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アノニマス||カタグラフィ  作者: 和泉宗谷
Page.6 生誕祭と黒曜の使者
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4-1.それぞれの矜持

壁に備え付けられた僅かな光の中、アルベルトは1人軍靴を鳴らして階段を下る。

ランプの光はささやかで、わずか先をも見失う。まるで地獄へ下っているような、そんな感覚を覚えながら1歩、また1歩と階段を降りていく。

『タキオン』総本部、その地下に作られた大空洞だ。

元々はサン・ピエトロ大聖堂地下に設計されていた、地図上には明記されていないその場所は、旧ヴァチカン市国よりも広範囲にわたって広がっている。レンガ造りの壁にはところどころ古代文字のような文字列が並び、時折には何を表現しているのか分からない絵画が描かれている。

誰が、なんのためにこんな場所を作ったのか。現代を生きるアルベルトには知る術はないし、そもそも知るつもりもない。

こんな、隠し事をするのにうってつけの場所、理由はどうあれ使わない理由はない。

どこまでも、永遠に続くかのような階段は唐突に終わりを迎える。アルベルトはようやく最下層にたどり着くと、その地面に降り立つ。

「守備はどうだ、エド」

短い愛称での呼び掛けに、アルベルトよりも先にその場にいたエドヴァルドは振り返る。普段通りの穏やかな、それでいて底の見えない唐紅の双眸は、猫の目のように闇の中で怪しげに光る。

「ようやく貴方に良い知らせをお伝えすることが出来そうです」

「全くだ。私のこの燻りはどうしてくれる」

「そう言って、日頃から鬱憤晴らしはしていらっしゃるじゃありませんか」

初対面からの口の達者ぶりは健在のようだ。アルベルトは鼻で一蹴するも、近づいてようやく気づく。

エドヴァルドの元から白い相貌が、今日はさらに青白い。

「体調でも悪いのか」

「ご心配には及びません。少し先を焦ってしまったつけですから」

ニコリと笑って、アルベルトの質問にエドヴァルドは答える。まるでそれ以上の追求を逃れるような一言に、アルベルトは気づいていながらスルーする。

そう。我々の関係はこれでいい。利用し利用する、ただそれだけの関係なのだから。

「それで?」

「ええ。――ようやく『聖杯』が満ちました」

座っていた箇所――魔法陣の中央から立ち上がり、エドヴァルドはその場所を譲るように下がる。そしてアルベルトも、それが当たり前のように前へと前進。その場所に置かれた『聖遺物』を見下ろす。

――数日前には何も無かった『聖杯』の中に、今は溢れだしそうなほどの紅い液体が充ちている。

それはまるで生き物の鼓動のように脈動し、時に穏やかに時に激しく揺れていた。

まるで、いつぞや見た聖遺物の中身のように。

その事実だけを見て、アルベルトは理解する。――これはきっと、開けてはならないものなのだろう、と。

しかしもう自分はここまで進んできた。止めるものの静止も気遣いも何もかもを置き去りに、ただ己の『目的』のために。

それは自分でも愚かで、浅ましい選択だ。先に待つのは破滅だけだと知りながら、それでもアルベルトは突き進む道を選んだ。

後悔や過ちとは思わない。――自分にはもう、進むしかできない。

思慮に沈んでいた自己を浮上させるように、アルベルトは翡翠の双眸を瞼の下に閉ざして。

「それで、決行はいつになる」

「はい、大変お待たせしました。そしてもう少しだけ辛抱を。実行するには確実に成功していただく方がよろしいでしょう」

勿体ぶるような様子を、背後に控えたエドヴァルドを見もしないでアルベルトはただ己の問の答えだけを待つ。

そして。


「決行は12月25日。――聖キリストの聖誕祭の日になります」


告げられた瞬間、自分でも分かってしまうほどに気持ちの昂りに従って口元が歪に歪む。

ついに。ついにその瞬間が来た。

英雄カズキを殺したあいつを、俺が――!

「――もうやめてください」

だからその呼び声の主に、アルベルトはその瞬間まで気づくことが出来なかった。

しかし今気づいたところでどうということも無い。アルベルトは普段通りの挙動で、むしろ胡乱げに振り返る。

背後のエドヴァルドのさらに向こう。自分が降りてきた階段のちょうど降り立った地面に立つ、薄桃色の髪。

その頭上で廻る環冠と、黄金に輝く左目を見止めて。

「…この私に異能を使うとは。お前もようやく反抗期か、アデル」

「貴方を止めるためです」

アデルの淀みのない返答に、アルベルトは僅かに目を見開く。今の言葉には僅かに殺気を込めて当てた。普段の彼ならばそれだけで退くはずだ。

それほどまでに、今目の前にいる養子の少年は強い意志で、今この場に立っていた。

お義父さん、と普段よりも強い語気の少年声。

「今ならまだ間に合います。もうやめましょう、今の貴方は見ていられない。皆さんももう気づいています。貴方のここ最近のやり方は横暴すぎる。これではただの、」

「ただの暴君だ、とでも言うか?」

「…はい。歴史にそう名を残してしまった統治者そのものです。この学院は、生徒たちは貴方の道具じゃない。迷宮区は、貴方の庭じゃない!」

腕を振って、アデルは悲愴に顔を歪めながら訴える。

今の地上の惨状を。

自分がここ数日で行ってきた暴挙の数々を。

それを全身で表現するアデルに、アルベルトは正面に向き直る。

対等な、一人一人の人間として、相応しくあるように。

「なぜお前はそうもしつこく私の歩みを止める。いい加減うんざりするぞ、そこまで愚かな子供でもないだろう」

「·····だからです」

アデルの比喩的な返答に、アルベルトは翡翠の瞳を眇める。そして次の彼のとった行動に、驚きにその色彩を見開く。

まるで戦闘というものを知らない、華奢すぎる右手に握られた短剣の柄。背面に隠し持っていたそれをアデルは震えるその手を隠すように握りしめながら。


「――僕は貴方の子供だからです、お義父さん」


明確な殺気を持って、アデルは抜きはなった切っ先をアルベルトに向けた。

その意味を、彼自身が分からないはずがない。11歳という若さで『タキオン』の参謀を務める彼ならば。

――誰よりも『闘争』を嫌う、優しすぎる少年だから。

「それはなんの真似だ、剣の稽古に来たのか?」

「言葉が届かないのなら、実力行使で。僕は本気ですよ」

小さいながらに全身から放つ獣のような殺気に、アルベルトは思い出す。彼の瓜二つの顔の、彼よりももっと戦闘に慣れた小さな王の影を。

その事にアルベルトはようやく納得する。――2人はちゃんと、兄弟なんだということに。

『聖戦』以来、アデルはレグルス含めその周囲の人間と交流を深めていた。彼らしからぬ攻撃的な言葉と行動は、きっとその中の誰かかあるいはその全員からうつってしまったのだろうか。子供というものは、大人の想像を超えて影響を受けやすい。

――子供の成長の速さは、大人のそれを凌駕していってしまう。

無意識に、口元が緩む。それは先程の醜いものではなく、いっそ清々しいまでの爽やかなものだった。

「――いいだろう。お前がその気なら、私ももう加減はしない」

沙羅り、と左腰に佩いていた鞘から刀剣を抜き放つ。淡く金に発光するそれは、アルベルトの魔力に反応して紫電を走らせる。

「安心しろ、魔法は使わない」

「え、ここであまり荒事は避けていただきたいのですが····っ?」

珍しく狼狽したエドヴァルドの声を当然のように無視して、2人は構える。

――何度も見た光景だった。

アデルを養子として迎えてから、少なからずアルベルトは剣術を彼に教えるためにこうしてお互いに向き合った。やはりと言うべきか、アデルはこういった前に立っての戦闘がかなり不得手で、結局護身術以上に上達はしなかった。二、三度目打ち合えればいいほうで、得物を弾き飛ばされて転がるのはいつもアデル。

彼はその度に泣きながら謝ったが、アルベルトとしては正直そこに期待はしていなかったので、どうでもよかった。彼には違う才能があるし、人には得手不得手があることをアルベルトは自分の中で理解出来ているつもりだ。

だから、こうして初めてアデルからの申し込みに、アルベルトは少し嬉しく思った。

――これが最後だとしても。


「――っやぁああ!!」


雄叫び、アデルは地面を踏みしだく。だん、と一歩踏み込んだかと思えば一直線に距離を詰め、正眼に構えていた短剣を左から右へ振りかぶる。

今までで1番キレのある、彼の今の感情が全部込められた一撃。しかしアルベルトにとって、それはあまりにも遅すぎた。

短剣がアルベルトにあたる瞬間、眼前を何かが横切ったかと思うと、アデルの右手に衝撃が走る。

まるで金棒か何かで思い切り殴られたかの衝撃に思わず白銀の瞳が揺らぐ。絶対に離すまいと握りしめた短剣の柄の感触が、夢のように今はない。

弾き飛ばされた。――アデルそう気づいた時には、全てが終わっていた。

「――、」

返す切っ先を突きつけて、アルベルトはただ無言で敗者を見下ろす。目の前の少年の姿に、翡翠の瞳を眇める。

短剣を弾かれたにもかかわらず、アルベルトの剣をただの手のひらで受け止めようと、顔の前で右手を構えたその姿。

咄嗟の行動だったのだろう。しかしそれは今まで積み重ねてきた鍛錬のそれではない。アルベルトはそんな野蛮じみた行動を教えた記憶はない。

生き物としての本能。――そこまでして、アデルはアルベルトを止めようと本気だっという訳だ。

乱れた前髪の下の、白銀と黄金の色違いの双眸。それはどこかで見た山脈の野生の獣に似ていた。

「·····お前は最後まで、私の期待に応えられなかったな。残念だ」

告げた言葉に、アデルの先程の獣のような気配は直ぐに霧散し、狼狽に身をすくめる。

あぁ良かった。私の虚言癖も、まだ彼には気づかれないようだ。

普段通りに冷徹で感情を鎧って。アルベルトはすれ違いざまにその言葉を吐き捨てた。


「お前みたいな出来損ないの息子は私には不要だ。――二度と私の前に現れるな」


通り過ぎた背後で、誰かが崩れ落ちる音が聞こえる。

それでももう、アルベルトが振り返ることは無かった。


*****


同時刻。迷宮区『タキオン』総本部直営総合病院。

一切のしみのない真白の建物の中を、ルークは手に持ったお盆を鳴らしながら歩いていた。

「は〜〜〜〜〜·····」

我ながら盛大なため息だ。ほら、今すれ違った看護師がぎょっと振り返ってきてしまった。しかしこばさずには居られない。

変な少年が突然やってくるし。

かと言ったら学院内で『迷宮生物』が大暴れ。

そのおかげでヴァイスの正体も露見し監禁する始末。タキオンは今針のむしろだ。

このひと月でイベントがありすぎだ。まぁいつ何時もイベント事には事欠かない場所ではある。つい先々月も、ド派手なイベントがあったばかりだ。

「·····いや、そうじゃなくて」

脱線しかけた脳内を、ルークは自分で修正する。傍から見れば完全に大きな独り言だが、生憎今ルークが歩いている場所は彼以外に人影は無い。さっきすれ違った看護師が最後だ。

そう。今月のイベントは確かに頭を悩ませる。しかし、ルークとして、いやタキオンや迷宮区全体の問題は他にある。

タキオン総隊長。アルベルト・サリヴァンの独裁。

今までだって無理難題はいくつもあった。やれ最深部までひとっ飛びできる『ゲート』を作れやら、やれ別次元に繋がる『ゲート』を作れやら。

普通の世間一般では「それパワハラだよな?」ってレベルの話はあったが、彼は一線を超えたことは一度もなかった。

世間体を気にして、ということもあるだろうが、それは紛れもないアルベルトの気質から来るものだとルークやアーサー、そのほかの調査員や学院関係者、生徒たちも理解していたはずだ。

それがここ最近、タガが外れたような有様だ。

天上天下。

唯我独尊。

全てアルベルトの思い通りに道が作られ、外れようとする者に対しての一切の躊躇が無くなった。

従順な豚だけを必要とし、歯向かうものは全てねじ伏せる。その様はまさに、かつて旧ソビエト連邦を統治した独裁者を連想させるほどだ。

――このままではいけない。しかし、今表立ってタキオン調査員の自分が歯向かえば、内部抗争に発展しかねない。だから副団長のアーサーですら出方に迷っている。

問題は既に、その領域にまで達してしまっていた。

「まぁ、僕が刃向かったところで返り討ちで終わりなんですけどね」

ははは、と乾いた笑い声をからからと上げる。自分で言って虚しいことこの上ないが、実際問題その通りだから仕方がない。

自分はこれでも、聖女を守る騎士なのに。

彼女を失ってからふと思う。彼女がいたから、こんな不甲斐ない自分でも『騎士』でいられた。いることが出来た。

――では、今は?

守るものもいない。

命令もなく、使命も無い。

それならなぜ。ならば今の自分は、何を持って『騎士』たらんとする?

「·····おっと、」

考え込んでいる間に、目的地を通り過ぎるところだった。ルークは少しだけ通り過ぎてしまった足を巻き返し、病室の一室の扉の前で立ち止まる。

扉の前。通路の上にはルークが今持っているものと同じような、時間が経って冷たくなってしまった料理。正直これを料理と言ってもいいものか、と思うほどには雑なものなのだが。

『あまり体力があっても対処出来ない』からと、わざと栄養失調ギリギリの最低限の食事。確かに貧弱な自分が彼に飛びかかられた日には、瞬殺される自信がある。自信しかない。

そんな餌とさえ言い切っても良いほど質素な食事を見比べて。

「…一体、何をしているんでしょうか。僕は」

寄って集って、一人の少年に対してあまりの扱い。今現在も彼は目の前の病室で1人閉じ込められ、真っ暗な空間にひとりきり。

自分がつくりあげた、異空間で。

こんなことのためにつくりあげた魔法ではなかった。本来は数ヶ月前の『聖戦』の時、異空間によって守られていたリリスの心臓を破壊するために編み出した『奇跡』。

それなのに――。

なんとなしにふと、扉の取っ手に手を伸ばす。ほとんど無意識の行動だったから、次の瞬間あることに気づいた時、とっさの判断がルークにはできなかった。

「…あれ、」

仕掛けた術師本人だから真っ先に気付いた異常。見た目では到底判断できない、しかし最もあってはならないほどの。

――魔法が、破壊されている――。

その事に気づいた瞬間、突然目の前にあったはずの扉が消失する。単純に引き戸が開け放たれただけなのだが、半ば放心状態だったルークは、支えをなくしてマヌケにも地面に転がる。

その首根っこを背後から掴み挙げられたのと、手に持っていたお盆から食事が音を立ててこぼれたのは、ほぼ同時だった。

「……ぁえ、」

「大声を出さないで」

我ながらなんて間抜けな声なんだ。なんて考えは突きつけられたフォークの先端を視界の隅に捉えて霧散する。先程ぶちまけた際に転がったのだろう。

フォークで脅される自分も大概だが、今自分を拘束している少年にかかれば造作もないことは、さすがに一瞬で察した。

「僕をここから出して」

「え〜っとぉ、」

「僕が君を殺すのが簡単なことは、君が一番よく知ってると思うけど」

「……はい」

端的な言葉は、だからこそ彼の本気がうかがえた。突きつけられたフォークが、僅かに首筋にくい込む感触。

ああああやばいやばいやばいなんでいつもこう言う役回りなんだ自分はこれ絶対死ぬやつじゃんダメなやつじゃんでも言うこと聞いても結局アルベルトに殺されるヤツじゃんどうするどうする――!?

と、全力でこの状況の整理と言い訳と打開策を考えて。

ふと、気づく。

ヴァイスが言った通り、彼が自分を殺すのは簡単だ。それこそ羽虫を殺すのと何も変わらないほどに一息に殺せるだろう。そして基本的に魔法は術師が死ねば効力を失う。よってこの密閉された空間からいとも容易く出ることが出来る。

そもそも魔法の起点となっていた取っ手は何者かによって既に破壊されていた。それに気づかないはずは無く、だったらいつでも彼はこの部屋から逃走することは出来たはずで。

こんな回りくどいことをする必要なんてない。だとしたら――。

「……ヴァイスくん、フォークを退けていただけますか」

「……」

「人と話す時は、お互いに向き合わなければ」

背後の気配が動揺する。躊躇うような、疑うような逡巡の後、少し時間を置いてヴァイスはルークの拘束を解いた。

圧迫されていた気管に空気が流れ込み、ルークは僅かに咳き込みながら背後を振り返る。

視界に入るヴァイスは、まるで悪いことをしてバレた子供のように縮こまっていた。

「けほ。……それで話したいことはなんでしょうか」

「…どうしてそう思うの」

「先程貴方は自分で僕を殺すのは簡単だとおっしゃいました。ならばそうして逃走した方が貴方にとっては余程簡単でしょう。僕を殺して逃げればいい」

膝の上で握られたフォークが、動揺を示すようにわすがに音を立てる。その反応を見てから、ですがとルークは話を進める。

「貴方はそうはしなかった。なら、なにか話があるのでは無いですか?」

「……」

再びの沈黙に、ルークは催促することも無く真っ直ぐにヴァイスを見据えてその先を待った。言葉を探すように、困ったように伏せられた瑠璃と交わらない黒瞳は、それでも辛抱強く待つ。

やがて根負けしたように、ヴァイスは言葉を探すように訥々と。

「…外で会わなきゃならない人たちがいる」

「それはいつも学院で仲良くしている人たちのことでしょうか」

わざと名前を伏せた問いかけに、ヴァイスは短く首肯する。彼が『タキオン』以外で会う人物たちと言ったら他に居ないから、ヴァイスを隠す必要は無いと判断しての肯定。

「行って、話したいことがある。話さなきゃダメなこと」

「それは僕には話せないことでしょうか」

「ダメ」

まぁそうだろうな、と。顔には出さないがルークは自分で自分に否定する。ただ伝言があるだけなら伝えればいいが、そもそも伝言を伝える義理はこちらには無いし伝えないのが普通。

「でも、何も言わずに逃げたら、アルベルトは絶対殺しにくる」

「…まぁ、そこは否定できませんねぇ」

ただでさえピリピリしているこの状況下では、ヴァイスの言う通りアルベルトは躊躇なく剣を振るうだろう。…それが怖いのだろうか。

その憶測は、直後にヴァイス本人の口から否定される。

「僕は『タキオン』と、アルベルトと敵対するつもりは無い。…したくないし、する必要も無いから。話が終われば、逃げずにここに戻ってくる」

だから誰かにその事を伝えてから出たかった。自分に反乱の意思はないことを、誰かにアルベルトに伝えてもらうために。

――なんて馬鹿正直なんだろうか。ルークは自分のバカ真面目さを棚に上げて天を仰ぐ。

言い換えれば、バカ正直に監視員に「ちょっと外に用事があるから出してくれ、ちゃんと帰ってくるから」と言っているようなものだ。

誰がそんな話を素直に聞くのだろうか。

ヴァイスが外で会う人達――ブルームフィールドくん達だろう――と何を喋るのかなんて知らないが、大凡の検討はつく。大方クサナギくんのことだろう。詳細に関しても大体ろくでもないだろうことは想像がつく。

それに、彼がきちんと戻ってくる保証こそない。ただの口約束を、話して真に信じる人間が現代社会にどれほど残っている?

ため息をこぼし、黒瞳を戻す。目の前には先程とは真逆に真っ直ぐに見据えられた瑠璃と、視線が交錯する。そのあまりの真っ直ぐさに、ルークは瞳を眇める。

――純粋故の無知。それがこの少年に愚かさだ。


「――そんな話、誰が許可すると思ったのです」


ルークにしては冷徹な声に、ヴァイスは肩を落とす。本人からしても愚かな話をしている自覚があるからか、その瞳には落胆と納得の色が濃い。

「貴方は本当に子供です、少しはずるがしこくなった方が良いですよ。そんなことでは社会でやって行けません」

現実は冷たく残酷だ。純粋で無垢な人間ほど、ずるがしこく巧妙な人間に使われる。彼もこのまま1人なら、きっとそうなるに違いない。


――そう。一昔前の、『ひとりぼっち』の君だったら。


「……明け方には戻るように。それ以上の誤魔化しは、さすがに僕も無理ですよ」

先程のヴァイスと全くおなじ、根負けしたように言ったルークに、ヴァイスの今度は予想外といったように見開かれる瑠璃の双眸。

「……ぇ、」

「ただしこれだけは言っておきます。もし貴方が『タキオン』と、総団長の指示に反するようであれば、僕は貴方の敵になるでしょう」

告げられた言葉に、呆然とした表情から瞬時に戦闘時のそれに切り替わる。

「……ルークはアルベルトの味方ってこと?」

「元々味方でもなんでもないですけどね、あんな強引な人。残念ながら、今のあの人を肯定することはできません」

「じゃあ」

どうして、というヴァイスの言葉を手のひらで遮る。その先の言葉は言わなくてもわかるから。

――それでも。

「僕はこれでも1人の主をいただく騎士です。騎士は主の剣で常に傍にある者、そして主が認めた相手に対しても、それは同じです。――その行いがたとえ世界から否定されるものであっても、騎士だけは最後まで共にあるのです」

ヴァイスは僅かに目を細めながらも、遮らずにルークの言葉に耳を傾ける。きっとルークの言っていることが分からないと、正しいことか否かを測りきれていないだろうに。

「正しさとは、正義とは。各々の矜恃や信念の数だけあると思います。どちらか一方から見たら非道でも、本人からしたら正義と信じて行っている事もあると僕は思うのです。あの人は、私の主が唯一認めた男です。主が存命なら必ず、最後まであの男の正義を信じるでしょう。――だから僕には、その意志を継ぐ義務があるのです」

たとえルーク自身が彼を信じられないとしても、ハンナ(あるじ)のことは信じられるから。

そしてそう名言ことでルーク自身、自分の道を確認することが出来た。

先程までの迷いはない。今はどうしてこと答えが出なかったのか分からないほどに、頭がクリアだ。

――もう迷わない。

「……長話がすぎましたね、早くお行きなさい。先程も言いましたが夜明け前には戻ってきてくださいね、僕が死にます」

どんな言葉をかければいいのか。今までの会話から見失ったヴァイスは躊躇うように立ち上がり。

「――ありがとう」

同じく座ったままのルークの隣を、音もなく横切る。

そのすれ違いの刹那。ルークは自重げに言葉を零す。それは神父にあるまじき、懺悔のような言葉。

ありがとう、なんて。

「……貴方からその言葉を貰う資格は、私にはありませんよ」

2年前。初めて会った時。あの時君の手を取れなかった私には――。

それでも、私は嬉しく思う。

あのころの、感情をどこかに落としてきてしまったかのような死神の少年が、今は誰かのためを思って走り出せるようになったこと。

誰かを思って言葉をかけてくれるようになったことを。

かつての人形のような少年へ。少しでもなにかを返せたなら――。

そんな1人の騎士のささやかな抵抗は、駆けてゆく少年の背中をほんの少しだけ押した。


*****


――夜も深けた、真冬の深夜。辺りに街灯などの明かりはなく、当然のように建物内の照明も消えている。

天上にしんと輝く月だけが唯一の光源。そんな暗闇の中で、複数人のささやく声。

「それで、あいつは来るの?」

「ん〜どうだろうね。ひとまず声はかけたんでしょ?」

「はっ。まぁ来なくてもオレはどうでもいいけどねあんなやつ」

「どうやら君の予想は外れのようだ」

振り返る複数人の気配。それを暗闇の中で感じながら、いちばん近くにたっていたであろう人物の紫眼が月明かりの下で光る。


「――主役の到着だ」

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