第九話、わたくし、三番目のお姫様のお姉様になりましたの。
「──お姉様、私を、あなたの妹にしてください!」
唐突にかけられた思わぬ言葉に、私はその時、
まずは耳を疑い、
そして次の瞬間、目を疑った。
別に祝祭の日でもない平日の昼間では、お目にかかることなどめったにない、豪奢で可憐な深紅のドレスをいまだ『子供』と称すべきほっそりとした矮躯にまとい、金髪に縦ロールというこの『わたくし、悪役令嬢ですの!』の世界においても珍しいほどの、正統派『お嬢様』の髪型に縁取られた、小作りながらも神様自らの采配によるものであるかのように、理想的に整った顔の中で煌めいている、翠玉の瞳。
それはまさしく、この国における最も尊き血筋における、最も幼き少女のご降臨であった。
……とはいえ、現在十歳である私よりも年嵩であられるので、『妹』にはなれないんだけどね。
何でこんな不可解極まることに、なってしまったのだろう。
それまではただ順調に、最近始めた『名探偵』業をこなしていただけだったのに。
☀ ◑ ☀ ◑ ☀ ◑
「──本当にありがとうございました、アルテミス様!」
実年齢はもちろん、学年においても上級生に当たる、王立量子魔術学院高等部二年生の女生徒が、一応飛び級で高等部一年に在籍しているものの、実年齢はいまだ十を数えたばかり幼女へと、喜色満面の笑みをたたえながら、深々と頭を下げた。
それに対して鷹揚に頷く、皇国筆頭公爵家令嬢にして、銀白色の髪に黄金色の瞳も麗しい悪役令嬢名探偵たる、私ことアルテミス=ツクヨミ=セレルーナ。
「あなたもストーカー被害に遭われるなんて、大変でしたわね。──でもご安心なさって。すでに犯人の男性は突き止めており、今後あなたの周りをうろついたりはしないことを、セレルーナ公爵家の名の下に誓わせましたので、また何かあった場合はこちらのほうで『処理』いたしますから、もう何も案ずることはございませんよ」
「何から何まで、すみません」
「うふふ、これからも何かございましたら、どうぞご遠慮無く、悪役令嬢名探偵を頼られてくださいね」
「はいっ、よろしくお願いいたします!」
とてもここ最近ずっと塞ぎ込んでいたとは思えない、最初から最後まで変わらぬ笑顔のままで、私たちのグループのカフェラウンジの指定席である窓際のテーブルから席を立ち、踵を返して立ち去っていく上級生。
「さすがは、アル様。今回も見事な、名探偵ぶりでしたね」
すかさず労をねぎらってくれるのは、公爵令嬢としての専属メイドであり、悪役令嬢名探偵としての助手その1でもある、メイ=アカシャ=ドーマン嬢であった。
「……今回に件に関しては、私はほとんど貢献しておりませんわ。すべてはあちらにおられる、伯爵令嬢にして私の親衛隊のリーダー格の、ミナ様のお手柄ですわ」
そう言って視線を向ければ、スカートを両手でつまんで、ちょこんとお辞儀をする、伯爵令嬢。
「いえいえ、そんな。たまたま私、こういった方面の事件には、少々慣れているだけですので」
「ええ、まるでご自分でも、ストーカーをおやりになったことが、お有りのようにね」
「あはははは」
ジト目を向ける私に対して、ただ乾いた笑声を上げるばかりの、リーダー格の少女。
「まあまあ、アル様、細かいことはいいじゃないですか。お陰で事件のほうも、めでたく解決したことですし。今日はそのお祝いに、腕によりをかけてお茶会を催しますので、皆様ご一緒に、公爵家のお屋敷のほうへ参りましょう」
「……そうですわね。あまり遅くまでカフェでたむろするのも、お店の方に悪いですし、そろそろ場所を移すことにいたしますか」
そう言って私が腰を上げようとした、まさにその刹那、
誰よりもいち早く『彼女』のことに気づいたメイが、腰を折り跪き深々と頭を垂れた。
「──これは、三の姫様。ご機嫌麗しゅう」
なっ⁉ 姫様、ですって?
慌てて振り向けば、確かに我々のテーブル席のすぐ間近にいつの間にか、王侯貴族の子女が数多く学ぶ本校においても場違いと言える、豪奢で華美なる深紅のドレスで着飾った、年の頃十一、二歳ほどの、幼き美姫がたたずんでいた。
私自身はもちろん上級貴族の令嬢たちもすぐさま立ち上がり、スカートの裾をつまんで一礼し、その他の富豪の娘等の平民においては、メイ同様にその場に跪く。
もちろん年若くもれっきとした王族の一員である、彼女に直接口上を述べることができるのは、この場では筆頭公爵家令嬢の私だけであった。
「三の姫様におかれましては、変わらずご健勝のご様子にて、恐悦至極でございます」
……何で王宮内の箱入り娘の三の姫様が、庶民の子女も通っているような学び舎に、ほとんど供も連れずにお越しになるわけ? 兄君のルイ様に会いに来られたとか?
するとまさに鈴を鳴らすかのような、涼しげな声が、すぐ目の前から聞こえてきた。
「うむ、久し振りだの、アルテミス。ルイ兄様の婚約ご成約の祝賀会以来か。──むう、そこでは話すには、少々遠かろう。今少し、近うまいれ」
「いや、しかし」
「構わん、妾が赦す」
「はっ、それでは……」
いつもの悪役令嬢っぷりはどこへやら、唯々諾々と従うばかりの私であるが、王族に対する貴族の娘の在り方としては、本来こうあるべきなのであって、常日頃第一王子のルイ様への対応がぞんざいなのは、あくまでも物心ついてからの婚約者同士であったから、自然と気安い間柄となっただけで、例外中例外でしかないのだ。
それに比べて、生まれてこの方王城の中でひきこもって──もとい。蝶よ花よと大切に育てられてきた三の姫様とはほとんど接触はなく、万一この場で御勘気に触れたりすれば、たとえ筆頭公爵家の者であろうと、物理的に首が飛ぶことすらも、十分あり得た。
そんなことを思い巡らせながら、頭を下げたまま歩を進めていたところ、唐突に何だか柔らかい物体が、私の胸元へと飛び込んできた。
「……ああ、お姉様、やっとお会いできたのね♡」
………………………………は?
「ちょっ、ちょっと、三の姫様⁉」
そうなのである、今私の腕の中にある、年の割にはかなり小柄な肢体は、間違いなくこの王国で一番幼い、最上格の貴婦人のものであったのだ。
しかもこの人、たった今、非常に聞き捨てならないことを、おっしゃっていなかったか?
「さ、三の姫様? その、『お姉様』とおっしゃるのは、どなたのことでしょうか?」
「──ああ、申し訳ございません、私ったら歓喜のあまり、すっかり先走ってしまいまして」
そう言って、いったん身体を離してくれる、小公女。
……あれ? 言葉遣いのほうも、ぐっと普通っぽく変わってしまってるぞ。
「アルテミス様には、是非ともお願いしたいことがございますの」
「はあ、何でございましょう」
なぜかそこで顔全体を真っ赤に染め上げ、もじもじし始める王女様であったが、
その花の蕾の唇から飛び出してきた言葉は、予想だにできなかったほどの、衝撃的なものであった。
「──お、お姉様、お願いです、この私を、あなたの妹にしてください!」
なっ⁉
「『お姉様』? 『妹』? 何ゆえにやんごとなき姫様が、私なんかにそのようなことをおっしゃるのですか? そもそもあなた様のほうが、私めよりも年上であられるでしょうが⁉」
──いかん、あまりのショックに、我ながらとりとめも無いことを、口走ってしまっているぞ。
「何をおっしゃるのです⁉ 姉妹愛には歳の差なんて、関係ないのです!」
……いや、姉と妹の間には、当然年齢差があってしかるべきだし、しかもちゃっかり、『愛』とか付け加えているし。
「あー、つまり極道の男たちが、兄弟の杯を交わしたり、舎弟の契りをするようなものですか?」
「……大体それで合ってますが、よりによって男臭い例えを挙げられましたね。普通に『マリ○て』の姉妹の契りのようなもの──って、おっしゃればよろしいではありませんか?」
いや、そんなふうにそのままズバリと言ったんじゃ、いろいろとまずいのでは?
「そうだ、これから貴女ことを、『サ○コお姉様』とお呼びしてよろしいですか? その代わり私のことは、『トー○』とお呼びになって構いませんので」
だから、そういうのは各方面的にもヤバいって、言っているでしょうが⁉
あんたのその両耳の脇の二房だけの縦ロールって、もしかして『キャラ付け』のためだけに、急遽セットしたんじゃないでしょうね?
「……いやそもそも、貴女は『三の姫』という通り名の通り、我が王室の三番目の姫君であられて、上に姉君がお二方おられたはずでは?」
思わぬ展開の連続で完全にパニクっていた私は、ふと思い出した王族のご家族構成に基づいて、至極妥当な発言をしたつもりであった。
しかしそれは彼女の地雷を、完全に踏み抜いてしまう愚行であったのだ。
「わ、私の実の姉君ですてえ⁉ あんな方々なぞ、姉でも王族でも姫君でもないどころか、もはや女性でもありません! もちろんこれは私の偏見による誹謗中傷などではなく、彼女たちが自ら『女を捨てている』という、純然たる事実を語っているだけなのです!」
……あー、確かに一の姫様と二の姫様に関しては、そう言わざるを得ない面がありますわよね。
ただし、少なくとも一の姫様においては、『女を捨てる』ことによって、むしろある方面に関しては、より魅力が増しているのも事実なのですけどね。
「……それに比べて、お姉様──アルテミス様の、『悪役令嬢』ぶりときたら、まさしく王侯貴族の女性の鑑でございますわ♡」
──うん?
何か今、微妙におかしなことを言われたような気がしますわ。
「あの、姫様、悪役令嬢が、王侯貴族の女性の鑑ですって?」
「ああん、私のことは、是非とも『○ーコ』と、お呼びくださいったらあ」
「呼・び・ま・せ・ん」
「うう、お姉様の、いけずう〜」
「いいから、お話を、お続けください」
そもそも、『お姉様』呼びを許可した覚えもないぞ。
「だって、そうではございませんか? 人に媚びず、唯我独尊、他者はすべて自分に奉仕することを喜びとする奴隷たち──という、厚顔無恥な在り方こそ、貴婦人としての正しい生き方であり、それを実践なされているのが、お姉様のような『悪役令嬢』の皆様ではございませんか?」
「──貴女の悪役令嬢に対するイメージは、極端に偏りすぎているのではないですか⁉」
それってもはや、『傍若無人なわがまま貴婦人』とかいうレベルではなく、もはや南斗○拳の聖帝様か何かでしょうが?
「それだけではございません、私、量子魔導スマートフォンを介して、『ゲンダイニッポン』のインターネットにアクセスして、『小説家になろう』や『カクヨム』にて公開されている、様々な『悪役令嬢』作品に触れて、すっかり大ファンとなってしまっており、まさしくこの現実世界において理想的な『悪役令嬢』を体現されておられるお姉様に対しては、ごく自然にお慕い申し上げるようになったという次第であります」
「ほとんど王城から外に出られることすらない三の姫様が、どうやって私の『悪役令嬢』としての立ち居振る舞いをお知りになることができたのですか? ──ああ、ひょっとして、私の元婚約者であられた、兄君のルイ殿下からお聞き及びになられたとか?」
「それもありますが、お姉様に関する主な情報については、あなたの秘密ファンクラブの特別会員であられる、女王陛下──つまり私の母から、お姉様たちが何か騒動を起こされるごとに、それは詳細に一時始終を聞き及び、陛下とどもすっかりファンと成り果てているのです」
──私の知らないところで、私の悪役令嬢としての布教活動が、何と王室主導で行われているう!
しかも国の司であられる女王陛下御自らが、率先しておられるなんて。
この国の個人情報の保護の概念は、一体どうなっているんだ。
何だか頭痛すら覚え始めて、とてもこれ以上つき合ってはおられず、どのように穏便にお断りしようかと頭を悩ませていると、
──ここに来て表情を改め、王族らしい威厳と威圧感をかもし出す、王女様。
「貴女があくまで私の申し出を拒まれるおつもりなら、こちらも強硬な手段を執らざるを得ませんが、よろしいのですか?」
「──っ」
それってつまり、王家の強権を発動して、私自身や公爵家に圧力をかけるという意味なの⁉
「例えば、真夜中にお屋敷にお伺いして、呼び鈴を何度も何度も鳴らしたり、量子魔導スマートフォンに、分刻みで『お姉様、愛してます♡』とだけ記されたメールを、大量にお送りしますよ?」
──怖っ!
な、何、この子って、『妹』は『妹』でも、ヤンデレストーカー系自称妹だったわけ⁉
目の前の小公女の思わぬ本性を知らされて、私が愕然と言葉を失っていると、これまで沈黙を守っていた私の専属メイドのメイが、この場を取りなすように口を開いた。
「まあまあ、アル様。せっかく三の姫様からのお申し出なのだから、ここのところは前向きに受けて差し上げましょうよ」
「ちょ、ちょっと、メイ! あなた何を──」
「とは申しても、いきなり初めから『姉妹の契り』を結ぶなどとは、いろいろな意味で厳しい面が多々お有りかと存じますので、まずは『お友達』というところから、始められてはどうでしょう?」
……へ?
王家のお姫様と、お友達になるって。
何そのいきなりの、文字通り身分不相応な、大胆なる代替案は?
そんなの、何だかメンヘラっぽい、三の姫様が了承してくれるわけがないでしょうが?
しかし意外にも、わずかな時間だけ真剣な表情で沈思黙考するや、すぐさまにっこりと微笑まれるお姫様。
「……ええ、私のほうは、それで構いませんわ」
えっ、そうなの⁉ 結構常識的な妥協点ですわね。
「──くふふ、お友達だろうが何だろうが、お姉様とご一緒できる大義名分さえあれば、後はこっちのものですわ♡」
……何だろ、この不安感は。
このお姫様、私の取り巻きグループのリーダー格である、伯爵家のストーカーお嬢様と、何だか同じ匂いがするんですけど。
……やれやれ、いろいろな意味で名高き、王宮名物の三人娘の一角と、思わぬ繋がりを持つことになったりして、本当にこれから、平穏無事にやっていけるのかしら。
前途多難な未来がたやすく予見できて、無自覚に深々とため息をつく。
時を移さずに、その不安が現実のものになるとは、思いも寄らずに。