第五十六話、わたくし、もう誰も、信じられませんの。
「──女王陛下、お茶のおかわりはいかがですか?」
いつもと変わらぬ笑顔で、私に向かって伺いを立てる、女王専属のメイド長。
そう。ここはホワンロン王国王都の中央にそびえ立つ、王城スノウホワイトの最奥部に存在している、私ことホワンロン王国現女王、シラユキ=ホワンロンのプライベートルームであった。
いつもの面々に、いつもの会話。
そんないつもの午後のひとときに、芳醇なる紅茶の香りが匂い立つ。
一見すべてが、これまで通りのようであった。
──しかしその実、今やすべてが変わり果ててしまっていたのだ。
なぜなら、もはや私たちの関係はけして、『女王陛下とそれにかしずくメイドたち』なぞではなく、『虜囚とその監視者』となってしまっていたのだから。
「……ふうん、私のことをいまだに、『女王』って呼んでくれるんだ?」
いかにも皮肉っぽく問いかけた私に対して、そのベテランのメイドは、仮面のような笑顔を微塵も揺るがすことはなかった。
「もちろんでございます。何せあなた様は依然紛う方なく、このホワンロン王国の女王陛下であらせられるのですから」
「謀反人の地方貴族どもが無血入城とはいえ、完全にこの王城を支配下に置いて、私をこのような軟禁状態にしているくせに?」
「あの方たちだって、王政を廃止するおつもりも、今すぐあなた様を廃位させるおつもりも、無いのでございます。ゆくゆくは新たなる王の下緩やかな王制を布き、事実上の共和制を打ち立てることこそを、最終的な目標となされているのです」
「へえ、こんな『籠の鳥』の状態とはいえ、一応今のところ私のことは、女王として遇してくれるわけなの?」
「ええ、我々に対しても、これまで通りに、何でもお申しつけください」
「じゃあ、聞きたいことが一つ、あるんだけど?」
「何なりと」
「いつから、なの?」
「は? いつとは……」
「あなたを始めとするメイドたちがいつ、薄汚い『ゲンダイニッポン』からの『転生者』どもと入れ替わって、笑顔で私に仕えながら、内心では虎視眈々と、私を玉座から引きずり下ろすことを狙っていたのかって、聞いているのよ?」
その質問──と言うよりも『詰問』を突き付けられるや、一斉に笑みを消し去り、これまで見たこともない能面のごとき無表情となる、メイドたち。
「いつからと言われましても、人それぞれとしか、お答えしようがございません」
「ほう?」
「それこそ生まれ落ちた時からすでに、『ゲンダイニッポン人』としての『記憶や知識』を持った者もいれば、この私のように、つい先日『目覚めた』者もいますので」
「ふん、まさに『ゲンダイニッポン』のWeb小説そのままに、すべては『作者』のさじ加減ってわけなの? 御都合主義もいいところよね。──しかし、納得したわ。一緒に城からの脱出をはかっていた、一番信頼の置けるメイド長が、いきなりあらぬ事を叫びだして、敵に居場所を知らせるものだから、びっくり仰天よ」
「その節は、大変失礼いたしました」
「つまり、あなたたちには最初から、『反乱分子としての記憶や知識』がインストールされているってわけね。ほんと、最近のWeb小説ときたら、少しは整合性というものを、考慮してもらいたいものだわ」
「生憎私は『一登場人物』ゆえに、そのような難しいことを言われても、困りまする」
「悪い悪い、そうだったわね。──それでは、お手並み拝見とまいりますか。わざわざ他人様の物語に割り込んできた、礼儀知らずのWeb作家──『外なる神』の皆さんの」
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「──はあはあはあはあはあはあ」
生まれも育ちも王都とはいえ、一度も足を踏み入れたことの無かった、スラム街の迷路のような路地裏を走り続けているうちに、普段の運動不足がてきめんに徒となり、今やあえぐかのように息を切らせてしまっていた。
「お嬢様、しっかり! 後もう少しで、私以外誰も知らない、秘密のアジトにたどり着きます!」
こちらの腕を力強く引っ張りながら先導してくれている、専属メイドのメイであったが、もはや足手まといでしかない私のほうは、とうに体力の限界を迎えていた。
「きゃっ!」
「お嬢様⁉」
とうとう足をもつれさせて、石畳へと倒れ込み、全身をしたたかに打ち付けてしまう。
「……痛っ」
「大丈夫ですか、お嬢様⁉」
その場にうずくまる私をすかさず抱きかかえるメイであったが、もはや顔を上げる気力すらも残っていなかった。
──私こと、アルテミス=ツクヨミ=セレルーナ。年齢、10歳。性別、女。
ホワンロン王国筆頭公爵家令嬢であり、最高学府とも謳われる王立量子魔術学院高等部一年生。
しかし今やそんな肩書きは、何の意味も為していなかった。
「……もう、嫌」
堪らず唇からこぼれ落ちる、本心から言の葉。
「もう、たくさんですわ!」
「お、お嬢様⁉」
心配そうにこちらを覗き込む、誰よりも厚い忠義を誇る侍女であったが、もはやあふれ出る言葉を押しとどめることはできなかった。
「どうして私の周りの人たちが次々と、いきなり人が変わったようになってしまうの? さっきまで一緒に逃げ回っていた、長年一緒に暮らしてきた、公爵家専属の執事さんやメイドさんが、急に襲いかかってきたりして! しかもお屋敷から抜け出して街中に逃げ込んでみれば、今度は立ち寄った店の店員や街行く人たちが、いきなり追いかけてきたりして! 一体何がどうなっているのですの⁉」
──そう、一言で言えば、何ら代わり映えしなかった日常空間が、いきなり悪夢に変わり果ててしまったようだった。
……そもそもの発端は、今回の謀反を主導した某貴族の使者が公爵家を訪れた際に、何と使用人に手引きした者がいて、まんまと私の自室まで押し入り、無理やり連れ出そうとしたことに始まり、当然最初のうちは家族はもちろん使用人のほとんどは、私のことを守ろうとした。
しかしそのうち使用人が次々と、私を捕まえるほうに回っていき、依然私を守ろうとする使用人との間で、小競り合いが起こってしまったのだ。
しばらくの間は双方の勢力が拮抗し、膠着状態が続いていたのだが、ある人物が文字通り『豹変』した途端、一気に形勢が傾いてしまった。
それも至極当然のことで、何せ他ならぬ公爵家現当主であるお父様その人が、いきなり娘である私を取り押さえるよう、家臣や使用人たちに命じたのだから。
──その瞬間、自分の足下が崩れ去ったかのような、錯覚を覚えた。
ただ呆然と立ちつくす私をよそに、特に父に忠節を誓う使用人たちが大勢、反乱貴族側に寝返ってしまう。
もはやこれまでかと思われたが、専属メイドのメイを始めとする私に近しい使用人たちが、完全に不利な状況となった屋敷からの脱出をはかり、少なからぬ犠牲者を出しつつも、どうにか街中に逃れることを成し遂げた。
もちろん反乱貴族や父の手の者も追ってきたが、より恐怖だったのが、街中の見ず知らずの人たちはもとより、さっきまで仲間であったはずの使用人たちが、次々に豹変して、私に襲いかかってきたことであった。
「──もう、誰も信じられないの! いくら逃げ回ろうが、どこに隠れようが、無駄だわ! だって、どこにいようと、誰といようと、結局すべてが私の敵になってしまうのだから!」
スラム街の路地裏の石畳にうずくまったままで、悲鳴のような言葉をたたきつける。
……転んだ時の怪我の痛みもあり、もはや立ち上がる気力は無かった。
──もう、いい。もう、たくさんだ。
逃げ回るのにも、文字通り心身共に、疲れ果ててしまった。
もう私なんて──父親にすら裏切られた、惨めな公爵令嬢なんて、どうなってもいいんだ。
「──いけません、あきらめてしまっては」
その刹那、であった。
すぐ間近でささやかれた言葉とともに、優しく温かいに抱擁に包み込まれた。
思わず仰ぎ見れば、こちらを見つめている、慈しみにあふれた瞳。
「……メイ」
「女王陛下もおっしゃっていたではないですか、『悪役令嬢が、己の運命と闘うのをやめることなぞ、けして赦されない』と」
「──っ」
そうだ。
私はもはや、公爵令嬢でも、名門学院の学生でも、なくなってしまったかも知れないけれど、自分自身が矜持を持ち続ける限りは、『悪役令嬢』であり続けられるのだ。
常に『悪』としてのプライドを持ち、誰よりも強くあろうと心して、たとえ世界そのものを敵に回そうとも、闘い続ける運命を背負いし、真の『ヒロイン』。
「──それに、たとえ世界中の誰もが、お嬢様の敵に回ろうとも、この私だけは、最後までお味方として、お側に侍らせていただきます!」
目の前に見えるのは、並々なる決意に満ちた、可憐な小顔。
しかし私は、その言葉を、素直に受け取ることはできなかった。
「最後まで味方でいてくれるなんて、信じられないわ! だって、他の使用人たちだけでなく、お父様ですら、私のことを捕まえようとなされたのよ⁉」
「それは『ゲンダイニッポン』からの、薄汚き『転生者』に乗っ取られてしまわれただけなのです。旦那様は本当は誰よりも、お嬢様のお味方であられるのです」
「だったらあなただって、いつ『転生者』に乗っ取られてしまうか、わかったものではないじゃない⁉」
その瞬間、私の両肩が、力強く握りしめられた。
「──っ」
「いいえ、けしてそのようなことは、あり得ません」
え?
「だって──」
だって?
「そもそもこの世界そのものが、私がお嬢様のためだけに創り出した、『物語』であり、また同時に『牢獄』であるのですから、言わば私は最初から、お嬢様のことを捕まえているのであり、これ以上捕まえたり拘束したりする、必要なぞは無いのです」
………………………………は?
「な、何ですのその、『物語』とか『牢獄』とか言うのは⁉」
いきなり登場してきた、現下の悲惨極まる状況よりも更に、不穏で意味不明な言葉の羅列に、堪らず問いただそうとした、まさにその時。
「──いたぞ、こっちだ!」
唐突に路地裏に響き渡る、男の怒号。
それを合図にすべての方角から殺到してくる、反乱貴族や公爵家の執事やメイドたち。
「探しましたよ、お嬢様」
「さあ、大人しく、一緒に来られてください」
「ご心配には、及びません」
「我々新共和国政府は、『過去詠みの巫女姫』様を害するつもりなぞ、一切ございませんので」
そう言うや、いかにもにこやかな笑みを浮かべて、こちらへと迫ってくる、貴族や使用人たち。
「──くっ、かくなる上は!」
私を庇いながら、メイド服のポケットから量子魔導スマートフォンを取り出し、画面に何事か書き込むメイ。
──ついに、伝家の宝刀を、抜いたのね!
一体どういった『固有能力』か、知らないけれど、メイがこれをやれば、必ず『転生者』を打ち払い、人々を我に返すことができるのよね。
「……あ、あれ?」
しかしいつまでも経っても、いつもの効果は現れず、『転生者』たちが、すぐ間近まで迫ってくる。
「──無駄だよ、今回に限っては、『内なる神』の力は、何の役にも立たないんだから」
まさにその最中に鳴り響く、涼やかなる声。
思わずその場の全員が振り向けば、そこには一人の少年がたたずんでいた。
月の雫のごとき銀白色の髪の毛に縁取られた、あたかも人形そのままの中性的で端整な小顔に、王立量子魔術学院の夏制服に包み込まれた、男性にしては小柄で華奢なる肢体。
そして、いかにも不敵な笑みを浮かべている、月長石のごとき、青の瞳。
「……マリオ、様?」
そうそれは、王立量子魔術学院における同級生であり、古の救国の巫女姫の生まれ変わりとも噂されている、聖レーン教団枢機卿猊下のご子息、マリオ=ネット=ワタツミ様であったのだ。
「いくら量子魔導ネット上の、自作の記述を書き換えても、何の意味も無いんだ。何せ、反乱貴族を始めとする『転生者』たちは、あなたとはまた別の『作者』たち──つまりは、『外なる神』たちの手による、別の物語の『登場人物』なのだからね」




