第六話:家出、そしてメイド
そして、
ついにこの日がやってきた。
今日はこの世界での十六回目の誕生日。
つまり、正式な婚約発表のお披露目の日だ。
『正式な』というからには、非公式な顔合わせが事前に行われたように聞こえけれど、そんなことはまったくなかった。
先方の意向なのか不思議とそういうことにはならなかった。
わたしとしてはありがたいことこの上ないんだけど。
「お父様、お母様、やっぱり婚約しなくちゃ駄目なの?」
わたしは二人に尋ねる。やはり特別な式だからか、いつもに増して荘厳で煌びやかな装いをしていた。けれど、それとは対照的に彼らの表情はまるで苦虫でも噛み潰したかのような暗い表情を浮かべていた。
「突然ですまない、だがお前の幸せを思ってのことなんだ」
お父様が重い口を開いた。
「ミリア、何年探してもこんなに良い条件なんてもう見つかりませんよ。これで、きっとあなたは幸せになれる。最初は嫌だと思うかもしれないけれど、最後はきっと良かったと思えるから」
お母様も続けて言った。
淡々とした口調だったが、わたしのためを思ってのことだということは分かっている。
しかし、だからといって「はい」と肯くことなんてできない。
「なら私にも考えがあります」
私は宣言する。
「なんでしょう? 申してみなさい」
お母様はいたって冷静に返答した。荘厳な顔つきだ。そこにはまさに『女王』としての威厳と言うべきものがあった。私は固唾を飲んだ。
その迫力に思わず宣言を撤回しそうになる。
でも負けない。私にはやりたいことがあるから。
「私、家出します。今までお世話になりました」
そして大きく両親に頭を下げた。できるだけ、敬意を込めて。
彼女たちだけでなく、その場にいた全員が面食らっていた。
ネニーヌに至っては驚きのあまり開いた口が塞がらず、あたかも真実の口のを見ているようだった。あまりに場違いな感想にわたしは一人微笑んだ。
改めて意識を集中させる。周囲に光の粒が満ちる。
よし、準備は整ったわね。
「それではまた! 気が済んだら帰りますわ!」
「ちょ、ちょっと待ちたまえ」
焦ったお父様が勢いよく立ち上がる。あまりの勢いにつんのめってしまっていた。
お母様も驚きで口元を覆ったまま動かなかった。
けれど待つことはできない。もうワープ魔法を展開してしまったから。
刹那、身体が軽くなるのを感じた。転移の前兆だ。
次の瞬間、視界に映るものが突然変わった。家出に成功したのだ。
そうしてわたしはお城から逃亡した。
景色が変わる間際にネニーヌが倒れるのが見えた。
最初から最後まで迷惑かけてごめんね、ネニーヌ。この埋め合わせはいつか絶対にするから……。もちろんお父様お母様、他のお城のみんなにも。
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そこは木々に囲まれたいた。
しかしよく目を凝らすと少し遠くに広場があるのが見えた。
広場に目を向けると、木製のベンチやテーブルが並んで休憩できるようになっている。さらにその広場の両端に、森を切り拓いた幅10mほどの一本道が西から東へと続いている。
ここは王都から30kmほど離れた街道の一つだ。東へ行けば王都へ戻るし、逆に西へと向かえばエーデルムント王国貴族が治める街へと続く。
当然わたしは西へと歩みを進める。
自由に満ちた生活の第一歩を送る前にわたしにはしなければならないことがあった。
だからわざわざ人目につかないような森の中を転送先に選んだのにはわけがある。
着替えるためだ。
わたしは今婚約お披露目用のドレスに身を包んでいた。
綺麗に透き通るレースとフリルが随所にあしらわれた純白のドレス。これが着られるのにはさすがのわたしも心が躍るというものだが、何分この恰好で旅をするには少々目立ちすぎる。
わたしは再び意識を集中し、光の粒を発生させ、集めたそれを手の届く位置に固定する。
密集した粒子の雲に腕を入れ、目当てのものを探す。
転移魔法を応用したわたしのオリジナルの魔法だ。
別の空間と空間を繋いでそこからものを自由に出し入れができる。
手ぶらでも家出できるように半年かけて開発したとっておきの魔法だ。
「あったあった!」
お目当てのものを見つけた。これからの生活に対する期待も相まって、心が踊る。「待て」ができない犬というのは今のわたしのような気持ちなんだろうなと思った。
生い茂った草木に紛れてそそくさと着替えを終わらせる。
もちろん周囲への警戒も怠らない。経験上、冒険をする上で最も危険なのは衣食住に関わる行動をしているときなのだ。この時、人は突然の襲撃で大抵無防備もしくは対応が後手に回ってしまう。
だから事前に危機に備えておく。
ちなみに今この瞬間もちょっとした罠魔法を展開している。
早着替え魔法でも覚えておけばよかったかしら?
あいにくと習得した魔法のほとんどが戦闘向けのものであったわたしは自身の魔法ラインナップの偏りに苦笑いをした。
そしてドレスのボタンを外していった。
「よし!」
幸い、何事もなく着替えを終えることができた。
展開していた魔法をキャンセルし、改めて自分の装備を見回す。
・前の修行の帰りに立ち寄った街の市場で買った生成りのチュニック
・その隣の店で買った皮の胸当てとブーツ、そしてアイテムポーチ
・その正面の鍛冶屋で買ったありふれた鉱石製のロングソード
うん! これならどこからどう見ても駆け出し冒険者ね!
本当はもっと良い装備があるし、収納魔法が使えるからアイテムポーチもいらないけれど、変に悪目立ちしたくなかったのでスタンダードにまとめてみた。
そういえば結局婚約者の顔を見なかったわね。
婚約発表のためにわざわざ城を訪ねてみたら肝心の相手は姿を消していた。彼には悪いことをしたかもしれない。
でも相手も会ったことも離したこともないような人と結婚なんて嫌でしょうね。
わたしは相手側に対しても良いことをした、そう自分に言い聞かせることにした。
「ダメダメ、もう終わったことを振り返っちゃ。わたしにはこれから自由な異世界冒険生活が待っているんだから!」
声に出して気合を入れ直した。
うん、ここからわたしは人生をやり直すのだ。
のだ!
のだ……!
のだ……。
……。
そう決意し、広場を駆け抜け森に入り、今まさに異世界冒険生活を始めようとした矢先、
「きゃあああああああああ!」
叫び声が聞こえた。
気を引き締め声のした方へと急ぐ。
そこには、
メイドがいた。
そしてわかりやすい悪漢に襲われようとしていた。
ここまでわかりやすい状況だと、逆に誰かにお膳立てされたように感じられてしまう。
襲われかけている彼女には気の毒だけど、冒険のスタートにこんなにありきたりなイベントあるかしら?
あたかも自分がRPGの主人公にでもなったかのような気分だ。
でもいいわ。
それならわたしの方も、駆け出し主人公にふさわしく決めてあげるわよ!
わたしは跳んだ。
そして木を背にして追い詰められていたメイド少女と、彼女を取り囲みじりじりと距離を詰めようとしていた悪漢たちの間に入る。
突然の乱入者に悪漢たちも、メイドの少女も呆気に取られていた。
だが、わたしは気にも止めず彼らに告げる。
「随分と卑劣な真似をしているのね。さあ、あなたたちの罪を数えなさい。絶望があなたたちのゴールよ」