第百六十三話、わたくし、『魔法令嬢、ちょい悪シスターズ』になりましたの!(その11)
──突然、この閉ざされた空間のすべてが、耳をつんざく轟音と激しい振動とに包み込まれた。
「うぬっ⁉」
「な、何や⁉」
「きゃあああっ!」
「お、お母様⁉」
最初は当然のごとく、この世界の支配者であり、私たち『魔法令嬢、ちょい悪シスターズ』の宿敵、『鏡の悪役令嬢』の仕業かと思った。
しかし、目の前の一際巨大な鏡の中に立ちつくしている、『すべての黒幕』であるはずの女性の顔は、私たち以上に驚愕に染まっていたのだ。
「……そんな、馬鹿な。絶対不可侵である『地形オブジェクト』同然のこの世界に、物理的効果を及ぼすことができるのは、創造主である私と、夢の世界全体を司っている『夢の悪役令嬢』以外には、
──『作者』、しか、いないはずなのに⁉」
………………………………は? さ、『作者』、って。
あまりにも『場違い』の言葉の登場に、私たち魔法令嬢一同が、完全に呆気にとられていれば、
何と世界全体に──そう。何も鏡面の部分だけではなく、空間全体に、無数の『ひび割れ』が走ったのである。
「うわっ、な、何だ、あれは⁉」
『──ぐぉるるるるるっ!』
一番大きな亀裂から、唐突に顔を覗かせる、巨大な『獅子』のような怪物。
「……やはり、『開明獣』、あなただったのね⁉」
一人だけ、驚愕とともに、納得の表情を見せる、『鏡の悪役令嬢』。
──開明獣だと? ……ということは、まさか⁉
次の瞬間、すべての鏡面が砕け散り、『境界』ならぬ『鏡界』が無くなったことで、巨大な一つの空間と化した世界へと、ついに謎の獅子のごとき怪物が降り立つとともに、『鏡の悪役令嬢』へと向かって、猛然と突進していく。
「──舐めるな! ヒキオタの、Web作家ごときが⁉」
『ギャンッ!』
今にも獣ならではの鋭い爪が届こうとした寸前に、空中に分厚い鏡面が張り巡らされて、『開明獣』の巨体を大きく弾き飛ばす。
『──グオッ!』
『──ガフッ!』
『──アグッ!』
何度も接近を試みる開明獣であったが、そのことごとくを完全に防ぎきる、鏡面の盾。
「ふふん、いくら『作者』といえども、ここはあくまでも私が創出した世界なのよ、勝ち目があるとでも思ったの? それにそもそも、その『獣化形態』では、世界を書き換えることだってできないでしょうが?」
勝ち誇るように胸を反らす、自称『この世界の創造主』。
それに対して、ただ悔しげに唸り続けるばかりの開明獣。
………………うん? 何か、唸りすぎだと思うけど。辺り一面に足の踏み場もないほど散らばっている、鏡の残骸を始めとして、世界全体が震え始めているし。
「──っ。な、何よ、一体何が起こっているの⁉」
これは彼女にとっても、予想外の事態だったのか、もはや完全に余裕を無くしている、自称『この世界の創造主』。
──そんな彼女の足下の鏡面の残骸が、唐突にうごめき始める。
「なっ⁉」
地面から生えてきた多数の生白い腕が、悪役令嬢の純白のワンピースの足元を絡め取る。
そして徐々に、その全貌を現していく、無数の少女たち。
漆黒のワンピースドレスと純白のエプロンドレスとに包み込まれた、いまだ十三、四歳ほどの小柄で華奢な肢体。
そしてヘッドドレスに飾り立てられた漆黒のおかっぱ頭に、端整なる小顔の中で深遠に輝いている黒水晶の瞳。
「……メイ」
そうそれは、我らの仲間アルテミス=ツクヨミ=セレルーナの『過去詠みの魔法令嬢』としての使い魔、開明獣の人間形態である、メイ=アカシャ=ドーマンの無限増殖した姿であった。
「くっ、『作者』としての力を、『世界の書き換え』に使うのではなく、むしろ『自身との同化』を密かに進行させていたのか⁉ ──そうか、あえて『獣化形態』で闇雲に暴れ回っていたのは、このことから私の意識をそらすためだったんだな⁉」
「──御名答」
いきなり人語を発するとともに、開明獣の輪郭が崩れだし、気がつけばそこには、周囲の無限に増殖し続けている少女たちとそっくりそのままの、メイド衣装をまとった少女がたたずんでいた。
「メイ=アカシャ=ドーマン──いや、『内なる神』! そんなに『過去詠みの巫女姫』が大事なら、自分の著作の中にでも、大事に囲っておけばいいだろうが⁉」
「……こっちにも、都合というものがあるのですよ。まあ、恨むんだったら、『あの女』の口車にまんまと乗ってしまった、己の愚かさを恨むことね」
「くっ、まさか、私まで同化させて、あなたの世界に取り込むつもり───あうんっ⁉」
「お、お母様⁉」
何と、娘であるタチコを始めとする、我々『魔法令嬢、ちょい悪シスターズ』一同が見守っている中で、自分を絡め取っているメイド少女たちに吸収されるかのように、消滅していく『鏡の悪役令嬢』。
それが終わると次には、『無数のメイ』たち自身も、元の鏡面の残骸へと戻っていった。
後に残るは、私たち魔法令嬢と、オリジナルのメイ嬢だけであった。
「……いや、待てよ、肝心のアルテミスは、一体どうしたんだ⁉」
「──当代の、『過去詠みの巫女姫』なら、ここよ」
あたかも私の疑問の言葉に応じるように響き渡る、どこか聞き覚えのある声音。
全員一斉に振り向けば、そこには、あたかも闇を凝らせたような全身黒一色の、一人の妙齢の女性がたたずんでいた。
漆黒の夜を思わせるすその長いワンピースドレスに包み込まれた、すでに熟れきった豊満なる肢体に、滝のように足元にまで流れ落ちている烏の濡れ羽色のストレートヘアに縁取られた、彫りの深く艶麗なる小顔の中で蠱惑に煌めいている、黒曜石の瞳。
そしてそんな彼女のあたかも処女雪のごとく純白の両腕によって、まるで眠るように意識を失ったまま『お姫様抱っこ』をされているのは、我々『魔法令嬢、ちょい悪シスターズ』の最後のメンバー、アルテミス=ツクヨミ=セレルーナその人であった。
「……あなたは、確か、アルテミスの…………お母上?」
「──いいえ、こいつはアルお嬢様の、母君なんかじゃないわ!」
そう言いながら、私たちと謎の黒衣の女性との間に割って入ってきたのは、さっきまで獣化形態をとっていたメイド少女であった。
「あら、私は初代『過去詠みの巫女姫』なんだから、この子の母親も同然じゃない?」
──なっ、初代だと? 何でそんな大昔の人間が、今この場に登場してくるんだ⁉
……ていうか、さっきから『巫女姫』、『巫女姫』、言っているけど、『魔法令嬢』の間違いではないのか?
「黙れ、初代と言っても、『別の世界』の話だろうが?」
「あ〜ら、『世界』とは言わず、『別の小説』とおっしゃったら? 我が創造主よ」
「ふん、私が小説に著す前から、すでに存在していたくせに、とぼけるんじゃない」
「それでも、『明石月の語り部』であるあなた様こそが、私に『形』を与えてくださったのは、事実でしょう? これでも感謝しているのよ♡」
「感謝していると言うのなら、何で『この世界』にまで、ちょっかいをかけてきたんだ? おまえの狙いは何だ! アルお嬢様をどうするつもりだ⁉」
「どうもしないわよ、私の狙いは、『聖レーン転生教団』が、創造主様をまんまと誑かして、何を企んでいるのか、突きとめることですからねえ。この子のことも、ちゃんとお返しいたしますわ。──少なくとも、今回の時点ではね」
そう言うや、メイ嬢のほうへと歩み寄り、あまりにもあっさりと、アルテミスを手渡して、自分だけ再び後ずさり距離をとる、他称『初代の巫女姫』。
「……ふん、私のほうも、今回に関しては一応、見逃してやろう。しかし、次は無いから、心しておけよ? それに私は別に、教団に誑かされているわけではない。利害関係の一致により、お互いに利用し合っているだけだ!」
「ええ、ええ、私は創造主様のことを、信頼しておりますとも。──それでは、今回はこの辺で、ご機嫌よう♡」
そう言うや、まさしく闇に溶け込むようにして消え去っていく、黒衣の巫女姫。
「メイ殿、今のは、一体……」
しかしそのメイド少女は、自称『初代巫女姫』が身を隠したほうを見つめたまま、こちらを振り返ることさえもなく、一方的に言い放つ。
「……もうすぐ、この空間自体も消滅してしまいます。これ以上ここに居続けたら、あなたたちも現実世界に戻れなくなりかねませんので、直ちに『ドリーム・キャスト・オフ』なさってください」
そう言い終えるや、その腕に抱えたアルテミスとともに姿を消し、さっさと現実世界へ帰還していくメイドさん。
我らとしても、もはやここにいる意味なぞ無く、彼女に言われるがままに、現実世界へと覚醒する以外は無かったのだ。