精神年齢10歳児
「5年2組に転入してきた内藤健治です。身体年齢は39歳で、精神年齢は10歳です。お母さんからは健ちゃんと呼ばれています。みんなと早く仲良くなれるようにがんばります」
健治が黒板の前で自己紹介を終えると、クラス内が好奇心と興奮で騒がしくなる。「は~い、拍手~」と担任の三沢先生が手をたたき、それに合わせて生徒が一斉に拍手を行った。健治が深々と頭を下げる。少しだけ薄くなった頭部をみたクラスメイトが、健治の頭を指差し、隣に座る友達に見てみろよと笑いをこらえながらささやいた。
「この内藤健治くんは確かにみんなより身体は大きいですけど、精神年齢はみんなと一緒です。だから、そのことについてからかったりしないように。じゃあ、みなさん、健治くんと仲良くしてあげてくださいね」
生徒たちが元気よく返事をする。健治は三沢先生が指さした一番右奥の机へと窮屈そうに身体を細めながら進んでいく。そして、小さな椅子によいしょと腰掛け、大きく息を吐き出した。それからいつも通りのホームルームが終わり、休み時間になる。チャイムが鳴り終わるやいなや、好奇心に満ちた他のクラスメイトが近づいてきて、健治を取り囲んだ。
「健治って、前はどこの学校にいたの?」
「えっと、えー、先月までずっと家にこもってたから、学校には行ってないんだ」
「健治、お前の頭ハゲてんじゃん。ちょー面白い。見せて見せて!」
「え、あ、うん。へへへへへへ」
クラスの男子が健治の頭を掴み、覗き込むようにして頭頂部を見る。そして、大きな笑い声をあげ、「ハゲだハゲだ」と楽しそうに笑い出す。他の男子も興味津々に健治の頭を覗き込み、同じだけ大きな笑い声をあげる。その中で健治も少しだけ反応に困りながらも、愛想笑いにも似た笑みを浮かべていた。
「ちょっと、男子。転入生の健治くんをそんなに笑ったら可哀想でしょ! さっきの先生の言葉聞いてなかったの!?」
様子を見かねた学級委員長の三島愛子が注意する。
「先生は身体が大きいことを笑っちゃ駄目としか言ってませーん。ハゲを笑っちゃ駄目なんて一言も言ってませーん」
「そういう問題じゃないでしょ!」
話にならないと判断した愛子が健治の太くて大きい右手を掴み、男子の輪から強引に外へと連れ出していく。その様子を見た男子が拙い口笛で二人を囃し立てる中、愛子と健治が教室の外へと出ていく。背の高い健治が扉の上に少しだけぶつけ、小さくうめき声をあげる。廊下に出ると愛子はぱっと健治の手を離し、健治に向かい合ってじっと目を見つめる。健治は自分よりも一回りも二回りも小さな愛子に見つめられ、少しだけドギマギしながら目を逸らした。
「あ、ありがとう。わざわざ助けてくれて……」
「健治くんもさ、ああいうときはちゃんと言い返さないと駄目じゃん。そうじゃないとあいつら馬鹿ばっかりだから、つけあがるだけだよ!」
健治がごめんなさいとあからさまに落ち込んだ様子で返事をする。「わかったなら、良し」と愛子は優しく健治の腰あたりをぺしんと叩き、学校の中を案内してあげると提案する。健治も愛子が本気で怒ってはいないことを悟り、元気よく相槌を打つ。それから健治は愛子に引き連れられ、楽しそうに校内を回っていった。
始めはハゲだハゲだとからかわれていた健治だったが、次第にクラスメイトたちと打ち解けていった。徒競走も早く、勉強もクラスで上から三番目に入るほど。そして何より、男子生徒の間で流行っていたカードゲームで、健治は誰も持っていないようなレアカードを多数所有していた。四十年近く、周囲から浮きながら生きてきた健治にとって、この5年2組はまさに彼にとっての新しい居場所だった。健治はカードゲームのレアカードをクラスのみんなに見せびらかし、また、学校のトイレでこそこそとアダルトな雑誌を他の男子に見せてやったりした。
しかし、ある日の昼休み。外から戻った健治が自分の机の引き出しに手を突っ込むと、青ざめた表情を浮かべながら叫んだ。
「ない! 僕のカードがない!!」
健治の声にクラスメイトの注目が集まる。健治が机の中に手を突っ込み、後ろにかけていたランドセルをひっくり返し、さらには何の許可もないまま隣の席の引き出しをまさぐり始めた。
「盗まれた! クラスの誰かに盗まれたんだ!!」
「そんなわけないだろ。もっとちゃんと探してみろよ」
「違う、盗まれたんだ! 誰だ!!」
健治は声をかけてきたクラスメイトをぎょろりと睨み返し、お前が盗んだのかと怒鳴り散らす。ふざけるなと言い返されると、健治は彼を押し倒す。一回りも身体の大きい相手に強く押され、クラスメイトが派手に転んでしまう。しまったと健治が思ったときにはもう、教室は静まり返り、先程までは同情を示していたクラスメイトは一人残らず冷ややかな目で健治を見つめていた。
「なんだよ、みんな。僕が……僕が悪いわけじゃないだろ。僕がみんなより年齢が高いからって馬鹿にしてるのかよ」
その時、先程まで健治らと外で遊んでいた一人が恐る恐る声を出し、カードの件だけど、さっき健治くんがポケットに入れてなかったっけと尋ねる。健治はハッと何かを思い出し、みんなにばれないようにとこっそりズボンのポケットへと手を突っ込む。そして、それと同時に指先がカードに触れ、健治の顔色が真っ青になっていく。
「……謝れよ」
先程押し倒された男子が起き上がりなら健治にそう言った。健治は手をポケットに入れたままその場で固まり、かすれるような声で謝らないとだけつぶやいた。謝れば済む話だろと詰め寄られると、健治は唇を噛み締め、右足を小刻みにゆすり始める。そして、助けを求めるように周囲をキョロキョロと見渡し、ふと学級委員長の三島愛子と目があう。健治は助けてくれと言うのではなく、ただただすがるような目で愛子を見つめた。
「健治くん……ここは謝ったほうがいいんじゃない?」
根比べに負けた三島愛子が健治に謝罪を促す。しかし、健治は愛子のその言葉が信じられないかのような表情を浮かべながら、「なんで三島さんがこんなガキの味方なんだよ」と一際大きな声で叫ぶ。
「三島さんは、三島さんはいつだって僕の味方だろ!?」
「なんでって……どう考えても、健治くんの方が悪いのは明らかだし」
「違う違う! 三島さんって僕のことが好きなんでしょ? だったらなんでこいつの肩を持つんだよ!」
健治の言葉に愛子の表情が固まる。
「僕のことを好きじゃなかったら、こんなに僕のことを庇ったりなんかしないし、こんなに他の人に注意をしてくれたりしないし、それに、僕がこのクラスに転入してきたときだって、僕のことを好きじゃなかったら校内を案内してくれるわけなんてないし……」
「何言ってるの健治くん……。私は学級委員長だから男子を注意しているだけだし、それに校内を案内したのも、先生からお願いされたから案内しただけだったし……」
今度は健治の表情が固まった。愛子の言葉が信じられないと言った表情を浮かべた後、みるみるうちに顔が真っ赤になっていく。周りのクラスメイトが健治に隠れてこそこそ笑いだす。
「よくも……よくも僕を騙したなぁ!!!」
今までクラスメイトの誰も聞いたことのないような、悲鳴にも似た叫び声が教室内にこだました。健治は顔を手で覆い、「嫌だ嫌だ」と泣き声を上げ始める。床に仰向けに転がり、手足をばたつかせ、周りにある机や椅子を勢い任せにけとばしていく。愛子とクラスメイトは互いに困惑の表情を浮かべ、互いに顔を見合わせる。そのうち、気を利かせた一人が教室を飛び出し、担任の先生を呼びに行った。その間も健治は赤子のようにダダをこねながら、時折雄叫びに似た泣き声をあげるのだった。
翌日。健治が小学校に登校することはなかった。少しだけ罪悪感を感じたクラスメイトが担任に健治の状態を尋ねたが、担任はただ転校することになったとだけしか答えてくれなかった。
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今度はうまくいくだろうか。健治は少しだけ緊張しながら前に一歩だけ踏み出し、大勢の人が見守る中で自己紹介を行った。
「はじめまして、ないとうけんじです。からだねんれいは39さいで、せいしんねんれいは5さいです。ママからはけんちゃんとよばれています。はなぐみのみんなとなかよくなれるようにがんばります!」