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Bitter Orange, in the Blaze.  作者: 紅崎ナヤ
序.旅の目的
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004.危局



「随分深い森ね」

 昼だというのに薄暗く、湿った土に時折聞こえる獣の濁った声、……ムードたっぷりの森の目の前でピュラはぽりぽりと頬をかく。

 歩き出してから早二日、目の前に立ちふさがるのはいかにも恐ろしい魔物が出てきそうな深い森だ。

「でもなんでこんな人の立ち寄らなそうな場所の魔物討伐なんか国は募ったんだろう?」

「開拓だろうな」

 ぼそりと呟くスイに、ピュラとクリュウは振り向いた。

「この森をぶち抜いて少し山を削れば聖都リザンドまでこの地方から一直線で行ける」

 なるほど、とピュラは頷いた。

 聖都リザンドはウッドカーツ家の本家がある世界の中心だ。しかし同じ大陸であるこの地方に来るには、その間に巨大な山脈がある為、船を使うか山と森を越えるかしかない。

 つまりこの森を取り払って、山に街道を作れば比較的大きな町であるセビアまでの行き来が楽になる。

 そうすればこの地方はさらに発展し、栄えた地となるのだ。

 もちろん、それの全てを肯定し賞賛することは出来ない。

 森を切り、文明を発展させるのは自然を破壊するのと同じことだ。

 しかしそれでも旅人たちは魔物を討伐しに行く。貴族が仕組んだ文明発展に加担する。

 そうやって金を稼がないと、生きていけないからだ……。



 ***



 森の中はこもった空気が充満し、けだるさを感じる。

 長年降り積もった腐葉土の上を歩き、樹の根に躓かないようにして奥へと歩いていく。

 ふとクリュウはピュラの姿に疑問をもった。

 ピュラの荷物らしきものは、雑多なものが入っているだろう腰のポーチ、それのみである。

「ピュラ、武器とかないの?」

「あるにはあるけど――」

 森を歩きながらピュラはポーチを指先で軽く叩いた。

「でも今回は本気でいくから付けないわ」

「はぁ?」

「いーの。そのちっこい脳みそで理解できることじゃないから」

「~~~!!」

「いるぞ」

「は?」

「へ?」

 ピュラとクリュウが止まった。

 スイはゆっくりと草むらの向こうを指差す。

 ピュラは気配を消してスイの指差す先を伺った。

 ――向こうには、まだこちらには気付いていないものの、巨大な植物型の魔物が奇妙な唸り声をあげている。

「うーわー、こりゃまたいい具合に凶暴そうだこと」

 魔物――ムラ・セン・カベッサは、人二人分くらいの高さを持ち、見るからに凶悪な目つきをしていた。

 しかしこれが30万ラピスだと思うと怖くなくなるのだから不思議だ。

 彼女の炎と同じ色の目がすい、と細くなる。

 刹那。

 ――ギャアッッギャアッッ!!

 不意に後ろから鳴った声に、3人は振り向き、瞬時に飛んだ。

「気付かれたわっ」

 鳥の魔物が飛んでカベッサの方へ行き、侵略者の姿を伝える。

 ぎん、とカベッサの瞳がこちらを向き、殺気が放たれた。

 ――ざあ……っっ

 深い森の中だというのに鋭い風が突き抜ける。

 途端に長いツルがピュラの体を絡めとろうと高速で伸びてきた。

 しゅん、と彼女の体が宙を舞い、ひるがえってそのツルを手で叩き割る。

 けたたましい音と共に、彼女の拳が入った場所からツルがまるで石のように割れて崩れた。

 一瞬だがその部位に走ったスパークに魔物がけたたましい悲鳴をあげる。

 クリュウは思わず目を見張った。

 格闘での殺傷というのは普通ナックルなどの武器をつけて行うものだ。

 それを素手でこなすというのは――?

「龍流拳術……」

 ぼそ、とスイは呟いて剣を抜き放った。

 古く寂れた鞘とは一変した、美しい銀の肌を煌かす剣が姿を現す。

「ろんる……?」

 クリュウもいつか聞いたことがあった。

 武術の都が開発した、素手に魔力を込めて振り下ろし、瞬時に爆発的なエネルギーを放つ拳術のことだ。

 しかしそれを会得するものは世界でも数少ないと聞いたが……?

「おっと」

 刃のように伸びてきたツルをかわして、クリュウは口の中で歌うように詠唱を唱えた。

 それと共に、彼の手の平に大気の流れが収束していく。

「風踊り土舞い遊ぶ、自然の理その深く、我が流れの先へ、力を貸したまえ……精霊の御名において――」

 耳が痛くなるようなエネルギーの集束。

 空気が刃となって一気にカベッサを襲い、その上にいた鳥はあっけなく切り刻まれて地に落ちる。

「へぇ、結構やるじゃない」

 にやりとピュラは笑ってまた拳を振り下ろした。

 彼女も着実にのびてくるツタを粉砕している。まるで踊っているかのように、焦りは感じられなかった。

「それにしても――」

 ……強いとは聞いていたが、こうも次から次へとツルを伸ばされては近寄れないし、これを一人でやるのは逃げるのが精一杯だったかもしれない。

 やはり勘は当たっていた……が、その上でピュラは思うのだ。

 スイは、何処に行った?

 直後、目の前に影が被った。

 飛び散る、魔物の体液。煌く剣の肌は銀色、その合間に青い髪――。

 ピュラの瞳が弾かれたように丸くなった。

 一気に何本ものツルが切れ、べちゃっと卑屈な音をたてて地に落ちる。

 次の瞬間、たんっ、とスイの足が地面に着地し、また次の足で地を蹴って飛び上がっていた。

 速い。尋常ではない速さだ。

 澄んだ蒼の瞳が閃光のような光を放ち、一気に魔物のふところへと飛び込んでゆく。

 ――驚きというよりも、嫉妬の方が多かったか。

 遅れをとるまいと、ピュラも飛んで中心に近付く。

 しゃあッ、とカベッサが唸り声をあげて黄色い体液を吐き出した。

 強酸の液だ、そう思った瞬間に体が動く。

 だん、と地面を蹴って飛ぶと、空を切った液体は地に落ちて草が一気に溶けた。

 ピュラは樹の枝に手をかけて見上げるような大きさのカベッサの後ろに降り立つ。

 巨体をもつカベッサの弱点は小回りがきかないことだ。そこを攻めていくしかない。

 唇を噛み締めて機会をうかがうために目を細める。

「ピュラ」

「きゃっ!」

 そんなとき、突如後ろからかけられた声に、ピュラが肩を飛び上がらせて振り向くと、……スイの姿。

「いいい、いつからいたのよあんたッ!」

「行くぞ」

「分かってるわよっ」

 またクリュウが魔法を放ったのか、カベッサが逆上してあちらこちらにツタを噴出する。

 剣に関しては素人のピュラでも、スイの素早さと技術は手にとるように分かった。

 かなりの腕前だ。無駄がなく、判断力もかなりのものと見える。

 ただ、自分が引けを取るとは思わないけれど―――。

 クリュウの魔法が発動した。しかも先ほどのよりもかなり大きいものだ。

 妖精とはこんな魔法まで使えるものかとピュラは内心感心する。

 ピュラの拳が強酸の液を抜けて振り下ろされ、またスイの剣も突きたてられる。

 それと共に、つんざくような悲鳴をあげてカベッサがのた打ち回る。

 暴れるカベッサのツタがあちらこちらに当たって木々を粉砕していく。

 しかしそれも段々と収まっていき、ゆっくりと活動は停止に向かう。

「やったかしら?」

 ピュラは口の中で呟くが、――次の瞬間には驚きに目を丸くしていた。

 刹那、その内側から突然光が溢れ出たのだ。

 尋常ではない光の量に危惧を感じてピュラとスイは同時に引く。

 ――目を開けていられないほどの光が、魔物を中心として弾けた。

 クリュウが上から降りてきて、二人の間でそれを見上げる。

 めきめきと魔物の肌に亀裂が生じていく。

 そうしてカベッサを覆っていた草が一枚ずつはがれ、中のものが姿を現す……。

 どしゃっ、と黄色い液体を飛び散らせながら、最後の皮にも似た草が地に落ちた。

「わ、わーお……」

 口元をひきつらせながらピュラが呟く。

 中から出現した光り輝く物体、それは獣型の魔物であった。

 その瞳は憎悪に燃え、不快感を覚える獰猛な唸り声をあげている。

 そう、魔物ムラ・セン・カベッサは植物の魔物ではなかったのだ。

 おそらく今倒れて剥がれ落ちたのは、魔物に寄生していた植物だった。

 よくあることだ。植物に思考まで貪られた魔物は、植物が死ねばまた意識を取り戻す。

「これって中身が目覚めちゃったってことよ、ね?」

「寄生されてたときよりも強そうだな」

「マ、マジで……?」

「いえ負けないわっ! 30万よ30万。2ヶ月は遊んで暮らせるわ…っ!」

「その前に死んだらどうにもならないよ……」

「逃げ場はないな」

 ピュラとクリュウがちらりと背後を見ると、木々の合間にごつごつした岩場が広がっているのが見えた。

 こんな場所で地の利は向こうにあるに決まっている。

 ここで敵に背中を見せれば、無残な死が待っていることだろう。

「よっしゃ! かかってきなさい30万!」

 ぎゅ、と拳を握ってピュラは一歩前にでる。

「あーもうヤケクソ……」

 クリュウもがっくりと肩を落としながらまた空へ飛んだ。

 再び、魔物の咆哮。

 薄暗い森の中、光が筋となって放たれる。

 びっ、と髪が何本か踊ってなびいた。彼女をぎりぎりでかすめて通った光の刃は、そのまま背後の石を粉砕する。

「魔法……っ」

 ピュラは舌打ちをした。まさか魔法を使う魔物だとは思ってもいなかったのだ。

「発狂してるな」

 スイが剣を構えながら言った。

 ピュラも聞いたことがある。植物に寄生された魔物は自我を奪われ、狂うのだと。

 カベッサが咆哮をあげると、口からだらだらと体液が零れ落ちる。

 怒りと憎悪に燃えた瞳は濁り、何も映していなかった。

 おそらく何もしなければこのまま死ぬのだろうが、憎悪が自分たちに向けられていることから、殺さないわけにはいかない。

 深紅の髪をかきあげて、ピュラは構えた。

 スイの目が細まり、剣の肌が更に深く煌きを宿す。

 ―――その青い影が残像すら残す速さで、動いた。

 魔物の体が切れる、嫌な音。

 空気を裂く剣の音が悲鳴をあげ、魔物の体にぱっくりと開かれた傷からは体液が噴き出す。

 魔法が樹にあたってばりばりと何本かが倒れた。それを盾にしつつピュラが軽々と舞うように飛び、喉元に直接技を叩き込む。

 刹那、上からクリュウの魔法が矢となってカベッサに突き刺さる。

 カベッサの悲鳴が沸き起こり、空気を揺るがす。

 すかさずピュラの二撃目が繰り出された。

 拳から伝わり体を走る確かな振動。首の骨が折れた音が感じられた。

 ピュラはそこで勝利を確信した。これでカベッサは――。

「――え?」

 不意に、体中を駆け巡る熱いもの。

 直後には、彼女の顔は色を失っていた。

 突如カベッサが、動けもしないはずなのにピュラの左手首にかじりついたのだ。

 がぷっ、と皮膚が食いちぎられ、血の塊がほとばしる。

「つ……っ!」

 その瞬間、全身に電流が走ったような衝撃が突き抜けた。

 吐き気を覚えて歯を食いしばる。

 どくり、と体中が心臓になったかのように波打ち、一気に指の先から冷たくなってゆく。

 ただの傷でないことがすぐに分かった。

 それでも――。

 ぎん、と彼女の橙色の目が光り、右腕が動いた。

 渾身の力がこもった拳が、カベッサの顔面に激突する。

 そうして、その真上から――。  無慈悲に振り下ろされる剣の一閃。

 カベッサはスイの一撃によって真っ二つに切り刻まれた。

 絶命したカベッサの体から力が消え、ただの肉塊と化す。

 ピュラはなんとか顔を引き剥がし、左手首を押さえながらその場にへたり込んだ。

 立ち上がることすらままならなかったのだ、思わず体を抱きかかえるようにする。

 激痛が体を引き裂くように襲っていた。全身がびりびりと震えている。

 普通の傷とは違う痛さに立つことも出来ず、瞳を固く閉じて激痛に耐える。

 魔物を倒したというのに、感じるのは体中が冷たくなっていく悪寒と、――欠落し混濁を始める意識。

 傷口だけが妙に熱を放つ。

 そんな彼女の姿に異変を感じ取ったスイが怪訝そうな顔をした。

「ピュラ?」

「近寄らないでっ! ただの傷じゃなさそうなの」

 どくどくと流れ落ちる血を抑えながらピュラは唇を噛む。

 不覚だった、あんなところで手傷を負うなど――。

 しかも、いつもの痛みではなかった。

 傷は腕だというのに、全身に痛みがほとばしる。

 すぐに手当てを、と思うのだが、指の先ほども命令通りに動かない――!


 ――瞬間、スイの瞳が揺らいだ。

 目の前にいる、少女。

 ぼたぼたたれる熱い血と――。

 苦痛に歪む顔、一歩一歩死へと堕ちていくような……表情。

 人の脳裏に刻まれた記憶は決して消えることはない。

 それがどんなに忘れたいことであったとしても、決して。

 そうして記憶の断片がぶちまけられたように、彼の瞳に映る。

 フラッシュバックする映像の数々。

 灼熱の炎、焦がされる身、死にゆく命――。


 ――なにもできない、自分の姿。


「……っげほ……っ!」

 ピュラの唇から血が滴った。

 スイの足が揺らぎ、意識よりも先に行動に出る。

「貸せっ」

 無理矢理ピュラの右腕をはがして左手首を見た。

 血で汚れたそこに刻まれたものは――。

「クリュウ!」

「え――? う、うんっ!」

 心配そうに横でみていたクリュウが飛んできてそれを目にし、――絶句する。

 体温が消し飛ぶのを感じた。すぐに応急処置をしようと手を差し出す。

 しかし直後には、クリュウの潜在意識が彼女を救うことをためらっていた。

 かざす手が揺れて、もう一度彼を見上げてしまう。

「スイ……!」

「いい、やってくれ」

「――……うん、分かった」

 わずかに迷ったように逡巡するが、彼は決断したようだった。クリュウの小さな手が傷口にあてがわれ、そこが煌きだす。

 ピュラの意識は既になく、荒い呼吸を繰り返す。

 しゅううう、と大気の力が一点に集まっていき――。


 クリュウが最後の詠唱を読み終えたとき、あたりは白に包まれた。



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