プロローグ・1 伯爵家の姫騎士
私――リィエル=クリサディアは、十歳のときに、五歳年上の男の人と婚約した。
クリサディア家は伯爵家で、貴族の家柄なので、それ自体は珍しいことじゃない。婚約どころか、十歳で相手の家に嫁いでいく子もいるくらいだから。
私の婚約者、アーネスト=ファランドールは、痩せっぽちで背丈も低かった私を見ても婚約を断ったりせずに、むしろ強く私との結婚を希望してくれたそうだった。
そうだったというのは、私が幼すぎて、全てを父と母に任せざるを得なかったからだ。お見合いのようなことはしたけれど、少し話をしただけで、親同士が話を進めて婚約が成立してしまった。
あれから七年が経ったけれど、十八歳で結婚することになっているので、来年にはファランドール侯爵家に嫁ぐことになる。
花嫁修業はしてきたけれど、私は結婚よりも、剣と魔法の腕を磨くことのほうに強い興味を持っていた。
このティファナ聖王国においては、男性と同じように女性も剣と魔法の腕を磨くことが奨励されていて、特に貴族の女性で剣が使える人は『姫騎士』と呼ばれる。
私の母は『生きる伝説』と言われるほど強い姫騎士で、聖王国を挙げて行われる姫騎士たちの闘技大会『姫剣舞祭』において、四連覇という偉業を成し遂げていた。
私と双子の弟を産んでからも優勝しているので、『最強の母親』と国中で賞賛され、今でも敬愛されている。
私はそんな母に憧れ、自分も姫剣舞祭に出たい、優勝したいと思うようになった。
けれど母が持っている剣の才能は、双子の弟のロディに受け継がれたようで、私は剣がそれほど上手く使えなかった。
その代わり魔法の才能は私だけに受け継がれて、私は母でも驚くほどの魔力を持っているらしかった。
幼い頃から母と離れて生活してきた私は、魔法を教えてくれる先生がいなくて、初歩の生活魔法くらいしか使えないままここまできてしまった。魔法の家庭教師は貴重なので、どの貴族家も外に出したがらないのだ。
私は十三歳のときに姫剣舞祭に出て、初戦で負けている。剣の腕もそうだけれど、その頃の私には姫騎士に必要とされる『華』が絶対的に欠けていた。姫剣舞祭では剣と魔法の技量だけでなく、その容姿の麗しさ、立ち回りの華麗さも、勝敗を決める要素となっているのだ。
あれから四年経って、周囲はこの数年で見違えるように大人びたと言ってくれるけど、自分では正直を言ってどうなのか分からない。夜会に出たりして社交界デビューができていたら、否応なく自分の容姿にいろいろと点数を付けられたのだろうけど、幸か不幸かそういう経験はしていない。
『華』は剣術が上達することでも身につくと信じて、私は結婚の期日が近づいているというのに、面倒がる弟のロディに頼んで毎日のように剣の修練に付き合ってもらっていた。
◆◇◆
だから私は、急に婚約者のアーネスト様が屋敷に来られることになっても、何を言われるのか全く考えていなかった。
私よりも、侍女のナタリアの方が緊張している。黒い髪に褐色の肌を持つ彼女は、いつもは女戦士のごとくきりりとしているのに、今は私と二人のときだけに見せる気弱な表情になっていた。
「リィエル様、申し訳ありません。ファランドール家の若君が来られるというのに、良いお召し物が準備できず……」
「気にしないで、ナタリア。仕方ないわ、高価な服は全て処分してしまったもの」
そう――私の家、クリサディア伯爵家は、もろもろの事情で没落したばかりだった。
当主である父には落ち度はなかったのだが、家の資産を運用していた父の弟――私の叔父が、商売で大きな損失を出してしまい、さらにその穴を埋めるために他の伯爵家から借金をして、返す目途が立たないまま夜逃げしてしまったのである。
父は借金を返すために土地や資産などを処分して、私も何もしないわけにはいかず、衣装部屋にあった服をほとんど出入りの商人に頼んで換金してもらった。
装飾として宝石がついているものや、上質な布を使ったものはそれなりの値がついて、父にも感謝された。
母は今も現役の騎士として王の護衛についているので、父は母を煩わせないようにと今回のことを伝えていない。
けれど母は勘がいいので、気づいていないとも思えない。今度母が帰ってきたときには家族会議が開かれて、今後を話し合うことは間違いなかった。
それはそれとして、私はナタリアが用意してくれた服に着替えた。
手元に残ったよそ行きの服の中では、質が良いほうのブラウスとスカート――この簡素な格好で婚約者を迎えるというのは令嬢の嗜みに欠けると分かっているけど、着心地は悪くないし、恥ずかしいとも思わない。
背中に届くくらいの長さの髪は、そろそろ切ろうと思っていたが、周りからは止められていた。王国貴族の間では、ある程度の髪の長さは必須とされているからだ。私も伸ばしていたおかげで、ナタリアに結ってもらって、それなりの格好を整えることができた。
「アーネスト様は、お昼は摂ってからいらっしゃるの?」
「は、はい……滞在時間は、それほど長くはならないとのことです」
貴族が婚約している相手の家に訪問する時は、昼食か夕食を両家で共にすることが常となっている。
忙しい中で、わざわざ私の家に立ち寄ってくれたのならば、お茶とお菓子くらいは用意したい。出来合いのものだけど、いつも家族が美味しいと言って食べているお菓子を、アーネスト様にも食べてもらおうと思った。
予定していた時間より早く、屋敷の前庭に、アーネスト様の一行が入ってきた。
玄関まで迎えに出る途中で、廊下の窓から馬車の一団が見えて、私は思わず立ち止まる。
「……あれは……ファランドール家と、クローデット家の馬車?」
「……リィエル様、どうかお気を強くお持ちください。アーネスト様が、今日いらっしゃったのは……」
ナタリアの様子を見れば、何が起ころうとしているのか、薄々と想像はついてしまった。
ファランドール家の馬車から降りてきた、金色の髪を持つ、すらりとした背の高い男性。彼は同じようにクローデット家の馬車から降りてきた女性に近づくと、その手を取って歩き出す。
ユリアナ・クローデット。私より一つ年上の彼女は、クローデット伯爵家の令嬢で、子供の頃から何かと私を目の敵にしてきた。
家同士の取り決めで私がアーネスト様と婚約したあと、その対抗心は目に見えて強いものになって、幼馴染みと言えるような生易しい関係ではなくなっていた。
私の家が没落の危機にある今となっては、あまり顔を合わせたくはなかった。彼女のことだから、豊かな暮らしをしている自分の家のことを、見せつけてくるに決まっている。私は今の暮らしに不満はないけれど、一方的に下に見られることはいい気分がしない。
そんな彼女が、アーネスト様と睦まじそうに談笑しながら、家にやってくる。私はナタリアと、屋敷に仕えている使用人たちと共に、玄関に出て彼らを迎えた。