第五話、わたくし、転生者に身体を乗っ取られてしまいましたの⁉(前編)
『──あなた、ゲームの世界の中に、転生したいとは思わない?』
……魔が差してしまったとしか、思えなかった。
ゲーム中に突然スマートフォンの画面へと割り込んできた、ゴスロリドレス姿をした十二、三歳ほどの得体の知れない少女の、頭のネジが外れているとしか思えない申し出を受けてしまうなんて。
それでもその時の私は、何もかもから逃げてしまいたいほど、心が弱っていたのである。
三十歳を目前にして、恋人の一人もおらず、勤めている会社は完全にブラックで、女性といえどもほとんど休日も与えられず、サービス残業ばかりで。
唯一の楽しみが、乙女ゲーのキャラを攻略していくことといった、寂しい毎日。
だから、抗えなかったのである。
この世におけるすべての異世界転生や異世界転移を司るという、『なろうの女神』を自称するいかにもうさんくさいゴスロリ少女からの、まさに当の、配信元や運営を始めすべてが謎に包まれている、大人気乙女ゲー『わたくし、悪役令嬢ですの!』において一番のお気に入りの、本来プレイヤーの分身である『ヒロイン』キャラにとって最大の敵役であるはずの、『悪役令嬢』その人である、アルテミス=ツクヨミ=セレルーナに転生させてやるという、常軌を逸した、女神と言うよりはむしろ悪魔の誘惑を。
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「……一体どうなさったのです、アル様?」
「へ? アルって………………あっ、アルテミス様の愛称か⁉ な、何です、メイさん──いえ、メイ! 今私は、『わたくし、悪役令嬢ですの!』のシナリオを思い出すのに──じゃなかった、明日の授業の予習をするのに忙しいのですよ!」
自分の専属従者であるらしい、黒絹のおかっぱ頭も可愛らしい美少女メイドさんから、いきなりこの世界における名前を愛称で呼ばれて、最初誰のことかわからなくてあたふたしてしまったものの、何とかごまかせたと思った──のだが、
「いやだから、ご自分のお名前に様を付けたり、普段はめったにすることのない学院の授業の準備をしたりして、どういう風の吹き回しなんですか? それにあなたが悪役令嬢であることなんて、わざわざ言わなくてもみんな知っていますよ。何ですか、シナリオって。本当に大丈夫なんですかあ?」
当然のごとく、ごまかせたりは、できるはずはなかった。
──くっ、仕方ない。ここは奥手を、使わざるを得ないようだ。
「──メイ!」
「ふえっ⁉」
「あなたは主であるこの私の言うことが、聞けないとでも言うつもりなのですか? 筆頭公爵令嬢にして悪役令嬢たる私が、忙しいと言えば忙しいのであり、授業の予習が必要と言えば、必要なのです!」
『困った時こそ、泣く子も更に大号泣する、悪役令嬢』──ということで、なんかそのままで安直なんだけど、ゲームをやり込むことで培った、これぞ、アルテミスのタカビー極まる口調と立ち居振る舞いを最大限にアピールして、何かまずいことがあれば無理やり周囲の人たちを黙らせてうやむやにするといった、まさしく『月の女神=無慈悲な夜の女王様』キャラでなければ使えない荒技であった。
……いや、こうも何度も何度も使い続けていると、そのうちボロが出かねないけどね。
一応今のところは、現在お昼時の王立量子魔術学院のカフェラウンジに一堂に会している、まさしく『わたくし、悪役令嬢ですの!』のメインキャラクターたちにおいては、アルテミス一派の指定席テーブル席ですぐ隣に座っているメイを始め、取り巻きの方々や、アルテミスにとっての最大の恋敵にしてこのゲーム世界の『ヒロイン』に、攻略対象キャラである第一王子を始めとする男性陣等のお歴々が、口をあんぐりと開けて、完全に私の啖呵に圧倒されているようであったが……。
「「「──す、素晴らしい! それでこそ、我らの悪役令嬢だ!!!」」」
………………………は?
「自分が正しかろうが、間違っていようが、とにかく恫喝そのままの大声を張り上げて、相手を黙らせる!」
「つうか、あくまでも『正しいのは常に、この私なの!』という、ジャイ○ン主義!」
「これぞ、アルテミス・クオリティ!」
「──いやあ、心配しましよ〜」
「最近のアル様ったら、どこか変でしたものね!」
──ギクッ!
「なんか、やけにおどおどされたりして」
「たまに、私たちに向かって、敬語を使ったりして」
「王子である俺に対して畏まった態度を見せた時なんて、頭の調子を疑ったくらいだぜ」
……いや、むしろそのほうが、当然なのでは?
「ほんと、一体あの傍若無人なお嬢様が、どうしたものかと思ったよね」
「私なんか、得意の『ゲンダイニッポン』からの、転移だか転生だかを疑ったくらいだもん」
──ギクギクッ!
「でも、さっきの様子を見て、安心したぜ!」
「うんうん、アル様は、ああでなくっちゃ!」
「お嬢様のご様子がおかしかったら、こっちの調子も狂ってしまいますからね」
「「「言えてる、言えてる」」」
そして朗らかな笑声に包み込まれる、ラウンジの一角。
……何なのよ、一体。
何で、専属メイドや取り巻き連中だけでなく、攻略対象のイケメン陣はもとより、ライバルのヒロインキャラまでもが、全員こぞってアルテミスに好意的なのよ?
しかもアルテミス自身も、周りの反応や評価からして、やんごとなき公爵令嬢らしからぬ、何だか突拍子もない性格のようだし。
──ここって本当に、私がこれまで『ゲンダイニッポン』において散々やり込んでいた、正統派乙女ゲーム、『わたくし、悪役令嬢ですの!』の世界なの⁉
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──つまり、あの自称『なろうの女神』なる、怪しげなゴスロリ少女の言っていたことは、本当だったのだ。
それまでは確かに現代日本の品川区のアパートにいたはずなのに、つい魔が差して女神を名乗る少女の申し出に応じた瞬間に、しがないブラック企業のアラサーOLだった私は、人気乙女ゲー『わたくし、悪役令嬢ですの!』にそっくりな世界の、やんごとなき公爵令嬢にして、ゲームの中では『悪役令嬢』なる文字通りの悪名をほしいままにしていた、アルテミス=ツクヨミ=セレルーナとして、いわゆる異世界転生してしまったのだ。
……いや、実のところこの奇妙なる現象が、果たして異世界転生なのか、異世界転移なのか、はたまたゲームの世界へのダイブなのかは、甚だ微妙なところであった。
それというのも、気がつけばこの世界にいただけではなく、何とゲーム内と同じ年齢のアルテミスとなってしまっていたのである。
日本人のアラサーOLのままでないことから、異世界転移ではないのは明らかだが、かといって異世界転生についても、原則的にはアルテミスが生まれた瞬間に転生──すなわち生まれ変わるはずなのであって、やはり今回の状況とはそぐわず、残るはそのものズバリの、ゲームの世界へのダイブなのかってことになるものの、そもそも「ゲームの世界へのダイブって、何なのよ?」てな(ある意味哲学的な)話になってくるわけで、完全にゲームの世界であったなら、すべての人間があたかもあらかじめプログラミングされているかのような言動しかとれなくなり、それこそゲームそのままに、目の前にいきなり『選択肢』が現れたり、自分や他人の『ステータス』を確認できたりといった、(実際に数多くのWeb小説においてよく見受けられる)非現実的な現象が当然のように起こってもおかしくはないのだが、そのようなことはまったくなく、あえて言うなら「ゲームみたいな異世界にダイブしてしまった」というところだが、「それは異世界転移とどう違うんだ?」といった話になってくるので、まあ、折衷案としては、「ゲームのような異世界の中で、『悪役令嬢』に該当する人物に、魂だけが憑依してしまって、その身体を乗っ取ってしまった」といったところが、妥当な線であろう。
……いや、実のところは、現在の自分の置かれている状況が、異世界転生だろうが、異世界転移だろうが、ゲームの世界へのダイブであろうが、どうでも良かったのだ。
なぜなら、何とこの世界が、人気乙女ゲー『わたくし、悪役令嬢ですの!』と似ているようで微妙に異なるといった、非常に頭の痛い問題に、直面していたのだから。
私が知っている、『わたくし、悪役令嬢ですの!』の世界は、本来なら以下の通りである。
プレイヤーの操作する『ヒロイン』が、国王や宰相や大将軍や枢機卿のご子息等々の、やんごとなきイケメン男子である攻略対象をオトしていくわけだが、それぞれのルートで必ず邪魔してくる最大のライバルキャラである『悪役令嬢』アルテミス=ツクヨミ=セレルーナに対して、その悪行の証拠を掴み法廷でダン○ンロンパして、そのルートにおける攻略キャラとの婚約を破棄させた後に国外に追放して、晴れてめでたしめでたしのハッピーエンドを迎えるというのが大きな流れであった。
……そうなのである、実は『わたくし、悪役令嬢ですの!』は純然たる乙女ゲーというわけではなく、謎解きや法廷ものといった要素もあって、どちらかと言うとアドベンチャーゲームとしての色合いが強かった。
しかし私が実際に転移してしまったこの世界は、謎解きや裁判どころか、乙女ゲー的要素すらも皆無であったのだ。
日々何かしら騒動が起こるところは、いかにもゲームやWeb小説的ではあるが、肝心の色恋沙汰に関してはまったくお盛んではなく、『ヒロイン』に該当する女の子も、第一王子を始めとする『攻略キャラ』たちも、その他の学生たちや彼らの実家に連なる貴族や使用人たちも、傍目ではいかにも馬鹿馬鹿しい大騒ぎを、みんなで仲良く繰り広げていくばかりであった。
そしてそんな彼らの中心人物こそが、本来なら『悪役令嬢』という文字通りの『敵役』であるはずの、アルテミス=ツクヨミ=セレルーナ嬢であったのだ。
何だかこの世界の人たちって、アルテミスが『悪役令嬢』らしく振る舞うことを、いつ何時も求め続けていて、彼女が突飛な言動を行うことによって大騒動が起こり大変な目に遭っているというのに、誰一人とて怒ったり反省を促そうとする者なぞおらず、むしろより高飛車な言動をすることを望んでいるといった有り様であった。
これが十把一絡げのWeb小説あたりだったら、『悪役令嬢』なんかに転生してしまった暁には、将来の破滅ルートを回避するために、高飛車な態度を控えて、真人間となり、『ヒロイン』や『攻略キャラ』に対する、人間関係を改善していくところであろうが、そもそもそんな彼らこそが、アルテミスが高飛車な『悪役令嬢』であることを望んでいるものだから、もはやお手上げ状態であった。
こちとら現代日本の平々凡々とした、それこそ十把一絡げのアラサーOLなのである。やんごとなき『王侯貴族の求める悪役令嬢』像なんて、わかるはずがないだろうが⁉
せめて現実の出来事の展開が、『わたくし、悪役令嬢ですの!』のシナリオ通りに進んでいるのなら、いろいろとやり様があったかも知れないが、完全にアドリブで公爵令嬢としての立ち居振る舞いを演じることなぞ、到底不可能であろう。
そのようなわけで、いつ転生者であることがばれてしまうのかと、日々戦々恐々としていたところ──
まったく予想だにしていなかった人物から、思わぬ助力を得ることになったのであった。