第四十七話、わたくし、百合を表す『S』とは『シスター』であることを、今回初めて知りましたの。
「──テレーズ司祭、お待ちになってください!」
戦禍の跡も生々しい聖都ユニセクス郊外の牧歌的田園地帯に設けられた、聖レーン転生教団最大規模の修道院に間借りしている、臨時教皇庁の中庭の昼下がり。
昼食後の散策中に突然呼び止められて振り向けば、そこには清楚な三十代半ばの美女が、清廉な尼僧服をまとってたたずんでいた。
「……これは、ミフネ司教様、何用でございますか?」
実のところ、用件については心当たりがあるものの、わざとつっけんどんに言えば、かぁっと顔を赤らめて、もじもじしながら言葉を重ねる、年上の上司。
「あ、あの、今晩も司祭のお部屋にお伺いしても、よろしいでしょうか?」
ほんの先日までは鼻もひっかけなかった、かつての地味で根暗な落ちこぼれ司祭の私に向かって、まるで母親か教師に対するように──否、『愛しきお姉様』に対するかのように、おずおずと尋ねてくる、教団屈指の敬虔なる聖職者。
いつもは毅然とした大人の女性が、あたかも母親におねだりをする幼子みたいな上目遣いをするのを見ているうちに、身の内に潜む『蜘蛛』ならではの嗜虐心が頭をもたげてきて、どのように焦らしてやろうかと思っていたところ、
「──ちょっと、何を言ってるのよ、オバサン。今夜司祭様は、この私のお部屋にお越しになるんですからね⁉」
唐突に中庭に鳴り響く、甲高い幼き声。
そこにはまるで絵本の中のお姫様そのままの、金髪碧眼の可憐な少女が、こちらも当然のごとく十代前半の華奢な肢体に尼僧服をまとって、仁王立ちしていた。
「──っ。な、何ですか、シスター・マチルダ⁉ いくら枢機卿のご息女とはいえ、司教である私に向かって、『オバサン』などとは、無礼にもほどがあるでしょうが!」
堪らず顔を紅潮させ声を荒げる上級シスターであったが、まったく動じることのない新入りシスター。
「そうおっしゃるのなら、尊敬に値する行動をなさっては、どうですの? あ〜あ、いい年して色気づいて、みっともないったらありゃしない」
「──な、何と言うことを⁉ 今すぐ訂正しなさい! このままでは、ただでは済ませませんよ!」
「はっ、ロートル司教ごときが、何ができると言うのよ?」
今にもつかみ合いのケンカでも始めそうな、二人の修道女。
それはそれで見物であろうが、私としては、より楽しめる道を選ぶことにした。
「──まあまあ、お二方とも、私ごときのために、そんなにいがみ合わずに。どうせならいっそのこと今夜は、三人で愉しむというのは、いかがでしょう?」
「「えっ?」」
一瞬、何を言われたかわからずに、呆けた表情となるものの、
──すぐに、何か思い当たったのか、顔を真っ赤に染め上げるお二方。
「さ、三人、って……」
「そ、そのようなことが、可能なのですか?」
「ええ、この前初めて体験いたしましたが、とても楽しゅうございましたよ?」
「──こ、この前、体験されたって⁉」
「司祭は、私たち以外にも、つき合われている方が、おられたのですか⁉」
「おや、ご存じではありませんでしたか? だったらそのうちご紹介いたしましょうか? 五人一緒というのも、なかなか面白そうですしね♡」
「「──ご、五人、一緒にい⁉」」
「まあ、最初から五人同時は、ご無理でしょうから、やはり一度、三人で試して御覧になります?」
「えっ? ……ええ、まあ」
「お、お二人が、よろしければ」
ふふっ、さっきまでは、私を独り占めしたくて、いがみ合っていたくせに、もっと『快楽』が得られそうだとわかった途端、臆面もなく手のひらを返して。
しょせん、修道女と言ったところで、ただの雌豚でしかないのよね。
──それでこそ、我が『糧食』に、ふさわしい。
「で、では、司祭、夜にお伺いいたします」
「楽しみにしておりますので、どうぞよしなに」
「──ごきげんよう、お二方とも。こちらこそ、楽しみしておりますわ」
あたかもスキップでもし始めそうな軽やかな歩調で立ち去っていく二人を笑顔で見送っていれば、唐突に横合いからかけられる、すっかり耳馴染みの声。
「──いやあ、相変わらず、お盛んですなあ、頼もしい限りですよ」
「……カイテル司教」
いつから見ていたのか、この中庭で一番大きな桜の樹木の背後から姿を現したのは、聖職者のお仕着せのカソックの上にくたびれた白衣を羽織り、ボサボサの長髪に縁取られた彫りの深い端整な顔に瓶底眼鏡をかけた、いかにも聖職者にあるまじきだらけた身だしなみをした、一人の男性であった。
──アルベルト=フォン=カイテル司教。
今やすっかり瓦礫の山と化した、世界宗教聖レーン転生教団総本山聖都ユニセクスの、かつての教皇庁跡地の地下最深部に極秘に設置されている、『881374最終計画研究所』における、チーフ研究員にして、実質上の最高責任者。
「教団きっての敬虔なシスターだったミフネ司教や、生粋の名家のお嬢様のシスター・マチルダを、ああも骨抜きにしてしまうとは、もはや完全にあなたに首ったけではないですか?」
「……いえ、これもすべては、私の中の、『蜘蛛』の力に過ぎません」
いかにも謙虚な物言いをしてみるが、司教様にはさぞや私のことが、妖艶に勝ち誇っているように見えていることだろう。
無理もなかった。
上司の美人司教からも、後輩の可憐なお嬢様からも、まったく相手にされることなく単なる嘲りの対象だった、引っ込み思案で自分自身にまったく自信を持てない、気弱で根暗な『テレーズ司祭』なぞ、もうどこにないのだ。
──まさに今ここにいるのは、もはや身も心も完全に異界の人外に乗っ取られた、『蜘蛛女のテレサ』なのである。
「いえいえ、ご謙遜なさらずとも。『異世界転生』と言っても実のところは、『集合的無意識』を通じて他の世界の人間や動植物や魔物等の記憶や知識のみを、己の脳みそにインストールするだけのことで、別にあなたは本当に『ゲンダイニッポン』の蜘蛛に乗っ取られているわけではなく、その人ならざる記憶と知識に触れることで刺激を受けて、あなたの中に隠し持っていた別の性格のあなた──言わば『本物のあなた』が、目覚めただけでしかないのですよ」
「……えっ、これが、この私こそが、『本物の私』、ですって?」
こんな以前の私とは、何もかもが正反対の『私』が、本当に?
──しかし、その意外なる言葉に対して、心のどこかで納得しているのも、紛う方なき事実であったのだ。
私は、以前の私のことが、心底嫌いだった。
そんな私なんか捨て去って、身も心も完全に変わりたがっていた。
まさにその、本来は見果てぬ願望が、異界の蜘蛛の人にあらざる『欲望』に触発されることで、本当の自分の『欲望』が目覚めさせられたと言われれば、けして否定することなぞできないであろう。
──そうだ、この、『自分のことを蔑んできた、すべての人間を喰らい尽くして、己の奴隷にする』ことこそ、私自身がこれまでずっと秘め続けてきた、本当の『欲望』なのだ!
「……ふふふ、いい面構えになってきましたね、それでこそ『蜘蛛』にふさわしい」
「──司教様、お戯れは結構です。それよりも、何か私にご用がお有りでは?」
「おお、そうでした、お喜びを。やっとあなたの『派遣先』が、決定いたしましたよ」
「まあ、それは!」
──そうか、いよいよ我らが『なろう教』の絶対教義である『異世界転生』に徒なす、異端者『過去詠みの巫女姫』を始めとするホワンロン王国に、鉄槌を下す時が来たのか!
面白い。
究極の『両刀遣い』である、我が『蜘蛛女の口づけ』の力を、存分に見せてやる!
「……それで、私が赴くのは、ホワンロン王宮でしょうか? それとも巫女姫を始め王子王女たちが学んでいる、王立量子魔術学院でしょうか?」
心逸るままに問いかける私に対して、にんまりとどこか邪悪な笑みを浮かべながら、
──まったく予想外の、とんでもないことを言い出す、目の前の研究狂の聖職者。
「残念ながら、あなたに異端者どもに対する『教宣司祭』として赴任していただくのは、王宮でも学院でもなく、ホワンロン王国が誇るジェット戦闘機部隊においても、強者中の強者が集う、かの高名なる第44戦闘中隊、『JV44ガランド』なのですよ」
………………………………………………は?