三話
投稿が遅れてしまいました。
グリーンタイムが終わってから、成海は放課後が待ち遠しかった。一刻も早く学校を出て、蝙蓮に会いに行きたかった。自分がこうして授業を聞いている間に、蝙蓮はどこか遠い所へ行ってしまうような気がした。
露里の言葉が、躊躇っていた自分の背中を押してくれた。やはり先生に相談して良かった。成海は一人、そう思った。
時計の針が、今日はやけにゆっくり歩いているように思える。ようやく放課後がやってきてくれた。成海は、いつも一緒に帰る友達をほったらかして教室を飛び出した。『廊下を走るな』と書かれたポスターも、今の成海には見えていなかった。何度か生徒や教師にぶつかりそうになった。
そんな成海を、露里はただじっと見ていた。
成海が走った先は、蝙蓮と初めて会ったあの場所だ。
「へれーん」
会いたくてたまらない友達の名前を呼ぶ。返事はない。少し奥まで進み、もう一度名前を呼ぶ。やはり、返事はない。その静寂が、蝙蓮ともう会えないという答えの様な気がする。
「蝙蓮、成海だよぉ」
自分の名前を呼べば、来てくれるかもしれない。その期待も、簡単に打ち砕かれた。やはり、あんな別れ方をしたのが悪かったのだろうか。直接会って、仲直りしたい。それで蝙蓮が自分を遠ざけたら、仕方がないと諦めもつく。が、会う事すら叶わないのでは、諦められない。
ひたすら蝙蓮を探し続けるも、結局成海は蝙蓮と会う事は出来なかった。夕方の鐘が鳴る。これ以上は、母や姉に心配をかける。昨日あんな事があったばかりだ。仕方なく、成海は森を出る。
肩を落としながら歩く成海は、気付かなかった。葉の間から、成海を見つめる一匹の蝙蝠に。
同じ頃、静まり返った学校を一人歩く者がいた。露里だった。左右を見回しながら、一人校舎を歩いている。見回りだろうか。左手には、茶色の封筒を握っている。
やがて、露里はある部屋の前で立ち止まる。そして、首を動かす。誰も見ていないのを確認すると、ゆっくり部屋に入る。そこは、女子更衣室だった。
更衣室に入った露里は、大きく息を吸う。そして、名残惜しそうにゆっくり息を吐く。恍惚の表情を浮かべる口からは、だらしなく涎が垂れている。しばらく、露里は動かなかった。
少し経ち、ようやく露里は自分の口から涎が垂れていることに気が付いた。ハンカチをポケットから取り出し、涎を拭き取る。
それから、茶色の封筒を開ける。ただし、こちらは中のものを傷つけないようゆっくり手を動かす。取り出したのは、写真だった。そこには、成海と同じくらいの少女が写されていた。中には、成海が写されたものもある。
その中から一枚、慎重に取り出す。それは、成海の写真だった。他を封筒にしまい、成海の写真の端を指先でつかみ、顔に近づける。それらの動作もやはり、写真を傷つけぬよう慎重に行われる。
ゆっくり口を開き、成海の写真に顔を近づける。だらしなく開いた口から、ゆっくり舌が顔を出す。そして、舌が成海の顔を這う。一度ではない。二度、三度、何度も繰り返し写真を舐める。
ひとしきり舐め回すと、涎まみれの写真を愛おしそうに見つめる。そして、やはり愛おし気に写真をハンカチで拭く。そして別の写真を取り出し、同じように舐め回す。こちらは、成海とは別の少女だ。
そんな事を繰り返し、露里は全ての写真を舐め終わった。再び恍惚の表情で大きく息を吐くと、ドアノブに手を伸ばす。ノブを掴む直前で、手が止まる。そっとドアに耳をくっつける。少しそのまま様子をうかがっていると、音を立てないようゆっくりドアから顔を話す。そして、渋々といった体で部屋を出る。
やがて鞄を片手に玄関で靴を履き替えていると、声をかけられる。その相手は、養護教諭だった。若く、中々の美人だ。
「お疲れ様です。露里先生、こんな時間まで何を?」
履き替える手を止め、顔を養護教諭に向ける。
「見回りですよ。忘れ物なんかしてないかと」
露里の仕事熱心さに感心したのか、感嘆の息を漏らす。それから、そうだ、と話を切り出す養護教諭。
「この後、お時間あります? よろしければ……」
その言葉を、申し訳なさそうに遮る。声も変に大きくなく、顔も心なしか悲しげだ。
「申し訳ないのですが、外せない用がありまして……。また別の時に、という事で」
用があるのなら仕方がない。そう言いたそうな顔で、渋々引き下がる養護教諭。では、と片手をあげる露里に、挨拶を返すことが出来なかった。
車のハンドルを握りながら、露里はため息をつく。
「ったく、何だって大人の女のために時間を潰さなきゃいけねぇんだっての」
普段の露里を知るものが聞けば耳を疑うような、乱暴な口調で悪態をつく。車のドアを、少し強く叩く。
「……成海かぁ」
小さく呟く。その後、何かを決心した様に頷く。その瞳には、嫌な光が宿っていた。
翌日、登校してきた成海はいつもと様子が違った。ひどく落ち込んでいる。それは、誰の眼にも明らかだった。
「な、成海ちゃん……?」
友人の一人が、心配そうに声をかける。辛うじて成海が口から発した声は、死にかけのコオロギの様な声だった。それでも、グリーンタイムになる頃にはどうにか普段通りに話せるようにはなった。一緒に遊ぶ友達の誘いも、元気を取り戻すのに一役買ったのだろう。
グリーンタイム終了を告げるチャイムが鳴り、成海たちは教室に戻る。
「あ」
手を滑らせて、ボールを落としてしまう。成海は、ボールを追いかける為に走り出す。走っていると、何かとぶつかってしまう。それは、露里だった。
「す、すいません」
謝るために頭を下げると、写真が目に入る。それは、成海と同年代くらいの茶髪の少女だ。この少女、どこかで見たような顔だ。どうやら、ぶつかった際に落としてしまったらしい。拾おうとすると、
「触るな!」
露里に怒鳴られる。硬直してしまった成海を無視して、露里は写真を大切そうに拾い上げる。
「先生、その子って……」
尋ねようと口を開いたところで、思い出す。行方不明のポスターに貼られていた写真の少女だ。何故、その写真を露里が持っているのだろうか。
「この子はな……。戒めなんだ」
視線を落とし、声を落として答える。戒めとは、どういう事だろうか。その意味を尋ねると、
「時間がないからな、また後でな」
それだけ言って歩いていった。もうじき授業が始まる。成海も、教室に向かっていった。
昼休み、ようやく露里と話す時間が出来た。
「この子は、先生の前の教え子だったんだよ」
先程と同じ様に、視線を落として話し始める。
「でも、オレがもっと……。オレは、何もできなかった……」
その瞳は、悲しげだ。それ以上話を聞くのは、可愛そうな気がする。自分もさっきまで落ち込んでいただけに、その気持ちが分かる。
「せ、先生、辛いなら話さなくて良いよ……」
ふぅ、と露里はため息をつく。そして、成海の肩に手を置く。
「ありがとう、秋山は良い子だな。さ、外で遊んどいで」
そう言って、成海に遊びに行くよう促す。その方が秋山らしい、と付け足す。丁度友達の一人が誘いに来たので、成海は外に走り出す。走りながら、成海は思う。露里先生って、本当に良い先生なんだな。
成海の背中を、露里はじっと見つめていた。そして、見つめていたのは露里だけではなかった。
放課後のことだった。
「秋山、ちょっと良いか?」
露里に呼ばれた。いくつか作業を手伝って欲しいという事だった。蝙蓮を探しに行きたかったが、昨日や今日の事を思うと断れない。渋々ながら、成海は露里に従う事にした。
露里に従って着いたのは、保健室だった。こんな所で、何を手伝えというのだろうか。
「先生、保健室で何するの?」
成海が尋ねるも、露里は黙ってこちらを見るばかりだ。もう一度名前を呼ぶと、ゆっくり成海に向かってくる。
「なぁ、秋山。先生が昨日行った事、覚えてるか?」
心の声に従え。そう言って、露里は自分の背中を押してくれたのだ。成海は、覚えていると返す。
「そうか。……先生もな、従う事にしたんだ」
突然、成海の身体がベッドに叩きつけられる。露里が、自分を押し倒したのだと気付いた。
「先生、な、何するの!」
相手は大人。抵抗できない。左手で成海の両腕を押さえ、右手で何かを探している。手に握ったのは、タオルだった。それで、成海の両腕とベッドの柵を縛る。
「先生なぁ、ずっとお前にこうしたかったんだよ! お前だけじゃあないぞ! こういう事がしたくて、小学校の教師になったんだからなぁ!」
両手で成海の身体を撫でまわす。その不快感より、絶望が成海の心を占めた。生徒にも教師にも人気で、昨日自分の背中を押してくれたあの露里先生が、こんな事をする人だったなんて。
成海の頬を、ヌルヌルしたものが這う。それは、露里の舌だった。やめるよう懇願するも、露里は返事すらしない。
「露里先生! 何を……!」
その時、女性の声が聞こえた。養護教諭が保健室に入って来たのだ。露里は成海から顔を離し、ゆっくり立ち上がる。そして、ベッドから飛び降りて養護教諭に向かう。
「うるせぇな!」
思い切り、養護教諭を殴りつけた。倒れた教諭の腹を、思い切り踏みつける。
「汚ぇ声出すなよ! 邪魔しやがってクソが! だから大人の女は嫌いなんだよ!」
子供だったらうるさくても許せるんだ。やっぱり、子供は綺麗だからかなぁ。などと言いながら、ゆっくり成海に近づく。
「女は子供じゃないと価値がないよ、それも秋山……、成海みたいに可愛くないと。そう思わないか?」
何か言っているが、答える気にならない。絶望と恐怖が、言葉を詰まらせる。
「お前に言った言葉でなぁ、決心したんだよ。手を出すなら今だって、やっちまおうって。だからさぁ、お前と『遊ぶ』事にしたんだよ」
懐から、何かを慎重に取り出す。それは、『戒め』と言っていた例の少女の写真だった。
「この子、可愛いだろう?」
聞いてもいないのに、勝手に話し始める。
「こんなに可愛いのにさ、この子には友達がいなかったんだよ。いっつも一人で本読んでてな。寂しそうだった。だから先生、仲良くなりたくってさ。つい手を出しちゃってな」
だってこの子、可愛いじゃん、と照れ臭そうに頬を掻く。まるで自分は一切悪くないかのような物言いだ。こんなゴミのような奴を、自分は今まで信頼していたのか。恐怖と同時に、悔しさも込み上げてくる。
「家に行ったんだけど、その子が嫌がってさ、逃げちゃったんだよ。そんで家を飛び出しちゃって、その日から行方不明になって。『遊ぶ』事は出来なかったけど、遊ぼうとした事は誰にもばれなかったからさ。
先生と遊んでくれたら、きっとお前もどこかに行っちゃうんじゃあないかな。でもな、心配しなくて良いぞ?」
いつもの優しい声で言いながら、成海の頭を撫でる。その仕草にも、もはや不快感しか覚えない。両手が縛られていないなら、その手を叩き落してやりたいくらいだ。
「先生はな、ずぅっとお前の事覚えてるからな。そうすれば、お前はずっとオレの心の中で生きられるんだ。もちろん一人じゃあないぞ? もっとたくさんの可愛い子と遊んで、そしたら友達が増えるから、成海も寂しくないだろう?」
名前を呼ばれるだけで、全身にナメクジが這う以上の不快感に襲われる。露里が近づいてくる。露里が言っていることの意味は分からないが、このままではひどい目に遭うことだけは間違いない。
「蝙蓮、助けてぇ!」
思わず、口から蝙蓮の名前が漏れる。ここで両親や姉に助けを求めるなら分かる。が、何故ここで蝙蓮の名前が出たのだろうか。そんな事を考えている内に、口元から湯誰を垂らした露里は自分の身体に手を伸ばす。成海に出来るのは、強く目を瞑る事だけだった。
もっと露里の危ない感じを出したかったのですが、どうもうまくいきません。