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Bitter Orange, in the Blaze.  作者: 紅崎ナヤ
一.フローリエムの旅
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013.告悔-コンヒサン-



 目をあけると、やわらかな朝の光が差し込める。

 ごしごしと目じりを拭ってぼんやりしている内に、ここが教会の中だと分かった。

 ――そうだ、昨日は教会に泊まったんだったっけ。

 セルピは辺りをゆっくりと見回す。

 隣でピュラが寝ていて、少し離れたところでスイとクリュウも壁にもたれたまま夢の中にいるようだった。

 ピュラを起こさないようにそっと毛布から抜け出して、立ち上がる。

 ステンドグラスから降り注ぐ、穏やかな朝の日差し。

 足音を忍ばせながら、そっと中央の祭壇の前まで歩いてゆく。

 ステンドグラスの光を浴びながら、セルピは祭壇を見上げた。

 祭壇の上に置かれた聖書。さらに上方では、精霊神の像が優しい微笑みを浮かべている。

 視線を横に向ければ、聖母フィアラの絵画が飾ってあった。

 まるでその場だけこの世の全てから隔離されたような、そんな空間……。

 なんとなく、胸がうずいた気がした。

 ――セルピはその場で静かに膝をつく。

 ふわりと厚手のスカートが広がった。

 手を胸の前で軽く組み、目を閉じて顔を伏せる。

 窓の光が差し込め、彼女の黒髪を柔らかく照らしていた。

 そのままじっと動かない。その様子はまるで、一枚の絵になった聖職者か天使のように――。

 唇が震えるように動き、小さな祈りが捧げられる。

 ――それは告悔だ。

 自分の行ったどんな悪しきことも、神にそれを全て告白し、悔いることで神の赦しを得るということ――。

 そうでないと、人は生きられないのだ。

 人は、己のことさえ一人では抱えきれないのだから。それほど弱くもろいのだから――。

 神にすがり、己にのしかかる重みをやわらげようとする。

 自分の罪を全て背負って生きることが出来るほど、人は強くない。

 そして自分を赦す強さも、持ち合わせてはいない。

 だから、神の赦しを請うことしか出来ない。

 誰にも聞こえぬ祈りを捧げ、瞳を閉じたまま想いを巡らす。

 己がしてきた、数多のこと。

 置き去りにしてきた、想いと、そして……。

 今頃、彼はどうしているだろうか――?

 泣いているのだろうか。

 探しているのだろうか。


 どちらにしろ、自分が哀しみを与えてしまったことは真実――。


 きゅ、と組んだ手を握って、口元を僅かに歪ませる。

 ぱさりと黒髪が頬にかかり、僅かに開いた瞳には愁いが混じる。

 告悔の時間は永遠に思えるほどに長く……。

 しばらく彼女は、そのまま動くこともしなかった――。



 ***



 やっと立ち上がったセルピの目が、ふと留まった。

「――あれ?」

 きらきらと煌く祭壇の床に、何かの切れ目が入っているのだ。

 一瞬、祭壇に登ることは背徳に値するかと思ったが、恐る恐る近付いてみた。

 祭壇に登ってみると、説教をする牧師が立つ場所にそれは真四角に切れている。

 よくよく目をこらして見ると、脇に小さな取っ手がついていた。

 開くのだろうか……?

 小さな手を伸ばして、取っ手を掴む。

 くい、と軽く引っ張っても外れない。

「う、うにゅ~……」

 最初はしゃがんで引っ張っていたが、最後になると全体重をかけてぐいぐいと引っ張る。

 ちなみに、そうやって引っ張っていると、取れたときにどうなるか、……彼女はそこまで考えては、いなかった。


 ――ばこっ!!


 ――どすんっ!

「ふにゃっ!!」

 開いた衝撃で見事に吹っ飛び、祭壇から転げ落ちる。

「いたい~~」

「……んー……何の音よ朝っぱらから……」

 衝撃で教会まで揺れたのか、ピュラがごそごそと身じろぎしながら目を覚ました。

 眠たげな半目で、祭壇の横に転がっているセルピをぼんやりと眺める。

「あんた……朝からでんぐり返しの練習?」

「違うよ~~」

 セルピは半泣きで取れた蓋を持ち上げる。

 かなり重い蓋だ。金属製だろうか。

「これがとれちゃったんだよぉ……」

「なに破壊活動やってるのよ……神に恨みでもあるの?」

「にゅぅ~~」

 ぶんぶんと頭を横に振って、セルピはピュラを祭壇に呼んだ。

 そこでやっとスイとクリュウも起きだす。

「なにをやってるんだ?」

「セルピがでんぐり返しの練習してたら鉄板が取れたみたいよ」

「わけわかんないよ……」

 クリュウがつい、と飛んで鉄板があった祭壇のところまで行く。

 そしてそれを見た瞬間、止まった。

「なにこれ……」

「何よ?」

 ピュラたちも祭壇に上がってそれに目を落とし、各々目を丸くする。

「階段……?」

 鉄板の下には、ぽっかりと黒い穴があき、暗い階段が何処までも続いている。

「なにここ……」

 中を覗いてみるが、暗くて何も見えない。

 しかしかなり深そうだ。黒が何処までも永遠に続いているようにも見える。


 ――がたっ


 刹那、びくり、とピュラの肩が跳ね上がった。

 4人が一斉に扉の方を振り返る。


 かちゃかちゃ――


(鍵をあけてる音――――!?)

 さあ、と顔から血の気が引いていく。

「ちょ、ちょっと今何時よ……?」

「どうやらもう礼拝の時間だったみたいだな」

「もしかして全員揃って寝坊だった……?」

「にゃー……あ、ほんとだ、結構お日様が高いところに」

 ――絶望的だった。

「と、とりあえずこの中に!」

「マジで!? こんな得体の知れないところ……」

「役所に突き出されるよりはマシよっ! とっとと入りなさいっ!」

「どわっ! こ、こら妖精を投げないでよッ!」

「いいから入って! 早く!」

 ピュラは無理矢理スイとセルピとクリュウを穴に詰め込むと、自分も入って蓋を閉める。

「わっ! 転ぶ転ぶっ!」

「きゃーちょっと早く進みなさいよわわわ……っっ!!」

「ふにゃ~~~!!」


 ――どどどっどどどどっどどどっどどどどっっ!!


 彼らは見事に全員足を踏み外して、漆黒の底へと地響きを鳴らせながら落ちていくのだった――。


 彼らがいなくなった後、やっと教会の鍵を外して入ってきた牧師は首を傾げる。

「はて、今、中で何か物音がした気が……」

 しかし、見回してもその目に映るのはいつもと同じ教会の景色。

「空耳か……わしもボケたかの……」

 そう言って、静々と祭壇を登っていた。



 ***



 ぼう、とクリュウの手から灯りが灯される。

「いったたた……随分長い階段だったわね……」

「ここ何処だろう……」

 クリュウが不安げに辺りを見回した。

 石で出来た、何もない道だ。右も左も、果てしなく先へと続いている。

「……水の音がする」

「水?」

 スイは頷いて押し黙った。

 しばらく静寂が続くと、澄まされた耳に、水音が届いてくる。

「ほんとね……。ここ、地下水路かしら?」

「にゅ……でもなんで教会の下に地下水路?」

「私に聞かないでよ」

 ピュラは溜め息まじりに階段を見上げる。

「ほとぼりさめたら出て行くしかないわね……」

 じめじめして気持ちの悪い場所だが、仕方がない。

「それにしても、ここ……さっきから臭わないかしら?」

 ピュラが鼻をつまみながら呟く。

「……確かに」

「いい臭いじゃないよね……」

 息が落ち着いてくると今度襲ってくるのは悪臭だ。

 まるで何かが腐ったかのような――。

 ふっとピュラの瞳が弾けた。

 これはよく知った、嫌な臭い――。

「うう~~……なんなんだろう、この臭い……」

「スイ、この臭いってもしかして――」

「……分かるか?」

「とりあえず1年間スラムで暮らしたから」

「そうか」

 スイはそっと目を伏せる。彼も知っているのだ、この独特な臭いを――。

「スイ、何の臭いなの?」

 クリュウがおずおずと尋ねると、ピュラとスイが顔を見合わせる。

「……後悔しても知らないぞ」

「ええ? う、うん……」

「セルピは耳塞いどいた方がいいかもしれないわよ」

「にゃー……でも気になるよう……」

 スイは吐息を一つついて、……目を閉じて呟いた。

「死んだ人間が腐った臭いだ」


 ――――。


 ――。


「なんで地下水路でこんな臭いかがなきゃいけないのよ……」

 ピュラがあからさまに顔をしかめる。

 彼女は孤児院のあった街が焼き討ちにされて一人で隣町まで逃げ延び、それから一年間スラムで生活していたので、この臭いを嗅いだことがあったのだ。

 スラムは至る場所で殺人や強盗が起こり、亡骸を目にすることは日常茶飯事だった。

 セルピの顔が色をなくし、クリュウも神妙な顔つきになる。

 するとクリュウはゆっくりと手を掲げ、魔法を唱え始めた。

 ぶつぶつと詠唱を唱え、風のようなものが辺りに広がる。

「――あら?」

 ピュラが顔をあげた。

 急に何も臭わなくなった――臭いが消えたのだ。

「僕たちに結界を張ったんだ。これで臭いはしないと思うけど」

「あら、便利ね」

「はあ、良かったぁ……」

「良くないわよ。そもそもなんで地下水路にこんな臭いが漂ってるのかが問題よ」

 ピュラはゆっくりと辺りを見回した。随分古い造りだ。おそらくはウッドカーツ家が世界制服を成した辺りに出来たものか――。

「臭いは向こうから来てたな」

 スイがぼそりと呟くと、ピュラは目を丸くする。

「なんで分かったのよ」

「鼻がいいから」

 それ以上もそれ以下もなかった。

「で、どうするの……?」

「私に聞かないでよ」

「そんなこといっても……」

 ピュラはまた大粒の溜め息をつく。

「……行ってみる?」

「えっ……えええええ!?」

「ちょっと声が大きいわよっ。上に聞こえたらどうするの」

「あ、ご、ごめん……けどさっ、何が出てくるか……」

「礼拝は結構長いわよ。それまで暇だし……それになんでこんな場所に人の亡骸があるのか突き止めたいとは思わない?」

 人差し指を立ててみせる。

 対するクリュウの顔は情けないもいいところだ。

「そ、そりゃ気にはなるけど……」

「にゅ~……お化けでてきそう」

「おおおお、お化けっ?」

「あら、あなたお化けが怖いとか?」

「そ、そんなことはっ!」

「はい決定、行きましょうか。クリュウ先頭ね」

「嘘でしょっ!? 言い出したピュラが先に行けばいいじゃないかっ!」

「あら、私もお化け苦手なのよね。というわけでよろしく」

 はらはらと手を振ってピュラは笑う。

「行くことは決定なのか?」

「ええ、こんなところでじっとしてるんじゃあ暇すぎるわ。ここから一直線の場所だし、迷うことはないでしょ。問題は、誰が先頭で行くか、……ね」

 ゆっくりとピュラは全員の顔を見回す。

 セルピは既にボロ泣きでふるふると首を振っていた。

 クリュウも強がってはいるが、ちゃっかりスイのマントの裏に隠れている。

「……スイ、あなた先頭ね」

「やだ」

「なんでよ」

「俺も怖い」

 ――眩暈がした。

「仕方ないわねっ! それなら公平に全員でジャンケンよっ!」

「にゃー……いや~~」

「問答無用! じゃんけん――」



 ***



 かつり、かつり、と一歩一歩歩いていく。

 先頭はスイ。そのマントの影にクリュウ、そして後ろにピュラ、最後にピュラにしがみつくようにしてセルピがついていく。

 よくよく歩いてみると、この通りから何本もの道が複雑に突き出ていることが分かった。

 それぞれの道の向こうには水路が長く走っている。

 ピュラはスイのマントを後ろから掴んで歩いていた。じめじめした空気がなんともおどろおどろしく、底知れぬ恐怖が感じられる。

 その奥には――。


「扉、よね?」

「そう見えるが」

 近付かないとわからないほど真っ黒の扉が、突き当たりに立ちはだかっていた。

「この扉、熱反応で開くみたいだよ……」

 すい、とクリュウが近付いて呟く。

「熱反応?」

「つまり、人の手を当てれば開くように魔法がかけられてるってこと」

「開くのね?」

「とりあえずね」

「うにゅ~~この奥にはでろでろな……」

「そこ、生々しい想像は程々にしておきなさい」

「でもなんで地下水路なんかにこんな魔法をかけた扉……」

「開けるぞ」

 スイがそっと手を差し出し、扉に触れる。


 ――ぱあっ。


 小さな煌きがぱらぱらと落ち、扉が、開いた。


 ――開いて、しまった。


「い」

「あ」

「な」

 それぞれピュラとセルピとクリュウの声が、ハモる。

 全員が全員、絵になってしまったかのように止まっていた。

 時の流れ全てが、ものの見事に凍った。

 その部屋は、舞踏会場ひとつ分の広さがたっぷりあるだろうか。

 しかしそれを埋め尽くすのは、山になった白骨やまだ肉が残った人間の亡骸――。

「いっ」

 数秒後に、せき止められた水をたっぷり抱えたダムが爆破されたような轟音が炸裂した。

「いやああああああああああああああああッッ!!!」

「にゃああああああ~~~~~~っっっ!!」

「だだだだだだだだだだだあああーーーッッ!!」

 セルピが泡を噴いて盛大に意識をホワイトアウトさせる。

 そんな彼女の胸倉を掴んだまま、ピュラは元来た道を音速を超えんばかりのスピードで逃げ出した。

 後ろを号泣しているクリュウと無表情のスイが走ってくる。

 みるみる視界から遠ざかる例の扉。

 既に何処まで走ったかも、何分走ったのかさえ分からない程まで意識が乱れ、無我夢中でひた走る。

 水路をばたばたと駆け抜けて、――なのに体はみるみる冷えてきて、しかも何かが追いかけてくるような感触がつきまとう。

 どれほど走ったろうか、もう時間もなにも分からない。

 ただ、彼らがやっと立ち止まった時には、……既に全員、完全に息があがっていた。



 ***



「……っはあ、はあ、はあ」

 ぺたん、と地にへたりこんでピュラは肩で呼吸をする。

「な、なんなのよあれ……」

 横ではセルピがまだ目を回していた。

「ピュラ」

「なによ」

「……それよりも、大切なことが」

 妙に神妙な顔のスイに、ピュラは首を傾げ――そのまま、凍った。

 今いる場所。

 目の前は、地下水路。

 後ろは、壁。

 右に目を向けても、左に目を向けても、黒が続いているだけ。

 さらさらとゆるやかに流れてゆく水の音が、更に絶望的に思えてくる。

 体中の血液が落ちて行くのを、ピュラは感じた。

「……にゅ……ピュラ……?」

 やっとそこで目を覚ましたセルピが、ただならぬ様子のピュラを見上げる。

 ピュラは引きつった笑顔を浮かべながら、ぎぎぎとセルピに首を向けた。

「ふふ……セルピ、この私がいるからには泥舟に乗った気分でいなさい……」

「ど、泥舟?」

 セルピが首を傾げると、ピュラはがくりと頭を垂れた。

「迷ったわ……」



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