第二話:家出を決意したあの日
ミリア・エーデルムント。
これがわたしの異世界での新しい名前だ。
出身はカダロチア連邦、バラク帝国に続いて三大大国の一つとして数えられるエーデルムント王国。
みなさんも気づいていると思うけど、エーデルムント、これはわたしの名字と同じだ。そして次に王国と続く。
エーデルムント王国、つまりわたしは王族の縁者の一人であるということ。そう、なんとわたしは一国のお姫様となったのだ!
……なった、のであった。
……なってしまったのであった。
ほら、やっぱり女の子に生まれた以上お姫様に憧れたりするものじゃない? わたしもその例に漏れず、最初は柄にもなく踊りだしそうなくらい喜んだわよ?
大きなお城の中で優雅なティータイム。そして夜には晩餐会。煌びやかなシャンデリアに豪勢なご馳走、そして素敵なドレスを身に纏って、オーケストラの荘厳で優美な調べの中を華麗に舞う——
そんな生活を夢見ていたわ。
けれど現実はそう甘くもなかった。
たしかに、でっかいお城に住んで、綺麗なドレスを着られるってことに間違いはなかった。けれどところどころ想像と大きく違っていて……しかもそれが結構厳しくて……。
それはわたしが三歳になったあたりから始まった。
帝王学という言い方がわかりやすいかしら?
わたしはエーデルムント国王と王妃の一人娘。わたしの国は男女同権の色がかなり強いので王位継承権は男子に限るというような前時代的な決まりは存在しない。よってわたしが次期女王となる定めであるらしい。
そのためわたしは将来王たる者としてふさわしい振る舞いや能力を身につけないといけない、とのこと。これはわたしの教育係の一人の言葉だ。
そういうわけでまだ幼い頃から女王となるための厳しい教育が始まった。
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「ミリア様! 何度言えばわかるのですか!」
教育係のネニーヌがわたしを叱責した。
何度言えばわかるのですか、本当に何回聞いたんだろう。
聞きすぎて耳に胼胝ができた気分よ。
「ネニーヌだってー」
わたしは言い訳しようとする。これも何回も繰り返した。
「だってじゃありません。このようなところで躓いているようではこの先が思いやられますよ、ミリア様。第一、この調子では今日も予定よりお稽古が進まないではありませんか」
「だって女王に裁縫なんて必要かしら?」
わたしは今家政学の一環として裁縫をネニーヌから習っている。彼女は家政分野の教育担当だ。他にも音楽担当、政策担当、マナー担当、絵画担当、エトセトラ、えとせとら……とたくさん担当がいる。そのため当然毎日のスケジュールが厳しいものとなる。
わたしはどうやら不器用らしい。
料理をしても絵を描いてもダンスを踊ってもひどいものだった。このあたりは生前から引き継いでしまったのかもしれない。
神様もいじわるねぇ。どうせならなんでもそつなくこなせるようにしておいてくれればよかったのに。
「聞いているのですか、ミリア様?」
「あっ、ごめんごめん。それでなんだっけ?」
そんなわたしの返答を聞いてあからさまにため息を吐くネニーヌ。
「ですから、お裁縫やお料理といったことは一見女王としてのご公務とは無関係に思えても、淑女として最低限の嗜みなのですから姫様にはぜひとも習得していただかねばならないのです」
彼女は淑女の嗜みだの女王としての責務だの言い出すときは決まって『姫様』とわたしの立場を強調した言い方をする。
「そうは言っても苦手なものは苦手なのよ」
「得手不得手があるのは当然のことです」
「でしょう?」
珍しく肯定されてわたしは頬が緩むのを感じた。
「——しかし」
けれどやはりそこはネニーヌ、わたしの儚い希望を一瞬で打ち砕いた。
「しかし、しかしですよ姫様。あなた様はいずれこのエーデルムント王国を背負う身、あれはできませんこれはできませんといったことは許されません。それでは国民に示しがつかないと思うのです」
そうネニーヌは力説した。
わたしは不完全な女王も良いと思うんだけどなぁ……。完璧すぎる王様よりも親しみがあって国民のみんなともっと近くでいられると思うし。
「とにかくなんとかやってはみるわ」
「はぁ、くれぐれもお願いいたしますよ」
一通りお説教をして気が済んだのかネニーヌはお稽古の道具を片付け始めた。どうやら今日の授業はこれでおしまいらしい。
「全く、どうしてミリア様はこうも不器用なのでしょう」
彼女はもう一度小言を呟くと部屋を後にした。
ネニーヌの言う通り、わたしは色々なことについててんでどうしようもなかった。
テーブルマナーこそやっと慣れてきたものの、歌を歌えば近くの木に留まっていた小鳥たちは逃げ去るし、絵を書けば前衛的だと苦笑いでフォローされるし、料理や裁縫は言わずもがな。とにかくひどいものであった。
それでも何もかもが駄目というわけでもなかった。
勉強は生前から嫌いではなかったし、前の世界とは全く違う世界のあり方について知るのも楽しかった。身体を動かすのも得意であった(これは前世とは正反対)。
その中でも特に、並外れた剣術の才がわたしにはあるようだった。
十一歳のとき、ハンデがあったとはいえ我が国随一の強さと言われる騎士団長から一本取ったほどである。
お父様とお母様に報告しに行ったら、「私たちの家系は魔導師の血筋なのだがなあ……」と苦笑いされたけれど。
その魔術については……うん、あれよ、話せば長くなるので割愛するわ。
鍛錬は楽しかったけれど、やっぱりそれ以外の部分で窮屈なことが多かった。
そんなこんなでお稽古だの何だのと退屈な毎日を送っていた。
それでもなんとか耐えていたけど、十三歳の誕生日の一ヶ月ほど前に限界を悟った。
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「やっぱりそろそろミリアのことについて考えた方が良いと思うのですわ」
ある日、偶然お父様とお母様が何かについて話し合っているのを発見した。
どうやらわたしのことを話しているらしい。
盗み聞きは良くないことだけどなぜか今回はどうしても気になった。なので少しだけ耳を立てることにした。
「ミリア……か……、まだ早くはないか?」
どうやらお父様はその何かに乗り気ではないようだ。
「何を悠長なことを言ってるのですか。婿選びも早くしないと有望な人物は次々と余所へと行ってしまうのですから」
えっ!?
婿!? 今婿って言わなかった!?
わたしは耳を疑った。
わたしにはまだまだ結婚とか早いし、なにより前の世界でなんて二十六歳になっても微塵も縁のない話だったのに……。わたし、まだ十二歳だよ!!
第一、どうせ結婚するのなら好きな人とが良いし……。お父様、がんばって反対して。あなたの娘は全力で反対しているから!
「ううむ……けれどやはり私にはまだ時期尚早じゃないかと……」
「あなた」
お父様が渋ったそぶりを見せた直後に繰り出されたこの一言を聞いて、わたしは負けを確信した。
「私はミリアの将来を重んじて申し上げているのです。わかりますね?」
「あ、ああ」
「でしたら、わかりますわよね?」
「はい……ミリアの婚約者を探すことにしよう……」
お父様はがっくりと項垂れたように肯いた。
「ではそのように、実はそうおっしゃってくれると思って候補は選んであるのですよ」
お母様……あなたの隣で背中を丸めているのは仮にも一国の国王なんですよ……。わたしは二重の意味でため息をついた。
婚約者、か……。
おそらくすぐに結婚ということはないだろう。
けれど流れはもう決められてしまった以上もう変えられない。
だからわたしは決意した。
退屈な日常と不条理な現実からの決別。
——そうだ、家出をしよう。