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第1話 没落したけど慕われています

 ファランドール侯爵家との婚約が、一方的に破棄された。そのことは、ナタリアを始めとして、使用人の皆を大きく落胆させてしまった。


 私は食堂に皆を集めて、アーネスト様たちに出すはずだったお茶とお菓子を、一緒に出迎えをしてくれた皆に振る舞うことにした。お客様を迎えるためのお菓子とはいえ、捨ててしまっていいほど、うちの家は裕福じゃない。


「リィエルお嬢様……ご心労もありましょう、私どものことは構わず、どうかお休みになってください」


 執事長のハンス爺はとても優しい人で、私を気遣ってくれる。けれど私は首を振った。


「こんなことがあったあとにベッドに入ったら、それこそ病気になってしまいそう。皆とお菓子を食べて気晴らしをしたら、次は身体を動かそうと思っているの」

「お嬢様……なんと気丈な。いけませんな、儂らが弱気になっていては。しかしお嬢様、ロディ様との剣の修練は、旦那様から自粛を申し付けられているのでは……」

「ええ、でも姫剣舞祭の前くらいは許してちょうだい。四年前と同じように緒戦で敗退しないように、頑張って修練しなきゃ」


 そう、落ち込んでいても仕方がない。花嫁修業をしているときは、アーネスト様の花嫁としてウェディングドレスを着る自分の姿を想像もしたけど、こうなってしまったら、私はきっと行き遅れになってしまうだろう。婚約破棄された没落家の令嬢をいいと思ってくれる男性なんて、そうは見つからない。


「剣よりも、家事の方が向いてんじゃねえの? 俺も手加減して相手してても、上達しねえしさ。アーネストみたいないけ好かないやつはもういいとして、他にいい相手でも見つけた方がいいんじゃないか。ジェレミーとか、真面目でいいやつじゃんか」

「と、とんでもない。うちの孫はクリサディア家の使用人なのですから、全く恐れ多いことです。ジェレミーはリィエル様を慕っているかもしれませんが、それは主人に対する敬愛であり、決して逸脱したものではございません」


 ジェレミーは私より二つ年下の男の子で、今は使用人として働いているけど、ハンス爺から家令候補として教育を受けている。私の護衛のような存在で、護身術の心得のあるナタリアと共に、外出の際はついてきてくれる。


 ロディは冗談を言うけど、ジェレミーはロディより素直な男の子で、私からすると可愛い弟のように見ている。整った顔をしているので、同い年や年下の女の子からも人気がある――だから、昔から姉のように接してきた私に、そういった興味は全くないと思う。


「婚約破棄された後に、すぐ次の相手を探していたら、それこそ良くないふうに見られてしまうわ。お父様もしばらくは、結婚のことは言わないでしょうし、ハンス爺もあまり気にしないで。私はこれまで通りにするから」

「……かしこまりました、お嬢様。爺は、うるさいことは申しません」

「孫の心、じいちゃん知らずか……ああいや、何でもない。姉ちゃん、お茶」


 ロディは私のことを、人前では『姉貴』で、家の中では『姉ちゃん』と呼ぶ。かしこまった場では『姉上』と呼ぶこともあるけど、没落してから外での食事会などには出られなくなってしまったので、聞く機会はめっきり少なくなっていた。


「じゃあ、淹れてくるわね。ちゃんと席について、皆と話しながら待ってなさい」

「心配しなくても大人しく待ってるよ。稽古の相手してやるかは検討中だけどな」


 弟はこんなことを言いながら、最後には稽古に付き合ってくれる。そうと分かっているなら、顎で使われても気分を損ねたりはしない。


 私は厨房に入って、薬罐を魔術コンロにかけて、初歩的な炎の魔術で起動した。火力を調節して、数分で沸くようにする。


 家計の倹約が必要になってから、クリサディア家では屋敷に出入りの商人を招く回数を減らすことになった。


 それで使用人の皆が市場に行って買い物をするようになったので、私は屋敷で使う食材を、ナタリアや料理番のメイドと一緒にお忍びで買い求めに行くようになった。


 それで見つけたのが、王国の東南にある港から入ってきて、クリサディア領内の市場にまで持ち込まれた『プリムリーフ』というお茶の葉である。いつも飲んでいたお茶が一袋銀貨8枚のところを、たった3枚で買えるのに、味はあまり変わらない。この茶葉を見つけたことで、私は味を決めるのは値段ではないと痛感させられた。


 お茶の葉を布の小さな袋に入れて紐で縛り、陶器のポットに入れて、沸騰したお湯を注ぐ。屋敷の敷地の中にある井戸から汲み上げた水はお茶を淹れるのに適していて、不思議なくらい他の家とはお茶の味が違う。水の中に含まれる成分が関係しているらしい。


(アーネスト様も、お茶は気に入ってくれてたな。でも、胃袋をつかむとまではいかなかったってことだから……ちょっと悔しいかも)


 これ以上考えても仕方がないことだから、もう未練がましく思い出すのはやめにする。アーネスト様は綺麗なお顔をしていて、文武両道の方で、家格も私より上で――非の打ち所もない人だったけど、私とは初めから縁が無かったと思うしかない。


「……でも、ちょっとだけ……やっぱり……」


 ユリアナのことだけは、思い出すと胸がむかむかとする。私に勝ったことが嬉しいのかもしれないけど、あんなに嫌味にしなくてもいいのに。


 これでもし姫剣舞祭でユリアナと試合をすることになって、そこでも負けたら、私はどうなってしまうんだろう。それだけは負けたくない、譲りたくない。彼女と当たるかも、試合をするところまで勝ち上がれるかも分からないけれど。


「お嬢様、手が震えております。私におまかせください」

「あ……ご、ごめんなさい。ナタリア、ありがとう」


 気がつくと、ナタリアが私の代わりにポットを持って、紅茶をカップに注いでくれていた。


 気がそぞろになりがちな私があまり食器を割らずにいられるのは、ナタリアのおかげだ。

彼女には、日頃から感謝している。


「……お嬢様を侮辱する者を、何もせずに返してしまったこと。不忠義をお許しください」

「そんなこと言って……あなたが忠義を遂行したら、一緒にいられなくなってしまうじゃない。もう、使用人の人たちも随分辞めてしまったし……ナタリアまでいなくなったら、寂しくなってしまうわ」

「お嬢様……身に余るお言葉です」


 ナタリアは紅茶を淹れる手を止めて、私をじっと見る。その宝石のように澄んだ黒い瞳は、いつ見てもとても綺麗だと思う。


「え、えーと……二人共、ロディ様が待ちくたびれていらっしゃいますよ」


 屋敷の清掃をしていたジェレミーも仕事を終えて、こちらにやってきていた。私にそろそろ追いつきそうな背丈をした、ふわふわとしたブラウンの髪を持つ男の子。ハンス爺から贈られた、見習い執事の服をいつも身につけている。


「ええ、呼びにきてくれてありがとう。行きましょうか、ナタリア」

「は、はい……ジェレミー、運ぶのを手伝ってもらえますか?」

「わぁ……お嬢様がお茶を淹れてくださったんですね。香りだけですぐに分かります」

「そう? 嬉しいことを言ってくれるわね。ありがとう、ジェレミー」


 ジェレミーにカップを載せたトレイを持ってもらい、お礼を言う。するとジェレミーは、何か目をぱちぱちさせていた。


「……お嬢様はやはり、私たちクリサディア家に仕える者の誇りです」

「えっ……な、なに? 急にどうしたの、ナタリア」

「だ、だって……普通は、貴族の家の方は、お茶を淹れたりはなさいませんし、僕たち使用人のすることにも、お礼を言ったりはしないものですから……」

「遠慮ばかりして思ったことを言わないと、息が詰まってしまうじゃない。それに……今は家をみんなで支えていく時期だから、自分でできることはしなくてはね」


 ナタリアもジェレミーも、何を言っても感激してしまって、私はいっそのことカップを割ったりした方がいいのかなと思ってしまう。わざとそんなことはしないけど。


「姉ちゃん、それだと俺が『できること』とやらをしてないみたいだろ。ただでさえ狭い立場を無くしてくれるなよ」

「ロディは男の子だからいいのよ。お茶を淹れるのが上手でも、男の子はそんなに得をすることはないしね」

「ぐっ……だ、だから……まあいいや。茶、飲んだら稽古すんぞ」

「本当!? やっぱり持つべきものは理解のある弟ね。そうと決まったら、俄然やる気が出てきたわ」


 得意でもない剣術に打ち込む姉に付き合ってくれるのだから、弟が何もしてないなんてことはない。私にとってはすごく強くて、頼れる弟だ。


 弟もそのうち縁談があったりするかもしれないけど、私と同じ思いをしなくていいように、何とか借金を返す方法も考えないといけない。


(……姫剣舞祭で、一試合ごとに得られる賞金。お金目当てと言われても、やっぱり欲しい。みんなが元通りに暮らせた方が、絶対にいい)


 それ以上に私自身が、強くなりたいと願っている。


 そうしたら、国王陛下の護衛を務めているお母様とも、会える機会が増えると思うから。


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