間章.悪役の苦労
目の前の現実を見たくなくて、もっと言えば認めたくなくてスキールニルはセオ・ターナーのそれなりに整った相貌を右手で隠す。
そうしてもうかれこれ十数分経っている。それほどの時間思考停止を繰り返し、呆然と時間を無為にするほどスキールニルも暇では無いのだが。
しかし、今回ばかりはダメだ。無理だった。
「……これ程度し難いと思ったのは、実に×千年ぶりだな」
「だ、だってさ〜…」
ようやく開いた口は自分でも驚く程に疲弊し切った低音。それをいつになく縮こまった様子で正面にたっていたフローズの忙しなく泳ぐペリドットの双眸。
スキールニルとフローズ、そしてステイは聖グリエルモ学院の内部に設けられた、数ある庭園のひとつに集まっていた。そこはほかと比べて些か小さく、そして日当たりも悪いことからあまり人が寄り付かない場所だった。
しかし庭師にとってはそこも数ある庭園のひとつに過ぎず、同じように整えられた草木は引けを取らないほどに綺麗に整備されている。
そんな庭園には、それでなくとも今は寄り付きたくない殺伐とした空気が満ちていた。
半眼で見返した先、フローズのその手には今だ脈動を続けている、人間の心臓。自分たちのそれとは違う『赤』に染まったそれと、全身も同じように返り血で染まった彼女を、今は同じ高さの視線で見返して。
「ほう、弁解があるなら聞こうか」
一応。
スキールニル的には心の中で付け足した言葉の方が強くて、それを直感的に感じとったフローズは。
「ひぃ、殺されるぅ…」
「殺してくれと言うならやってやろうか、今すぐ、この場で」
「うえええーステイーー!!」
幼い子供のように喚き散らして、フローズは自分の一歩分後ろに立っていたステイの背後に神速で隠れる。
が、ステイは器用にもフローズの首根っこを引っつかむと、背後から引きずり出しながら。
「今回は100%貴様が悪い」
「僕を見捨てるのステイ!?」
「骨は拾ってやるから心置きなく死ぬといい」
「うわああーんこれまで一緒に過ごした仲だろうー!?」
目の前の茶番劇に、スキールニルは毒気を抜かれてしまう。元々ただの獣であったのに、随分と人間臭くなってしまったものだ。
そんなふたりの寸劇に、とりあえずため息をこぼして、スキールニルは無言で顎をしゃくる。さっさと弁解してみろと。
フローズはぐぬぬと拾われた子犬のようにペリドットの瞳を潤ませて。
「だって、ムカついたんだもん」
「今の貴様よりかは我の方が腹が立っているが」
「ふえぇ話を最後まで聞いてよぉ…。そうじゃなくて、この子があまりにも危機感ないから」
この子、というのは心臓の持ち主のことだろう。最初の最初でそれが誰のものかは聞き出していたので、スキールニルは視線をその心臓へと向ける。
ハヤト・クサナギ。2年前、最深部へ到達した唯一の人間、『予言』の異能を持ったあの青年の弟。
フローズが生み出した振動は、その時最深部にいたスキールニルの元にさえ届いた。地殻を、そして星そのものを揺るがすことが出来るのは、この世界において彼女以外にありえない。
一応地上へ出る際に、スキールニルは彼女らに言い含めてあった。――地上での一切の力の行使は認めない、と。
それは迷宮区、そしてアルフヘイムでも唯一『神の獣』の名を冠するものである2頭がその力を振るおうものなら、この星そのものが崩壊しかねないからだ。現にまだフレイが彼女らの主人であった頃、何度そのさまを見せつけられてことか。
この世界に『神』は居ない。彼女たちの傷跡を、癒せるものはいないのだ。
そのことを正しく理解して、だからこそ2人は了承し地上に向かわせた。
――だと言うのに。
再び問い詰めようとして、スキールニルは妙な言い回しに気づく。
「それは貴様もそうだと思うが、危機感がないとは」
「この子、このタイミングでバカ正直に僕に聞きに来たんだ。僕達は荒事は望んでないんじゃないかって」
「……それはなんとも」
思わずと言ったように呟いたステイに、スキールニルも再度顔を覆って賛同する。
なるほど、それは確かに。
「危機感がないな」
「でしょ!?僕悪くないでしょ!?」
「だからといって心臓抜くことは無いだろう」
「え〜だってついカッとなってさ〜。スキルももし僕の立場ならわかると思うけどな〜」
賛同を得られたからか、先程までの萎縮した態度から一変、普段の調子を取り戻してしまったフローズを一瞥し。
「グリンブルスティ。空に放り投げろ」
「え!?いやちょっと待ってちょっと待って僕空はきらいなんだってえええぇぇーーーーーーー!!!!!」
おもちゃのようにぐるぐると回されたかと思いきや、慣性に従ってそのまま打ち上げ花火よろしくフローズは真冬の曇天に打ち上げられる。
遠ざかる断末魔をとりあえず無視し、諸々の元凶であるフローズの姿が消えたことで、スキールニルは再びため息をこぼす。
そのため息に隠しきれない苛立ちが混じっていたことに、スキールニル本人は気づけない。
「どうするのだ」
ステイの問いかけに、スキールニルは振り返る。その手にはあの一瞬で掠めとったのであろう、ハヤトの心臓が載せられている。
「もう少し頭がいいかと思ったが、これではただの阿呆だな」
「彼らとしても現状、味方を増やしたかったんだろう。この混沌とした中、手札は多い方がいい」
「それで我か。少ない邂逅でよく考えに至ったな」
なんというか、人を疑うということを知らないのだろうか、この少年は。
それも。――彼の思惑がほとんど全て合っていることに、スキールニルは一番驚愕を覚えた。
だからこそ、フローズの言葉も理解出来る。彼の選択はあまりにも不用意に過ぎる。まるで己なんぞ眼中に無いだろうとでも言いたげな無鉄砲さ。放っておけば遠くない未来、彼は本当に命を落としただろう。
だからこそフローズは強硬手段を取った。――ハヤトを悪魔の手から守るために。
彼女は心臓そのものではなく、彼の『魂』を奪取したのだ。それは厳密には『心臓』ではなく、目に見えるものでは無い。
しかし人間を形作るには、不可欠のもの。
それをフローズは奪った。『魂』のない肉体は厳密には死なない。『魂』の消失こそが、人間の世界で言うところの『死』の概念だからだ。
『魂』が生きていれば、生命活動を停止した器も死なない。その概念は古代エジプトのミイラとして死者を保存する文化にも継承されている事だ。
まぁ、それを知らず器の保存が行われていなければ、『魂』が生きていようと帰るべき器が無いわけで、結局死ぬことに変わりは無いのだが。そこはもう人間側に願うしかない。
それよりも、こちらの問題は別にある。
「今更素直に謝罪し返還したところで、納得はされないだろう。むしろ警戒される」
「このまま持っていても致し方ないと思うが」
「……向こうがこれの奪取に来ることを願うだけだ」
スキールニルにしては苦い進言に、ステイは一瞬だけペリドットの目を瞠り。
「……来るだろうか、あの少年は」
「来なければそれまでだ。一応殺してはないと聞いているが」
「肉体はそうかもしれないが、果たして精神が壊れていないか、か」
ステイはここでは無いどこかを見通すように、視線を僅かに曇天にあげる。真冬の、今にも雪が降り出しそうな、落ちてきそうな空を。
「悪役を演じるのも、大変だな」
「……全く」
言った瞬間に、落ちてきそうだなと揶揄してしまったからか、雲が本当に落ちてきて。
厳密には雲のはるか上まで投げられたフローズがそれを突き破って落ちてきただけなのだが、とりあえず地面に激突するさまをスキールニルとステイは音だけ聞いて無視した。




