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Bitter Orange, in the Blaze.  作者: 紅崎ナヤ
序.旅の目的
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002.エンゼルティア



 その娘が仕事をしている丁度同じ時間のこと――。

 もう夜もとっぷりと暮れてしまっていた。

 暗く深い森は漆黒に埋まり、旅人を迷わせる。

 そんな森の中を歩く幾つかの影……。

「スイ、誰か来たよ」

「ああ」

 ……暗がりの中で、スイと呼ばれた男はゆっくりと立ち止まった。

 すい、と彼の目の先を手の平に乗るくらいの大きさの『少年』が舞う。

 今はほのかに煌く影としか見えないが、光に当てれば美しく七色に煌く羽根を持った、妖精だ。

 自身の気配を消し去って、男は辺りの様子を伺う。

 妖精もまた彼の肩にかけられたマントに身を潜め、目を細めた。

 おぼつかない足取りで草を揺らす音が聞こえる。

 そして息を切らして荒く呼吸をする音と、その雰囲気。

「だれだ」

「きゃっ」

 突如として森に放たれた低い声に、影はびくりと肩を飛び上がらせた。

 すると、ぼう、と小さな灯りが灯る。

 灯りの先には、驚きと恐怖に目を丸くした影の姿があった。

 しかし影はこちらの姿を見止めると、……更に目を丸くする。

「た……、旅人さん……ですか?」

「そうだ」

 影は、……娘だった。男の持つランプの小さな灯りでは暗くて詳しいところまでは良く見えないが、緋色のマントにすっぽりと体を包んでいるあたりからして魔道士だろうか。

 彼女はほう、と安堵の息をついて僅かに笑った。

「よかった……。連れとはぐれてしまって迷っていたんです。あの…町まで連れて行ってくださいませんか?」

 髪はかなり長い。首を傾げると、さらりとあでやかに宙を舞う。

「別にいいが」

「ありがとうございます。……、?」

 娘がまた首を傾げた。

 男の肩の上で、漆黒の闇夜の中にほんのりと煌く小さな少年。

 娘の瞳が暗がりの中で丸くなった。

「……妖精……?」

 口元に手をあてて、物珍しげに彼を見つめる。

 妖精といえば人間の戦争が激化すると共に姿を消してしまった種族で、人前に姿を現すということなどほとんどなかったのだ。

 すると妖精は静かに笑って見せた。

「うん、みんな珍しいって言うけどね」

「ええ……わたしも見たのは初めて……」

 娘は長い髪を揺らせて、その妖精に魅入る。

「町はここから近いが」

「え?」

 唐突にぼそりと横から呟かれ、思わず娘は聞き返した。

 しかしまるで独り言を言うように男は声を紡ぐ。

「あと数分も歩けば町だ」

「そ……そうだったんですか……」

 娘はよほど安心したらしい、胸に手をあててふう、と溜め息をつく。

 ただ、この男にはどう返していいか分からないものがある。会話が唐突で、言葉も少ない。

 まるで浮世離れした人だと、娘は少しだけ苦笑した。

「ご迷惑をおかけします」

「……別にいい」

 それだけ言って、彼は歩き出す。

 その肩の辺りであの妖精が共に先を進んでいった。

 不思議な人たち、と……娘は口の中で呟いていた。



 ***



「わざわざありがとうございました」

 町の灯火に照らされた彼女は、男と同じ年齢くらい。二十歳程度だった。

 ぺこりとお辞儀をしてくるりと背を向け、去っていく。

「スイ、僕たちも早く宿に行こうよ」

「……そうだな」

 妖精は夜の空に飛び上がって、今にも降ってきそうな一面の星空を見上げた。

 ひしめきあうようにして瞬く煌きの欠片の数々……。

 そして、その頂点に浮かぶ大きな月。

「今日はエンゼルティアだね」

 独り言のように呟く。

 男もまた空を見上げて、ぱさりと髪をかきあげ、目を細めた。

「ああ……」

 その景色に感嘆しているのか、それとも妖精の少年に答えているのか――。

 しかし男の澄んだ蒼の瞳は、その星よりももっともっと、果てしない遠くを見つめていた。



 ***



 仕事が終わった後、まだ少々火照る体を鎮めながら赤毛の娘は一人町を歩く。

 こんな生活に慣れてしまった彼女にとって、暗い夜の恐ろしさなど感じることもなくなっていた。

 どこまでも静寂の落ちた夜だ。どこからか酒場での人のざわめきが耳につくが―――。

 夜空を見上げながら、ふと幼い頃読んだ絵本のことを思い出していた。

 心地良い疲労と眠気に見舞われ、かすかにぼやけた視界の遠く彼方で、美しい夜空が広がっている。


 今日は、満月。


 月の周りに散りばめられた宝石のような星々。

 夜空のドームに囲まれて、その頂点に寂しく煌く月。

 その月がこの世界の人々に天使星と呼ばれる由縁である、とある物語……。

 あれを読んでいた頃はまだほんの子供だったか。

 たわいもない話なのに、何故か心を惹かれた物語―――。

 彼女は自身を鈍く照らす月をぼんやり見つめながら、いつのまにか思考を記憶の夢に迷い込ませていた。



 ***



 あるところに、一人の天使がいました。

 真っ白な羽根を持った、美しい天使でした。

 ある日天使が地上を眺めていると、ふと一人の少女が目にとまりました。

 金色の輪が降り注いだような色の髪をなびかせる少女でした。

 少女は旅人で、いつも一人で荒れた地を歩んでいました。

 そしてそんな少女に、天使は心惹かれてしまったのです。

 しかし人間である少女に天使の姿は見えません。

 どんなに傍によっても、話しかけてみても、

 少女は何も気付かないのです。

 諦めきれない天使は哀しそうに少女の周りを飛び、聞こえもしない歌を歌いました。

 雨の日も、風の日も、寒い夜でさえも、

 天使は少女の傍で、そっと少女を見守っていました。

 そんな中、奇跡はおきたのでした。


 少女と話がしたい、少女ともっと近くにいたい、その想いは遂に力となって、

 少女の目に、天使の姿が映るようになったのです。

 天使は驚く少女に大喜びで自分の想いを打ち明けました。

 少女も嬉しそうに笑いました。

 二人は手をとりあって、幸せな日々を送りました……。


 しかし、そんな彼らに大神は怒りました。

 天使が人に恋をするなど、あってはならないことだったのです。

 見つかった天使はみるみるうちに白い翼を黒に染めあげられ、堕天使にされてしまいました。

 そうして天使は少女と引き離され、暗闇の中に突き落とされ、少女への叶わぬ想いを悟りました。

 だから、最後の力を振り絞って天使は空へと飛び上がりました。

 何処までも、何処までも、天使は空へ昇ってゆきます。

 何もない、真っ暗な空へと昇ってゆきます。

 旅人である少女が、夜でも道を間違えないように。

 いつまでも少女を見守っていられるように。

 天使は星になろうとしました。

 天使の瞳からは涙がぽろぽろと零れ落ち、それらは砂のように小さな星となって夜空を飾ります。

 そして最後、天使は夜空の中心で燃え尽き、大きな大きな星となりました。


 そうして天使は今でも流した数多の涙と共に夜空を照らし、旅人を守っています。

 その星は天使星、または月とも呼ばれ、日が経つごとに満ち欠けが起き……、

 満月の夜、雲ひとつない一面の星空を人はエンゼルティア、天使の涙と呼ぶようになったのです……。



 ***



 誰でも知っているあまりにも有名な物語。

 エンゼルティア、天使の涙。

 少女を想い流した天使の欠片。

 想いを通じ合わせた二人に突きつけられた、天使は人に恋をしてはならないという現実。

 想いは真実であっても、残酷に立ちはだかる現実。

 まるでこの時代にふさわしいのではないだろうか。

 鋭く睨みをきかせる身分制度、貴族による貴族のための政治。

 必死で生きている人々がいるという真実があったとしても、貴族はそれを知らない。

 ――もしも、そうだとしたら。

 彼らには天使のように、ただ犠牲になってゆくことしか出来ないのだろうか……。

 さっさと宿に戻ろうと思っていたのだが、もう少しここで空を見上げるのもいいかもしれない。

 今宵は満月、エンゼルティア。

 天使のドームの中、彼女はただ一人。



 ***



 今から約300年前、この世界では世を二分した戦争が勃発した。

 貴族や貴族に仕えることの平和を望む平民と、自らの幸福を勝ち取ろうとした平民と。

 戦争は戦争を呼び、世界は嵐のような混乱に包まれていたという。

 そして戦の末、勝利を勝ち取ったのは貴族たちだった。

 類まれなる力で貴族をまとめあげ、勝利を収めたのは初代ウッドカーツ家党首、ジルム・ウッドカーツ。

 後、世界は事実上ウッドカーツ家により征服され、現代に至る。

 この300年は、大きな戦乱も何もなかった。

 それはある意味での平和、冷たい平和。

 貴族が科す重い税金、治安の荒れよう、広がるスラム街――。

 しかしあらゆる制限をかせられた平民に、何もなす術はない。

 灰色の重い空気の中に、世界は沈んでいる。

 ――しかしそれでも、人は生きているのだ。

 それぞれの小さな幸福を、必死で守ろうと、こんな荒れた黄昏の大地の上で、彼らは、生きている。生きようとしている。黄昏を強く、強く……。


 ―――そしてそんな中に生まれた少女も、また。



 ***



「はい、5万ラピス」

 満月の晩も明けた、午前の一時。

 カウンター越しに彼女は紙幣を受け取った。

 彼女の名前はピュルクラリア・サラクェル。愛称はピュラ。各地を一人で旅する小さな旅人だ。

 旅の目的は生きるため。理屈も理由もない……、彼女は旅をすることで生きているのだ。

 帰る場所がなければ行き先もない。

 だからこうして路銀稼ぎをしながら町から町へと渡り歩いてゆく。

 金を財布に仕舞う彼女に、ギルドの主人は笑った。

「嬢ちゃんすごいねえ。これでこの町での仕事5件目かい」

「まかしてよ」

 得意げにピュラは笑う。それを更に引き立てる耳のガーネットピアスがきらりと煌いた。

「だってねぇ、全部盗賊団潰しだっていうじゃないかい。随分腕が立つんだね。もう一仕事この町でやってくかい?」

「仕事によるわね。何かまだいい仕事あるかしら?」

 そう言ってピュラは壁に何枚も貼られた仕事状に目を通す。

 全世界共通で町に一つずつあるギルド。

 国営のそこでは仕事を旅人たちに提供している。

 仕事の内容は、魔物討伐に盗賊潰しから傭兵、店手伝いに人探しまで様々に渡っていた。

 それらに目を通す彼女の鋭い視線が、ある一点でぴたりと止まる。

「……ね、おじさん」

「なんだい?」

 ピュラはある一枚の紙に視線を絞ったまま、つぶやいた。

「この仕事の賞金、ゼロが一つ多いんじゃない?」

「ん?」

 彼女が指差す先にある、ごく最近貼りだされた仕事状には、魔物の絵と文字が太く黒インクで書かれている。


『魔物ムラ・セン・カベッサ討伐。賞金30万ラピス』


 賞金30万ラピス。

 はっきりいって、30万ラピスという金額は逆立ちしても手に入りそうにもない大金だ。

 それだけあれば軽く数ヶ月は遊んで暮らせるだろう。

 主人は苦笑しながらため息をついた。

「ああ、それね……。隣町で最初凶暴な魔物がでたって討伐を募ったら、旅人が片っ端からやられるほど強かったらしいんだよ。それで値段もつりあがって隣のこの町にまで募集が来たってことだねぇ」

「そんなに強いの?」

「軽く20人はやられたらしいよ? 今も腕に自信のある旅人が集まってきてるらしいし。こうなったらクイールでも現れないと倒せないんじゃないかい」

「クイールはもう死んだんでしょ?」

「嬢ちゃんはそう思うかい? 私は生きててほしいと思うねぇ」

 愛想良く笑う主人。ピュラは暫く考えた後、ぽつりと言った。

「……私じゃこの仕事、無理かしら?」

 主人の目が、点になった。

「や、やめといた方がいいよ! そんな一人で戦うなんて無茶ってもんだ。せめて腕の立つ仲間でもつけないと返り討ちされるのがオチだよ」

「そうねー」

 まるで聞く耳持たずという感じでピュラは他の仕事状にも目を通していく。

 ……他に手ごろな仕事はなさそうだった。

 もちろんいつもだったらそこで新たな仕事を求めて他の町へ行くのだが、――30万ラピスははっきりいって喉から手が出るほど欲しい。

 もう一度その仕事状に目を通した。

 魔物ムラ・セン・カベッサは隣町セビアの西北の森に生息。

 キーワードを頭に一つずつ叩き込んでいく。

 そして最後の賞金30万ラピスという文字も忘れない。

 30万ラピスあったらしばらくは面倒な仕事もしなくていいだろうし、かなり自由に行動できるだろう。

 これほどの金額となる仕事は、そうそう他にはないだろうと断言できた。

 自分の力を確認するように右手の拳をぎゅっと握る。

「――じゃ、まあ考えてから決めるわ」

「そうしたほうがいいよ」

 念を押すように言う主人に軽く手を振って、店を後にした。

 丁度入れ替わりのように蒼の髪と瞳を持った男が中に入っていったが、別に何も気にならない。

 ただその横で、すい、と軽やかに飛ぶもの……妖精の姿には少し目が留まったが。

 妖精といえばここ数百年は姿を消したと聞いていたからだ。

 だが別に彼女には関係のないこと。気にもならない。

 もう日は一番高い場所から少し傾いてしまっている。

 昨日の仕事は真夜中で、宿に帰ってから昼まで寝てしまったからこの時間なのだが。

 ……次の行き先は、迷うことはない。

 隣町セビアだ。


 今日はもう一泊していこうか。

 とりあえず夕方まで買いものをしてさっさと宿に戻ろうと、ピュラは町を歩き出した。



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