二話
久しぶりの投稿です。
それから、二人は簡単な遊びを楽しんだ。と言っても、成海が蝙蓮に幾つかの遊びや言葉を教えるばかりだったが。蝙蓮という少女は、明らかに言葉を知らな過ぎた。クッキーの包みを食べようとしたところ、簡単な言葉すら知らないところを見るに、まともな教育は受けてこなかったのだろうか。
「ねぇ、蝙蓮って言葉を知らないの?」
別に、成海に蝙蓮を馬鹿にする意志はない。幼さ故の残酷さと好奇心が、この質問を成海にさせたのだ。この質問にも、やはり蝙蓮は答えなかった。それで、言葉を知らないのだ、と成海は納得した。そしてもう一つ、
「じゃあ、私が教えてあげる!」
この言葉には、そんな優しさも込められていた。その意味を知ってか知らずか、蝙蓮は嬉しそうに笑うばかりだった。
「私」
成海は、自分を指して言う。
「わ、た、し」
蝙蓮も成海を真似して自分を指す。
「あなた」
今度は、蝙蓮を指す。
「あ、な、た」
やはり、蝙蓮は成海の真似をする。
「友達」
自分と蝙蓮を交互に指す。
「と、も、だ、ち? ともだち、ともだち」
言葉の意味が分かっているのかいないのか、蝙蓮は何度も言葉を繰り返す。自分より年上に見える少女が首を傾げるその仕草を、思わず可愛く感じてしまった。
「友達っていうのは、大事な人って事」
教えてやると、蝙蓮は嬉しそうに笑う。言い終えてから、『大事』の意味が分かるのかと思い直した。
「へれん、なるみ、ともだち。ともだち、だいじ、だいじ!」
成海の手を握り、何度も上下に振る。この反応を見ると、その心配は杞憂だったようだ。
「蝙蓮、痛いよ……」
苦笑いを浮かべる成海。それで手を離すかと思ったが、蝙蓮には通用しなかった。そこで、少し大げさに痛がってみる。すると、ようやく蝙蓮は手を離した。蝙蓮にはまだ、苦笑いというものは分からないらしい。蝙蓮に握られた成海の手は、少し赤くなっている。
やがて、六時を知らせる鐘が鳴り始めた。流石に、もう家に帰らなければならない。そう思った成海は、
「じゃあね、蝙蓮」
蝙蓮に手を振り、成海は歩き出した。石垣を下りようとした成海の手を、蝙蓮が握る。
「うぅ」
悲しげな声で唸る蝙蓮。帰るな、という事だろうか。その気持ちは理解できる。成海自身、もう少し遊びたいとも思う。が、あまり遅くなると母や姉が心配するだろう。そう考えると、帰らない訳にはいかなかった。
「蝙蓮、私、家に帰らなきゃ。また蝙蓮と遊べるから、だから放して、ね?」
自分より年上のはずの少女に、あやすような口調で話している。
「や! や! やぁ!」
首を振りながら、嫌がる蝙蓮。手を振り解こうにも、自分より力が強いので解けない。それに、これが今生の別れとでも言わんばかりの悲しく顔を歪める蝙蓮を見ると、手を振り解くのが少し申し訳なくも思えてくる。
「だ、誰かぁ」
思わず情けない声が出る。
「成海?」
その時、知った声が自分の名前を呼ぶ。紅音だった。
「帰らないと、お母さんが心配するわよ?」
そんな事は分かっている。だから帰ろうとしているのだが、蝙蓮が返してくれないのだ。紅音にそう言うと、紅音は石垣を登り近づいてきた。
「ねぇ。手、離してくれない?」
少し強い口調で、蝙蓮に詰め寄る。当の蝙蓮は、首を傾げるばかりだ。
「ちょっと」
もう一歩、蝙蓮に近づく紅音。成海の片腕を掴み、こちらに引き寄せようとする。そこでようやく、蝙蓮は紅音が自分と成海を放そうとしていることを知ったらしい。蝙蓮は歯を見せ、紅音を睨みながら唸りだした。
「な、何よ……」
流石に紅音も動揺したらしい。庇う様に成海の前に立ち、一歩紅音に近づく。身体を屈め、いつでも襲い掛かれる体勢だ。紅音のみならず、成海自身も蝙蓮に恐れを抱く。止めるべきだろうが、口で言って蝙蓮を止められるだろうか。もう一歩近づく。思わず紅音も身構える。
その時、蝙蓮の鼻が小さく動く。紅音に顔を近づける。紅音の臭いを嗅いでいるのだろうか。紅音から顔を離すと、ようやく蝙蓮は姿勢を戻した。蝙蓮の行動の意図が、二人には読めない。変な奴、危険な奴と思わずにはいられない。足を踏み出そうとする蝙蓮の前に、紅音が立ちはだかる。
「何なのよ、あなた! もう成海に近づかないで!」
蝙蓮に向けて、怒鳴りつける。行くわよ、と成海の手を引く紅音。成海はただ、蝙蓮の顔を見ながら手を引かれるばかりだった。当の蝙蓮は、悲しそうにこちらを見ていた。
家に帰ると、母が血相を変えて迫ってきた。帰りが遅くなったので、心配したようだ。紅音が蝙蓮の事を母に話すと、やはり母も蝙蓮に近づくな、とドラ猫の様な顔を赤くして念押しした。
蝙蓮は誰彼構わず人を傷つける人間じゃあない。そう言いたかった。が、あんな風に紅音に襲い掛かろうとした蝙蓮を見ると、そう言いにくい。口ではうん、と言っておいたが、それでも成海は二人の言いつけに従う気にはなれなかった。
どうしても、成海には蝙蓮を拒絶する気にはなれない。あの悲しげな眼。それが頭から離れない。確かに、蝙蓮の行動の意図は読めない。が、自分を傷つける意志があったとも思えないのだ。
「蝙蓮……」
小さく名前を読んでみる。蝙蓮の心中を、誰も教えてはくれない。
翌日、学校でも蝙蓮の事が頭から離れなかった。また蝙蓮に会えるだろうか。会いに行っても、自分に顔を見せてくれるだろうか。
そこで、ふと考える。蝙蓮と会ったのは、昨日が初めてだ。それなのに、何故こんなにも蝙蓮が気になるのだろうか。あんな風貌の人間を見た事がないので、単なる好奇心で近づきたいと思ったのだろうか。
二時間目と三時間目の間には少し長い休みがあり、この学校ではその時間は『グリーンタイム』と呼ばれる。いつもなら成海はグリーンタイムになると外へ遊びに行くのだが、今日はそんな気分にはなれない。
「秋山、どうかしたのか?」
自分の席で大人しく座っている成海に声をかけてきたのは、眼鏡をかけた若い男だ。
「露里先生……」
それは成海のクラスの担任で、爽やかな顔立ちの中々の男前だ。生徒は勿論教師からの評判も悪くないようで、この学校の養護教諭の露里に向ける視線にも、明らかに好意が籠っている。
「朝からふさぎ込んで、秋山らしくないじゃあないか。悩み事なら、相談に乗るぞ?」
成海の目線に合わせて、露里は腰を落とす。成海は少しの間黙っていたが、やがてゆっくり口を開く。昨日、ある少女と友達になった事。その少女と、後味の良くない別れ方をした事。昨日あったばかりの少女が、こんなにも気になる事。胸中を吐露する成海の言葉を、露里は黙って聞いていた。
「秋山、お前はどうしたいんだ?」
成海の言葉が止まったところで、露里が尋ねる。
「私は……」
視線を落とす成海。自分は、どうしたいのか。蝙蓮の無邪気な笑顔が、心に浮かぶ。その笑顔と、別れたくない。蝙蓮に言葉を教えてやると、嬉しそうに笑ってくれた。そんな蝙蓮に、もっと色々な事を教えてやりたいと思った。
そうだ。やっぱり、蝙蓮と仲直りしたい。友達になりたい。
「先生。私、やっぱり蝙蓮と、その子と仲直りしたいです。でも、お母さんもお姉ちゃんも蝙蓮に近づくなって……。
確かに蝙蓮は、お姉ちゃんに襲い掛かろうとしました。でも、蝙蓮は多分何も知らないだけなんです。知らないだけなのに、あんな風に突き放して……。でも、もし会ってくれなかったらって思うと、怖くて……」
そうか、と頷く露里。
「秋山。もう一度、その子と会ってきなさい。自分が逃げてるだけじゃあ、何も解決しないぞ」
ゆっくり立ち上がる露里。それにな、と続ける。
「その子の事を放っておけないって思うなら、その心に逆らっちゃあダメだ。いつか絶対に後悔する。心の声に従うんだ」
その言葉が、強く背中を押してくれた気がした。成海は、椅子から立ち上がる。教室の隅のゴミ箱に向かい、その前で立ち止まる。ポケットに手を突っ込み、ティッシュを取り出し鼻をかむ。心なしか、心の中のもやも一緒に出て行ってくれた気がする。
「ありがとう、先生! じゃあ、遊んできます!」
成海の心は決まった。放課後、蝙蓮と会ったあの場所に行ってみよう。視界が明るくなった。グリーンタイムが終わるまで、もう少し時間がある。なんだか、身体を動かしたくなってきた。
そんな成海を見て、優しく頷く露里。いつの間にか、成海の身体は教室の外へ飛び出していた。それを見ると、ゆっくりゴミ箱に近づく。首を動かして誰も見ていないのを確認すると、素早くゴミ箱に手を突っ込み何かを取り出す。それは、さっき成海が捨てたティッシュだ。怪しく口元を歪め、そっとそれをズボンのポケットに忍ばせた。そして、何事もなかったかのように椅子に腰を掛ける。
「先生ぇ!」
別の女子生徒が、笑顔で露里に声をかける。振り向いた露里の顔は、いつも生徒たちが見る優しい笑顔だった。
後書きに書く事がなくなってきました。