一話
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興森市木場町は、田舎町だ。店らしい店などなく、強いて言うなら無人朝市と自動販売機が二台ある程度だ。反面田畑は見飽きるほどに散らばっており、町のどこにいても山が見えない場所がない。木場町と隣町を分けるように流れる川は、この町の住民の中で遊んだことが無いものがいない位に親しまれている。よく言えば自然に囲まれている、悪く言えば取り残されていると言って良いだろう。
木場町の夜は、完全な暗闇となる。街灯はある。が、数が少ない上にいくつか切れたまま放置されているため役割を果たしているとは言えないのだ。
そんな暗闇を、走る者がいる。いや、走っているかは分からない。ただ、足音の様なものが聞こえるだけだ。音が止む。その後何か別の物音が聞こえるが、暗くて見えない。音が止み、再び走るような音が夜の街に響く。そして、再び静寂が訪れた。
「じゃ、行ってきます」
「行ってきまぁす!」
一軒家の扉が開く。セーラー服を着た黒い長髪の少女と、彼女の胸ほどの背丈の短髪の少女だ。よく見ると、左の膝に絆創膏を貼っている。そんな二人を見送るのは、ドラ猫の様な顔の中年女だ。ドラ猫は、短髪の少女に顔を向ける。
「成海、また転ばないようにね」
背が低い方の少女は、頭をかきながら返事をする。
「紅音、ちゃんと見ててね」
今度はセーラー服の少女に顔を向けながら、心配そうに言う。分かってる、と呆れたように返す。扉がゆっくり閉まり、二人は歩き出した。歩いたところで、成海が足を止める。紅音は、車庫の方に歩いていく。銀色の自転車の前で足を止め、ゆっくり屈む。立ち上がった紅音は、自転車を引きながら成海の方へ歩く。それから二人は、同じ方向へ歩き始めた。
少し歩いていると、十字路に差し掛かる。
「成海ちゃぁん!」
赤いランドセルの少女が手を振りながら近づいてくる。成海も、少女に手を振り返す。少女は近づき、
「紅音さん、おはようございます!」
頭を下げる。紅音も笑顔で挨拶を返す。紅音に小さく手を振り、成海と少女は成海たちの家から見て右の道を走っていく。そんな二人を、紅音は笑顔で見つめていた。笑顔というよりは、苦笑いと言った方が良いだろうか。
「また転ばないと良いけど……」
苦笑いを浮かべながら、自転車にまたがる。ペダルを強く踏む。それから自転車は風を切り、紅音を高校へ運ぶ。はずなのだが、少し進んだところで自転車は止まる。
「おじさん、どうしたの?」
紅音は自転車を降り、畑に腰を下ろす人物に尋ねる。紅音の声に振り返ったのは、ドラ猫より少し年上そうな男性だった。
「あぁ、紅音ちゃん」
男性の顔は、とても明るいとは言えなかった。
「畑が荒らされちゃってねェ、ホラ」
ため息混じりに、紅音に手を差し出す。その手には、ボロボロの野菜が握られている。
「こんなんじゃあ、あそこにも置けない。困ったモンさ」
あそことは、無人朝市の事だ。朝市と言っても、長机を小さい木の屋根で覆っているだけのものだ。確かに、野菜が全く置かれていない。
放課後、成海は一人で通学路を歩いていた。一応家に向かっていることは間違いないのだが、ここは田舎町。さっさと帰ったところで、やる事がないのだ。宿題というものがあるが、そんなものは暗くなって家に帰ってからやれば良い。子供は遊びたいのだ。
遊ぶと言っても、せいぜい公園くらいしかない。が、子供というのはどんなに勉強が出来なくても、自分で遊びを考える頭がある。とはいえ、思いつく遊びはやり尽くした。公園にもいい加減飽きてきたところだ。その公園も、正直公園とは言い難い。
錆びた滑り台と同じく錆びたブランコ、そして掲示板があるだけだ。その掲示板にも、行方不明の子供を探す手書きのポスターが貼られている。そこに貼られた写真の子供が際立った美少女であることが、唯一の『公園』の華と言えるだろう。
そうだ、ここは山に恵まれている。山に入ってみれば、何か面白いものがあるかもしれない。成海は近くの石垣を登り、木々の隙間をくぐっていく。
「わぁ……」
少し進んでいくと、人工物が全く見えなくなる。まるで、異世界にでも来たかのような気分だ。当然、ここは異世界ではない。国を出てもいないし、それどころか興森町を出てすらいない。そんな事は、成海にも分かっている。が、人工物に囲まれて生活しているとついそんな気分になってしまうのだ。
人間の世界ではない、人間の居て良い世界ではない場所にいるかの様なそんな感覚は、成海をむしろ楽しませた。坂道なので多少動き辛そうではあるが、それでも成海はさっさと家に帰ろうとは考えない。
しばらく歩き、一本の木の前で足を止める。この木を登れば、もっと面白いものが見られるかもしれない。それに、今日は家庭科で調理実習があった。良い景色を眺めながら作ったクッキーを食べたら、もっと美味しいのではないだろうか。ふと、成海の心にそんな気持ちが芽生えた。確かに、他の木と比べると登りやすい。
「今日はスカートじゃあなくって良かった」
半ズボンに隠れた太ももを二回ほど軽く叩き、木に手を伸ばす。成海は、ゆっくり木を登り始める。そのまま登っていると、
「わぁッ!」
うっかり手を滑らせてしまった。身体が木から離れてしまう。支えを失った成海の身体は、重力に引っ張られてしまう。落ちて即死するほどの高さではないが、怪我は免れないだろう。強く目をつぶり、拳を握る。
その時、成海の身体が何かに受け止められる。覚悟していた痛みがいつまでも身体を刺さない。身を固くしていた成海は、恐る恐る目を開ける。そこでようやく、成海は自分が誰かに助けられた事を知る。身体に当たる柔らかい膨らみから、助けてくれたのは女だと分かる。
受け止めてくれた誰かは、優しく成海を下ろしてやる。助けてくれた事に礼を言うために、口を開く。その口から、言葉が出ない。助けてくれた人物の風体が、あまりに浮世離れしているのだ。
ボサボサの長髪は、全く手入れが施されていない。土に汚れてはいるが、中々に可愛い顔だと成海は思った。背丈は、姉の紅音と同じ位だろうか。
服装も異様だ。いや、これは服装という事すらおかしいかもしれない。ボロ布を羽織っているだけに見える。露出した四肢は土に汚れており、足には靴を履いていない。
目の前の人物は、明らかに普通ではない。幼心に、成海はそう感じた。が、だからと言って助けられた恩を忘れるのは筋が違う。成海は咳払いを一つしてから、再び口を開く。
「あ、あの、ありがとう……」
目の前の少女は、首を傾げるだけだった。聞こえなかったのか。そう思った成海は、
「助けてくれて、ありがとう」
もう一度礼を言う。今度は、少し声を大きくしてみた。この距離だ。聞こえない訳がない。それでも、相手は特徴的な大きな眼で成海の顔を見つめるばかりだ。そして、再び首を傾げる。
そこでようやく、日本語では伝わらないのでは、という考えに至った。
「さ、サンキュー」
流暢とは言えない英語で、感謝の意を伝える。やはり、通じていないようだ。こうなると、成海にはお手上げだ。他の言語など成海には分からない。かといって、さっさと行ってしまうのはそれは後味がよろしくない。
そこで、ふと良い事を思いついた。成海は、赤いランドセルを肩から降ろす。そこから、小さな包みを取り出した。そこには、今日学校で作ったクッキーが入っている。これをお礼としてあげれば、その気持ちが伝わってくれるかもしれない。
成海は、目の前の少女に包みを差し出す。少女は、包みと成海を交互に見るばかりだ。
「お礼、と言っちゃあ何だけど……。あげる」
受け取ろうとしない。というより、どうやらこれを自分に渡していることにすら気付いていないのかもしれない。
「食べて?」
少女の手を握り、包みを持たせる。少女は、包みを見ながら首を傾げ、時々臭いを嗅いでいる。やがて、少女は大きく口を開く。一瞬、ボロ布の中で何かが光ったような気がした。開いた口で、少女は包みに噛みついた。
食べてくれ、とは言ったが、包みまで食えと言った覚えは成海にはない。そもそも、包みは食べるものではない。ふざけているのか、と思った。が、身なりを見るに、もしかすると本当に何も知らないのでは、とも思えてくる。
成海が少女を制すると、少女は包みから口を離して成海を見る。成海は少女に近づき、包みの紐をほどく。そして中から一枚クッキーを取り出し、少女の顔に近づける。
「包みは食べないんだよ? この中身を、食べてって言ったの」
少女はクッキーを注意深く見つめ、臭いを嗅ぐ。ゆっくりクッキーに顔を近づけ、一口で食べてしまった。少しの間口を動かし、少女は驚いたように包みを見た。
「美味しい? って、聞いても分からないかなぁ……」
少女は包みに手を突っ込み、残りのクッキーを取り出した。数枚ほどだったそれらを、一枚ずつ嬉しそうに口に放る。どうやら、美味しかったらしい。なんだか、成海も嬉しくなってきた。
最後の一枚を口に放り込もうとしたその手を、少女は止める。名残惜しそうに最後の一枚を見つめていたが、口を閉じてそれを成海に差し出した。
「あー」
自分にやる、という事だろうか。確かに、自分が食べようと思っていたものだ。が、目の前の少女に我慢をさせてまで食べたいと思う程のものでもない。
「うー」
躊躇っていると、少女はクッキーを成海の顔に近づけた。そうだ。成海は、差し出されたそれを受け取った。受け取ったクッキーを、半分に割る。
「はい、半分ずつ」
少女は、一度成海の顔とクッキーを見比べた。そして、差し出された半分を嬉しそうに受け取った。示し合わせることなく、二人は同時にクッキーを口に入れた。そして、同時に飲み込んだ。
少女が、成海に顔を向ける。先程までと比べると、表情が和らいでいる。
「私、成海。な、る、み」
成海は、自分の名前を教える。目の前の少女が、悪い人間にはどうしても見えない。先程の反省を生かし、自分を指さし、ゆっくり話す。
「な、る、み。な、る、み! な、る、み!」」
少女は、嬉しそうに成海の名前を繰り返す。どうやら、分かってもらえたらしい。
「へ、れ、ん」
成海の手を取り、少女は自分の胸に当てる。自分の姉より大きいそれを触りながら、成海は聞き返す。
「蝙蓮。へ、れ、ん」
何度か繰り返す。それで、自分の名前を言ったのだと理解した。
「へれん、なるみ。へれん、なるみ」
何が面白いのか、自分と成海を交互に指さしながら、楽し気にお互いの名前を繰り返す蝙蓮。成海も、イヤな気分はしない。それどころか、何だか楽しくなってきた。蝙蓮と一緒に、互いの名前を繰り返した。
コミティアに一般で参加しました。いつか私も他の方々の様にあのような公の場で作品を読んでいただけるように頑張ります!