第1965話、わたくし、「中国が香港を併呑したのでは無く、香港が中国を呑み込んだのだ」と思いますの★
──ここは北京某所に設けられた、共産党最上位幹部のみに許された、超高級秘密クラブ。
まさに現国家主席その人が、ウェイター一同に恭しく出迎えられて、店内に足を一歩踏み入れた途端、
思わぬ旧知の人物を、見つけたのであった。
「……ツクヨミか、随分と久しいな」
「おや、『チー坊や』ではないですか? これはまた、随分と老けたものですね」
「一体何十年ぶりと思っているんだ? そっちこそ、相も変わらず10歳前後の幼女のままで、本当に『妖怪』か何かじゃないだろうな?」
「失敬な。何度も何度も申しているように、この世界と私の世界とでは、時間の流れが完全に独立しており、異界の悪役令嬢である私は明日にでも、『文化大革命』時代のこの国に行くことだってできるのですよ?」
「……ああ、そういや君は、周恩来同志の『お気に入り』だったな」
「逆です、周が『私のお気に入り』だったのですよ。彼のために、散々『お告げ』を授けてやったものです。年々手がつけられなくなる『毛』の暴走を、必死こいて抑えようとしている彼が、あまりにも不憫でしたからね」
「すべての未来を視通せる、『過去詠みの巫女姫』のお告げか。さぞかし霊験あらたかなのだろうな。──それこそ、一国の運命をねじ曲げかねないほどに」
「……いろんな未来が視え過ぎるからこそ、失敗することだって有るのですよ。この国の指導者に与えた最後の『お告げ』は、『鄧』に対する、『あなたの「改革開放路線」はけして間違いでは無いから、国内外から何を言われようとも、己の志を貫きなさい。そうすれば中国14億の人民の誰もが、豊かで幸せな生活を手に入れられるでしょう』と言うものですが、今となっては正しかったかどうか、自信が無くなりましたわ」
「──ッ」
「確かに現在の中国において、人民全員が最低限の経済的かつ文化的生活を享受でき、けして少ない数では無い『資産家』を生み出せたのは、鄧以来現在に至る国家指導者の方々の努力のたまものであることは、否定しませんけどね」
「……一体、何が言いたい?」
「一応、伺いますけど、あなたは台湾への『武力行使』を、いまだ諦めてはいないのですよね?」
「──結局君も、『それ』かよ⁉ たとえ異界の存在とはいえ、我が国の『悲願』に対する内政干渉は、厳に慎んでいただこう!」
「……ああ、言い方が悪かったですわね、私が危惧しているのはむしろ、『香港』のほうなのですよ」
「おい、今度は『一国二制度』についての、イチャモンか? 別に我が国は、約束を違えてはいないぞ? ちゃんと香港の独自性を一定程度認めて、経済的にも発展し続けているではないか? 我々はけして香港を、やみくもに一体化して、そのせっかくの独自性を阻害して、『金の卵を産む鵞鳥』をくびり殺そうとはしておらん! あくまでも、一部の不届きな『反国家的急進派』による、『行き過ぎた民主化』を規制しているだけだ!」
「……やはりあなたは、『気づいていない』のですね」
「…………へ?」
「確かにあなたの言い分は、ある程度理解できます。『行き過ぎた民主化』なんて、場合によっては国家の安定を揺るがす、『毒』でしか無い場合もあるでしょう。──事実私は、あの『天安門事件』の際に、まさに先程述べた言葉によって、当時の国家指導者であった鄧を、『あなたは間違っていないのだ』と勇気づけすらしました。むしろ彼の『改革開放路線』こそ、いずれ自然に『民主化』へと進んでいくと信じられましたし、当時でさえ共産主義政権とは思えないほど、人民に『自由』を与えようとしていましたからね」
「──だ、だったら!」
「……けれども残念なことに、最近になって、『あれは間違いだったのでは』と、思うようになったのですよ」
「──なっ⁉」
「すべての未来が視えると言うことは、『相反する』未来も視えると言うことなのです。確かにかの『天安門事件』の際に民主派の意見を受け容れていたら、中国の民主化が飛躍的に推進され、人民にとってより住みやすい社会になった未来も確かにございました。──しかしこの『パターン』においてはすべて、鄧の政策が信用失墜してしまい、経済的発展が阻害され、国家的に没落する可能性が大きかったので、できるだけリスクを避けるためにも、『過激派の武力鎮圧もやむなし』と言う結論に至ったのです」
「……つまり、それが『間違いだった』と、言いたいわけなのか?」
「ええ、まさか『経済的発展』を強力に後押しするものと思われていた、『香港返還』が、あのような『裏目』に出るとは、この『予言の巫女』にも見抜けませんでした」
「だから、現在の我が国の『香港施政』の、何が悪いと言うんだ⁉ 経済活動は自由にやらせているし、住民も本土に比べれば『特別扱い』と言ってもいい程の好待遇だし、今ではむしろ本土においての『香港流』の経済活動すらも、推奨しているほどなんだぞ!」
「それです、それこそが、すべての『元凶』だったのですよ!」
「な、何だと?」
「……まだ、気づかれないのですか?」
「だから一体、『何』にだよ⁉」
「あなた方中国が香港を併呑したのでは無く、中国のほうが香港に呑み込まれてしまったことですよ」
「………………………………はあ?」
「えっ、まさか本当に、全然気づいていなかったの⁉」
「──いやいやいや、何言い出してるの⁉ 世界中の誰がどう見ても、我が中華人民共和国が、かつてイギリス領だった香港を、世界中の承認の下に、『吸収合併』したのだろうが⁉」
「そう、『見かけ上』は、ね」
「え」
「現在の中国の有り様を、ようく顧みてご覧なさい。人民の誰もが金儲けに走り、そのためには他人を蹴落とそうが平気で、特に日本人を始めとする外国人に対しては、主食の米や薬品等の生命に関わる生活必需品までもターゲットにした『買い占め』や『転売』による、あまりにも非人道的な暴利を貪っていると言った体たらく。そして社会全体にそのうような、かつては侮蔑の対象だった『西側退廃文化』顔負けの、堕落した雰囲気が蔓延した結果、当然のように人心は乱れ、最近では何の罪も無い小学生等の幼い子供たちが、国籍を問わずに暴漢に襲われて大勢死傷すると言った始末。──一体あの、貧しくとも高潔で規律を重んじ、すべての人民が平等に未来に希望を抱いていた、かつての中華人民共和国は、一体どこに行ってしまったのですか⁉ まさにこの国の大躍進のためにその生涯を捧げた、毛同志や周同志や鄧同志が、草葉の陰で泣いていますよ!」
「──‼」
「……それだけ、『資本主義』──否、『金儲け主義』の急先鋒だった香港は、『魅惑的な毒』そのものだったのですよ。まるで今の中国は、かつての香港の『黒社会』に支配されているみたいではありませんか? この上更に、『中国最後の資本主義』を標榜する台湾まで加えたら、もはや中国は『共産主義』の看板を下ろさざるを得ないほど変質してしまうことでしょう」
「ちょっと待ってくれ! そんなことになってしまったら──」
「ええ、『紅の路線』の方々が、もはや黙ってはおられませんでしょうね。近々党内で大規模な『政変』…………と言うか、『粛正』が行われて、あなた方『専の路線』の最高幹部たちは全員追放されて、純粋なる共産主義への回帰が行われ、中国全土において、かつて無いほどの大規模な、『綱紀粛正』がはかられることでしょう」
「そ、そこまでの話なのか⁉ だとしたら、これからの我が国は──」
「おそらくは、現在の経済至上主義は抑制され、人民の自由や民主化も大幅に制限されて、まるで『文革』時並みの、統制社会に後戻りすることでしょう」
「……そうか、君はこの国における、『専』から『紅』への路線転換を、古代よりの中国の守り神たる『黄龍の巫女』として、宣言しに来たのか?」
「そうでもしないと、この国自体が根っこから、崩壊してしまいかねませんからね。──それでも私は、鄧同志の『改革開放路線』は、けして間違っていなかったと信じております。『紅の路線』への回帰によって、十分に社会全体が引き締められた後には、ある程度の節度を守った『市場開放路線』の復活も有り得ると思いますので、ここは一度後進に道を譲ってくださることを願いますわ★」




