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アノニマス||カタグラフィ  作者: 和泉宗谷
Page.6 生誕祭と黒曜の使者
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2-2.騎士と軍神

ぺたぺたと素足の地面を鳴らす音に、スキールニルは伏せていた瞼を開く。

周囲を照らす光源は、この広すぎる大広間の隅に備え付けられたランプのささやかなものだけだ。当然だ、ここは地底の奥深くであり、絶対の光である太陽光さえもその威光は届かない。

そんな目を凝らさなければ数メートル先すら見えない広間でさえも、なお存在感を放つ純白。

身長よりもさらに長く伸ばされた透き通るかのようなその髪を、しかし本人はなんの興味もないように惜しげも無く地面を引きずりながら、眠たそうに半分だけ開かれたオパールの瞳。

「何故ここに来た、ティターニア」

「……」

「ティターニア」

ぶっきらぼうな呼び声に、しかし純白の少女――ティターニアの反応は鈍い。まだ夢の中のように微睡む瞳は焦点を結ばず、心做しかかくかくと首も動いている。

そう。彼女は本当は起きているべきではない。それははるか昔に交わした約束なのだから。

だからこうして意識半ばだとしても、立ち歩いているほうが異常なんだと、スキールニルは持たれていた豪奢な柱から背中を離す。

相変わらずティターニアの足元はおぼつかない。ふらふらとまるで海上で揺れる船の上を歩いているかのような足取りに、ほんの少しだけ心配しながらスキールニルは前に立つ。ここの床に亀裂や段差がなくてよかった。

「ティターニア。戻れ」

先程呼び止めた時より強めの呼び声に、ようやくティターニアは反応を示す。僅かに見開かれたオパールが、黄金の下の紅玉を見上げながら。

「……スキールニル」

「なんだ」

「あの人は?」

短い問いに、スキールニルは僅かに鼻白む。こんな時ばかり感情があまり表面化しない自分の鉄仮面に場違いに感謝しながら、努めて普段通りの声音と口調で。

そんなこと、お前だって知っているだろうに。

「まだ帰投していない。帰ったのならばお前に真っ先に知らせると誓っただろう」

「どうして?」

「どうしてとは」

「今日は新しい子の歓迎会だって、あの人張り切っていたわ。あの人が来ないわけないじゃない」

このセリフには、流石のスキールニルでさえも感情を押し殺すことが出来ずに顔をゆがめてしまう。変わらず虚ろなオパールの瞳には写っていないだろうから、それが責めてもの救いだろうか。

あぁ、こいつも。――もう限界なんだ。

長い、永過ぎる時間を、彼女は過ごしすぎた。

もう、崩壊は近い。

反応のないスキールニルをどう思ったのか、ティターニアはこてん、と首を傾げて。

「……どうして、黙るの?」


――瞬間。スキールニルの左腕がちぎれ飛んだ。


あぁまた始まった、と。スキールニルははるか遠くに転がった自分の腕にも目もくれず、呆れに密かにため息をこぼす。

「なんで何も言わないの?」

震える声に、周囲の空間がぴしりと音を立てて歪む。まるで薄いガラスのようなテクスチャが割れるかのような脆い破滅の音の中心で、少女は。

「あの人が来ないわけないじゃない。あの人は私を愛して。私もあの人を愛して。愛して、愛してあいしてあいしてあいしてあいしてあいしてアイシテアイシテアイシテアイシテアイシテアイシテアイシテアイシテアイシテアイシテアイシテ!!!!」

言葉と同時に踏まれる地団駄で空間が大きく揺れる。少女の細い足からは想像もつかないほどの巨大な力に、この空間が耐えきれずにあげられる悲鳴。

こういう時、スキールニルはいつも思う。あいつなら。――フレイならこんな時、どんな言葉をかけるのだろうか、と。

スキールニルに兄弟はいない。年下の少女の知り合いもいないし、なんだったら子供もいない。だからこんな時にかける言葉のひとつも頭にはない。

そんな不器用な自分を、フレイはいつも楽しげに見て笑う。そんなに真面目に考えるなよと、人間くさい笑顔で。

彼ならこんな時、どんな言葉をかけるだろうか。

その問いに。――応えるものは、どこにもいない。

だから。

「……少し遅れているだけだ。来たら声をかける」

跪いて、自分の腹辺りまでの身長しかないティターニアと視線を合わせるように身をかがめる。そうしてようやく、スキールニルは彼女のオパールを少し見上げながら。

「……本当?」

「あぁ。だから戻れ」

「……」

吟味するように少しだけ間を開けて、小さく頷いたティターニアは元来た道を巻き戻すように戻る。相変わらずふらふらと足元はおぼつかないが、寝所に戻るくらいはできるだろう。

彼女が寝所を抜け出すことは、この数千年の間で何度もあったから。

「……はぁ」

遠い暗がりにようやく純白が掻き消えて、スキールニルは今度こそ盛大にため息をこぼす。そうして無駄のない動きで立ち上がると、転がった腕を拾い上げる。

「あれ?ま〜たスキルってば腕飛ばされたの?ウケるな〜」

「……見ていたのなら止めろ、ブローズグホーヴィ」

どこからともなくけらけらと笑いながら現れた錫色に、スキールニルは苛立ちながら振り返る。

錫色のショートカットに、くりくりとした大きなペリドットの双眸。スラリと伸びた華奢な肢体とその曲線から、かなりスタイルの良い女性だろうと思われる。

それも、人間から見たらの話だが。

スキールニルの隠しもしない殺気に、しかし変わらずけらけらと笑いながらブローズグホーヴィ――フローズと自ら名前をいじった女性は。

「ヤダよ。ぼくの腕が飛んじゃうじゃない」

「主君の腕が飛んでるんだぞ」

「っは、思い上がるなよ人間」

先程までの和やかな空気が一転、先程のスキールニルの殺気を遥かに上回る程のプレッシャーを、フローズは放つ。その怒りを表すかのように、ペリドットの瞳は変色し、粘着質な赤に染まる。

「ぼくの主人はフレイ様ただ一人だ。お前に付き合っているのも利害が一致しているだけだということを忘れるな」

「我も嫌われたものだ」

「誰がお前なんか好きになるもんか。ステイはどうか知らないけど、ぼくは人間なんか嫌いだね」

拾った腕の断面と断面を合わせながら、スキールニルはそういえばと気づく。

ちなみにもう数えるのもめんどくさくなるくらいには腕も飛ばされているので、このくらいの治癒は呼吸をするくらいに発動できる。人間、という種族のはずなのに、我ながらどうしてバケモノじみてきているな、と言う思考はとりあえず追い払いながら。

「そのグリンブルスティは人間に執心しているようだが」

「しーらなぁーい。勝手に執着してるなら、ぼくは関係ないもん」

気にしている時点で、既にフローズもステイの行動を気にしている言葉バレバレなのだが、もう一本の腕を犠牲にするくらいならとスキールニルは口を閉ざす。

そんなことよりも。

「それより、どうするの?日に日にお姫様の徘徊も多くなってきてるけど、そろそろ限界なんじゃない?」

「……」

そう。彼女の徘徊も今までで何度かあった。だから珍しい事でもないし、今更そこで驚くことは何もない。

それよりも、徐々にスパンが短くなっていることが問題だ。

それはここアルフヘイムが『迷宮区』と呼ばれ、多くの人間たちが足を踏み入れ始めてからの事だった。それが一番の原因でないにしろ、排除しなければならない問題には違いない。

――もう、彼女も彼女にかけられた封印も限界だ。

「……手を打たないと、いけないな」

ふと、隣の窓枠の外に目を向ける。しかしそこにあるのは空の青と緑ではなく、ゴツゴツとした岩肌だけだ。

それも太陽光と同じに当然で。何せここは地下にあるのだから、空の青も緑もあるはずは無い。

かつてはあったそれらは、もう今は望めないのだ。

その事に僅かばかりの郷愁を思いながら、スキールニルは紅玉の瞳を眇める。


――主命を全うするために、取るべき手段を違えないように。


*****


「ん〜……」

「……何唸ってるの?」

七変化する顔模様に、ヴァイスはあえて空気を読んでそこは追求せずに短く問いかける。

ここ数ヶ月間で通い慣れた、聖グリエルモ学院高等科の大図書室。その一角でヴァイスはひとり机に座って一人相撲を繰り返しているハヤトを見下ろす。

今この時間、この場所にいるのはヴァイスのハヤトの2人だけだ。それは今聖グリエルモ学院は全学年通して講義中なのだから当たり前で、当然のようにハヤトもヴァイスもサボりを決め込んでいるのだが、そんなふたりを咎めるものもここにはいない。

サボりと言ってもハヤトには理事長直々に許可が降りているから、実質的にサボりではない。自分は大いにサボりだが、大学卒業までの知識は既に頭にあるので日々の授業は退屈なのだ。

そんなわけで言ってしまえば2人だけの空間で、ヴァイスはおおよそ時間にして2時間は経つであろう唸り声の理由を聞いていた。

オリバーと2人で例の少年、エドヴァルドの演説を聞いてきて昼食を取った後からずっとこの調子である。演説の時に何かあったのかとも思ったが、一緒にいたオリバーも特に気にした様子もなかったから、これといって何かあった訳でもないはずだ。

多分気取られないように隠していたオリバーの怪我も、全員分の昼食を持ってきた時には治っていたから、ハヤトも気づいていないだろう。

余談だが、ハヤトは殺気に疎い。

腹の探り合いや騙し合いで、ハヤトを出し抜くことはほぼ不可能だろう。相手の僅かな機微とそこに至るまでのプロセスから逆算する洞察力は、通常の人間のレベルをはるかに超える。彼が望めば、世界を裏切れるほどの詐欺師にもなれるだろう。

しかし、『悪意』と『殺気』は違うのだ。

正直に言って、ハヤトの実力でこれまで迷宮区を生き残れたのは、ひとえに彼のその洞察力と危機察知能力の賜物だろう。それが無ければとっくの昔に土に還っている。

しかしそれもそれまでに至るプロセスと状況を、彼自身が頭の中で整理し導き出した結果に過ぎない。

例えば今この瞬間、彼の背後に暗殺者が現れれば、彼はなんの抵抗をすることも出来ずに殺されるだろう。それまでのプロセスと状況が揃ってはいないからだ。

それは良くも悪くも、彼は『戦場』というものとは無縁の生活を送ってきたという証明。本来のこの年齢の少年であれば、当たり前の事だった。

しかし慣れろ、というのも酷な話であり、正直になれないに越したことはない。という考えに至ったハヤトを除く『ケリュケイオン』のメンツは、ハヤトがそのことに気づくまでは言わないでおこうと決めたのだった。まぁ、暗黙の了解だが。

今更言っても多分隼人は分からないよとは、レン談だ。確かにアルベルトとの腹の探り合いを見ていても時たま詰めが甘いと思う部分もあるから、ハヤト本人は実は少し抜けている部分があるのではないか、とヴァイスは最近少し思っている。

しかし今はそれとは関係ないだろうな、と。考えていた思考をとりあえず切り離し向き直ったヴァイスの問いかけに、ハヤトはしかし応じないまま、黒いフレームの底の視線は手に持っている古びた書籍に向けられたままだ。

ヴァイスは気まぐれにとった本をそのまま本棚にもどし、隣に立ってハヤトの手にある書籍に目を向ける。

「……彼がどうかした?」

開かれた書籍は『北欧神話』。

開かれたページに記されるは、『スキールニル』。

北欧神話を代表する豊穣神フレイの側近であり、幼なじみでもあったとされる『ニンゲン』の青年が、そこには独特のタッチのイラストと共に描かれていた。

ハヤトはちら、と眼球だけ僅かに向けると、すぐにそのページに視線を落とす。ページの端をペラペラと指先で遊ばせながら。

「まーな」

「それはハヤトの前の同室だった人だったから?」

ヴァイスの言葉に、紙の端で遊んでいた指先が止まる。その挙動にヴァイスはしまったと口を噤む。

ひと月前の一件で、ハヤトは以前同室だった少年と歪な再会を果たした。姿形は彼のまま、彼の魂は既になく全くの別人として、目の前に現れた。

それは、恐怖の感情を覚えるには十分すぎる光景だろう。

ことこの件に関しては、ハヤトにとってはナイーヴだと散々レンに言われていたのに、自分の無感動な無神経さがこの時ばかりは嫌気がさす。

そう思って、咄嗟に謝罪しようとしたヴァイスの声に被せるように。

「それもあるけど、今はそれは関係ないよ」

「……すまない」

「なんでお前が謝るんだよ」

隣に立つヴァイスの瑠璃を、座ったままフレーム越しに深紅のそれで見上げながら。

「……まぁ。まだ整理するのには時間がかかるけど、一応自分の中で区切りはついてるから。だから、いいんだ」

僕には溜め込まずに話せと言うのに、自分にそれを課さないのは、それは自分自身が整理して決着をつけることだと知っているからだ。

それ以外のこと、他人に相談した方が良いことや意見を聞きたい時などは、ハヤトは最近はよく話すようになった。

自分自身で考え抜く事柄と、相談するべき事柄の線引きが、彼の中ではきっちりと分けられていて。その事が、少し負けたみたいで悔しい。

今だってそうだ。自分が謝る前に先読みして言い聞かせて来て。僕が悪い訳では無いと、まるで年上の兄のような気遣いをされて。

――ハヤトはどんどん、オトナになっていく。

「そうじゃなくて、俺が気になってるのはこいつの動きだな」

そんなことを考えているとは夢にも思わないように、ハヤトは書籍のイラストをつつきながら話を進める。

「動き?」

「ひと月前の一件以来、こいつからはなんのアクションもないだろ?まぁ、こいつの言い分を信じるなら迷宮区、特に最深部をつつかなければ問題じゃないと思ってるのかもな」

あの日、最深部に逃げ込んだ妖精の女を斬り捨てながら、セオの皮を被ったスキールニルはこういったそうだ。


『出来ればここでの荒事は避けていただきたい。そして願わくば、ここへは踏み込んでこないで欲しい。我らは静かに暮らしていたいだけなのだ』


「こっちもこっちとして、向こうが出張ってこないなら願ったり叶ったりだ。だけど、エドヴァルドの演説を聞いて、何も行動を起こさないのはどうも腑に落ちない」

「どうして?」

「『人間界とアルフヘイムの融和』、なんて法螺言いふらしてる人間を、黙って見てるほど間抜けには見えない。ステイやフローズを通してこいつもその演説の内容は知ってるはずだ。それに、」

ハヤトはそこで1度言葉を切って、意を決したようにその続きを口にした。

「エドヴァルド・フォン・ユングリング。――『ユングリング』っていうのは、フレイの子孫に与えられた家名だ」

その言葉で、ヴァイスもようやくその事実に気づく。どうしてそのことに、今の今まで気づかなかったのだろうか。

フレイの子孫に継がれるという『ユングリング』。その家名を名乗るエドヴァルド。

「――スキールニルは、エドヴァルドに従うかもしれない」

「かつての主君の子孫だ。従うには十分だとは思う。だけど、それでもスキールニルの動きは鈍い」

何故だ、とハヤトの疑問は小さく空気を震わせて図書室の静謐に落ちる。

遠くで、古い大きな置時計が時間を刻む音だけが、嫌に耳朶を打つ。

言おうと思っていて、言えていないことがある。この期に及んで言おうか言わないか迷って、勇気を振り絞ってヴァイスは震える口を強引に開く。

数日前、彼を信じると決めただろう。

「……多分、ハヤトの推測は合ってる。あいつ、エドヴァルドの外見は、夢で見たフレイにそっくりだった」

「、本当か?」

気づきと驚きと、僅かな歓喜。僅かに弾んだ声に、ヴァイスは恐る恐る頷く。

「エドヴァルドがフレイの子孫だって言うのは本当だと思う。しかもあいつは僕のことも知っていた。きっと、表に出ていない言い伝えや事実も知ってるかもしれない」

それこそ、フレイが最後に遺した言葉も、もしかしたら。

だったら尚更、スキールニルが彼に従わない理由はない。彼がかつての主君の遺言を持っているのだとすれば、あの気難しそうな騎士はきっと従うだろう。

それが。――世界の破壊だとしても。

告白に、無意識下の癖で右手で口元を隠しながらハヤトは深紅の瞳を眇める。しかしそう長い時間を経たせず。

「なら、なおのことわからないな」

「動かないことが?」

「エドヴァルドの演説通りなら、ふたつの国の和平が目的で、そのためならスキールニルの存在は大きな説得材料になる。エドヴァルドと2人で並んで同じことを唱えれば、少なくとも大多数は演説の内容を真に受けるだろ」

やがてこのままではやはり埒が明かないと思ったのか、ハヤトはおもむろにかけていた黒いフレームの眼鏡を払いながら。


「やっぱり、あいつに直接話を聞いた方が早いだろうな」


何重にも絡まった不可視の糸を見るかのように、深紅の双眸は真っ直ぐに、何も無い空間を見つめていた。

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