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アノニマス||カタグラフィ  作者: 和泉宗谷
Page.1:落ちこぼれと死神
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2-5.落ちこぼれの実力(ⅱ)

文献によるとコカトリスという獣は、その起源をバジリスクと同じものを有すそうだ。

雄鶏の腹から生まれ、ヒキガエルがその卵を温めると言われているが、雄鶏は7歳、ヒキガエルは7年卵を温め続けるなど、誕生にはかなり限定した制限が存在する。

カテゴライズは蛇、及び竜となっているが、その容姿は首から上と下肢は雄鶏、胴と翼が竜、その尾は蛇といった、這う生物の形状とは思えない見た目をしている。

飼い主の生き血を吸い殺すだの、水場を丸ごと汚染水に変えるだの諸説あるが、迷宮区においてはその蒼い血液は毒を含み、雄鶏と蛇の目と視線を合わせると対象は発火し絶命する。

彼らは主に中層域下層に棲息し、頭、胴、尾にそれぞれある結晶核を同時に破壊しない限り、無限の再生能力を持って何度でも甦る。

凶悪な異形の中でも上位に位置する、王の一柱である。


-----


崩れた入口を無理やり破壊しようとするけたたましい騒音と裏腹に、一同はしん、と静まり返る。

天井の鍾乳石から滴る水滴が水面に着水する囁かな音だけが、この静謐な空間に音を立てる。

「…それは、今私たちの行く手を阻むコカトリスと同個体なのか?コカトリスも一体だけじゃないだろう?」

沈黙に耐えかね、そろそろと窺うように手を挙げたのはオリバーだ。

兄貴の話題が出た事でヴァイスは瞬時に察したようだが、悪名高い『堕ちた英雄』の記録をわざわざ見るほどの物好きはそう居ないだろう。

『未来を視る』という破格の異能を持ちながら、その腕を食らった唯一絶対の個体の記録も。

「中層域下層499階層、そこの階層主フロアボスがあいつだ」

「っ、…確か、当時最前線を攻略していた日本の調査団を壊滅させたという…?」

驚愕に目を見開いたオリバーだったが、それを口にはせず先を促した。「どうして」や「何故」といった問答はこれ迄散々口にした。これ以上は不毛と判断したのだろう。

どれだけ目を背けたとしても、そこにいる脅威は変わらないのだから。

さすがにその記録は知っていたらしい。話が早くて助かる。

無言の頷きでオリバーの言葉を肯定する。

「通常のコカトリスなら核を3つ砕けば殺せる。だけどあいつの尾は5体。単純に同時に砕かなきゃならない核が増える」

「ということは、全部で7つ同時に砕く必要がある、と」

いや。

「…それじゃ足りない」

隼人の呟きに、瑠璃と紫の双眸が同時に注視し、続く言葉を待つ。

「蛇の頭が5つあるのは、胴の部分である竜の因子が影響しているからだ。胴の竜は恐らくインド神話に登場する原初の魔獣『アナンタ』。口から毒性の強い魔水を吐くところを見たことがある。『アナンタ』は7つ頭を持っていると言われているから――」

「…随分詳しいんだね」

まるで見てきたかのようだ。

「…ぁ、」

言外に告げられた言葉に、沈みかけた思考の海から引き上げられる。

次いで、また自分は過ちを犯すところだったと気づいてしまって。

咄嗟の事で対応が追いつかない思考を、この場を取り繕おうとどうにか回そうとするが、しかし僅かの差でヴァイスが沈黙を破る方が早かった。

魂を狩りに来た死神が、その罪状を告げるように。


「――君は、壊滅した『大和桜花調査団』の生き残りか」


死神の言葉は厳かに。

ヴァイスの言葉に、しかしオリバーは異を唱える。

「かの調査団は壊滅したのだろう?」

「正確には『生存者2名を残して壊滅』した」

「その生き残りの1人が彼だというのか君は?この学院で落ちこぼれの烙印を押されたクサナギが?そもそも『大和桜花調査団』は7年前に組織された調査団じゃないか」

そんな馬鹿な話、と肩をすくめるオリバーの表情はどこか苦い。それは彼自身、薄々気づいているからだろう。

草薙隼人が、ただの落ちこぼれでは無いことを。彼は先の私闘でそれを思い知っているのだから。

でなければとっくの昔に野垂れ死んでいる。偶然の連続で生き残れるほど、この迷宮区は易しくはないのだから。

「昔の話を一切しないカズキが一度だけ、酔った拍子に話してくれたことがある。カズキには出来の良すぎる弟がいて、彼はかつての調査団で『軍神』と呼ばれていたと」

その戦術は常人の理解を遥かに超え、第499層で潰えるまでただの一度の敗北もなく。

地形、敵戦力、自陣の戦力、配置その他諸々、その全てを正確に、1寸の無駄もなく1人の頭脳で弾き出される神のせんじゅつを評して、彼らはそう呼んだ。――まだ10歳になったばかりの、年端のいかない少年を。

「調査員になるには、厳密には年齢は関係ない。挑みたいものは挑み、力があれば名が知れる。実力至上、弱肉強食。それが迷宮区にある不変のルールだ」

隼人はく、と喉を鳴らす。

「――俺は迷宮区に憧れた」

寝物語のように、毎晩のように読みふけた迷宮区を記した味気ない調査書の山。それはどんな絵本よりも隼人の空虚な胸を焦がした。

自分の頭脳の限界を、限界を突破しても尚届かない『未知』に。

「見るもの全てが新鮮で、見るもの全てが俺の予測を越えてくる。『理解出来る』ものしか無かった俺にとって『理解出来ない』ものが、こんなにも楽しいものだとは思わなかった」

答えのわからなかった方程式の答えが出た時と、その感覚は似ているかもしれないと、隼人は思った。それはあまり、人には理解できない感情だとは思うけれど。

「だからあの時も、自分の『娯楽』を優先した」

その時も出来るはずだと。自分の戦術に間違いはないのだと奢って。

未来視の予言を無視してまで、前進した。

その『未知ひかり』に目が眩んだから。

――その結果は、無惨だった。


「…俺が殺した。俺が兄貴の腕、仲間の命を奪ったんだ…っ!」


『大和桜花調査団』50余名の命と実兄の腕を、己の道楽で使い潰した。

――それが、草薙隼人の犯した大罪。


「兄貴も誰も、俺を責めなかった。子供だからと、そういう場所だとそう言って。俺は責められた方が楽だったのに。だから、」

だから、逃げるように日本へ一人帰国した。――もう、迷宮区には憧れないと、その記憶に封をして。

思い出してしまえば、また憧れる。でもそれは自分にはもう許されない。

多くの命を奪った自分には――。

再び落ちた沈黙に、現在進行形で崩れた入口をコカトリスがガリガリと削る音だけが騒々しく響く。

この鍾乳洞には覚えていたとおり、抜け道は沢山ある。しかし、上階層へ抜ける道は一本道だ。そこをコカトリスに抑えられてしまえば隼人達は上階層へ逃げることは出来ずこの場で果てるだろう。

自身の死に場所には丁度いい、と隼人は思う。

コカトリスが執行人で、自分を裁きにわざわざ出向いてくれたと思うと、多少はあの異形にも愛着が湧く。

自分が囮になるからその隙に逃げろ、と提案しようと口を開きかけたその時。

先に沈黙を破ったのは、またもヴァイスだった。

成程、と何かに納得したように前置きをして。


「つまりあいつを倒せば、ハヤトにとってはカズキの腕を喰った鶏頭を潰せて、尚且つ当時の団員の仇も討てる。そしておれたちは帰れる。win-winという事だな」


…今なんと言った?

「うぃ…?それはどこの国の言葉だい?」

「造語だ。お互いに利益を得ることが出来て、両者とも不利益を被らず良い結果を得られる関係の事を言うらしい」

ヴァイスの言葉に、オリバーは雷に撃たれたかのようにはっ、と紫の双眸をかっ見開く。

「両者winnerという事かっ!成程良い言葉だな、うぃんうぃん!」

「そうだろう、カズキが教えてくれた言葉なんだぞ」

「おいやめろそれ以上変な言葉を使うな」

ヴァイスの言葉に被せるように、隼人は待ったをかける。

謎に興奮気味にブンブンと腕を振るオリバーに、今まで見た事のないドヤ顔で兄を賞賛するヴァイスの姿は、2人の見た目に反して俗物過ぎた。

方やドールのように整った死神、方や学院を経営する資金を負担している名貴族だ。セレブやエリートは薔薇の散った大浴場に浸かってるのかな~とか買い物は全部ブラックカードなのかな~とか、庶民的には多少なりとも夢を見るだろう。

これ以上夢が壊れるのは見たくない。

「カズキが教えてくれた言葉を変だと?撤回しろ」

「そもそもあの馬鹿から言葉を教わることが間違いだ」

「カズキは素晴らしい言葉を沢山知っていたぞ。忘れないようにちゃんと書き留めてある」

「…それは少し気になる」

ぼそり、と言う貴族を隼人は半目で見る。どうせろくなこと言ってないぞあの馬鹿兄。というか嫌いじゃなかったか?

「馬鹿の話はさておいて、あのコカトリスをどうやって倒すんだ?50人がかりでも殺しきれなかった正真正銘の化け物だぞ」

馬鹿の話、の時点でヴァイスに盛大に睨まれたが、正直今はそれどころではないのでスルー。なにせかつて50人の精鋭が殺された相手に、現状3人で対処しなければならない。

普通に考えれば、一瞬でなぶり殺しにされるだけだ。

隼人のそんな気苦労は杞憂だ、とばかりにヴァイスは鼻を鳴らす。


「君とおれに、できないことは無いだろう?どんな無茶な戦術オーダーだって、応えてやる」


それが、道具である自分の矜恃だと言わんばかりに胸を張って。

割と、いやかなり恥ずかしい台詞をさらり、と吐いて。

そんな直球すぎる言葉に、隼人の常人離れしているはずの頭脳はフリーズして、一拍置いて吹き出した。

「…何か変なことを言ったか?」

「い、いやいやっ、お前そんな小っ恥ずかしい台詞よく言えるなっ」

怪訝そうに、大いに不満そうにヴァイスは隼人を睨む。自分の発言にケチを付けられたと思ったようだ。

と、同時。ずっと鳴り響いていた入口を塞ぐ土石を掘り返す音がより一層大きくなり、ひとかきごとに地面揺らす。どうやらこの茶番も終わりのようだ。

――覚悟を決めろ。

「で、肝心な戦術はどうするんだい?」

「戦術?おれ一人で十分。弱者は隅で大人しくしてて」

「いや、いくらエリート様でも全部同時には無理だ。1寸の間もなく核を破壊するには手数が足りない」

もう時間はない。取れる戦術は一つだけだ。――かつて失敗した、7年前の自分が立案した机上の空論。――八つの結晶核を、同時に砕く。

「俺は雄鶏の頭ひとつ、エリート様は胴の二つ、貴族様は尾の蛇5つ担当だ。あと大前提として目は合わせないこと」

「そのへっぴり腰に核5つは荷が重いんじゃ?」

「へ、へっぴり腰、」

「難易度で言ったら胴が1番だ、なにせどこにあるか分からないんだから。それに貴族様には奥の手があるはずだろ。なぁ貴族様、いや伯爵様か?」

隼人の言葉に、オリバーは紫の双眸を警戒に細める。

「…貴様、何故それを」

「球体をもつ主神の坐像の両側に天使の肖像と百合の花の意匠。それだけ特徴が揃えば分かるやつには分かる。それに今のご時世、ただの貴族なんて居ない」

まさか伯爵だとは思わなかったけど。と隼人は一人心の中で呟く。

オリバーの長剣を叩きおろうと交錯した一瞬に見えたのは、古びた意匠だった。それはかつてフランスを救わんと奮い立った、一人の聖女を称える紋章。

かの聖女にまつわる貴族で、オリバーの意図して隠しているであろうフルネーム――オリバー・L・ブルームフィールド。Lをもつ一族はそう多くはない。そう思ってかまをかけてみたが、どうやら正解だったようだ。

――現代において、『貴族』はただ金や名誉を持つだけでは『貴族』たり得ない。他とは一線を画しているからこそその地位が与えられるのだ。

オリバーはしばらく鋭い視線で隼人観察していたが、隼人にそれ以上の意図がないと悟ってか、短く息を吐いた。

「いいだろう。我が一族の――オルレアン=ロングヴィルの技を見せてやろう」

そう言って、沙羅りと左腰に佩いた長剣を正眼に構える。

「ついでに動きも私が止める。と言っても持って数瞬だろうが」

「一瞬あれば十分」

「OKそれで行く。エリート様が核を確認したあと、伯爵様が動きを止める。その後各々核を狙え」

隼人の言葉にヴァイスはじ、と何か言いたげな視線を送る。

「念には念だ。それに、一瞬あれば十分だろ?」

その答えにヴァイス一瞬だけ目を見開き、次いで自信げに小さく笑みを浮かべた。

3人の合意と同時に、ついに入口の瓦礫が崩れ、6つの頭と8つの結晶核を持つ異形が姿を現す。

かつては50余名の兵をもってして、倒しきれなかった第499階層階層主フロアボス。そんな相手に、こちらの戦力はたったの3人。

圧倒的不利なこの状況。勝機は計算するべくもなくほぼ零。

ふ、と隼人は無意識に口の端を吊り上げる。

それは絶望からなのか、もう自分でもわからない。

でも、いやだからこそ。挑む価値があるのだと。

赤の裏地のブレザーの内、ポケットに入れていた黒縁の眼鏡に手を伸ばす。それはかつて『軍神』と呼ばれていた時代に、当時の団長から譲り受けた、隼人にとってのスイッチだ。

7年前に止まった時間がかちり、と音を立てて動き出す。


「さぁ、行こう――」

打ち止められた、冒険の続きを。



「ギィイイイィイィイィィィイ!!」

瓦礫の崩れる騒音を上からかき消すように耳障りな何声とともに6つ頭のコカトリスがついに姿を現す。

狭苦しい通路からようやく高い天井に出れたからか、折り曲げていた巨体を上げ、爬虫類の鱗に覆われた一対の翼を勢いよく広げる。

翼を広げた際に巻き起こった旋風によって周囲に撒き散らされる瓦礫を3人は各々で回避する。

「笑い咲け、『平和菊マルグリット』」

オリバーは長剣の切っ先で魔法陣を描くと、それは紫の燐光を放ち、刹那コカトリスの足元に紫氷の無数の雛菊が一斉に咲いた。

それは這うようにしてコカトリスの脚を覆い隠すと、一斉に氷漬けにする。

オリバーが繰り出した魔法を見て、隼人は驚きに目を見張る。

化学を発展させてきた人類は、迷宮区内の登場で初めて『魔法』という奇跡を獲得した。

迷宮区内部でのみ採掘される『聖石』を用いて、人間に行使できる魔法の種類は『水』『風』『火』『地』『空』の五大元素であり、原則それ以外は使うことは出来ない。

しかし何事にも『例外』は存在する。

聖歴における『貴族』階級とは、その例外に該当し、彼らはそれぞれ固有の古式魔法――五大元素に該当されない唯一絶対の魔法を保有することが多い。

『氷』の魔法は厳密には『水』魔法に該当するが、オリバーの使った『氷』魔法は『水』魔法から生成されるものとは違い、純度が桁違いである。

氷の色も『水』の青と『火』の赤の混じりあった紫ということもあり、見た目からして五大元素のそれでは無い。

かの聖女の逸話がどう解釈されて『氷』魔法を会得するまでに至ったのか、純然に興味がそそられるが、隼人のその思考は無数の氷の花々が呆気なく粉砕される音で中断させられる。

「おい、一瞬も持ってねぇじゃん伯爵様ぁ!」

「うるさいな!すぐに出せる魔法で最大の威力だ、もっと威力が大きいものだと時間がかかるっ」

「出し惜しみして死ななければいいけど」

あと伯爵と呼ぶな!!と付け足されたが、隼人はスルーして小声で詰ったヴァイスに確認を取る。

「胴の核の位置はっ?」

「大凡は。どうやら体内を移動しているようだ、核の位置が動く」

瑠璃に浮かぶ黄金をより濃く光らせながら言うヴァイスの返事に、このチートが、と隼人は胸中で罵倒した。

胴の部分――竜の核は外見では判断できない以上、通常であれば手当り次第攻撃を与え続けるのが常套手段だ。そして普通のコカトリスの胴部分の核は勿論移動しない。――どこまで行っても『常識』の通用しない、イカれた場所だと痛感する。

この場合の最善手は――?

「コカトリス本体の動きを止めて、尚且つ胴の核の動きも封じる…」

「コカトリス全身を氷漬けにするか?」

隼人の呟きを拾ったオリバーは、そう提案するが、首を振って却下する。

「それだと外側だけしか動きは止まらない。肝心なのは中身だ」

言って、隼人は口元を押さえて思案する。この窮地を打開する、最良の一手を。

こうしている間にも、コカトリスは刃のような鉤爪を、翼を、尾に生える5つ頭の獰猛な蛇を、全身を使って獲物を仕留めにかかる。一人時間稼ぎと対峙するヴァイスは僅かな隙間を縫って核をその手の白銀の拳銃で核を砕きにかかるが、砕かれた端から時間を巻き戻したかのように復元される。

――1人では、やはり手数が足りなすぎる。

恐怖からのプレッシャーと焦りから生じる汗が顎を伝って流れ落ちるのを、隼人は強引に手で拭う。

そして、ふと気づく。

「…なぁ伯爵様」

「次伯爵と呼んだら叩き斬る」

「生き物って何で出来てるか知ってるか?」

隼人の質問に怪訝そうに柳眉を寄せるが、ややあって確認しながら答える。

「…タンパク質に、脂質、炭水化物…」

言わんとしていることを察し、オリバーははっ、と目を見開き、次いで口元を緩める。

「なかなか酷なことを考えるものだ」

「あいつに何人食われたと思ってる。むしろ生温いだろ?」

「落ちこぼれの指図を受ける日が来ようとは――だが乗った。1分時間をくれ」

――落ちこぼれの実力を、見せてみろ。

澄んだ紫の長剣を垂直に構えると、オリバーは多重魔法陣を展開する。

それは、隼人の考えを現実にする一手。

その並ならぬ魔法の気配を察してか、コカトリスが聡くオリバーに狙いを付けるがしかし、それはヴァイスも同じだ。釘付けにするように、さらに弾幕を作る。

しつこく食い下がるヴァイスに業を煮やしてか、コカトリスは一際大きく咆哮すると、その翼で鍾乳洞の天井を削り、空に散った鍾乳石は氷柱のようにヴァイスへ降り注ぐ。

それに気づかないヴァイスでは無い。しかし、彼はその凶刃を一瞥するだけ。

――道具は自らの自壊を恐れない。

気がついたら、隼人は地面を蹴っていた。

自身に近づく隼人を、虫けらのように踏み潰そうとコカトリスが大樹のように野太い脚を振りかぶるのと、隼人がその下を滑り込むのはほぼ同時。

そのまま反対側へ飛び出すと、体当たりするようにして2人は降り注ぐ凶刃の地雷原を抜けた。

「~~~ったぁ~…」

避けきれずに一発左腕を掠ったようで制服の上から血が滲んだが、正直今は打った頭の方が痛い。

ぐわんぐわんする頭を抑えながら上体を起こそうとしたが、両肩をがっと掴まれる。

「なんで庇った!余計なことをするな!」

「は!?余計ってなんだよ、お前が避けようとしないのが悪いだろうが!?」

「君たち人間は簡単に死ぬ、そんなことも分からないのかっ!」

自分は道具だからと――『化け物』だから良いのだと。そう言っているのだと察して。

怒り任せに、隼人は間髪入れず眼前の精緻なドールのような死神の顔面に、頭突きをぶっかましてやった。

頭蓋骨ふたつが強くぶつかる鈍い音が場違いに響き、予想外の反撃にヴァイスは小さく唸りながら打たれた頭を抑え踞る。

そんなヴァイスを後目に、ゆらりと隼人は立ち上がる。

「てめぇが死んだら俺が困るんだよ誰があの化け物倒すんだ?言っとっけど俺クソ弱ぇぞ兄貴の1/10も使えねぇぞ?てめぇ俺が契約主だって忘れてんだろ飼い主置いて先にくたばりやがるんですか?あ"?」

「~~それは成り行きだろ…っ」

発言を撤回する気はさらさらない、とばかりにきっ、と涙目で睨みあげるヴァイスに向かって、隼人は右手を――右の親指に嵌った紅の制御装置を見せびらかすように突き出す。

もう怒った。

『道具』と呼ばれることに慣れてしまった無表情なエリートに。

自分を『道具』だと言う死神に。

――自分は『道具』ではないと、人間だと思いたいと思っている癖にそれを認めようとしない、同じ歳の少年に。

そんな駄々をこねる子供には、仕置が必要だ。


「命令だヴァイス――『二度と自分を道具扱いするな』」


瑠璃の双眸が、ひとつ大きく瞬いた。

「…そんな不明瞭な命令は聞けない」

『聞けない』のではなく、『わからない』のだろうと、見開いた瑠璃を見下ろして。

「方法くらい、自分で考えろ」

それは、自分で見つけるのが人間だと。言外に言って、次いで巨体の向こう側からの声に応答する。

「おい、無事なのか!?」

「すまん、問題ない」

「だったら早く戻ってきてくれないか!?」

こんな時に青春してんじゃないよ、と言われ隼人も素直にすまん、と思う。

「そっちの準備は?」

「いつでも」

「だってよ。頼むぜ、エリート様?」

いい所持っていくんだから、それに相応しい態度で立ち上がれと、隼人は手を伸ばす。

果たして、ヴァイスは手を取った。

少し恥ずかしげに、悔しげに、怖がるように。けれども力強く。

「――了解した、ご主人様マスター

一際大きな破砕音と共に、コカトリスの脚を覆っていた氷の花が全て砕かれた。――それが合図。

「咲き滅べ、『隠逸花クリゾンテーム』」

詠唱と同時、コカトリスの天と地を挟むようにして、紫の多重立体魔法陣が展開、あや待たずしてコカトリスの腸諸共引きずり出しながら、腹部や頭部や背中や四方八方から樹木のような紫氷が突き出した。

生物を構成する約60%以上は水。それを媒介にして生成された魔法の氷が、内側からコカトリスをその場に縫いとめたのである。

内部からの攻撃に、流石のコカトリスも動きを止める。その一瞬を、3人の狩人が見逃すはずもなく。


突き出た紫氷を危なげに駆け上がり、手にした神刀を鶏の頭蓋を貫き。


その長剣を指揮棒のように振り、無数に虚空に出現させた紫氷を5つ頭を串刺しにし。


2つの鎌を携え、雪白の死神が最後の結晶核を刈り取らんと肉薄する。


スローモーションの世界の中、唐突に疑問が閃く。

結晶核は人間にとっての心臓だ。心臓が動き回るなんてことはありえない。

ならば。

――動き回る核は、果たしで剥き出しの状態で動き回っているのか?

隼人の懸念に答えるように、紫氷の破片と共に爬虫類の頭部が勢いよく胴から飛び出した。――胴の竜を司る、『アナンタ』の最後の頭部。

最後の切り札として体内に隠していた牙が、喉笛を噛みちぎらんとヴァイスに向かう。それに気づかないヴァイスでは無いだろうが、彼は今も尚足場のない空に足が浮いた状態だ。流石の死神と言えど、空中で避ける術は持たない。


――また、失敗した。

また、間違えるのか。

また、守れないのか。

また、自分のせいで誰かを死なせるのか。


――巫山戯るな。


手にした神の刀を握りつぶすように、強く握る。

全ての邪悪を浄める『聖火』を操る気まぐれな神刀。真に主ではない隼人には、決して応えてはくれないその神に、けれども隼人は心の中で叫ぶ。

――神様なんて、信じていないけど。


たった1人の人間すら救えずして、何が神だ――!


その瞬間、深紅の瞳の奥でちかり、と緋色の火花が散った気がした。

その火花は徐々に火力を増していき、漆黒の刀身を伝ってヴァイスと異形の頭の間で爆発する。


「「――行け、ヴァイス!!」」


突然出現した緋色の炎に目を見開き、しかし隼人とオリバーの重なった声に押されるようにしてヴァイスはその中へと飛び込む。

霞む炎の先で、隼人は深紅の双眸にそれを見る。

ビイドロの瑠璃の中、黄金の光がさながら満点の星々の如く、一際強く瞬いた。

瞬間。死神の鎌は2つの結晶核を、寸分違わず撃ち抜いた。

閃光と、絶叫。

全ての心臓を破壊され、コカトリスは断末魔を上げながらずしん、と重々しい音と煙を巻き上げ、頽れた。

目の前の異形が動きを止めても尚、すぐに警戒を解くことはなく、3人は油断なくそれぞれの色彩をコカトリスに向ける。

たっぷりと数分の時間を空け、ややあってオリバーが口を開く。

「…倒したのか?」

「…多分?」

なんだその曖昧な回答は、と紫の双眸が睨みつけてくるが、正直倒した実感がないのだから仕方がない。

「核は全て砕いた。復活はないだろう」

瑠璃の中の黄金を仄かに光らせながら、ヴァイスは2人の元へ歩み寄る。

その妙に確信じみた言い方に、しかし隼人は頷く。

「エリート様が言うならそうなんだろ。核を見分けるその異能なら」

短い付き合いだが、それでも多く彼の戦いざまを見ていた隼人は、一撃必殺で核を撃ち抜くその技量に驚嘆した。

最初は核の位置を予め知っているのかと思っていたが、今や数百と種類が確認されている迷宮生物全ての核の位置を頭の中に入れておくのは不可能だろう。

しかし、目に写した眼前の敵の核を瞬時に見分けられるなら、話は別。そう思って胴部分の竜の外からでは確認できない心臓を、彼に任せたのである。

「飛んだ博打打ちだ、君は」

そういうヴァイスの呆れた表情に、隼人もそうだなと同じ表情で苦笑する。

結晶核を見分ける事が出来る『かも』知れない、ヴァイスの異能。

貴族階級であれば、切り札のひとつでも持っている『かも』知れない、オリバーの固有魔法。

こんな『かも』だらけの戦術。昔の自分であれば絶対に考えなかっただろう。

それで、と目の前に立った雪白の髪を揺らしてことり、小首を傾げる。

「ハヤトの心は晴れたのか?」

放たれた懸念に、まだそんなことを気にしていたのかと隼人はさらに苦笑する。

兄の腕は戻らない。

過去の仲間も戻らない。

過去の失敗は、覆らない。

仇が取れたかどうかなど、隼人には分からない。赦されようとも思っていない。

それでも、7年前から止まっていた時間は、冒険の続きを始めた時には動き出していた。

――今は、それだけでいいんじゃないかと、懐かしい声に言われた気がした。

掛けていた、傷だらけの黒いフレームの眼鏡を外しながら。


「…そうかも、しれないな」

何故か溢れそうになる泪を抑え、深紅の瞳の少年は、ようやく心からの笑みを浮かべた。


――その一同の注意がそれた、瞬くよりも一瞬だった。


打ち捨てられた死骸が、最期の意地を見せる。

執念のみに突き動かされた壊れかけの竜の頭は狂いなく、1番近くに立つ弱者の腕を噛みちぎっていった。

「…え、」

不意の背後からの襲撃に気づけるはずもなく、呆けた声が口を滑る。

そう言えば、魚とか虫とか。まぁ生物全般そうなのだが、筋肉の萎縮とか神経がふたつあるだとかで死んだ直後はまだ動いたりするよな、と他人事のように考えて。

自身の瞳よりも尚鮮烈な、血赤の色彩。

その映像を最後に、隼人の意識は途切れた。


------


気づいた時には、遅かった。

オリバーは展開途中の魔法陣を解除して、今も尚流れる血溜まりに沈んだハヤトと、純白の団服をそれと同じに染めながら抱き上げるヴァイスを見下ろす。

右腕を喰らった竜の頭は既にヴァイスが止めを刺しており、今度こそ物言わぬ骸と化している。

あるだけの弾丸を打ち込み、ホールドオープンのまま止まった拳銃も、同じ赤に染まっている。

「…嫌だ、なんで、どうして…っ」

うわ言のように、ヴァイスは同じことを繰り返す。

がくがくと意識を確かめるように肩を揺らすが、死にかけの人形は力なく揺れるだけで、深紅の瞳も固く閉じられたまま。

右肩から丸ごと無くなった腕からは、確実に致死量の血が流れでている。

ハヤトの言葉を鵜呑みにするのであれば、彼の兄である『堕ちた英雄』カズキ・クサナギは、同じく右腕を失った。永遠に。

――でも今は違う。

「…まだ間に合う」

呟くオリバーの声に、打ちひしがれたヴァイスは気づかない。

目の前の現実を受け入れたくなくて。

ぼろぼろと涙を零しながら。

見ているこっちが悲しくなるくらい、痛々しい背中で。

「――もう、失うのは嫌なんだ――っ」

悲痛な叫びにキリ、と奥歯を軋ませる。

気がついたら、右手を振り上げていた。


――ぱんっと音を立て、無理やり振り向かせたヴァイスの左頬を振り上げた右の手のひらで打ち抜いた。


「泣いている暇があるなら、助けるために行動しろ!」

何をされたか今一理解が追いつかないヴァイスは、ぼうっと虚ろな瞳で紫のそれを見返す。

「昔はどうか知らないが、今は魔法医療も現代医療も進歩している。助かる可能性は零じゃない。今君がするべき事はただそのまま彼が死にゆくのを見ている事なのか!?」

瑠璃の双眸がはっ、と見開く。やがて虚ろだった瑠璃に光が戻っていく。

オリバーの言葉を噛み砕くように一拍。直後、ヴァイスは自分の唇を噛みちぎった。

「何を――」

は、と知らずオリバーは息を飲む。

溢れ出た蒼い血液を含んだ口を、おもむろにハヤトのそれに近づけ。


――撫でるように、淑やかに重ねた。


群生するヒカリゴケの囁かな光の中でそれは、神々しさすら感じられて。

あまりの自然な、それでいて神聖的な光景を表現する言葉を、オリバーは咄嗟に思いつかなかった。

オリバーのそんな胸中を他所に、ハヤトの右腕の断面はみるみるうちに塞がり、やがては完全に閉じられた。

重ねられた口を通してハヤトの体内へ流れ込んだ蒼い血液が細胞を活性化し、出血を止めたのだ。

迷宮生物の蒼い血液は先に述べた通り迷宮生物同士を呼び寄せる力の他に、適切な量を摂取すれば細胞を活性化させ、傷を塞ぐ治療薬にもなるのだと講師の言葉を、その光景を見ながらぼんやりと思い出した。

傷が塞がったことにより出血死の心配もなくなり、呼吸もだいぶ落ち着いた。知らずほっと胸を撫で下ろす。

「…ハヤトを頼む」

一連の流れを終え、血溜まりからハヤトを引き上げるとそのまま突き出し、察してオリバーは受け取った。担げということだろう。

しかし、人一人を担いで行くとなれば、必然的に両の手がふさがってしまう。魔法は使えるだろうが、行えるのはあくまで後方支援。

「君はただ、おれの後ろを死ぬ気でついてくればいい」

気配で察してか、ヴァイスは投げ捨てた拳銃を拾い上げ、弾倉を入れ直しながら無造作に言い放つ。

流れる動作でスライドを引き、初弾を薬室へ送る。

「敵は全て――おれが排除する」

言い残し、瓦礫に埋もれた入口とは逆方向の出口へ向かい、オリバーはそれに習う。


――精緻なドールのような美しい死神が居ると、話を聞いた。

その認識は今も変わらない。雪白の髪。黄金の散った瑠璃の瞳。均整の取れた肢体に抜けるように白い肌。

およそ人間とは思えない、芸術品のような少年。

ただ、と心の中でオリバーはその評価に付け加える。先程の、子供のように泣きじゃくり、肩を震わす弱々しい姿を思い出しながら。

――その美しさは、咲き誇ってはすぐに風に攫われてしまう、極東のサクラの様に。



儚く、脆い。危うさからもたらされるものなのだろう、と。

あともう一章ほど続きます~、お付き合いいただければと思いますっ

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