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第3話 食事は生命の源です

 クリサディア家のお膝元、シルヴァーヌの村。聖王国の北部にあるこの村は、広い草原での牧畜を主な産業としている。


 ひとつひとつの家の距離が広くて、馬は移動のために必須となる。私も十歳の頃から乗馬を始めて、今では手足のように乗りこなすことができた。


 私の馬はヒルダという名の雌馬で、乗馬が上達したご褒美に、十二歳の誕生日に両親から贈られた。今は家の馬の多くを売らざるを得なくなってしまったので、ロディの馬と共に、荷車を引くために貸し出されることが多い。


 本当は戦場を駆けることもある品種で、走るのはとても速い。私は村の診療所まですぐに辿り着いて、ちょうど居てくれたお医者様を後ろに乗せ、屋敷に戻った。


「お、お嬢……速い……くっ……!」

「喋ると舌をかむかもしれません。お話は後で聞きますっ!」


 お医者様はまだ若い男の人で、ジェス・ボーナムさんと言う。短い黒髪がチクチクと尖っているジェスさんは、身体も大きくて村では『熊みたい』と言われるような人だけど、口数が少なくてとても大人しく、診療も丁寧で評判だった。


「……その……患者と、いうのは……っ、どこの……」

「私にも、まだ良くわかりません! 転移事故みたいで、意識がないんです! 分かるのは、白い髪の人っていうことです! おじいちゃんか、おばあちゃんかもしれません!」

「老人……昏睡……早く、見なくては……っ」


 後ろに乗っているジェスさんが服の裾につかまってくる。腰を持つのをすごく遠慮しているので、そんな場合ではないと手を引いてしっかりつかまらせた。


「っ……」

「え、遠慮しすぎです! 乙女ですか、あなたは!」

「す、すまない……っ」


 ジェスさんがやっとしっかりと腰に手を回してくる。身体が大きいだけあって、がっしりした腕でつかまられると少し動きにくいけれど、今は馬を駆ることに集中した。


 ◆◇◆


 屋敷に到着すると、ジェスさんはすぐにローブの人の診察を始めてくれた。


 ロディはかなり説明に困ったそうだけど、ジェレミーの協力を得てローブの人を空き室に寝かせてくれていた。今は部屋の中で、ジェスさんだけが入って診察をしている。


「大丈夫かしら……」

「身体よりも、別のことが色々大丈夫じゃねえというか、普通じゃねえというか……」

「ローブと杖はこちらで保管してあります。このローブ、かなり汚れていますが……お嬢様、洗ってしまってもよろしいですか?」


 ジェレミーがローブを持ってきて言う。埃っぽくて、饐えたカビみたいな匂いもするけれど、彼は顔色一つ変えていない。ロディは顔をしかめていたけど、さっきこのローブごとあの人を背負っていたわけだから、全身に匂いがついてしまっているだろう。


「うーん、そうね。私が後で洗っておくわ。この材質だと、普通の洗い方をすると縮んだりしそうだし……」

「あの洗い方、結構手間なんじゃなかったか? まあいいが、そこまで恩を売っても、返せそうな感じには見えねえぞ。骨と皮みたいに痩せてたし」


 家事に使う範囲の魔法においては、私ほど上手な人も、変な使い方をする人もいない。水の精霊魔法を応用して、服の生地を傷めずに綺麗にする方法があるのだ。手もみ洗いと同じ要領で、時間も手間もかかるけれど、大事な服を綺麗にするにはこれが一番だと思う。


「見返りを求めて助けるわけじゃないわ。多くの人達に支えられている貴族の義務よ。ロディの服も出しなさい、匂いを取っておいてあげる」

「わ、悪りい、頼むわ。そこまで毛嫌いするわけじゃないがよ、シャツが駄目になっちまうとこだったよ」


 数ヶ月単位で、お風呂に入ってなかったとしたら――あの白髪の長さを考えると、最低でも数年は伸ばしっぱなしにしていたように見えるけど。


 樫の杖に、ローブ。この二つから想像できる、あの人の職業は――魔法に関係する仕事。


(あの転移魔法も、彼が自分で使ったものだったりするのかしら……でも、どうしてにれの木が反応していたんだろう……)


 考えているうちに、ジェスさんが診察を終えて出てきた。その表情がいつもと変わらず、むすっとしてるようにも見える顔なので、結果の良し悪しが見ただけでは分からない。


「ジェスさん、どうでしたか……? 元気になりそうですか?」

「……見たところ……身体の病気は抱えてない……しかし、衰弱している。あの白髪化の仕方は、一度見たことがある……体内の魔力が、極限まで枯渇した時に起こる症状だ」

「魔力……それは、どうすれば治るんですか?」

「お、おい。魔法を使えるやつが、あいつに魔力を注ぎ込めば治るとか、そういうことじゃねえだろうな……?」


 ロディはどうしてか、警戒してるみたいに言う。魔力はそんなに単純なものじゃないし、そういう魔力の移し方ができる人は、生活魔法の範囲でなく、魔法に習熟している人だと思う。


「そういうものでもない。どちらかといえば……生への執着を呼び起こすことだろうか。魔力とは生き物が生きている以上、その生きたいという思いに応え、魂から生じるものなのだ……と、両親が言っていた」


 ジェスさんのご両親もお医者様で、彼は昔からとても尊敬していた。医療の技術を学ぶために王都の学院に行って卒業したあとも、それは変わっていない。


 個人差はあるけど、魔法を使えない人もみんな魔力は持っている。ジェレミーもそうだし、ナタリアは一部の魔法を使えるくらいに魔力が高い。自己流なので教われないのが残念だけれど。


「生への執着……それが、今のあの人にはないっていうこと?」

「世捨て人ってやつか……それともちょっと違うか。起きてればまだしも、寝てるやつが人生に絶望してる理由なんて、分かりようがねえよ」

「脈は非常に遅いが安定しているし、現状では命に別状はない……と思う。俺も屋敷に居させてもらい、容態の変化に備えたい。お嬢……それで許可を貰えるだろうか」

「ええ、お願いします。お父様が帰られたら、私から説明しますので」


 お父様は、叔父の行方を探している――それは責任を取らせるということが全てではなくて、叔父の命を心配しているからだ。反故にした借用書の中には、過激な方法で取り立てをしてもおかしくないところが含まれていたらしい。


 それで、お父様は家にいないことが多い。お金の工面と、叔父様の件で走り回っているのだから、私達も何か手伝いたいと言ったけれど、それは強く断られてしまった。


 私とロディが家にいることで、一族や使用人の皆を安心させられる。そう思ってくれているお父様の信頼に応えようと思った。


「まあ親父なら客の一人や二人、気にしないだろ。あまり起きるまで長引かなきゃいいがな……王都の医者に見せることも考えなきゃならなくなる」

「そうね……そうなることも考えておきましょう」

「……済まない。原因を指摘できればよかったが……俺の、勉強不足だ」

「命に別状がないっていう診断だけでも、意味があります。それは、自信を持っていただかないと困ります」


 私が言うと、ジェスさんは珍しく目を見開く。そして、これもまた珍しく苦笑いをして言った。


「……ああ、自信を持とう。きっかけさえあれば、彼は目を覚ます」

「あ……『彼』だったんですね。髪が長いので、どちらか判断しかねていたんですが」

「リィエルと違ってガリガリに痩せ過ぎてるから、背負っただけじゃわかんねえけどな」

「っ……ロ、ロドルファス様、そのような言い方はリィエル様に失礼というか、そのっ……」


 慌てるジェレミーのためにも、私もロディに注意しておく意味で、ほっぺたをつまんであげた。


「そっちこそ、好物を食べ過ぎてふっくらしないようにね」

「ふがっ……」


 こういう時は逆らわないのは何故だろうと思う。剣術が得意なロディならかわせそうなものなのに、姉を立ててくれているのだろうか。だとしたら、やっぱり可愛い弟だ。


 ◆◇◆


 眠っている男の人のことは気にかかったけれど、ジェスさんがついてくれているので、私は夕食の準備をすることにした。


 シュトルガノフは元々数日前から出そうと思っていて、材料は準備してあった。住み込みの使用人のほとんどが辞めてしまったので、昔と比べると作る量が少なくなって、少し寂しくもある。


 シルヴァーヌ村の市場で買い付けた牛肉と、屋敷の庭で作っている野菜と、近隣の牧場で分けてもらった生乳。貴重な香辛料も少し使うけれど、それを惜しむと味が大きく変わってしまうので、けちらずに使う。


(こうしないと、お母様の味が出ないのよね……)


 慣れ親しんだ料理なので、特に何も考えなくても出来上がっていく。手伝ってくれているナタリアも、良い匂いがするからか手を止めてしまっていた。


「ナタリア、味見してみる?」

「はい、よろしければ……ん。お嬢様、お見事でございます」

「簡単な料理なんだけど、いつもみんな喜んでくれるわよね。材料費が高めなのが問題だけど」

「私達も同じものをいただいてしまって、良いのでしょうか?」

「何言ってるの、働くものは食べるべきよ。私よりナタリアの方が食べてほしいくらい」


 今日は豪華だけれど、そんな食事ばかりでもいられないので、お値打ちな食材を探して工夫して料理することも必要になる。そういうことは、まったく苦にならない。


 パンも焼けて、サラダも用意できたので、皆に手伝ってもらって運んでもらう。ジェスさんの分と、いちおう眠っている人の分も作って、席を準備しておいた。


「お、美味そうな匂い。もうできてんじゃん」

「ロディ、手は洗ってきた? ジェスさんも呼んできてあげて」

「ああ、ジェスは向こうで食うってさ。そうだな、俺が運んでくるよ」


 ロディがジェスさんの分の料理をトレイに乗せて、ダイニングルームから出ていこうとする。


 ――その時のことだった。


「おわっ……!?」


 まるで幽霊か何かみたいに、足音も立てずに、白いガウンを羽織った白髪の人が部屋に入ってくる。


 ロディは辛うじてトレイを落とさず、その場で固まって、立っている白髪の人を見つめていた。


「お嬢っ……すまない、いきなり患者がいなくなって……っ」


 ジェスさんも後からやってくる。いきなりいなくなった――つまり、この白髪の人は、『自分の意志で』ここまで転移したのだ。


 そんなことができる魔法使いなんて、この国中を探しても見つからないはずなのに。


「こ、こいつ……まさか、寝たふりして……いや……」


 ロディは思わず疑ってしまったみたいだけれど、それを自分で打ち消す。


 私自身も、これから起こることの想像がつかない。けれど、一つ言えることは……。


 この部屋に入ってきて、ずっと立ち止まっている彼が待っていることは、一つだ。


 それはただの勘だけれど、どうしてか今の私は、それが間違いないんだと確信していた。


「あなたの席は、ここ。今夜はうちの家庭料理だけど、食欲はある?」


 聞いてみても、白髪の人は何も答えない。身体を包み込むくらいに長い髪は、前髪も例外なく長くて、表情があまり見えない。


 肩からガウンがずり落ちて、そこから見えた肌は白く、けれど骨と皮だけみたいになっていた。


 ――どうして、もっと早く気が付かなかったのだろう。


 この人は簡単に起き上がることもできないくらいに、お腹が空いていたのだと。


「……ぁ……」

「えっ……なに? 今、何か言った?」

「……」


 白髪の人は、確かにとても小さな声で何かを言った。彼はゆっくりと歩き出す――一歩一歩、自分の席に向かって、気が遠くなるほどの時間をかけて。 


 私は彼のために椅子を引く。席についたあと、手を出させて、布で手を拭いてあげる。伸び放題の爪は、あとで切ってあげないといけない。


「その手だと、食べにくいかもしれないけど……食器は使える?」


 白髪の人は放心しているみたいに、反応がとてもゆっくりだった。かすかに頷いて、私の差し出したフォークを手に取ると、湯気の立つシュトルガノフをじっと見つめ――肉を一切れフォークで刺して、白い髪の間から覗く口に運ぶ。


 煮込んで柔らかくなったシュトルガノフのひとくちを、こんなに長く味わう人を、私は初めて見た。


「……えっ……?」


 食べられるか、熱すぎたりはしないか。そんなことを聞こうとした私は、思ってもみない光景に言葉を失った。


 ぽたぽた、とダイニングテーブルに雫が落ちる。


 長い白髪で隠された彼の瞳から、大粒の涙がとめどなくこぼれていた。


「……しい……」


 彼はもう一度何かを言った。その言葉が引き金になったかのように、彼の容姿に、驚くほどの変化が起こり始めた。


「……味がする。こんなに味がするものを食べるのは……久しぶりだ……」


 褒め言葉と言い切れないくらいの言葉にも思えるけれど、彼の感激は、言葉以上のもので表現されていた。


「白い髪が……銀に……っ」

「……マジかよ……メシ一口で、生きる意欲湧いたってのかよ……っ?」


 ナタリアとロディが驚きの声を上げる。私だって、そんなくらいのことで、あんなに衰弱していた人が元気になるのかと思う。


 まず目に見える変化は、白かった髪が生気を取り戻し、艶やかな銀色に変わったこと。


 そしてもう一つ、骨と皮のようだった身体も、すごく色白ではあるけれど、健康的な姿を取り戻している。筋肉はロディの方がついているけど、決して細すぎはせず、頼りない姿はしていなかった。


 顔にかかる銀色の髪をうしろにかき上げ、彼は傍らに立つ私を見上げる。


 翡翠のような瞳。その透き通るような眼差しを私に向けて、彼はくしゃ、と子供のように笑い、そして言った。


「お嬢さん。これを全部食べたら、おかわりはしていいのかな?」

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