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アノニマス||カタグラフィ  作者: 和泉宗谷
Page.6 生誕祭と黒曜の使者
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4-6.断罪の六花

杯を持った燃え盛る不死鳥。

天輪を背負う鷲獅子。

そのふたつの紋章が刻まれた書類を、手渡されたオリバーはただ無表情に見下ろす。それが意味するものを理解して、凪のようにただ静かに映す紫眼。

「直に君の実家からも勅命が下るだろう」

「随分の根回しがよろしいですね」

「当主様へは、私の母経由で話を通してあります」

ユーナの言葉になるほどとオリバーは零す。その声にはどこか呆れたような吐息が混じってしまって、隠すように肩をすくめる。

いつぞやの縁談話からこっち、ロングヴィル家はウィンスレット家になかなか頭が上がらない。

そんなオリバーの雰囲気を察してか、ユーナは少しムッとして。

「これはグウェナヴェル様も思ってのことですよ?」

「何も言っていないが」

「顔に出てます」

図星をつかれて黙り込むオリバーに、ユーナはしてやったりと鼻を鳴らす。頭が上がらないの自分も同じか。

と、2人のじゃれ合いに咳払いで割り込むアーサー。再び佇まいを正して、切り替えるように改めて書類――『代行者』としての依頼書に視線を落として。

「……これが、貴方の答えですか」

「ロングヴィル当主も仰られていた。『若造は道を踏み外した』と。であれば、我らが取るべきは」

「理解しています、アーサー様。それが私の役目であります。今更意見などありません」

冷徹な、言い換えれば突き放した一言に、アーサーは僅かに息を詰まらせる。

「……アルベルトを貴族に推薦したのは僕の弟だ。本来であれば、僕がその責任を負わなければならないのに」

アルベルトの貴族としての階級は『伯爵』。本来であれば王家直系の『公爵』であるアーサーが彼を諌めることは造作もない。

しかし、ここは迷宮区。この世の一切の理は絡み合うが故に通じず、そしてこの場において唯一絶対の権力を握るよう役目を負っているのは他でもない、アルベルトなのだ。

それはどの国の、どの貴族にも侵略出来ない、唯一絶対の法。

故に、――『執行者』。

迷宮区のみに限定した絶対権力。無法地帯を取仕切る役目を負うという役目だけを理由に、アルベルトは貴族になり、そしてそれを推薦したのは――。

だから、貴族は誰も手を出せない。推薦したアンダーソンもそれは同じ。

――唯一対抗できるとすれば、それはその法の外に居る者だけ。

アーサーが伏せていた視線をあげる。真っ直ぐに向けられたシトリンの瞳に浮かぶ憐憫と決意を、紫眼は写して。


「だからどうか、彼をお頼み申す。オリバー·ブルームフィールド、今代の『代行者』殿」


*****


目の前で繰り広げられる戦闘を、『天災』以外に形容できるだろうか。

その光景をひとり離れた場所から見下ろして、戦闘によって巻き上がる風に煽られる赤に近い金髪の下、常磐色の双眸に映してリュカオンは思う。

ほかの階層よりも遥かに広い、しかし地中には変わりないから外よりかは狭苦しい空間で、閃光と紫氷は激突する。

ある時は轟く雷鳴で空間が揺れ。

ある時は1000年を生きた樹木ほどの巨大な氷華が地面を穿つ。

その場にいるだけでも危険なその空間で、リュカオンはしかし微動だにせずその中心に視線を向ける。

たったひとつ。――『この闘いを見届けろ』、それだけの命令の為に。


-----


「なぁ、まだ殺せねぇのかよ」

「う、うるさいなっ。もうちょっとだよ」

そのもうちょっとはあと何度続くのだろうか、と。リュカオンは先の見えない口約束に盛大にため息をこぼす。

ようやく年齢が2桁になったころ、ロングヴィル家の『代行者』は本格的にその指南を受けるようになる。それまでも座学や訓練などはみっちり叩き込まれているから、その集大成と言っても過言ではない。

言ってしまえば、実戦だ。

リュカオンとオリバー、2人は今ロングヴィル家が統治する領地の、僻地の山奥にたった2人で立ち入っていた。領地といえど方位磁石がなければ道に迷うような、山道もろくに整備されていない山奥、とても10の子供がたった2人で立ち入る場所ではない。

そんな場所で二人が対峙しているのは、想像もつかないような大きさのイノシシだった。

大の大人は優に超えるだろうその巨体の毛をこれでもかと逆立てて威嚇する。鼻から吐き出される息だけで周囲の落ち葉は荒れ狂う。

現当主グウェナヴェルからの指示は、実戦も兼ねた害獣駆除だった。

領民によればここ数週間にわたり田畑を荒らされ、それはもう困りに困っているのだという。季節は秋、おそらく冬眠前の食糧を探して人里におりてきてしまったのだろう。

人目につかないようにこっそり食べてしまえば良いものを、とリュカオンは思うが知性のない獣にそれを理解しろというのも酷な話だ。

というわけでようやく探し当てたイノシシを前に、オリバーはかれこれ数時間このように相手を仕留めきれずにいる。

何度も言うが、それは実践訓練であるために、リュカオンはただの主の守護のためにわざわざ同伴しているに過ぎない。手出しはおろか、言ってしまえば巻き添えなので迷惑な話なのである。

それなのに、この腰抜けと来たら。

「なーあ、そろそろ日が落ちるし、いい加減にしないと暗くなっちゃうぞ?」

「だから分かっているって!」

傍観者に徹するリュカオンの文句に、その数時間で散々聞きあきたオリバーは腹立たしげに言い返す。これが自分に与えられた指示だということは理解しているから、ただ見ている従者に憤っている訳では無い。単純に口うるさいリュカオンに怒っているのだ。

と、オリバーの注意が僅かにイノシシから逸れる。

「プギーーーーー!!!」

獣並み(というより獣なのだが)の嗅覚でその気配を察したイノシシは、ここぞとばかりに攻勢に出る。相手は小さな子供一人、自身の巨体とスピードにものを言わせて轢き殺すつもりだ。

「ぁ――っ!」

オリバーは手にした剣を指揮杖のように振るう。剣で受けては折られる、そう思っての判断。

それでも、その先の呪文はこんな時でも躊躇ってしまって、出てくることは無かった。

――これはダメだ。

そう思った時にはリュカオンの姿は疾風と化し、あっという間に10mの距離を駆け抜ける。そしてオリバーの背後から飛び出して、猛進してくるイノシシの首の後ろ――頸動脈を一閃。

一筋の鮮血が虚空を舞う。それが散る頃にはイノシシは巨躯に似合わないか細い断末魔と共に、勢いそのままに地面に頽れて、やがて絶命した。

「全く、見てらんねーよ。ただの獣狩りじゃねーか、一体何にしり込みしてるってんだお前は」

刀身に僅かにこびりついた血赤を軽く振ってはらい、腰の裏に隠し持っていた鞘に仕舞う。振り返りながらに放たれた言葉には嫌味がありありと込められていたが、今の今まで散々待たされた分、許されて然るべきだとリュカオンは己を正当化する。

しかしそんなリュカオンの声にオリバーの反応は薄い。ただ己の前に屍となったばかりのイノシシを見下ろす、悲しみの感情を映す紫。


「……だって痛いし、何より悲しいじゃないか」


――オリバー·L·ブルームフィールドはそう言って、ただの1度もその手で生き物を、人を殺めたことが無い。


*****


「還り咲け。――艶葉木(カメリア)

雨のように降り注ぐ雷霆を前に、オリバーは氷の華を綻ばせる。攻撃を一点に集中させられると脆いが、その分包囲攻撃には絶対の防御を誇るツバキの花が、打ち込まれる雷撃を尽く弾く。

これだけで終わるのならば、話は早いのだがな。

そう思った瞬間、目の前の氷結結界は音を立てて崩れ落ちる。きらり、と光を乱反射させて、精緻な施しの彫られた剣が突如として目の前に迫る。

突き出された切先を、手にした紫黒の刀身で迎え撃つ。何合かの打ち合いの末、一際大きな金属音を響かせて両者は距離を置き。

「――Armgeig!」

指揮杖の様に振るったアルベルトの宝剣から短い詠唱と同時、金の雷撃が射出される。数は5。

おそらく五大元素のどの種類よりも発動してからの攻撃モーションが速い。音速を超える雷をその目に視認してからでは、既に対応としては遅すぎる。

だからオリバーは、魔法が打ち込まれる前提で戦略を組み立てる。そうあるものだと勘定に入れておけば、特別警戒するレベルのものでは無い。

そう。――二人の間の貴族としての、圧倒的な年季の差の前では。

「枯れ堕ちろ。――『犬鬼灯ソラナセ』」

既に編まれていた術式が、祝詞と同時に発動。虚空の水滴を凝固させた5つの紫氷の氷柱が、疾駆する雷撃を迎撃、撃ち落とすと同時に二人の間に満ちる爆煙が視界を遮る。

その爆煙を割いて、紫眼の端に映る一筋の矢の如く光。

「――!」

眼前に迫ったそれを、オリバーは反射で打ち上げる。甲高い音と共に弾いたそれがアルベルトが持っていた宝剣だと気づいた時には、オリバーの直上に影が落ちる。

「――ぜぁっ!!」

打ち上げられた宝剣を空中で掴み、落下の勢いをそのままにアルベルトはオリバーに剣戟を叩き込む。

落下の衝撃と寸分違わず振り下ろされた宝剣が、まるでそれ自体が落雷のごとく衝撃をもたらす。凄まじい衝撃波は空間をふるわせ、砂塵の粒子を巻き上げる。

しかし、それを受け止めた紫黒の剣は刃こぼれのひとつも起こさない。ロングヴィル家がこの使命を王室より賜ってから相伝される剣は、そんなやわな攻撃で折れるなまくらでは無い。

「笑い咲け。――『平和菊マルグリット』」

詠唱と同時、二人の間を冷気が駆ける。空中に浮かぶ水滴が詠唱に反応し凝固し、瞬く間に小さな花弁を綻ばせた紫氷の雛菊がアルベルトに殺到する。

「ち――っ」

勘のみで危険を察知したアルベルトはそれらを回避しようと宝剣を振るうが、小さい花弁のいくつかは剣閃を掻い潜り身体に張り付く。

半年前、中階層域から迷い込んだコカトリスの巨体すら氷結させた氷の華。それが音を立ててアルベルトの身体に拡がっていく。

たまらず距離をとるアルベルト。付着した花弁の数が少なかったからか程度は低いものの、 身体の表面には氷結の亀裂が走る。

「面倒だな…」

攻防一体の変幻自在の『氷』。その発動範囲は規模に左右されるものの五大元素のどの魔法よりも広く、また複数の術式を組み合わせることによる応用力にも長ける。何より魔法発動時の冷気だけでも、相手の行動を制限するには十分。

たとえそれが一瞬の間隙だとしても、術者にとっては十分過ぎる程の隙。

さらにこれに剣術が組み合わせることで、魔法使いの欠点である肉弾戦すら克服した。――まさに完成系と言っても過言ではないスタイル。

それがロングヴィル家の。――『代行者』の恐れられる所以だ。

アルベルトの短い苦言に、オリバーはゆるりと振り返りながら。

「伊達に600年、貴族をやっていないからな」

「随分と余裕があるじゃないか」

「無論。それに比べてあなたの剣技と言ったら、まるで獣のようだ」

なんの躊躇いもなく剣を投擲するなど、オリバーを含め貴族の育ちであれば些か以上に考えられない行動だ。ウィンスレットあたりはやりそうではあるが、そもそもかの家とは在り方が違う。

現代の騎士であるが故に中世を生きた貴族ほどではないが、それなりに剣には誇りがある。

そんな誇りを、あり方を。否定するようにアルベルトは鼻で笑う。

「元々、貴族なんて柄じゃないからな」

「それはそうだな」

貴族として振舞っていた時よりも野性的で、それでいて自然な翡翠色を、淡々と見返す紫の瞳。

――アルベルト·サリヴァン。

「イギリス人の父とイタリア人の母との間に生まれ、ごく普通の一般家庭で育つ。幼少期は迷宮区表層の貧民街で遊ぶことも多く、妹含め家族仲は良好。だった」

「わざわざ調べるとは、仕事熱心な事だ」

「――何故力を求めた」

アルベルトの皮肉には答えず、オリバーは問いかける。僅かに強ばってしまった言葉は、きっと気のせいではない。

幼くして未来が決まっていた、自分とは違う。

幼くして迷宮区に挑み、トラウマを負った訳でもない。

幼くして捨てられ、生き別れた兄弟とまた会うために苦渋を舐めた訳でもない。

ありふれた日常を当たり前に享受できたはずなのに、どうしてそれを自ら手放してしまったのか。『代行者』として目を通した資料からはついぞ読み取れなかった、純粋な疑問。

『貴族』になってしまえば、その当たり前は二度と手に入らない。

オリバーの問いかけに、アルベルトはピクリとも反応を示さない。ただどこまでも空虚で冷めた瞳が、深海に沈んでしまった翡翠を想起させた。

「――貴族の分際で、知ったような口を効くな」

怨嗟に満ちた、低い声だった。

「当たり前とお前が暮らしている中に、一体どれほどの優遇があるか。一瞬でも考えたこともないだろうに」

知っている、とオリバーは答えない。その言葉を軽々しく口にしては行けないことを知っているから。

多くの優遇措置を受ける代わりに、有事の際には市民の盾となり剣となるのが現代の貴族だ。その事に誇りをもつ貴族もあれば。――その優遇措置を勝手きわまる手段として悪用する貴族は残念ながら多い。

貴族の中の汚点を雪ぐ『代行者』の使命を担うのは、公にはされていないがロングヴィル家以外にも存在はする。彼らは現代社会において影で暗躍し、貴族の規律を守ってきた。

しかしそれを行えるのは、各家で選出されたたった1人の『代行者』だけ。

彼らもまた一人の人間である以上、手のひらの大きさには限度がある。どれだけの不正を間引こうと、悪に手を染める貴族は増殖をやめない。

「権力を振りかざす貴族の数は?その愚行の全てを、お前は知っているか」

アルベルトのこれまでを知ったから、オリバーはただ彼の怨嗟を受け止める。それが自分自身に行える、唯一の贖罪なのだと。

何も言わないオリバーに、当てつけのようにアルベルトは吼える。


「お前が1人を殺したところで、その間に何人のクズが生まれる?――こんないたちごっこになんの意味もないことは、お前か1番理解しているだろうがっ!」


アルベルトの悲痛な叫びに、思わず紫眼を歪ませる。それが正論で、オリバー自身見ないようにしてきた事実を突きつけられて。

どれだけ排除しようとも、どれだけこの手を血に染めても。そういう輩は一向に己の愚行を悔い改めない。

本来守るべき市民を、守る立場のはずの貴族が搾取する。かつて貴族至上主義を貫いた奥ゆかしい国家のように。

――誰もが、アルベルトの目的が最深部の、その場所を守護する騎士を討つことだと思っている。

実際、それは本当だろう。かつておなじ夢を共有して戦場を駆けた戦友を殺したあの騎士を、彼は一生許せはしないだろう。

でもそれは、アルベルトが貴族になった理由ではない。英雄カズキに出会う前から彼は貴族になることに固執していたから。

元々の理由である妹の医療費に関しても本当かどうか甚だ疑問だ。

――死んでいる人間に、一体なんの医療費がかかるのと言うのだろうか。

カズキの仇討ちも妹の医療費も、全てが外向けに作られた後付けの理由。その事には早い段階で気づいたものの、貰った資料からはそれ以上の答えは一切読み取ることが出来なかった。

だから問うたのだ。――何故力を求めたのか、と。

そして今この瞬間、アルベルトが発した遠回しの回答に、遂にオリバーは答えを得た。

そうか、この人は。


「だから貴族になったのだ。――そんな制度を内側からぶち壊すために」


麗人の道化ピエロは、亡霊のようにそう呟いた。

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