第4話 彼はお世辞が上手です
白髪のローブの人――改め、銀髪のガウンの人は、私たちが唖然としている中で黙々と食べ続けて、結局三皿もお代わりしたあと、満足そうにお腹をさすっていた。
「ふう……もう食べられない……」
「お、おい。そろそろ自分の名前くらい、言ったらどうなんだよ?」
みんな席について食事を始めていたけれど、もちろん銀髪の男性が気にかかって仕方ないようだった。すごくお腹が空いているから、まず食事をさせてあげましょうと言ったのは私だけど。
ジェスさん、今日の泊まり番のジェレミーも同席している。あと二人泊まり番の女性がいるけれど、彼女たちは早々に食べ終えて、お風呂の支度やベッドメイキングに行ってしまった。それは助かるけど、残された私達は、変な緊張感の中で探り合いみたいになってしまって、なかなか食事が進まない。
そこにロディが切り込んでくれたので、私は銀髪の人が何を言うのだろうかと、少し期待しつつ待っていた。
「……名前……フェデ……いや。オレの名前は、フェイだ」
「フェイ、なんてんだよ。俺はロドルファス=クリサディア。あんたも家名はあるだろ?」
「フェイ=ディアス。それが、オレのフルネームだよ」
フェイ=ディアス。私はその響きを頭の中で転がしてみる。容姿に合っているようで、思ったよりも親しみやすい響きの名前だとも思う。
お肉を食べただけで生きる意欲が湧いたというのが本当なのか分からないけど、今の姿はおじいちゃんかもしれないと言ったことが恥ずかしくなるくらい若かった。私より少し年上というくらいにしか見えない。
「フェイさん、答えられたらでいいんだけど……どうして、あの場所に倒れていたの?」
私と少し席が離れているけど、質問をするとフェイさんは私の方を見る。離れていても、その目の輝きが、燭台の明かりの中で際立って見える。
彼がどこかから転移してきたみたいだということは、みんなにはまだ伏せておくことにした。さっきも転移していたみたいなので、気づく人がいてもおかしくはないけど。ジェスさんは、自分が目を離したすきに居なくなったと思っているみたいだった。
「……オレは、倒れてたのか? そうか……あれだけ腹が減っていればな……」
その答えを聞いて、同席したみんなが肩をこけさせそうになった。ジェスさんも、食べようとしたお肉をフォークからお皿に落としてしまう。
「自分でも、何があったのかわかんねえってのか……? お、おい。それってマジだったら、記憶喪失じゃねえか……!」
「まあ、そういうことになるね。オレは、記憶喪失だ。自分が何で倒れてたのかもわからないし、ここがどこかも分からない。ここはどこ、私は誰? なんてね」
「い、いや、『なんてね』じゃねえよ。これからどうすんだよ? 帰るとこも分かんねえんだったら、うちで面倒見ることになるじゃねえか」
ロディの心根が優しいのは、その言葉だけでよく分かる。ぶっきらぼうな口調なので放り出すとか言い出しそうなのに、そういうことは絶対ない。
「心配しなくても、オレは一宿一飯の恩を返したら出ていくよ。見ず知らずの親切な人達に、あまり甘えすぎるわけにもいかないからね」
「あ、あの……差し出がましいことを申し上げますが。フェイさん、記憶が無いのなら、恩というのは返しようがないのでは……?」
ジェレミーがおずおずと質問する。フェイさんはジェレミーに人懐っこい笑顔を向けると、飲み物のグラスを持って喉を潤したあとで答えた。
「大丈夫、恩を返すための知識は残っているよ。何もかも忘れていたら、こうやって喋ることすらできないだろう? オレがオレであるために必要なことはこの頭の中に刻まれている」
フェイさんは自分の頭を指差して言う。そうやっておどける仕草を見ていると、彼の魔力が枯渇していたときの姿とは、もう重ならない。
「そういった記憶の一部欠落は、大きなショックを受けたとき、時折あることのようだ。俺が見た症例は、数えるほどだが……」
ジェスさんが補足する。それで疑わしい顔をしていたロディも、ある程度納得したようだった。
「ショック……それは、倒れた時に、何かがあったっていうこと?」
何が起きたのかは気になるけれど、そこまで聞くのは詮索のしすぎかもしれない。
でも、私の勘が当たっているのなら――フェイさんは、自分の意志で最後に転移をしようとして、あの楡の木まで転移してきた。
本当に転移の魔法を使ったのかどうかは、二人の時に聞いてみたい。古代の魔法を使ったとわかると、皆を驚かせることは間違いないから。
気がつくと、フェイさんが私を見ていた。銀色の髪は食事をする時に後ろで一つに結んでいて、おさげ姿になっている。
「オレは君にお礼がしたい。オレに何があったのかは、そう気にしないでくれ。味がするものを食べたのは、久しぶりなんだ」
「香辛料を使っているし、味は濃い目だけど……いつも、そういう料理を食べていなかったっていうこと?」
「……そうだな。誰かが作ったものを食べたこと自体、久しく記憶にない。記憶喪失のオレがそんなことを言うのもおかしな話だけどね」
その話を聞く限りでは、家族はいなくて、一人で暮らしていたということになる。誰かが一緒に居たなら、あんなに痩せてしまうまで放っておくことは考えられない。
「……しかし、素性の知れない男性を、屋敷に留め置くというのは……」
「ナタリア、心配なのはわかるけれど、私が責任を取るわ。だって……」
「おや、お嬢さん……オレに対してそこまで優しくしてくれるということは、そういうことだと思っても……」
「こんな生活能力のなさそうな人を、すぐに放り出すのは忍びないもの」
私が忌憚のない意見を言うと、フェイさんのガウンが肩からずり落ちた。
ご飯の匂いにつられて起きてきたとか、食べさせてあげたら好意を持っていると思うとか、神秘的とか謎が多いといえば聞こえはいいけど、大人の男性のふるまいとして感心はできない。
「な、なかなか言うね……可愛い顔をしているのに、鋭い言葉のナイフを隠し持っているとは。その落差、実に興味深いよ」
「うちの姉貴が可愛いとか、いい目してんな。俺と姉貴は双子だぞ」
「おや、そうだったのか。双子でも、男女で年を重ねれば変化が出てくるものだね」
悪びれずに言うフェイさん。私としては、ロディに今でもそっくりと言われると、男っぽいと言われているみたいなので、女性らしいと言われること自体は嬉しくなくはない。
「かー……姉貴、何まんざらでもないって顔してんだよ」
「え……そ、そんなことないわよ。フェイさん、その格好だとお腹を冷やすから、ちゃんとした寝間着に着替えてね。ロディ、着てない服がしまってあるわよね?」
「俺のかよ。親父のは……ああ、ジェスもいるもんな。ていうかジェス、泊まってくのかよ?」
「……一応、朝までは様子を見ておくべきか。回復したのは間違いないと思うが、さっきのは理解を超えた現象だったからな」
「ありがとう、君はオレを診てくれた医者だね。君にも何か礼をしなくてはいけないな。ああ、オレを運んでくれたロディと、ジェレミー君だったかな。君たちにも勿論礼をするよ。第一は、オレの女神にだけどね」
――一瞬、彼が何を言ったのか理解できなかった。
「ぶっ……め、女神って。おまえ、どんだけうちの姉貴を過大評価してんだ!」
「た、たしかにお嬢様は慈悲と寛容の精神を持ち、私どもの誇りでありますが……女神というのは、口説き文句にしか思えません」
「……お、俺もそう思うが……お嬢が女神か……」
「ジェスさん、噛みしめるように言わないでくださいっ、僕まで照れちゃいます……!」
だんだん意味が理解できてくると、私は冷静にならないといけないと思う。彼は社交辞令でそういうことを言う性格なだけで、本気で私のことを女神なんて思ってない。
「……あ、姉貴! もうメシ食ったし、俺ら風呂入ってくる! おら、行くぞ!」
「慌ただしいな、ごちそうさまくらい言わせてくれないか。それにオレは、彼女の名前をまだ聞いてない。お嬢さん、卑しい身分のオレだが、どうかその名を聞かせてくれないか」
「わ、私は……リィエル、クリサディアです」
「そうか。リィエル、オレは君のためにできることなら何でもするよ。それくらい恩を感じていることは、忘れないでほしい」
「ぐぁぁ、何言ってんだこのナル野郎! ほどほどにしろ、うちの姉貴はあんまりそういうのに免疫ないんだよ!」
ロディはフェイさんを引っ張っていき、ジェスさんとジェレミーも一緒に行ってしまった。一緒にお風呂に入るらしい。
「……お嬢様、冷たいお水をどうぞ」
「え、ええ……ありがとう、ナタリア」
ナタリアが注いでくれたお水を飲んだあと、何となく頬を触ってみると、物凄く熱くなっていた。
「……あっ、ナタリア、違うのよ。これは、みんなで食事をしたから、部屋が暑くなって……」
「……よろしければ、後ほど私たちも湯浴みをいたしましょう。お嬢様、今日は大変お疲れでしょうから、心と身体をどうかお労りください」
ナタリアも少し頬を赤くして、なんだか照れているみたいだった。
(……没落した家の、婚約破棄された人を、いいと思ってくれる人なんていない。そ、そう……フェイさんは、お腹が空いてたところにお料理を出されたから、大げさなことを言ってるだけ。ちょっと、変わってる人みたいだし……)
頭の中を今さらな考えがぐるぐると回る。顔が赤くなっていたら、それをみんなに見られていたら。考えただけで恥ずかしくて死にそうになる。無かったように振る舞うしかない。
私の反応が分かりやすくて、ロディの言うとおりお世辞に免疫がないというのが出てしまっているなら、免疫力をつけるにはどうしたらいいのか、あとでナタリアに相談しようと思った。