第十二話、わたくし、ヤンデレな婚約者なんて、まっぴら御免ですの。
その日も、私こと悪役令嬢アルテミス=ツクヨミ=セレルーナは、朝から憂鬱であった。
「……ふう」
我が国の誉れたる王立量子魔術学院の生徒たちにあるまじき、HR開始前の雑然とした喧噪の中で、ただ一人窓際の席で頬杖をつき、深々とため息をつく。
高等部に在籍しながら飛び級の特待生ゆえに、特注のSSサイズの制服に包み込まれたいまだ性的に未分化な小柄で華奢な白磁の肢体に、あたかも月の雫そのままの銀白色の長い髪の毛に縁取られた、まるで匠の手により精巧に作り上げられた人形のごとき端麗な小顔の中で煌めく、夜空の満月を彷彿とさせる黄金色の瞳といった有り様は、傍目にはあたかも一幅の絵画そのものであろうが、むしろ本人からすれば今や、世界のすべてがただただ色あせて見えるだけであった。
「──もう、お嬢様ったら、これで何度目のため息ですかあ? そんなんじゃ、幸せが逃げていってしまいますよお」
斜め後ろから聞こえてきた、心配半分あきれ半分といった感じの声音に振り向けば、十代半ばほどの年頃のおかっぱ頭の可憐な少女が、濃紺のワンピースにエプロンドレスといったメイド服をまとってたたずんでいた。
「……メイ」
「どうなされたんですかあ、一体。こんな爽やかな朝だというのに、そのように気鬱な表情ばかりなされて? 専属メイドの私としては、見過ごせませんよう」
「そりゃあ、気鬱にもローテンションにもなるわよ……」
そこでいったん言葉を切り、教室内をぐるっと見回す。
「ほんの目の前で大勢のクラスメイトたちがこれ見よがしに、自分を勝手に少年に変えられただけでなく、オレサマ王子様に情け容赦なく責め立てられるといった、ガチ鬼畜系の『びーえるドージンシ』を読みながら、何の遠慮も恥じらいもなく、忌憚なき意見を言い合っているのを目の当たりにしたのではね!」
朝の教室に響き渡る、私の心からの悲痛な叫び声。
しかしそれでもこちらに注意を払う生徒なぞ、男女を問わず、ただの一人もいなかった。
何せ彼ら彼女らは今、伝説のドージン作家『ジミ王子』こと、一応はクラスメイトの保健室登校常習者にして、実は何とホワンロン王家第二王女『二の姫』様作の、事もあろうにこの私を少年《TS》化して、実兄である第一王子のルイ殿下と絡ませるといった、いろいろな意味で問題だらけな『びーえるドージンシ』を、読みふけったり意見を戦わせたりするのに熱中しているのだから。
「──やっぱいいよねえ、美少年版アル様♡」
「なぜだか、天使か妖精かって美少女が、美少年化した途端、ものすっごく透明感や無機質感がマシマシになって、クーデレ好きにはたまらないんだわ」
「ああ、わかるわかる、『ゲンダイニッポン』のアニメで例えるなら、無口な『カ○ル君』というか男性化した『レ○』って感じかしら」
「それが攻めキャラの『王子様』と絡むと、途端に『ツンデレ』になるところが、もう!」
「そうそう、そこのギャップもいいよね!」
「年上の婚約者の第一王女の兄君である、『オレサマ』第一王子に対して、最初のうちは自分に気安く絡んでくるのをウザがって嫌悪感をむき出しにしていたんだけど」
「一見強引で威圧的なように見えて、そこはやはり将来の国王様、有無を言わさず人を引っ張っていくリーダーシップの裏で、各個人一人一人に合わせた細やかな配慮も怠らないといった繊細さ!」
「それはもちろん、徐々にアル様(♂)にも知れることになり、あれ程反感を抱いていた王子様に、どんどんと惹かれ始めるのよ!」
「こうして、少しずつ距離を縮めていく、二人なんだけど」
「──そうはすんなりうまくいかないところがまた、この作品の醍醐味なんだよねえ」
「もちろん、アル様(♂)がツンデレ気質のために、どうしても素直になれないところも大きいけど」
「何と言っても、彼の年上の婚約者にして、第一王女のルイーズ=ヤンデレスキー=ホワンロン様の存在が、大きな問題として立ち塞がるのよねえ」
「まあ、彼女としては、立場がないのは、わかるけど」
「自分の頭越しに、婚約者と実の兄とが、急接近するわけだし」
「自分の兄弟──しかも、男に、婚約者をとられるとは」
「これぞ、骨肉相食む、ドロドロ修羅場」
「NTRwww」
「──そして当然、彼女は『ヤンデレ』化、しましたとさ♡」
「名は体を表すw」
「……それで、実はこれから先が、いきなり超展開となるのよねえ」
「そうそう、嫉妬に狂ったルイーズは、邪神『やろうの女神』にすがりついて、異世界から宇宙的恐怖を転移してもらって自らに寄生させて、怪物化するの!」
「本来『悪役令嬢』は、異世界から転移や転生をされた場合、身も心も乗っ取られるはずなんだけど、ルイーズ王女(ヤンデレ化済み)は、婚約者や兄王子に対するあまりに絶大なる『怨嗟』の念ゆえに、内なる宇宙的恐怖さえねじ伏せて、その力を奪い取り、生きながらチート怨霊と化して、世界そのものを闇に閉ざそうとするのよ!」
「こうして、もはやこの世も終わりかと思われた、まさにその時──」
「何と、救世主が現れるの!」
「それこそはまさしく、王国きっての神祇の一族の末裔であるアル様(♂)が、伝説の『禍苦詠むの巫女姫』として目覚められた瞬間なの!」
「『ゲンダイニッポン』で言うところの量子コンピュータそのままに、あらゆる禍や苦難の未来の可能性をすべて予測計算できる禍苦詠むの巫女姫は、ルイーズ(ヤンデレ)のいかなる攻撃でも事前に察知でき、そのことごとくを無効化し、反対に一方的に効果的な攻撃を的中させつつ、ルイーズ(ヤンデレ)が、人間の肉体的に明らかにオーバースペックな邪神の力に耐えきれなくなり、自滅するのを待ち続けるの!」
「そしてとどめとして、彼の一族に伝わる神剣『ニンジャ=ハットリ=クン』をもって、ルイーズ(ヤンデレ)を一刀のもとに斬り捨てるんだけど、実はこれは肉体を傷つけることなく、身の内に巣くう転生者の魂だけを滅する力を持っていて、晴れて彼女を邪神と自分自身の邪念から解放させるの!」
「すべてが済んだ後で、ルイーズ(真人間化)は己の罪を深く反省して、尼寺に出家することにし、アル様(♂)と王子様はついに晴れて結ばれるのよ!」
「「「めでたしめでたし♡」」」
──いやいやいやいやいやいやいやいや!
それの、一体どこが、「めでたしめでたし♡」なのよ⁉
人を勝手に性転換《TS》させて、いかにも強引なストーリー展開の挙げ句の果てに、同じ男性とくっつけられるだけでも、もううんざりなのに。
後半の怒濤の展開ときたら、一体何なの? もはや『びーえる』ではなく、『奇書』の範疇じゃないの?
「──お、お嬢様、お気持ちはわかりますが、お気を確かに!」
もはやすべてに耐えかねて、頭を抱えて机に突っ伏す私の姿を目の当たりにして、泡を食ってなだめすかしてくる、専属メイドの少女。
そして、それに続くようにして──
「本当に、すまない! 俺の妹が、とんでもない面倒をかけて」
そう言ってこちらに向かって深々と頭を下げるのは、私の元婚約者にして我が国の誇る第一王子、ルイ=クサナギ=イリノイ=ピヨケーク=ホワンロンその人であった。
「……何ですか、ルイ殿下、まるで他人事のように。あなただって、勝手に『びーえるドージンシ』に登場させられて、同性の男の子と絡まされているのですよ? それに対する怒りとか嫌悪感とかは無いんですか? それともすでに婚約破棄してしまった私の少年《TS》体と事に及ぶのは、たとえ創作物の中の話であろうとも異様な興奮を覚えたりする、屈折しきった変態さんだったのですか?」
「「え?」」
? どうしたことでしょう。私の至極当然な意見を聞くや、ルイ王子とメイったら、同じような怪訝な表情となられたのですが……。
「……あ、あの、お嬢様」
「はい、何です?」
「あの『びーえるドージンシ』に登場する『王子様』は、ルイ王子ではありませんよ?」
………………………は?
「い、いやでも、描かれている絵を拝見するに、少々マンガ的にデフォルメされてはいますが、間違いなく、ルイ様だと──」
「お忘れですか、作者の『ジミ王子』先生──すなわち、二の姫様がおっしゃっていたことを」
「え?」
「現実の人物をそのまま『びーえるドージンシ』の中に登場させても、それなりの反響しか返ってこないけど、彼らの性別を逆転させるだけで、その意外性と背徳感から、読者の反応は劇的に増大するって」
……つまりあのドージンシに描かれていたのは、『性別を逆転された、ルイ王子によく似た人物』ってことになるけど、そんな人って、いたっけ……………………あ。
「──っ。まさか、あれって⁉」
「ええ、まさしく、『シン・オウジサマ』、その人なのです」
──‼
あまりに予想外な事実の発覚に、私が完全に言葉を失ってしまった、
まさに、その時。
「──ボクのこと、呼んだかい?」
突然背後から鳴り響く、涼やかなる声音。
思わず振り向けばそこには、我が王立量子魔術学院高等部の男子生徒用の制服を身にまとった、絶世の麗人がたたずんでいた。
すらりとした長身や短めのブロンドの髪の毛や彫りの深い顔の中で輝いているサファイヤの瞳なんかは、確かに実弟のルイ王子そっくりであったが、うっとりとするほど甘い笑顔や何かにつけ繊細な所作は、本物の王子様であるルイ殿下よりもよほど、万人がイメージするいわゆる『少女マンガ的王子様』を見事に体現していた。
「──さあ、待たせたね、子猫ちゃんたち♡ まさに今こそ、ボクと一緒に、『少女革命』を巻き起こそうじゃないか!」
「「「きゃあああああ──!!!」」」
ボクっ子麗人による何だかわけのわからない宣言を聞くや、いかにも「待ってましたわ、キマシタワー!!!」といった感じに、熱烈なる黄色い悲鳴を上げる、クラスの女生徒たち。
「……第一、王女」
そう。彼女こそは、ルイ王子の実の姉君にして、ホワンロン王室に咲いた革命の薔薇の花びら、『一の姫』その人であったのだ。