ集めてんの?」
意図せずトゲを含んでしまった問に、ヴァイスはこちらを見ずに頷く。
「綺麗だと、思うから」
そういえば、と隼人は思い出す。目の前の少年はどうやら、結晶核を見分ける異能を持っていたのだったと。
どのように見分けているかは知らなかったので、どうやらその瑠璃の瞳は色彩を映しているのかと1人納得する。
「俺には透明にしか見えないけど」
ヴァイスには、色とりどりに見えているのだろうか。
そうぼんやり考えていたので、続く言葉に咄嗟に反応できなかった。
「ハヤトの心も、見たことの無い色をしてる」
え、とガラス片に向けていた深紅を反射で向ける。
「綺麗なあかいろだ」
伏せられていたはずの瑠璃のそれとかち合って、隼人は息を飲む。彼の言葉のとおりに、己の心を暴かれるように錯覚して、今度は隼人が目を逸らす。
前も言ったような気もするが。
「お前って、本当そういう恥ずかしいことよく本人の前で言えるよな」
「…恥ずかしい?」
当たり前のことを当たり前に伝えたヴァイスにすれば、隼人のその言葉は不可解に思えたのだろう。こてん、と首を傾げ、そのまま言葉を返した。
「あー、まぁお前が恥ずかしくないならいいわ」
と言って、取り繕うように右手を振ろうとして、持ち上がらないことを思い出す。利き手がこうも使えないと、なるほど不便なものだ。
と同時に夢の中で兄に言われた言葉とその時のニヤケ面も思い出してしまって、僅かに顔を顰める。
その、ぎこちない動きと表情を見て。
「…済まない」
ぽつり、と取りこぼしそうになるほどか細い声に、隼人は一瞥する。
その視線にヴァイスはほんの少し身をすくめたが、俯いたまま続く言葉を口にする。血が滲みそうなほど、手のひらに爪を立てながら。
「もう二度と、君の前には現れないから。だから、もう君が傷つくことは無い」
自分がいたから、こんな目にあったのだと。
ならば自分が居なくなれば、平穏な日々が戻るのだと、彼はそう思っていて。
『死神』なんて大層な2つ名で呼ばれている少年は、そうしてまた自分の意思で一人ぼっちに戻っていく。――自分は、そう在らねばならないと言うように。
「それだけ最後に言いに来た。それから、話が出来て良かった。ありがとう」
話はそれで終わりだと、こちらの意見などまるで聞かないと一方的に打ち切って、ヴァイスは背を向ける。
そんな、最初から最後まで自分勝手なエリートに、隼人が何も思わないはずもなく。
「――俺がここに来たのはさ、バカ兄の謎の借金のせいなんだわ」
喧嘩腰に、言葉をなげつけた。
その言葉に、ヴァイスは振り向きはしないまでも足を止める。隼人が迷宮区へ来た理由については、既に知っているから、恐らくはその負い目から。
「人に借金肩代わりさせて、かと思ってきてみればやれ落ちこぼれだの愚民だの。リンチにあって逆恨みに巻き込まれて腕吹っ飛んで。ったくやってやれるかっての」
7年前だっていいことよりも良くないことの方が多かった。その事を思い出し、知らず冷笑を浮かべ肩をすくめる。ここまで踏んだり蹴ったりな人生を送った人間などそう多くはないだろうと。
子供の頃憧れた迷宮区は、『聖域』なんて言葉とは程遠く、クソ喰らえな血なまぐさい穴蔵だった。
でも、と言葉を続ける。
「ようやく、やりたいことが見つかったんだ」
滑り出した声は、まるで憑き物が落ちたように晴れやかで。
一瞬前とはまるで違うその声音に、ヴァイスはついに振り返り、そして瞠目する。
突き出された左手に、見慣れた紅のピアスと指輪があったから。
それが対をなすと分かるのは、従来の深紅に加えて、それぞれに白銀の色彩が新たに加えられているからだ。
左手のそれらをみて、そしてその真意を問うように瑠璃の双眸が、ゆっくりと向けられて。
深紅の双眸は、それを静謐に見据える。
「俺は、兄貴が見た未来を、見届けなくちゃならない」
今度こそ逃げないと、交わる視線は直線に結ばれる。
ここで逸らせば、二度と交わることは無いだろうと思ったから。
「でも、俺にはそれだけの力がない」
本当は自分のやりたいことなのだから、自分一人でやるべきなのは分かっている。
でも、隼人にはそれを一人で達成できるほどの力がない。
神の刀に認められる実力も。
唯一無二の魔法の才も。
兄や彼のような異能も。
だけど。――それを組み立てる頭だけは、誰にも負けない自信がある。
それだけは唯一認めた兄すら越える、自分にしかない才能。
頭はある。だけど、それを遂行するだけの力がないのなら。
「だから、お前の力を貸してほしい。お前が俺には必要なんだ」
――補えばいいだけだ。
それでも尚、目の前の少年は首を縦に振らない。
本当は手を取りたいくせに、そう顔に書いてあるのに頑なに手を取らなくて。――手を取った先で、また失いたくないのだと。
だから、趣向を変える。
「じゃあ、お前はなんで迷宮区へ潜るんだ」
何度か尋ねた、彼の理由。
もう知っているけれど、彼の口からは直接聞いたことは無い彼の心の内を問い質す。
問われた問に、瑠璃の瞳は激しく揺れる。
「それは、」
「金か?名誉か?それともお前の存在理由か!?」
知らず強くなった隼人の言葉に、雷光が走ったかのように瑠璃の双眸が見開かれて固まる。
「お前も、理由があるから迷宮区へ行くんじゃないのか」
「……だけど、」
「だけどなんだよ。それとも、お前の理由はそう簡単に切り捨てられるようなものなのか?」
「違うっ!」
鼻を鳴らしてわざと小馬鹿にした態度で発した言葉に、流石のヴァイスも弾かれたように反論する。
普段は感情を押し殺した死神が、自分には感情は必要ないと思い込もうとしている彼自身の、激しい感情の籠った声色。
「おれは、迷宮区の深部でカズキに拾われる前の記憶が無い。身体を流れる血の色が違う。外側はこんなにも人間と同じなのに、中身は迷宮生物と同じで、記憶もないおれは。…空っぽなんだ」
一瞬の逡巡の後、ヴァイスは切に乞うように口にする。
「おれは、おれが恐ろしい。だから、自分が何者なのか、その答えを見つけなくちゃいけないんだ。見つけなければ。――おれはなんのために、今ここにいるのか分からない」
その答えが、迷宮区の果てにあるはずだと。
だから迷宮区に潜り続けるのだと。
――だけど、彼一人では行けないことを、ヴァイス自身が一番知っている。
自由に行動するためには。――彼には足枷が多すぎる。
「だったら、利用できるものはなんでも利用しろよ」
不意の言葉に、反射的にはねあげられた瞳とようやく交わる。一度は拒絶されたその瞳を再び逸らされないよう、隼人は縫い止めるように深海の夜空の様な瞳を真っ直ぐに見据えて、そして言う。
ようやく彼の理由を自身に口にさせたことに、内心してやったりと片眉を上げながら。
「俺はお前を利用してやるよ。表層でちびちび稼ぐより、やっぱり稼ぐなら一気にだろ?ここは天下の宝の山迷宮区『サンクチュアリ』、潜れば潜るほど金目のものは出てくる打出の小槌だ。――最下層まで行けば、それこそ1回の稼ぎで全部返せるほど稼げるかもな。…でも自慢じゃないがとてもひとりじゃ行けない。だから、」
意地汚いハイエナのように、わざと性悪な笑みを浮かべながら、取っておきの妙案だとヴァイスに持ちかける。
――それは、取引という契約だ。
「俺は借金を返済するために、お前は理由を探すために、最下層を目指す。――俺たちの利害は、一致しているだろ?」
協力し合うのではなく、利用し合う歪な関係。
けれどもそれが、自分たちにはちょうど良いと隼人は思う。――お互いがお互いにきっと、気に入らない、やりずらい相手だと思っているだろうから。
それもある意味、人間味のある関係性だ。
隼人の言葉、と言うよりもお互いを利用し合うと面と向かって言われたことに驚きを隠せず、ヴァイスは目を瞠る。
その様子を見遣り、隼人はつられるように苦笑する。そりゃ、こんなこと目の前で言われたら誰でも驚くよなと。
ややあって、夢から醒めたように一拍した後、今度は隼人の動きが止まる。
「…そういう風に言われたのは、初めてだな」
――『死神』と呼ばれる同じ歳の少年の、初めて見せる年相応の屈託のない笑顔が、そこにあったから。
そんなにおかしなことを言ったとは思えないが、依然としてくつくつと肩を震わせるヴァイスだったが、しばらくして落ち着いたのか、若干放心していた隼人の手のひらからひょい、と紅のピアスをつまみ上げる。
彼にとって、首輪以外の何物でもない鎖の象徴を、自分から。
「新しいご主人様は、随分頼りにならないからな。放っておいて死なれてもおれが困る」
お返しだ、とばかりにふてぶてしい笑みを浮かべたその美貌を見返して。
契約成立の言葉は、高らかに。
それはまるで、宣誓のように。
証明する書類もなければ証人も居ない、ただ2人だけの深夜の密会。たとえ裏切られたとしても、反故にした証明は立証できない曖昧な約束は、例えるなら子供同士の内緒話。
それでも不思議と、隼人の心に不安は一切無く、いっそ清々しいほど晴れやかに。
お互いに、一人では決してたどり着けない。けれども2人でなら――。
「行ってやろうぜ、俺たちなら。――二人でなら、どこまでだって行けるさ」
長かった、7年前の冒険は終わり。
――その先の、真新しい冒険の続きを見に行こう。
四角い窓の向こうの、いつか見た時と同じ、満点の星月夜だけが、二人の少年の秘め事を見守るように煌めいていた。
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その前に。
「今更だけど。…明日、というか今日は腕の手術日じゃないのか?」
時計の針は既に25時をとっくに過ぎていて。
今日の朝一番から大手術を控えている隼人は、ヴァイスの言葉にベッドの上で立てた膝に顔を埋める。嫌々と。
因みに通常手術を行う際には前日に患者に大して術前検査や説明が行われるのが規則だが、今回の手術に関しては、立案者が過去の本人ということもありすっ飛ばされている。
「あ"ーーやだーーなんで俺が最初なんだーー誰か腕振っ飛ばされてろよーー実験台になってろよ俺の為にぃーー」
「…最低だな」
自分が考えたからこそ、今日の手術がいかに困難で、いくら第1級医療師が行うと言っても1発で終わるはずもなく。何度か手術を行ったあとに待つであろうリハビリの日々も容易に想像出来て。
先に待っている地獄のような日々を予測して、隼人はさらに陰鬱になる。
自分の予知にも比肩する予測力は、こういう時でも健在だ。恐らくは十中八九その予測は的中するからと、隼人は意味もなく言い訳を開始。
「そもそも兄貴にやらせようと思って考えたんだから、俺がやるとは思わないだろ。だったらもっとやり方考えたわ。俺じゃないから考えたんだ考えるだけならタダだし」
「最低だな」
全く同じ言葉をさっきも言われたが。今の方はだいぶ遠慮が掻き消えていた。
ヴァイスはわざと聞こえるように嘆息するとべりっ、と毛布を剥がして顔面に投げつける。
いつもは子供のような仕草や駄々をこねるクセに、その時ばかりはそれをあやす年長のように、優しさの裏返しのぶっきらぼうに瑠璃の双眸を据わらせて。
「いいから早く寝ろ」
「…すみませんでした」
自作(2話)に関しましても、精鋭構想中にございます!
今回はW主人公の片割れ・隼人目線でお話を進めてまいりましたが、2話ではもう片割れ・ヴァイス目線で進めていく所存ですので、今しばらくお待ちいただけますと幸いです。
少しでも、日々の息抜きになれたら、それ以上にうれしいことはございません。