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Bitter Orange, in the Blaze.  作者: 紅崎ナヤ
六.あぶれたものたち
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072.テスタ・アルヴ



 もう葉が落ち葉となってゆったりと落ちてくる季節だった。

 虫の音や小鳥の囀りが聞こえる山を越えれば、その頂からはまた街を眼下に臨むことができる。

 大陸の森は深く、まだ人々は森を切り開き山を崩す術を持っていない。

 そう、今はまだ森という『海』の中に町が『島』として浮かんでいた時代――。

「女将軍プリエルの故郷だっんだよね、この町」

 セルピが遠くに見えてきた町を眺めながら呟く。

 この世界で起きた最後の戦争時に、ウッドカーツ家と戦い続けた女将軍プリエル・ボロウドゥール。

 そうして破れ、魔女として火刑にかけられた女性の名前。

 そんな彼女が生まれた町が、このグリニギル。

 この町もまた、いつだったか英雄を迎えた町なのだ――。


 今となっては異端者とされる彼女を讃えることは禁忌とされるため、その町も何事もなかったように佇んでいる。

 人々の心の奥底に彼女の存在が根付いているかは、別として……。

 ピュラはちらりとスイに視線をやって、普段通りにしている様子を確認してからまた前に戻す。

 レムゾンジーナから隣の町に行くのに、彼を知っている人に会うのではないかと危惧の念を抱いたのだが、その様子からして心配する必要はなさそうだったからだ。

 彼はずっと孤高の銀髪鬼の影に隠れていた、というリエナの言葉を思い出す。

 彼の存在、そしてその姿を知る者は本当に少ないのだろう……。


 実際、町はどこにでもあるような普通の町だった。

 海沿いに歩いてきたのだからもちろんそこも港町である。時折船の出港を告げる汽笛の音が空一杯に響く。

 ヘイズルが指定したのは、そんな町の一角にある古い酒場であった。



 ***



 それなりに人の入った、酒場、兼食堂。

 酒は夜しかださない仕組みになっていて、昼前のこの時間はまだ人もまばらにしかいない。

 4人はそんな酒場の奥の方に腰掛けながら、案内人を待っていた。

「ていうか、相手の情報とか何も知らないじゃない。なのに私たちを見分けられるのかしら?」

 食堂は早い昼食を済ませようとする者たちで、それなりに賑わっている。

 その中から、一度も会ったことのない人がどうやってピュラたちに声をかけるというのか……。

「ヘイズルは大丈夫だっていってたけどね……」

 クリュウも机の縁に腰掛けて足を泳がせながら呟いた。

 もしかしたらスイの顔を知る数少ない人なのかもしれないと思う。

「ねーねーピュラ~」

「なによ」

「お船さんに乗るんだよね?」

「そうらしいわね」

「うにゃ~、大丈夫かな……?」

 小さな手を頬にあてて考え込むセルピに、ピュラは怪訝な顔をした。

「なにか問題でも?」

「この辺、エスペシア家の管轄で結構海の取り締まりはきついはずなのに、そんな船とめられるのかな?」

「あ……」

 ピュラも僅かに口元をひきつらせる。

 この港からは定期便と漁業便以外の船の出港は許されていない。

 革命を狙っている怪しげな船など一発で捕まっていることだろう。

 しかも大きな船体は、町でない場所にとめていても、見つかってしまう場合が多い。

「ま、まあなんとかなるわよ……」

 気を紛らわすようにカップの紅茶に口をつける。

 そして、食堂の扉が涼やかな鈴の音を鳴らしながら開いたのは同時であった。

 ふっとその方向に視線を向ければ、ベージュのフードを被った人物。

 細身の体に少々不恰好なフードは、人物の鼻の辺りまで隠してしまっている。

 そんな人物は辺りを一周見回した後に……、ゆっくりとその足取りを確かなものとして進めてきた。

 ――そう、ピュラたちの方向へ。

「まさかあの怪しさ大爆発してる人……?」

「こ、こっちに歩いてくるけどね……」

 いささか不安になったクリュウは、スイの肩のところまで飛んでいって、その様子を伺う。

 怪しげな人物は確実に一歩一歩こちらに向けて歩いてきて、そうして、ピュラたちの机の目の前でぴたりと止まった。

 フードをわずかに持ち上げて、一同を見回す。

「あ、あの」

「静かに」

 ぴくっと一同の顔が驚きに揺れた。

 まるで外見とは見合わぬ、澄んだ高い声だったからだ。

 その……声からして少年はフードに隠れた顔で微笑んで、口元に人差し指を当ててみせる。

「スイさんご一行、だね?」

「ああ」

 スイが小さく頷くと、彼もゆっくりと頷いた。

「ついてきてね。ここから少し歩くよ」

 まるで無邪気な子供を彷彿させる口調で、少年はくるりと踵を返す。

 その瞬間、クリュウは心の中にふっと何かが触れたような違和感がして首を傾げた。

「あれ……?」

 今、一瞬、自然に流れていたはずの空気の流れが動いたような。

 それも、その少年を中心に――?

(でもそんなことが振り向いただけで自然におこるなんて、まるで……)

「クリュウ、どうしたの~?」

「え……う、うん。なんでもないよ、今行く」

 クリュウは小さく首を振って思考を振り払った。

 まさか、……まさか、世界でも指で数えられるほどしかいない『契約者』であるはずなど――。

 少年は目深に被ったフードの位置を指先で直しながら、軽い足取りで出口へと向かう。

 どこか不思議な雰囲気に一同は不可解なものを覚えながらも、彼の背中を追った。



 ***



「えっと、これから町をでてちょっと北に進むよ。町でなにか用事はある?」

 外の明るい場所にでれば、フードの中から覗く茶髪と、灰色の瞳が垣間見える。

 そんな彼はピュラたちの方に向けて首を傾げてみせた。

「特にないけど」

「うん、じゃあ行こうか」

 こうして面と向かってみると、少年だと思われた彼の背は思いのほか高い。

 その仕草や声とは裏腹に、身長はピュラよりも高かった。

 もしかしたらピュラよりも年上なのかもしれない。

 しかし、彼の空気に居心地の悪さは全くなかった。

 どこか周りにやわらかさを与える少年である。

 早足に町を出て、少年は海岸沿いの道へ入った。

 そこまできて、人通りのないこの場所なら何を聞いても大丈夫だろうと思い、ピュラは訊ねてみる。

「……ねえ、どうして私たちだって分かったの? 食堂には他にも客が沢山いたじゃない」

「あ、うん。それは……」

 少年はまだフードを被ったまま――恐らく細心の注意を払っているのだろう――視線を僅かに後ろに向ける。

 暫く迷ったのか、唇がぼそぼそと何かを紡いだ後……ゆっくりとその言葉が空気に放たれた。

「ぼくが、君たちと会ったことがあるから」

 ……言葉を理解するのに数秒を要した。

 少年は軽い足取りで土の道を歩いていく。

「……は?」

 ピュラたちが、それぞれ素っ頓狂な声をあげた。

 当たり前だろう、彼女たちにとってこの不思議な少年の記憶は全く皆無なのだから。

「いつかさ、海に落ちたことがあったでしょ?」

 楽しそうともとれるような口調で、少年は言葉を弾ませる。

「4ヶ月くらい前、フローリエム大陸中腹の東海岸辺りで」

「あっ…………」

 セルピとピュラが顔を見合わせた。

「確かに落ちたな」

 後ろでスイがぼそりと呟く。

 そうだ、いつだったか地下水路で迷い、出口が崩れてそのまま海に投げ出されて――、

「そのときぼくたちの船が運良く通りかかったんだ。ごめんね、あのときは素性を知られるわけにいかなかったから」

「あなたたちが助けたの!?」

「だから皆一緒の海岸に打ち上げられてたんだ……」

 クリュウが納得したように頷く。

「でもびっくりしたよ。なんで海になんか落ちたの?」

「う……」

 ピュラのこめかみがぴくりと動く。

 まさかあのようなことは言えたはずが――。

「はじめ宿屋が満員だったからピュラが教か」

 当たり前のように事実を述べ始めたスイは軽く蹴りをいれて黙らせておいて、顔をひきつらせながらも笑顔をつくる。

「お、女には秘密が沢山あるっていうでしょ?」

「色々あったみたいだね」

 そんなやり取りに、少年はくすくすと笑みを転がす。

 もう辺りはすっかり森の中だ。しかも北の町へは遠回りになるこの街道を歩く人はほぼいない。

「そろそろいいかな」

 そう呟くと、ゆっくりとその手でフードを後ろへとやった。

 ぱさっとかすれた音がしたかと思えば、中から鮮やかな茶髪が姿を現す。

 そうして、微笑みはそのままに、ピュラたちの方に振り向いた。

 不思議と透明感のある少年の軽やかな姿に、思わず一同は声をなくす。

「えっと、自己紹介がまだだったよね」

 ムーンストーンをはめ込んだような、透き通った灰色の瞳だった。

 幼さを見え隠れさせる顔で微笑む様子は、まだ子供っぽい印象を拭いきれない。

 しかし、……しかし、その深みのある表情は、大海のように穏やかで――。

「はじめまして、かな。ぼくがテスタ・アルヴです」

「あ、あなたが!?」

 ピュラがぎょっとしたような声をあげた。

 てっきり彼はテスタ・アルヴの手下だと思っていたのだ。

「テスタって、これから行く船の船長よね……?」

「うん。とりあえず船長、だよ」

 相変わらずのほほんとした口調で言ってくれる。

「だ、大丈夫なの? その、さ、船に船長がいなくなって……」

 クリュウの心配げな声にも彼に動揺は見られない。

「うん。というか、ぼくが行かなきゃいけなかったんだ」

「うにゃ? どうして?」

 テスタはふふっといたずらっぽい微笑みを漏らして、また進行方向の先に目をやった。

「こっちにくればわかるよ」

 風に揺れて茶髪がさらさらと川のようになびく。

 そんな潮風を心地よさそうに全身で受け止めながら、テスタは足取りも軽く先へと歩いていく。

 そこまできて、ピュラはふといつかの記憶がぶれるのを感じていた。

「あれ?」

 なんだか違和感がする。

 そういえば、いつだったか彼の名前を聞いたことが……?


 ――あー、ここら辺の治安も悪くなってきたなー。テスタの言う通りだ。


 ――テスタ?


 ――知り合いの船乗りだよ。


「あっ……ああーーーーーーーー!!」

 鳥たちが恐れをなしてけたたましく樹から飛び立つほどの絶叫が響き渡る。

「うん? どうかした?」

 しかし全く動じないテスタはのんびりと返してくれた。

「ど、どうしたの……?」

 鼓膜に響くつんざくような痛みをこらえながらクリュウも尋ねる。

 そして当のピュラは顔面を蒼白にして、ぶるぶると震えながらおぞましい殺気を放ち始めていた。

「フェイズっ! そうよあなた、フェイズってアホを知ってるでしょっ!」

「うん、フェイズは友達だけど?」

 あまりに緊張感のない声にピュラは脱力寸前になってしまう。

「よ、よくあんなのと一緒にいられるわね……」

「え……」

 テスタは驚いたように目を丸くしてみせた。こうすると本当に子供そのものだ。

「フェイズはいい人だよ?」

「いっ……?」

 ピュラは、あまりに凶悪な言葉を容赦なくくらって、その場に崩れ落ちそうになった。

「大丈夫か?」

 後ろからスイが呟くが、全く大丈夫ではなさそうだ。

「あれでも自分で決めたことは絶対に諦めないし」

 言葉のナイフとはまさにこのことか、とピュラはげっそりしながら学習する。

「いえ、むしろあの演技力にテスタが騙されてるとか……」

「え? なに?」

 にこにこと楽しそうに笑いながらテスタは首を傾げるのみだった。

「でもさ~、ピュラって」

「なにか?」

 先ほどからピュラの様子をじっと見ていたセルピがふと呟く。

「フェイズお兄ちゃんのことになると賑やかになるよね」

 ――ぼかっ!

「いたい~」

 炎の鉄拳をくらったセルピは涙目で頭をおさえた。

「悪かったわね! 私はああいう人が一番気に入らないのっ!」

 ピュラは頭にちっちゃなツノが生えんばかりの勢いでそうわめく。

 そうだ、本当にフェイズという人物は考えるだけでいらついてくる。

 それはきっと、あの不可解さが気にくわないから。馬があわないから。

 そう、それ以上のことなど、あるはずが……。

 しかし胸の中の違和感を消し去ることができるはずもなく、不快はつのるばかり。

「っあーーーイライラするわね! テスタ、船はまだなの?」

「うん、もうすぐだよ」

 気負いなどまるで知らないような声でテスタは笑う。

 もうすぐ、というなら、そろそろ船の姿でも見えてきていいのだろうが……。



 ***



 一同がそれぞれ怪訝そうな顔をしているのは、彼が何もない断崖で足を止めたからだった。

「ごめんね、こんな場所じゃなきゃとめられなくて」

「とめられないって……」

 ピュラは腰に手をやりながら辺りを見回す。

「どこにも船なんてないじゃない」

「うん、ここじゃなきゃ船を沈められなかったから。他だと水深が浅くて」

 …………。

 ……。

「はい?」

 思わず聞き返した。

 するとテスタは穏やかな笑顔はそのままに、人差し指をたててみせる。

「えっと、これから船を呼び出すから。そうしたら一分で乗り込んでね」

 そういうなり、くるりと踵を返し、体をすっぽりと覆っていたマントを脱ぎ捨てた。

 すると茶髪によく似合う軽い服層――海賊風といったらそれが一番正しいか――の姿が露になる。

 テスタはすぐさま腰の皮袋から、目が覚めるような真っ赤なバンダナを取り出して手際よく首に巻いた。

 鮮やかな赤が、鮮烈なイメージをもってして彼の存在を際立たせる。

 ……そうして、テスタは首につるした巾着袋をその手に握り締めた。

 いつもの硬い感触。いつだって手放したことのない、大切な相棒をしっかりとその手に抱いて。

 瞳を閉じて、詠唱を唱えた。


 ――ふわっ……


 テスタの髪が僅かに舞い、その手に握られた皮袋の中から光が放たれる。

 光線は一気にあらゆる方向へと突き出し、彼を中心として幾重にも重なりながら踊り始めた。


「なっ……!」

 突如としてクリュウが素っ頓狂な声をあげる。

 妖精である彼は瞬時に察知ができるのだ、この世界における力の流れの向きを。

 その流れが今、一気に彼の方向へと流れ出している。

 体中に痺れがまわったように、ぴりぴりと電流が走る。

「や、やっぱり……!」

「え?」

 クリュウはその感覚に戦慄さえ覚えていた。意志とは関係なしに、体が震える。

「あの人――」

 しかしその言葉が続く前に、時は満ちていた。


 ――ゴゴゴゴゴゴゴゴ……!!


「きゃ……っ、な、なにこれ!」

 突如として海が唸る。空は快晴、嵐の気配も皆無だというのに、だ……。

 水色の煌きをまとったテスタはずっと詠唱をその唇で紡ぎながら、海の方へと一心に祈る。

 その光は空気中を残像を残すほどの速さで駆け抜け、目の前の海へと飛び込んでいく。

 そうして、信じられないことが起きた。


 ――ざあああああ…………ッッ!


 海の中から、巨大な船が姿を現したのだ。しかも全く濡れていない、甲板に何人もの人を乗せた状態で。

 水しぶきが辺りに舞い散って、太陽の光を反射する。

「な、なにこれ……っ!」

「すご~いっ、海からお船さんが……!」

「皆、急いで! 早くこっちへ!」

 テスタは巾着袋を握り締めたまま彼らを船へと促す。

「親方ー!! 無事でやしたかーーっ!?」

 船からは船員たちの威勢のいい声が聞こえてきていた。

「急げ! タラップをかけろーっ!」

「あいさー!」

 目を見張るほどの手際のよさで、陸と船の間に小さな桟橋がかけられる。

「早くしないと貴族に見つかるよ、急いで!」

「え、ええ……っ」

 完全に腰を抜かしていた一同はなにがどうなったかもわからずに、船へと走ることになった。

 突然の混乱の中、タラップをあわただしく揺らせながら船へと乗り込む。

 恐らく、テスタは魔法を使って船を海底に沈めていたのだろう。しかも呼吸ができるほどの空気と共に、そして長時間。

 まさか人間でそんなことができるわけ――。


 しかしあの、大切そうに握り締めていた巾着を見て、確信する。

「やっぱり、『契約者』だ……」

 唸る海の音を聞きながら、スイの肩口にてクリュウはそう無意識に呟いていた……。



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